無視という名のボイコット

時効かなと思って書いておくと、昨年、とある雑誌に日本の大学の女子枠を批判する論文が出た。名前が出さないことにする。

色々と周りが騒がしかったので、重い腰を上げて読んでみたら、歴史的に女性が多い短大や専修学校を四大と一緒に高等教育と定義して、進学率で見れば男性の方が低いのだから、男性に対するDEIも検討が必要と言っていた。なかなか大層な主張をするものだと思って、そっと閉じた。

もちろん、歴史的な経緯を無視して四大と短大を混ぜて男性は少数派であるという主張は、極めてミスリーディングだと思ったわけだが、誰も読まない類のジャーナルに掲載されていたので、これは触れないほうがいいのだろうと見過ごしていた。その間、執筆者は査読付きを根拠に、自分の主張が科学的に認められたと、ソーシャルメディア上で喧伝していた。ますます関わらないほうが良いと思った。

その時点では、私と同様、この論文、というか執筆者当人とは関わらないほうがいいなと、おそらく高等教育とかジェンダーの専門家の中では、暗黙の合意が取れていたのではないか。そんなこんなで、スルーで通していたところ、とある女性科学者の方から問い合わせをもらった。内容としては、要するに論点を整理して反論したいので、助言が欲しいということだった。

その時点で当該論文はソーシャルメディア上でバズっていたし、一個人が反論してもかき消されるだけだろうから、私個人としては当該論文が掲載された雑誌に反論を寄せるのがよいのではないかと考えた。だが、その査読付き雑誌には、出版された論文に反論する機会が用意されていなかった。これはフェアではないと思った。その流れで編集委員の名前をみたところ、そもそも日本の専門家らしき人はおらず、短大と四大を混ぜて男性が過小であるという主張が、査読の段階で退けられなかった理由も納得の陣容だった。

結局手詰まりで、その反論は日の目を見なかった。私といえば、引き続きこれは無視が一番と考えて、それをしばらく続けてきた。

なぜこの話を盛り返したのか。昨今、AI論文が隆盛しているからか、出版社的にはセーフだが(例:エルゼビアやテイラー&フランシス)、「これ正直、いったい誰が読むの?」という感想を抱かざる得ないジャーナルから、あれやこれや査読の依頼が来るようになってしまった。

今までは善意で断っていた(さらには他に査読できそうな人まで紹介して)。しかし、ふと一年前のことを思い出して、そもそもこういう名ばかり査読のジャーナルが存在すること自体が、問題の一因なのではないかと思い始め、それ以来、私が勝手に「一体誰が読むの?系」と名付けたジャーナルからの査読依頼は、一律無視することにしている。

短期的には、専門家が査読したくない雑誌に、AI論文や主張にかなり無理のある論文が無秩序に掲載されて、科学の信頼性が汚染されるかもしれない。ある程度は時勢の流れなので仕方ないと思うほかないが、商業主義に走るジャーナル出版産業は、どこかで規制が必要になっていくのかもしれない。でも例えば、AIが専門家のように査読できるようになれば(もう実現しているのかもしれないが)、当該論文も世に出なかったのだろうか。ミスリーディングなエビデンスから導かれたサイエンスが氾濫することと、AIが専門家としてゲートキーピングすること、一体どちらのほうがよりディストピアらしいか。

とりあえず、今の私にできることは、無視という名のボイコットだけである(といいつつ、ブログを書く時点で無視ができていない)。

【後日談】

  • 聞いたこともないジャーナルからAI論文の査読を依頼されることに辟易している、というツィートをしたつもりが、いつの間にか大学入試の女子枠賛成論者に仕立て上げられていた(賛成とも反対とも一度も言ったことはない)。

  • 「短大や専門学校は高等教育ではない」とは書いていないのに、読みようによってはそう読めるという理由で、差別論者にされた。書いていないことから意味を見出す力に驚嘆する日々。

  • 「誰も読まない類の」ジャーナルという表現に対して、「私の論文は引用されています」と指摘された。「類」という言葉がついているから、ここでの「誰も読まない」が比喩だと解釈してもらえると思ったのだが、あいにくそうならなかった。結局、誰が読むかはわからないとはいえ、自分の経験や知識から「(自分の周りでは)読まれないだろう」と判断されるジャーナルは、研究者であれば多かれ少なかれ思い当たるのではないかと思う。

  • 公的にフェアな条件で批判することが難しい(これは、反論を掲載するにも多額の掲載料が必要なことも含みます)問題に反論したい、という声があったこと自体は重要。しかし、それを指摘するにも、取り巻きの厄介な人々に絡まれることで誹謗中傷に発展する可能性があったため、ほとぼりが冷めるまではこの話題には触れないほうがよいと考え、「時効」という言葉を使った(もっとも、結果的には誹謗中傷に時効はなかった)。「時効」というのは、取り巻きの誹謗中傷が「私刑」のように見えることへの比喩です。

  • ところがこの「時効」は、当人の在籍していた大学と私が無給の客員研究員(したがって何も影響力はない)として身を置いている大学が同じという理由で、私が批判するとアカハラとして申し立てられると私が懸念し、当人の籍が抜けるまで待った、という意味だとユニークに解釈された(なぜ論文に対する批判を含めた私見が、アカハラになるのかはよくわからない)。この点については、本来関係ない事象を結びつけて疑惑を作り上げる炎上系ユーチューバーの類と、やってることは変わらないような気がします。

  • 「エビデンスがミスリーディングである」という指摘は、そのエビデンスから導かれる主張そのものが誤りであることを必ずしも意味しません。ただし、ミスリーディングなエビデンスや、それを基にした論文を根拠に大きな主張を行い、非専門家を巻き込んで喧伝することには危惧があります。そして、それを指摘しようとすると、陰口、個人攻撃、アカハラと糾弾され、さらには「これだから社会学者はダメだ」「死ね」「クソ」といった言葉が投げつけられるといった次第。なお、この二つはリンクしていて、私の発言が陰口かどうかは受け手の解釈に委ねられる問題なので特に述べることはありませんが、そうした言説に乗じて私に対して「死ね」などと言う人が現れている以上、前者の発言をした人の名前は覚えておくことにします。

  • 以上のことをすべてまるっと飲み込んだ上で、批判は論理的に行うべきだという点には賛同します。ジンクスは作りたくないのですが、縁あって岩波書店から大学入試と公平性に関する新書を書くことになっているので、そこで議論しようと思っています。私は四年制大学のジェンダー格差に関心を持っているわけですが、それは高卒のジェンダー格差が重要でない、あるいは無視してよいという意味では、もちろんありません。高卒に男性が多いという点は他国でも注目されている現象ですし、この点については示唆的な指摘も得られたので、本に活かせると考えています。ちなみに、引用リプやリプライがおよそ500件あったとすると、そのうち示唆的だったものは15件ほどでした。

  • 結果的に、新書を書くためのコミットメント・デバイスを自分で生み出してしまった形になりました。あとはデジタルデトックスと、食欲の低下による体重減少。