日記の舌 第9回 木下龍也の11月
日記
2025/11/1
高野水登さんと大島育宙さん(無限まやかし)のトークライブへ。口外禁止なので内容については伏せるが、鋭さ、熱さ、思慮深さ、愛らしさ、面白さ、がテンポよく繰り出される濃厚な二時間だった。放心状態で電車に乗った。
2025/11/2
以前、中学一年生からいただいた「ぼくは詩を読んでも共感できません。詩は遠回しにして書かれています。ぼくはストレートに書かれたもののほうが好きです。なぜそのような面倒なことをする道を選んだのですか?」という質問をテーマにエッセイを書いている。授業のときにも口頭で答えたが、その質問で照らされる自身の内側をゆっくり見つめながら納得できるまで書いてみたい。締切が近いときほど映画やイベントに行ってしまうのが僕の良くない癖だ。逃げるな。
2025/11/3
夢のなかの自宅のトイレで用を足してしまったが目覚めてもおねしょはしていなかった。してたら日記に書かなかった。
2025/11/4
花屋で花を見ていたら背後でおじいさんが「安いな〜」と言っていた。話しかけられているのかと思い、振り返ってみたが目は合わず、花に向けてもう一度「安い」と言っていた。そして、僕が立ち去る前に立ち去った。花を憐んでいたのかもしれないし、僕の購買意欲を掻き立てるために言っていたのかもしれない。「安いですよね〜」と言ったら会話が生まれていたのかもしれないが、僕はそのようなコミュニケーション能力を持ち合わせていない。未来の僕だったのかもしれない。
2025/11/5
対談の打ち合わせで早稲田大学へ。村上春樹ライブラリーの前で、両手にセブンイレブンのカップコーヒーを持ったロバートキャンベルさんが出迎えてくださった。キャンベルさんは僕を館内へ案内しようと階段を降りたのだが、その振動でカップが揺れ、キャンベルさんの指にコーヒーがかかっていた。あ、と思う。「大丈夫ですか、持ちましょうか」と言うべきだったろう。でもその声は初対面の緊張によって喉の奥へ仕舞われたままだった。コーヒーに濡れたきれいな指。おそらく相当熱かっただろう。だが、キャンベルさんは何も言わなかった。まるでコーヒーなんてかかっていないかのように施設の説明をしてくださった。そして、研究室に着いてから何もなかったかのように「どうぞ」とカップを僕の目の前に置いてくれた。触れると熱々だった。これまでどれほどの言葉を飲み込んできたんだろう。なんて優しい人なんだ。そんなことを思いながらキャンベルさんおすすめのセブンイレブンスイーツをご馳走になった。
2025/11/6
NHK短歌の収録。ゲストは漫画家の西炯子さん。募集した短歌のテーマは「初恋」。いい歌を紹介できると別に自分の歌ではないのに誇らしい気持ちになる。西さんの「初恋」エピソードから僕がつくった短歌も喜んでいただけてホッとした。この日は尾崎さんの誕生日が近かったので収録前に吉祥寺を徘徊し、色々と悩んだ挙句プレゼントに靴下を選んだ。まさにこれがほしかったというものではないだろうけれど生きていくうえで必要になるであろうしいずれはどこかへ消えてしまうものとして。でも次からは訊こう。何がほしいかを。
2025/11/7
先月開催されたオモコロ20周年イベントの際に金井球さんから「句会に出てほしい」とお誘いをいただいて「ぜひ〜」とお伝えしたところ本当に出ることになった。ありがたい。憂惧句会。12月22日。渋谷ロフト9。憂惧(意味:心配して恐れること)などの知らない単語でつくった自由律俳句を持ち寄ってお話をするイベントらしい。めちゃめちゃ難しそう。知っている単語でしかつくれない。ゲストには原宿さんもいらっしゃる。咎人の雛先生だ。緊張する。がっかりされたくない。俳句に隣接するジャンルの者として下手な句は出せない。どうしたらいい。何も思いつかない。助けてくれ。
2025/11/8
吉祥寺のにじ画廊で大津萌乃さんのお皿を二枚買った。「桜桃文 銘々皿」と「蟹ノ散歩文 小皿」。ずっと眺めていられる。
2025/11/9
いくつかの締切や未返信のメールや直近のイベントが絡まり合って頭のなかにある。球体になっている。歩くたびに脳内を転がる。サッカーボールサイズのうちに対処しなければならない。そのボールをキープしたまま食べる夜ごはんにはほとんど味がない。
2025/11/10
歯ブラシを手に取ろうとすると指がすり抜ける。あれ、と思う。歯磨き粉もコップも掴めない。待ってくれ、と思いながら洗面所を出ようとしても手がドアノブをすり抜けてしまう。死んだのか、と思いながら鏡を見ると普段通り自分が映っている。けれど、タオルにも洗濯機にも触れない。すり抜けてしまう。なんなんだ、と思った途端、僕は床をすり抜ける。初めて下の階の洗面所を見た。加速しながら僕はマンションを落ちてゆく。つま先を見つめながら。叫べもせずに。
2025/11/11
群像短歌部の原稿を書き終えた。原稿を添付したメールを編集者さんへ送った瞬間に体感だと体重が10kg減る。主に頭や肩から減っているような気がする。
2025/11/12
他人の眼鏡の汚れが気になったことがない。他人の眼鏡は汚れないのか。自分の眼鏡ばかり汚れているような気がする。目のそばにあるから気付きやすいのか。僕は以前、メガネクリーナふきふきを頻繁に使っていたのだが、どうも拭き跡が残ってしまって、最近は石鹸と水道水で洗うようにしている。みんなどうやって、いつのまに、きれいにしているんだろう。
2025/11/13
USB-C ハブ 6-in-1を買った。これがなんなのかはよくわかっていないのだが、これがあれば訪問先にあるプロジェクターと僕のPCを繋いでスクリーンにパワポを投影したりできるらしい。明後日使う。使えてくれ。
2025/11/14
山口県の下松駅に降り立ったときあらゆる記憶が蘇ってきたが今は邪魔なのですぐにタクシーに乗ってホテルまで連れて行ってもらった。東京に比べると歩いている人が全然いない。車車車。テールライト。ホテルからコンビニまでの数分間、怪しい人ではないふりをしながら歩いた。ヘッドライト。コンビニからホテルまでの数分間、まともな人のふりをしながら歩いた。サラダチキンと卵とおにぎりとフルーツを食べてベッドに入る。あまり眠れなかった。
2025/11/15
第27回高校生文芸道場中国ブロック大会文芸コンクール。会場は高校生の頃よく映画を観に来ていたショッピングモールの敷地内にあった。色々と変わっていたが、映画館から漂うキャラメルポップコーンの匂いは変わらなかった。昼食にアメリカンドッグを食べた。僕は午後からのワークショップを担当。「一首つくり終わるまで出られない短歌教室」。短歌の読み方と詠み方を説明し、事前に提出していただいたそれぞれの文章を一首にしてもらうという内容で、ひとりひとりにアドバイスをしていったのだが、話しかけてもほとんど何の応答もない生徒がいて、どうすればいいのかわからなかった。めちゃめちゃ嫌われていたのだろうか。怖かった。その生徒も怖かったのだろうか。でも、その後に付き添いの友人とともにサインをもらいに来てくれた。改めてゆっくり話す時間もなく表彰式となり、終わると僕はすぐに新幹線に乗った。その生徒のことだけが心残り。
2025/11/16
ダウ90000の第7回演劇公演「ロマンス」を観てきた。人生で初めて「ブラボー」って叫びそうになった。最高。これまでダウ90000を観てなかったことが悔しいし恥ずかしい。妙なテンションになって帰り道でケンタッキーを買った。6個パック。ケンタッキーの店内にはもう「恋人たちのクリスマス」が流れていた。2個でよかった。
2025/11/17
公開時に観に行けなかった『悪魔と夜ふかし』をアマプラで観た。ホラー映画にしては邦題がかわいい。夜ふかしって字面がかわいい。原題は『Late Night with the Devil』だからそのままなのか。
2025/11/18
スーパーで売っているパックのおでんにインスタントの味噌汁を入れることでスーパーで売っているパックのおでんって味うすいよな問題を解決。
2025/11/19
村上春樹ライブラリーにてロバートキャンベルさんと対談。緊張で汗だくになりながら『あなたのための短歌集』や『すごい短歌部』について話し、朗読をした。客席にはナナロク社の村井さんもいらっしゃって、仏のようなあたたかい視線を送ってくれていた。イベントの映像は村上春樹ライブラリーで流れるようなので、汗だくの僕を見たい方はぜひ訪れてみてほしい。
2025/11/20
警察から留守番電話にメッセージがあり警察署へ。自首するときはこの道をゆくのかと思いながらバスに揺られる。受付で「 月 日」と印字されてある用紙に「2025月11日」と書いてしまった。やばい。このミスから動揺を見抜かれ、取り調べを受けることになり、何かしらの罪を暴かれ、逮捕に至る。という未来が一瞬で見えて一瞬焦る。僕はだれかが警察へ届けてくれた自分のSuicaを取りに来ただけなんです、という顔をしながら二重線で訂正。日付は「11月20日」という正常な状態に戻り、Suicaも無事に戻ってきた。届けてくれた人、ありがとうございました。
2025/11/21
部屋で原稿を書いていたらメールが来て打ち合わせの開始時間を十五分過ぎていることを知る。すぐにZoomを開いて平謝り。Zoomの打ち合わせでよかった。よくない。
2025/11/22
瀬口真司さんの第一歌集『BEAM』の栞文を書き終わった。最近の仕事のなかでは最も苦戦したような気がする。BEAM、あらゆる人の胸を貫け。
2025/11/23
シンガーソングライターmekakusheさんとの対談記事が世に出た。この対談のとき、ユスリカが無限に飛んでいる公園で写真撮影をした。ユスリカの寿命は1日〜数日程度。口や消化器が退化していて何も食べることができない。生殖のために群れを成して飛んでいるのだ。そのことを何となく知っていたので、顔にまとわりつくのは良しとした。明日には大半が、記事が出るころにはここにいるすべてのユスリカがもういないだろうからだ。そんな切ない気持ちを思い出しながら記事の写真を見てみると、あんなにいたのに1匹も写っていなかった。プロの技なのか。あのユスリカたちはもう記憶のなかにしかいない。
2025/11/24
梨さんにお誘いいただき、西荻窪のTypicaで「洋梨とチーズのパフェ」を食べた。いつも誘ってもらってばかりだ。
2025/11/25
ちょっと昼寝しようと思って横になったら3時間くらい経っていた。起きてもまだ眠くてもう1時間寝た。夜中なのに眠くない。
2025/11/26
ナナロク社でサイン本をつくった。歌集を寄贈する学校32校分の色紙も書いた。ナナロク社に滞在していると本屋さんなどから注文の電話がかかってくるのだが、僕の著書の注文もたまにあって、そんなときは電話を代わってもらって「ありがとうございます」と言いたくなる。言いたくなるけど、ぐっとこらえて黙々とサインをしている。
2025/11/27
「視てはいけない絵画展」(〜12月28日迄)にご招待いただいた。イヤホンをして音声案内とともに会場を歩く。耳を塞いで、一枚の絵と対峙する。その繰り返し。ひとりで来たのだが、もっとひとりになったようで怖かった。鑑賞後、NOTHING NEWの林健太郎さんに「これらの絵ってどうやってつくったんですか?」とつくりものであるという前提の質問をしてしまい反省。「視てしまったんですがどうやったら死なずに済みますか?」と訊けばよかった。
2025/11/28
NHK短歌入選9首と佳作秀歌9首の評を書く。こういうのってその歌の作者以外は読むのだろうか。わからない。西炯子さんへ宛てた自作の解説も書く。年末進行のためいつもより締切が早い。
2025/11/29
GODIVAで受け取った番号札が31番だった。僕のなかの歌人の部分が喜ぶ。
2025/11/30
長谷川カオナシさんの単独ライブにご招待いただいた。ライブの終盤、カオナシさんは夢を語った。「クリープハイプをやらせていただいて、あらゆる夢がとっくに叶っていますが」という前置きをして。「紅白歌手になりたい」と。僕も短歌を始めたときにあった夢はそれからの十数年で叶ってしまった。カオナシさんと違って僕はもう今は夢がない。やるべきこと、やらなきゃいけないことはたくさんあるが、夢と呼べるものはない。夢がほしい。きらきらしているカオナシさんを見つめながら、強く思った。
了
木下龍也さんからの日記は以上です。次回は、1月の第2水曜日ごろにアップいたします。
