彼を見つけたのは崩れ落ちたターミナルの中。
襤褸屑のように階段に倒れ込んだそれが人影だと分かったのは、白い髪のおかげだった。
珍宝と名乗る胡散臭い男がどうにも気になり、手のものに見張らせていたのが幸いした。
助け起こした彼の肌は呪言に染まり、腹から下は血にまみれていたが、奇跡的にまだ息があった。
必死に名を呼んだ。五年の間、声に出す事なく叫び続けたその名を。薄汚れた装束と呪符に包まれたその身体は、抱きしめるとあまりにも薄い身体になっていた。
死ぬな、と。置いていくな、と。目を開けろ、と。
声の限りに叫んだその時、うっすらと彼の瞼が開いた。
闇に光る紅い瞳が、濡れていた。
その時、決めた。何としても助けると。
たとえ彼が何であろうとも。
もう二度と離さない、と。
(一)
小春日和の窓辺に寄せたベッドから、すうすうと規則正しい寝息が聞こえてきている。
昼飯の盆を手に廊下を歩いて来た土方は、部屋の入り口で立ち止まり、その光景を目を細めて見つめた。
明るい陽射しの窓辺。クッションと枕を積み上げた背もたれに無防備にその背を預けて、銀時が眠っている。
薄色の浴衣の肩に掛けられているのは、黒い隊服。土方が着古し捨てられずにいたそれを、何かの折に見かけた銀時が、欲しそうな顔をした。まさか、と手渡してみると、そろそろと上着の布地に手を這わせ、その腕に抱き締めた。以来、ひとりで過ごす時には片時も手離さない。
光を弾く髪の色は真っ白なまま。肌に刻まれていた禍々しい呪言の文字は、ずいぶん薄れた。見つけた時に腹から背までを貫いていた風穴は、辛くも心臓への直撃を免れていたが、そもそも銀時の身体は限界まで弱りきっていた。保護して医師に見せた時、助かりません、と断言されたのを思い出す。その時から比べれば、格段に快復した。
寝たきりで、殆どを眠って過ごした数ヶ月。眠る銀時を毎日見舞いながら、土方は彼を引き取る環境を必死で整えた。
江戸郊外の自然豊かで閑静な保養地。白詛の被害をあまり被らなかったその一角に立つ古い洋館を手に入れ、二人で暮らす『家』にした。
そうして今、穏やかな毎日を噛み締めるように過ごしている。
手にした盆を、ベッドサイドのテーブルに置き、土方はそっと銀時の眠るベッドに腰をおろした。ぎしり、とベッドが鳴った音で、ぴく、と白い瞼が震えるのが見えた。白くけぶる睫毛が震え、その眼がうっすらと開かれるのを、祈るような気持ちで今でも見つめる。
穏やかで明るい光の中に、紅玉がふたつ生まれ出る。
目覚めた銀時の両の眼は、迷うことなく土方を捉えた。
その口許が、ふわりと微笑む。
「起こしたか」
問えば首を横に振り、すんすんと空気を嗅ぐ仕種をする。
「昼飯持ってきた。腹は空いたか?」
更に問えば、銀時は少し困ったように眼を瞬かせた。
少し食ってくれねえと体力回復しねえだろ、と小言めいて言っても、銀時はただ、微笑んだまま。
何も、言わない。
「銀時、」
その頬を片手で包めば、びくり、と竦む気配の後に、目を伏せて、土方の手を受け入れる。てのひらに寄せられる頬の温かさに安堵しながらも、土方の胸に去来するのは一抹の寂しさと不安だった。
身体は徐々に快復している。近頃は歩く訓練も始めた。認知機能にも問題はなく、最近では土方の話に微笑みを浮かべることも多くなった。
だが、言葉を発することは、今の今まで一度も無かった。
医師の見立ては、おそらく心因的なものではないか、身体と環境が落ち着けば治るのではないか、とのことだったが、退院後、この家にふたり暮らし始めてひと月。銀時は未だひとことも喋ろうとはしない。
焦るまい、と土方は己に言い聞かせる。
死の淵からは、もう奪い返した。あとはゆっくり、取り戻せばいい。
「銀時、」
再びその名を呼び、俯いた彼の髪に唇で触れる。
枯れ草のような柔らかなその髪に口付け、土方は少しの間、目を閉じる。
いつかまた、聞けるだろうか。彼の憎たらしい悪態を。くだらない下ネタを。どうでもいいことにばかりよく回る軽口を。
土方、と己を呼ぶ、あの声を。
今でもまだ耳に残る、あの柔らかな声。
「……飯、食おうな」
思い出したそれに胸のうちをちりちりと灼かれながら、土方は銀時にどうにかして食事を摂らせるべく、サイドテーブルに手を伸ばした。
(ニ)
白詛に席捲されていた世の中は、土方が銀時を見つけたその頃から少しずつ立ち直り始めた。病気の進行が止まり、快方に向かうものが出始めたのだ。
とは言え、失われたものは還らず、人々はその痛みを乗り越え新たな世界を再構築し始めている。
土方も、ある意味そのひとりだ。
近藤を奪われたせいで過激攘夷志士に転じたが、その理由も失った。そもそも近藤の罪状自体が幕府により不問に付され、真選組は復活したが、土方はそこに戻ることなく、別の仕事を選んだ。
誠組の傍ら興した事業が復興する世界で軌道に乗った。現場仕事は誠組時代に育成した部下に任せ、今ではほぼリモートでその事業を経営しながら、銀時との時を過ごしている。
洋館はこじんまりとした木造で、玄関から入ってすぐにはホールがあり、その隣から応接、土方の書斎へと続き、一番奥まった場所にふたりの寝室はあった。
晴れてさえいれば日がな一日陽射しの入るその寝室は銀時のお気に入りで、最近は窓辺で小鳥に餌付けをし始めたらしく、朝ともなると銀時の小さな友人達が、窓辺に並んで催促をする。
その朝も、そうだった。
チチチ、チュンチュン、という賑やかな囀りに先に目覚めたのは土方で、カーテン越しの柔らかな光の中、傍の銀時を見やったが彼はまだ夢の中だった。
しょうがねえな、と起き上がり、土方はベッド脇のカーテンを引き開けた。途端に降り注ぐ朝の光は眩しいほどで、しかも桟には数羽の小鳥が今か今かと待ち構えていた。
「おい、お友達が来てンぞ」
そう言いながら銀時を振り返った土方は、その瞬間、息を飲み、目を見開いた。
ベッド上に、銀時が起き上がっていた。
さんさんと降り注ぐ朝の光の中。窓に向き、ぺたりとベッドに座り込んだその浴衣の胸元が、大きくはだけて肌が覗いている。やや薄れた呪言の文字はあれど、白い白い肌に薄桃色の胸の飾りが見てとれて、土方はその色めいた姿から目を離せなくなっていた。
眠そうに目を擦った銀時が、緩慢な動きでベッドから降り立ち、窓辺へと近づいてくる。ふら、とよろけた身体を咄嗟に抱きとめた土方は、その瞬間に抱いた腕を離せなくなった。
両腕でその身体を抱き締めた。
「……っ、……、……、」
驚いたように身を硬くして、腕の中の銀時がゆるく身もがく。抵抗の意志を見せはするが、今の銀時に昔ほどの力など無い。未だ薄いままのその身体を抱きすくめ、その身体の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、ようやく、土方は抱き締めていた腕の力を緩めた。
肩に手を添え胸を離し、はだけた胸元の袷を正してやると、銀時は僅かに戸惑う顔をして、土方を見上げ、すぐに目を逸らし唇を歪めた。
そっと肩から手を離せば、ふら、と窓辺に寄りかかり、木枠の窓を重そうに薄く開ける。小さな吐息を漏らした後、銀時は小鳥たちに用意してあった餌を振る舞い始めた。
窓からの光に埋もれるその光景を目をすがめて見やりながら、土方はじっと、銀時の手を見つめた。
その手が土方の背を抱くことは、五年の間を置き再会して以来、未だ無い。
元は情を交わす相手として、その背を掻き抱き抱かれた間柄。それを忘れたわけではない筈だとは思う。それでも。
銀時は、土方に『触れられること』を極端に恐れているように見えた。
光を弾く白糸の髪を見つめながら、心のうちで土方はひとりごちる。
──いつまで、待てばいい、と。
(三)
「銀さんに会わせて下さい」
応接のソファに腰掛けて、強い眼差しを向けてくる志村新八の顔を、土方は黙って眺めた。
一部の関係者以外には秘してあったこの家と銀時のことを新八が知ったのは、つい先頃のこと。そもそも銀時が生きているということは、万事屋関係者のうちではお登勢にしか知らせてはいない。それは、発見した時の状況を鑑みてということがひとつ、もうひとつは銀時自身がそう望んだからだ。
病室で、メガネとチャイナに伝えるか、と尋ねた瞬間、銀時は目を見開き、微かに首を横に振った。あいつら心配しているから、と言い募った土方の手に、点滴の管に繋がれた手が力なく触れ、びくり、と一度引き、恐る恐るもう一度触れた。
冷たい指先と、縋るような眼差しが、やめてくれ、と伝えてきていた。
だが、お登勢にもか、と聞くと、それには目を伏せた。苦悩する様子を見かね、お登勢に預けてもいいか、と聞くと、銀時は微かにだが頷いた。お登勢にもそっくりそのままその様子を伝えたところ、バカだよアイツ、と吐き捨てながらも着物の袖で眼元を押さえていた。
故に、この来訪はお登勢に聞いたのでは無いだろう、と土方は推測した。
「誰に聞いた」
「誰にも。僕を舐めないでください。かぶき町の万事屋の名前は伊達じゃありません」
メガネのフレームを押し上げる姿は、五年の年月を経て随分大人びたが、新八の真っ直ぐな目の輝きは何も変わってなどいなかった。
「ここにいるの、知ってます。あの壊れたターミナルから土方さんが銀さんを見つけて、その後ずっと、面倒を見てくれたことも」
ありがとうございます、と一旦頭を下げた新八は、でも、と即座に顔を上げた。
「こんなところに土方さんとふたりで篭ってても銀さんに良いはず、ありません」
「………、」
「だから、せめて銀さんに会わせてください。一目だけでも。無事な姿、見せて下さい」
必死に訴える新八の気持が痛いほどにわかるだけに、黙って煙草をふかしていた土方は、そこで灰皿に煙草を押し付け、腰を上げた。
その時、不意に新八が、土方さん、と呼びかけてきた。
「僕、知ってました」
両膝の上でギュッと握り拳を作り、土方のほうを見ずにそう言い出した新八を訝しみ、土方は新八を見下ろした。
新八は躊躇う間の後。
「銀さんと、あなたが、特別な関係だったってこと。その、こ、こいびと、的な、アレだったってこと」
知ってました、と尻つぼみに告げられたその言葉に、土方は一瞬、肝を冷やしたが、
「きっと今回のことも、銀さんがそうしてくれって望んでるんだって、ことも」
続けられた言葉を聞き、ああそうか、と胸のうち深く感じたのはどうしようもない彼の『寂しさ』だった。
「返してくれ、なんて言いません。ただ、会いたい、です。会いたいだけです。顔、見せて欲しいんです。それがダメなら、声、だけでも」
「…………、」
「生きてるって、わかれば、それだけで」
最後は震えて途切れた言葉が、土方の胸を刺す。
新八のその気持は、痛いほどに理解できた。
だが問題は、銀時自身、なのだ。
「待ってろ。聞いてくる」
「……! ありがとうございます!」
応接にひとり新八を残し、土方は寝室へと向かった。
入るぞと声を掛け、ドアを開けると、思いがけず銀時が目の前にいた。
土方の隊服の上着を腕に抱き、ドアの前で立ち尽くしていた銀時は、困った顔をして微笑んだ。
「メガネが来てる」
「……、」
「お前に会いたがってる」
「……、」
じっと見つめてくる紅玉の瞳に、言葉少なくそう告げると、銀時は数度、目を瞬き、俯き、頭を横に振った。
思った通り、会わない、という意思表示には取れたのだが、この時土方はふと思いついたそれを口に出してみた。
「顔だけ、見せるわけにいかねえか」
「………、」
「『触られ』んのが、嫌なら、そこの窓からでも」
「──……!」
驚いたように顔を上げた銀時の反応に、そうか、と土方は悟った。薄々、感じていたことだった。銀時が恐れているのは、『触れられること』だと。病院にいた頃も、医師や看護師による処置以外は拒絶していた。土方相手にも、最初は手すら握らせようとはしなかった。ここに越してきた当初など、歩くのに不便だろうと肩を貸すことすら、嫌がり離れようとした。
ただ、それは『恐ろしい』だけで、心は違うというのも土方は気付いていた。触れたいと、寂しいと、会いたいと、思っているに違いない、と。
見つめ返すと、迷い、揺れる瞳が土方に縋り付くようで、たまらなくなった土方は、彼に触れぬよう、両腕で彼の身体を囲った。
驚いたように息を呑んだ銀時が、間を置いて、腕の中でこくりと頷いた。
嬉しい、という気持が、そこはかとなく伝わってくるようだった。
「じゃあ、メガネをそこに呼ぶから、寒くないように支度して待ってろ」
言いつけると、再びこくりと頷く。
そんな姿が、ただただいとしかった。
窓ガラスごしの再会に、土方は外で立ち会った。
館の外を回り込み、腰高窓の窓辺に立つ白い姿を認めた瞬間、新八は泣き出した。
ぼろぼろ泣きながら、銀さん、銀さんと名前を呼び続ける新八に向けて、窓ガラスに手を置いた銀時が、泣きそうな顔で唇を動かすのを土方は見た。
しんぱち、と土方に読めたそれが、新八にも伝わったのだろう。
ガラス窓に置かれた銀時の手に、新八がその手を合わせた。瞬間、びくりと銀時の肩が揺れ、だがすぐに思い直したのだろう、額もガラスに押し当ててきた。
薄い一枚のガラス越し、額と額を押し付け合うふたりの姿が、冬の光に照らされるのを、とある思いを胸に抱きながら土方はじっと見つめていた。
(四)
何故、触れられるのが嫌なのか。
その理由を、土方は知らない。
身体中を埋め尽くした呪言のせいか、と考えたこともあるが、それは要素ではあるかもしれないが、おそらくそれだけではないとも同時に思った。
銀時は言葉を発しない。
それは、話せない、のではなく、『話さない』なのだろうとも見当がついている。理由はごくごく簡単だ。新八に向けてその名を呼んだ時、ガラス越しの彼の唇はたしかに動いていた。それはあのターミナルで発見して以来初めて見る光景で、また、恐らくあの時、土方が外ではなく室内にいたら、決して起こらなかったものだろうとも推測できた。
土方がいなかったからこそ、銀時は新八の名を『呼んだ』。唇の動きだけではなく、恐らく声を出して。
触れられるのを怖がること。
余人がいる場所では言葉を発しないこと。
このふたつからいま土方に読み取れるのは、ひとつの結論だ。
──銀時は、何かを秘めている。
それは相当重苦しいもので、銀時自身を苦しめているものに違いない、と。
ならば、と思う。
銀時の秘められた苦しみを、暴いて日の元に晒すのではなく、紐解いて共に背負いたい。共に背負うことで、少しでも彼を楽にしたい。本当の意味で安らかな日々を過ごせるように。ほんの少しでも。
そのために、と思い巡らせた土方は、その夜からひとつの行動を実行することにした。
「………、」
「なんだ。なんか文句あるか」
「…………」
風呂から上がってきた銀時が、寝室に入った途端に無言の抗議を行なっている。
部屋の入り口で、ぴたりとつけて並べられたふたつのベッドを指差し、土方の顔を困った表情で見つめている。
「ん? 今日からハリウッドツインな」
「……?」
「シングルベッドをふたつ並べて置くのをそう言うんだってよ」
「…………、」
「なんだ、なんか文句あるのかよ」
そう話を向けた途端にコクリと頷いた銀時に、土方はにやりと笑ってみせた。
「文句は口でちゃんと言え。言えないなら今夜からそれだ。それとも、」
そこまで言って、距離を詰め、銀時の顔を間近で覗き込む。
「俺と近くで眠るのは嫌か?」
「………!」
一瞬、ぽかんと口を開けた銀時が、見る間に眉根を寄せ唇を噛む。逃げるように俯いた様子を間近で見つめ、嫌か、ともう一度ダメ押しをした。銀時は随分と悩む間ののち、首を僅かに横に振った。
「そうか。先に休んでろよ」
そう言って土方は白い髪に唇で触れた。ただそれだけで、ぴくりと肩を震わせる銀時にそれ以上は踏み込まず、土方も風呂を使いに部屋を出た。
何でもいい、距離を詰める。
彼が息苦しくない程度から。
触れられることは確かに嫌がるが、強引にでも触れると、その時伝わってくるのは『嫌悪感』というよりは戸惑いと躊躇い、そして──罪悪感のような何かである気が土方はしていた。
であれば、慣れさせればいい、というのが土方の見立てだ。
ゆっくり時間をかければいい。いま、自分にはそれが出来る。
そんなことを考えながら風呂を済ませて寝室に赴くと、思いがけない光景が土方を待っていた。
銀時は既に自分のベッドに横になっていた。それも、土方とは反対側のヘリに布団に包まって。更にはベッドを合わせたど真ん中に、布団を丸めた丸太様の『間仕切り』が用意されていた。
今の銀時の体力では、風呂に入ると疲労困憊なはずだというのに、これはまた大仕事をしたもんだ、と、土方は怒るより呆れるよりおかしくなった。
「国境線でも作ったつもりかよ」
「…………」
「ったく、ごたいそうなもん用意しやがって」
話しかけると、無論のこと返事は無かったが、銀時は布団を引被ってしまった。
猫の子か何かみてえだな、と、その夜、笑って眠りについた土方は、翌朝目を覚まして目を疑った。
銀時はまだ眠っている。
自分で作った国境線の丸太布団に抱きついて。
すやすやと、それは心地良さそうに眠っているその様子を見、
「………へえ、」
土方はその朝、とあることを思いついた。
幸い、その翌朝も、翌々朝も、銀時の寝相は初日と同じだったので、土方は思いついたそれを実行に移すことにした。
銀時が寝入るのを見計らい、深夜、国境線を取り払う。
音を立てないように細心の注意を払いながら、国境線の丸太布団をベッドの下に引き摺り下ろし、高鳴る胸を押さえながら土方は眠りについた。
その、翌朝。
「………、」
土方の計略は、無事実った。
明け方頃、温かい何かに寄り添われている気配に目覚め、目を開けてみると間近に銀時の顔。
完全に寝入っているその人の肩にそうっと腕を回してみると、銀時の手がごくごく自然に土方の胸元に触れた。
昔、情を交わし合っていた頃、ごくたまに朝まで共に過ごした夜。抱いて眠りたがる土方に、銀時が許したひとときのように。
抱き寄せ、胸の内におさめると、あの頃とは比べるべくもない薄い肩。それでもその肩は温かく、土方を安堵させた。
やっと触れられた喜びに、正直、そこからは眠るどころではなかった。
まんじりともせず迎えた朝。
カーテンから朝の光が透ける頃、小鳥の合唱が窓辺から聞こえてきた。
チチチ、チュンチュンと銀時を呼ぶその音色に、腕の中の温もりがもぞもぞと動く。覚醒に向かっているだろうその人の様子を息をつめて感じていた土方は、ある瞬間、銀時がびくんと身体を震わせたのに気付いた。そのまま黙って寝たふりをしていると、そろそろと腕の中のひとが起き上がる気配。
少し慌てて離れていく様子が寂しくはあったが、追わずにそのまま寝たふりを続けていたところ、不意にドタッと何かが落ちる音がした。
「……ん? え、お、おい、」
目を開けた視界に銀時が居ない。慌てて起き上がり見回すと、銀時はベッド脇の床に尻から落ちたらしく、腰をさすりさすり起きあがろうとしているところだった。
その頬が真っ赤に染まっている理由は、ベッドから落ちた驚きか、それとも。
「おはようさん、朝から体操か」
「……!、…………!」
「お友達がエサ待ってンぞ」
しれっと朝の挨拶で声をかけると、尻餅をついたまま抗議の視線で睨まれた。その眼差しも、寝起きの紅玉の双眸も、懐かしく、愛しいもの。
これで減らず口のひとつふたつついてくれれば、と切に願う土方だった。
(五)
攻防は数日続いた。
何の、とは言うまでもない、ベッドの国境線をめぐる戦いだ。
銀時が設置する。土方が夜中に取り払う。すると銀時が夜中に再設置し、疲れて寝入ったところを土方が再度取り払う。
どうにもいたちごっこだが、土方はこの攻防が実は結構面白く、しかも朝には決まって銀時が腕の中に収まっているので、やめるつもりは毛頭無かった。
だが。
「お、どうした。今日はやんねえのか」
「………、」
一週間ほど戦ったある夜、風呂から上がってみると国境線は設置されておらず、銀時がベッドの真ん中に胡座で座り込んでいた。
神妙な顔をしているのが不思議で、土方は何気なく近づいたが、
「………、」
ベッドに乗ろうとしかけたところを、銀時の手の仕種で止められた。手のひらを土方に向けて突き出した銀時は、首を横に振って見せる。
そうして、着物を肩から抜く仕種をして見せる。
「脱げ、って?」
声に出して問えば、真顔でこくりと頷く。意味が分からないながら、土方は寝巻きがわりの浴衣の袖から躊躇うことなく両腕を抜いた。上半身裸の状態で、腰に両手を添えて胸を張って見せると、銀時はじーっとその姿を見るや、今度は指で空中にくるりと半円を描いてみせる。向こう向けってことか?と解釈し、土方はくるりと背中を向けた。
おそらく先程と同じく、じっと見つめているであろう視線を感じながら、
「おい、寒いんですけど? いま十一月なんですけど?」
そう軽口で文句を垂れた瞬間、土方の背筋に柔らかい何かが触れた。
「……!」
それが銀時の髪だと気付いたのは、柔らかな感触ゆえでは、ない。肩甲骨あたりに押し当てられたくすぐったいようなそれが、少し震え、やがて温かな頬だろう感触にかわり、その頬が濡れているのを感じたところで土方の我慢の限界が来た。
振り返ると、ハッとした顔で土方を見た銀時の頬が、涙で濡れていた。なにごとか言いたげに唇を震わせた、ベッドの端へと逃げようとするのを、腕を掴んで逃すまいとした。
「銀時、」
掴まれた瞬間に銀時の腕は震え、土方の手を振り払うように動いたが、その時、既に土方は確信していた。
触れられるのは、嫌なのではなく、『怖い』。
それは何らかの理由があってだろう。
だが、『怖い』だけで、欲しくないわけではない筈だ、と。
ここ数日、知らぬ顔で腕の中に抱きしめ眠って分かったことだ。
銀時は、ひとの温もりを『欲して』いる。
それだけは、間違いないと。
だから、掴んだその手を離さなかった。
「銀時、」
「……!、っ、……!」
ゆるくかぶりをふり続けるひとを、あやすように抱き寄せた。
「銀時、」
「…………っ!」
濡れた頬に頬を擦り寄せ、その背をかき抱いた。
びくり、と大きく震え竦んだ身体が、弱く身もがいても、決して決して離さなかった。
抱きしめた身体は、五年前よりも相当痩せてしまっていたが、温かく、そしてどこか甘いような懐かしい彼の匂いがした。
「……銀時、やっとだ」
「………、」
「やっとテメェのこと、抱きしめられた」
囁き、その髪に口付けた。
今夜は、これで充分だと思った。
──その時だ。
腕の中の銀時が、息をのむ気配の後、その手が。
土方の背に。
「っ、……、」
背に触れ、添えられた手が震えていた。
おぼつかないように震える指先が、土方の肌を恐る恐る這い、最初に触れたのは肩甲骨の尖り。そこを手のひらが大切そうに包み、おそらくはその辺りで銀時のたがが外れたに違いない。
裸の背をそろそろと撫でた両手が縋り付くように背を抱き返してくる。
その手に力が込められる。
ずっと、土方が望み待ち続け、そして、恐らくは銀時も欲していただろう抱擁が、ようやく叶った瞬間だった。
そして、感無量で何も言えずにいる土方の耳にその時、聞こえたのは。
「……、じ、かた、」
掠れひび割れた、小さな、声。
土方の中のどの記憶にもない、小さな、消え入りそうなその声は、だが、確かに腕の中のひとのものだった。
目頭が熱くなるのを止める術も持たず、土方は彼の背を抱きしめる腕に力を込めた。
「……ん、」
「ひ、……かた、」
「……ん、」
「ひ、じ、かた、」
「……ん、」
壊れたオルゴールのように途切れ途切れ呼ばれる名に、ただ頬を濡らし、その身体を抱きしめ、土方は馬鹿の一つ覚えのように、『ん』だけの返事を繰り返していた。
(六)
一度、抱きしめ合い、そのまま眠ったその翌日から、土方にとっては嬉しい反面、困惑する事態が待っていた。
銀時が、離れない。
それはもう、片時もと言っていいほどに。
離れていた時間を埋めるように。
飢え餓えていた体温を欲しがるように。
昼間、在宅で書類仕事の最中は土方のデスクチェアの足元でうたた寝をするようになった。ふと視線を感じると、柘榴色の瞳が自分を見つめている。何かを請うように、求めるように。
そうして夜は共に眠る。国境線など無論なく、身を寄せ合い、抱き合って。
銀時が自分の腕の中で健やかに寝息を立てる姿はこの上もなく幸せな光景だったが、土方自身、枯れるにはまだ若すぎた。
だが、性急に求めることはしたくない。まだ身体自体も癒えきってはいない相手、大切にしたい、という気持が、欲情に何とか歯止めをかけている。
困惑とはつまり、そういうことだった。
「あら、こちらのお部屋にいらっしゃるのは珍しい」
「ああ。少し調子が良くなったようでな」
「それは何より。それじゃ料理も腕によりをかけなくちゃ」
週2の通いで頼んでいる家政婦は、元々真選組の屯所に賄いで入っていたことのある、身許のしっかりした妙齢の女性だ。腕がいいこともさることながら、気が回り、口が堅い。銀時の様子にも何も口を挟むことなく、気味悪がることもなく、面倒を見てくれていた。
食事は食材の買い出しも含めて、数日分をまとめて支度していってくれる。その彼女の今日一番最初の仕事は、スイーツを銀時の目の前に置くこと、だった。
応接のソファ、土方の隣に膝を抱えてつくねんと座った銀時の目の前に置かれたのは、イチゴの乗ったショートケーキだった。
「…………!」
フォークを添えて差し出されたそれと、彼女の顔を驚いた顔で見比べた銀時に、家政婦はくすくすと笑い、次の仕事へと取り掛かりに行った。
どうするのか、と隣でじっと動向を見ていると、ケーキをまじまじと見つめた銀時が次にしたことは、土方の肩に肩を触れさせ、その身を寄せてくることだった。
自然と銀時の肩を抱いた土方は、骨が勝る痩せたそこを撫でながら、どうした、と問う。
「好きだろ、甘いもん」
「…………ん、」
「良かったな、食えよ」
「……いい、の、」
ケーキを見つめたままの銀時が、微かな声で言う。
「俺、なんかが、……食べ、て、」
途切れ途切れ、消え入りそうな声で呟いた銀時の気持が、土方には全ては分かりかねたが、そんなことを言い出す理由は、彼が触れられるのを嫌がっていたその恐怖の根源に繋がることなのだろう、ということは薄々理解している。教えてくれ、と迫ればおそらく銀時を追い詰めるそれを、土方は無理に聞き出す気は無かった。いつか、その日が来たら、自分から話してくれるに違いないと、そう、思っていた。
だから。
「俺に食わせてえならマヨネーズ持ってくんだろ」
「…………ん、」
「さっさと食ってくれねえと、俺も仕事にならねえし」
「…………ん」
肩を撫でていた手を髪に差し入れかき混ぜるように撫でてやれば、ん、と銀時はようやく頷き、ケーキの皿に手を伸ばした。片手に皿、片手にフォークを持った銀時は、土方の手が髪を弄るのに任せたままで、ケーキに取り掛かり始めた。
フォークで小さめにひとくち分を切り分け、慎重に口許に運ぶ。ぱく、と口に含んだ途端、きらりとその瞳が輝くのを微笑ましい気持ちで土方は見つめた。昔、共に食事をした時もそうだったと思い出す。好物を口にすると、普段は死んだ魚の目がきらりと輝いて、うめぇこれ、と嬉しそうな顔をした。
「……うめー」
「──……っ」
小さな声は五年前とはくらぶべくもないが、確かに彼の声で、傍から聞こえてきたその声が土方の胸を熱くした。
よく生きていてくれた、と、彼を見つけて以来何度思ったかしれない想いを、心の中だけでひとりごち、ぱく、ぱく、とケーキを食べ進む様子を幸せな気持ちで見つめた。
最初は小さめに切り分けていた銀時が、半分ほどまで食べ進むと突然大きなひとくちを頬張った。あむ、と大きな口で行ったそれは無事に口の中におさまりはしたが、口の端には盛大に生クリームがついていた。
子どもか、と思いながらその口許を指先で拭うと、銀時の顔が土方へと向けられた。少し驚いたようなその顔と、半開きにされた唇。
薄赤い色のその唇を、いつかの遠い記憶でどれだけ吸ったろう。
そう思い、目が離せなくなり──気付いた時には、その唇に唇で触れていた。
「……っ、」
触れた唇は、微かに甘いクリームの香り。
一瞬遅れて銀時の肩がびくりと慄いた。
間近の瞳がまあるく開かれ、僅かに潤んでいる。
土方はそれでようやく我に返り、すまん、と謝り銀時に触れていた手を引っ込めた。
大切にすると決めていたというのに。魔がさした、としか言いようが無い自分の仕業に、項垂れて反省する。
ちらりと横をうかがうと、銀時はもそもそとケーキの残りを口に運び始めていた。
肩と肩は触れ合ったまま。
そうしてその頬がうっすらと色付いているのを、土方はなんとも言えない気持で見つめていた。
(七)
その夜のことだ。
風呂も終わり、そろそろ休もうかという頃合いに銀時がベッドの上に座り込み、土方をじっと見つめてきた。自身も横になりかけていた土方は、片肘をついた半端な姿勢で傍の銀時を見上げた。
「なに、どした」
「…………、」
問うと銀時の眼差しが揺れ、やがてキュッと唇を引き結び、
「俺、が、こわした」
ぽつ、と銀時は、そう言い出した。
「この、世界も、ひとも、……ひとの、しあわせ、も」
じっとその貌を見つめ、土方は言葉をかけるのをやめた。石榴の瞳には決意の灯がともり、久しく見たことのないその色の美しさに気圧されというのもある。また、いま、下手なことを言って再び口を閉ざさせてはいけないとも思った。
ただ、その手にそっと手を重ねた。
膝を崩し気味に正座した銀時の、腿に載せられた握り拳は少し冷たかった。
それから銀時が語ったことは、銀時の行方を追い捜査を続けていた土方をしてさえ、俄には信じがたいことばかりだった。
ナノウイルスのこと。
撒き散らした元凶が銀時であったこと。
源外に残した遺言によって、並行世界から自身を呼び寄せ、自分という存在自体を消して貰うつもりだったこと。
そして実際それはなされ、あの崩れたターミナルの中でやっと死ねると安堵していたこと。
「なのに、土方、お前、が、」
そう言い、言葉を途切れさせた銀時の眼差しは、果てしなく暗く深く、そこに湛えられているものは、悲しみとも絶望とも見れた。
じっと見つめ合ううちに、俺は、とぽつりと銀時が言う。
「俺は、こんな幸せを、もらうわけにはいかない」
それだけ言って揺らいだ眼差しが、そっと土方の手へと落とされる。
握り拳に添えた手を振り払うでもなく、ただただ見つめる銀時の様子に、そうか、と土方は理解した。
こいつが恐れていたのは、幸せになることだったのか、と。
触れられることへの恐れは、自分の身が白詛の元になったということもあるだろう、だが、それ以上に、温もりが恐ろしかったのだろう。
土方が必死に行方を探し続けた五年間。銀時は恐らく人との交わりを断ち、ひとり孤独に彷徨い続けていたに違いない。もう二度と『ひと』に戻れない絶望を抱えながら。
絶望で頑なに凍えた心は、温もりを欲しがる己を怖がっていたのだろう。
視線を落としたまま身じろぎもしない姿を改めて見つめる。
細く痩せた肩。寝巻の着物の上からでもそれとわかる萎えた身体。元々色白だった肌が更に色を失い、その肌に刻まれているのは梵字めいた呪いの言葉。発見当時よりはいささか薄れたものの、まだ全身に残っているだろうそれ。銀の髪からは色が抜け落ち、白髪になってしまった。
もう、いいだろう、と土方は思う。
これほどお前は苦しんだのだから、と。
いまでも、苦しみ続けているのだから、と。
だが、恐らくそれを言ったところで、この男は頷きはしない。
ならば。
「なあ、銀時」
握り拳に添えた手で、その手を包み込む。
かさついた、骨の節の目立つその拳をほぐすように指を絡めると、びく、と肩を震わせ銀時が見下ろしてきた。
深く暗いそんな目を、もう、させたくなかった。
「俺を幸せにしちゃくれねえか」
唐突にそう言えば、銀時が目を瞬かせる。それに笑いかけながら、土方は続けた。
「世界を壊した、ひとの幸せも壊した、ってえのはともかくとしてだ。いや、それが本当なら、テメェがこれからしなきゃならねえのは、壊した世界を作り直すことだろ。だったらまず最初に、俺を幸せにしてくれ」
「……、」
「五年だ。急にいなくなりやがって、どれだけ探したと思ってる。テメェが真っ先にぶっ壊したのは、俺の幸せだろ。その俺をまず幸せにすんのが筋ってモンだろが」
ああ?、とわざと難癖じみた言い方をすると、銀時は少し困ったように眉根を寄せた。そして、躊躇う間の後、
「お前の、しあわせ、って、」
そう問いかけてきた。
それこそが、土方の待っていた問いだ。
「銀時、テメェが幸せになることだ」
「……──!」
一瞬、間を置き、銀時が目を見開く。
心底驚いたというその表情に、土方は苦く笑いながら、半端に横たわっていた身を起こした。
片手を握りしめたまま、差し向かいにあぐらをかく。土方の動きをずっと目で追っていた銀時の目を覗き込み、
「テメェのしたいことを、したいようにしろ。つらいならつらいって言え。欲しいモンは欲しがれ。もう我慢するな。俺がいるのを忘れるな。あとな、」
「………、」
「二度と、俺を置いてひとりで行くな。俺の幸せは、それだけだ」
簡単だろ?、と笑いかけると、銀時の引き結んだ口許が震えた。その瞳が見る間に潤むのを、ああ、これは見ちゃいけねえな、と思い、土方は空いた片腕で銀時の頭を抱き寄せた。
素直に抱き寄せられた銀時の頭が、そして肩が震え、やがてぽたりと膝に落ちた雫が、寝巻きのそこに小さくシミを作ったが、武士の情けで見逃すことにした。
ひとしきり肩を震わせた銀時が落ち着いた頃。
「約束、してくれ。俺を幸せにするな?」
「…………ん、」
耳元に囁くと、小さく、だが、はっきりと、銀時は頷いた。
それだけで充分だと、土方は満足げに白い髪に唇を押し当て、銀時を解放した。
まだぐすぐすと鼻を鳴らし寝間着の袖で顔を拭った銀時を微笑ましく眺めながら、先に横たわった土方は、やがて寄り添うように布団に入ってきた銀時の手を手に取った。
「な、に、」
「ん、いや」
白い手は指先にまで呪言の文字が浮かんでいて、痛々しくもあった。
だが、それは紛れもなく銀時のものであり、土方が何より愛しんだ手でもある。
唇への口付けは昼間の反応から考えるにまだ難しいかもしれないと、そう思っていた。だから代わりにその指先に、そっと唇で触れた。
その時。
「あっ、」
口付けた銀時の指先がぴくりと震え、ふわりと、あえかな光を放った。
「え、」
「え?」
驚いたのは二人同時で、しかも淡く光を放ったその指先からは、呪言が跡形もなく消えていた。
目を瞠り、二人でそれを見つめる。
「なに、これ、」
「オイ、もしかして、」
驚き困惑する銀時を尻目に、土方は今度はその手の甲に唇を押しつけてみた。すると、やはりポウとそこは淡く発光し、肌からは呪言の文字が消えていた。
その時、土方の胸中に湧き上がったのは、震えるほどの喜びだ。
肌に残された不吉なその文字を、厭わしいと思ったことは土方自身あまりない。何がどうでも銀時がここにいる、生きている、ということだけで嬉しかった。だが、今、偶然の産物かもしれなくとも、自分の行いによって彼の肌が元のように戻った。それは、彼自身をも取り戻したかのような喜びと、陶酔感を土方にもたらした。
驚き、己の手と土方の顔を交互に見つめる銀時の頬に顔を寄せ、唇を押し当てる。ぴくん、と銀時の身体が震え、ポウと淡い発光。唇を離したそこには白い皮膚の頬。土方はそこから、夢中で銀時の肌に唇を滑らせ始めた。
頬から耳元へ、首筋へ。
着物の袷を開かせ、胸元から、肩へ。
唇で肌に触れるたび、ぴくん、ぴくんと銀時が震えるのは、発光の度、熱を感じているからなのだ、とは途中で本人の言で知った。つらいか、と問えば、首を横に振り、眉根を寄せて微笑む。その仕草が愛しくてならず、頬を撫で、ほぼ無意識でその唇を吸った。少しカサついた、柔らかな唇は、それを数度繰り返した頃に恐る恐るうっすら開かれた。舌先で入り込めば、温かな口内はやはりどことなく甘く、懐かしい味がした。
不意に土方の裡に込み上げたのは、熱い涙だ。
堪える間も無く、堰を切ったように溢れた涙が、銀時の頬を濡らす。
口付けによって白く戻った指先が、土方の頬を撫で、涙を拭う。
「ど、して、お前が、泣く、」
困ったような声で問われ、何故だろう、と自問した土方は、その時ようやく自分が何故泣いているのかに気づいた。
頬に触れる手。
着物をはだけさせても怯えない身体。
拒まれず、迎え入れられた口付け。
切なさと嬉しさが入り混じる、この感情を土方自身、久しく感じたことが無かった。
求めても求めても、指の隙間から零れ落ちる砂のようだったそれを今、取り戻したからだ。
「……幸せ、だからだ」
目を覗き込みながらそう告げると、銀時は泣き笑いの顔をして、
「お前の幸せ、安くね……?」
そう悪態めいた言葉を言いながらも、銀時の瞳も潤んでいるのを、土方は堪らない思いで見つめていた。
(八)
志村新八から訪問の打診の電話があったのは、翌朝、早い時間のことだった。
今度は神楽ちゃんも一緒に、と遠慮がちに切り出されたそれに、土方は束の間考え込んだ。そして、電話向こうの新八に、ちょっと待ってろ、と告げ、銀時の頬をそっと撫でた。
二人は未だベッドにいた。昨夜、口付けることで銀時の肌の呪言の文字が消えることを知り、土方はそれこそ彼の肌をくまなく唇で辿るつもりだったが、前側の上半身と腕を終えた後、足先から内腿へと至ったあたりで銀時が音を上げた。もう、やだ、と掠れ声に制止され、何でだ、と聞こうとして顔を上げた土方は、彼の下腹で頭を擡げた彼自身を知り、やり過ぎたかとようやく悟った。緩く勃ち上がっているそれにも呪言は記されており、別の意味でも今すぐ唇で触れたい欲は募ったが、そこを堪えてその身体を抱きしめ、肌を合わせて眠ろうとした。が、結局、双方ともになかなか眠れず、ぽつりぽつりと話をし、唇を交わし、寝入ったのは明け方近く。
昔からの癖で携帯をベッドの枕元に持ち込んでいたおかげで着信に気付き目が覚めたが、銀時は未だ土方の腕の中で微睡んでいた。
「おい、メガネから電話だぞ、」
「……ん、……ん……?」
ふにゃふにゃと何か口の中で呟きながら、白い睫毛がゆっくり持ち上がる。紅玉の瞳が朝の光に煌めく様を、電話のことを忘れかけ、土方は惚れ惚れと見つめた。
「……お前に会いてえって。今度はチャイナも一緒に」
「……え、」
かぐら、と呟き目を瞬いた銀時は、その時漸く覚醒したようだった。じっと土方を見つめた後、こくりと頷いた。その口許が微かに笑んでいるのを土方は確かに見、頷き返した。
「待たせたな、会いたいそうだ」
電話の向こうで大喜びする新八が、じゃあ今日午後からと早速約束を取り付け始めた。それに応対しているうちに、銀時がモソモソと土方の腕の中から抜け出す。
はだけた着物をかき合わせ、彼が向かったのは寝室の窓辺だ。それもその筈、寝室の窓辺には既に銀時の小さな友人達がかまびすしく待ち構えている。
新八との通話を終え、窓を薄く開け友人達に餌を与えるその姿を感慨深く眺めやる。
いまはただ、取り戻した己の幸せを噛み締めた。
その日の午後、訪ねてきた新八と神楽と定春を銀時は応接で迎えた。
彼のトレードマークであった流水紋の白い着物を着込み、ソファに腰掛けたままではあったが。
銀時の顔を見るなり悪態をつこうとして失敗した神楽が、早々に白旗を上げて銀時に飛びついた。
「銀ちゃんのバカ! どれだけ心配したと思ってるネ、どれだけ探したと思ってるネ!!」
「ああ、……すまねえ、な、」
泣きながら怒る神楽の背を撫でながら、銀時が眉根を寄せて微笑む。
午後の柔らかな陽射しの中で、その光景は一幅の絵のようでもあった。
我慢しきれなくなったのだろう、土方の傍に佇んでいた新八がそこに抱きつきに行き、お前触るなヨ、何だよ神楽ちゃんばっかり!、と揉め始め、更には尻尾を振るだけでマテをしていた定春までがその争いに参入し、銀時はもみくちゃにされてはいたが、その顔は照れ臭げに笑っていた。
これから、まだ色々なことがあるだろうことは想像に難くない。だが、こうして少しずつ、彼の失われた日常を取り戻すこと、彼が手放した繋がりを取り戻すことを続けていけばきっと。
彼が幸せを取り戻す日は遠くない。
そう信じ、光の中の三人と一匹を土方は穏やかな決意のうちに見守った。
スパダリのデコ方さんかっっっこえええ!! 魘魅銀さんが切なくてキレイで、もう最高!