アプリを見ただけで「勉強した」

 1年以上日本語を履修した生徒でも、ひらがながちゃんと書けない生徒もいた。もちろん、そういう生徒は以前からもいただろう。しかし違和感はさらに大きくなっていった。

「あなた、今日ひらがなのテストやるよって言ったでしょ? 勉強してきたの?」

「したよ!朝、バスの中で『ひらがなアプリ』見てきたもん!」

 登校中のバスの中で『ひらがなアプリ』を見ただけでは、まともに書けるようにはならないだろう。生徒たちは必要な努力をせず、流れる画面をチャラチャラと目にしただけで「勉強した」と言い張っているのだ。

 それは単なる「操作」であって「勉強」とか「学習」ではないだろう。文字が書かれた教科書を読み、手で書いて覚え、そうして勉強しなければ、知識は定着しないのではないのか。

 私はスウェーデン第2の都市、ヨーテボリにある2つの高校で教えたが、どちらの学校にも図書室はなかった。学校が本よりもノートパソコンなどのデバイスの使用に重きを置いていることは明らかだった。

 ちなみにその2校の名前は、「IT高校(IT-Gymnasiet)」「サイバー高校(Cybergymnasiet)」である。スウェーデンは国をあげて「全国徹底デジタル化」路線を爆進していたのだ。

 そしてこの時期、スウェーデンの子どもの学力が、読解力・数学・理科などの国際比較テストでどんどん悪化していったのを覚えている。