リアル西遊記(6)〜一人じゃ行けない場所がある編〜
こちらの記事の続編です。
キリスト教に何の信仰もないドラムの孫悟空は、ルルドの洞窟を訪れた時に「キリストに抱かれて死ぬなら最高に幸せなことだと思った」と、キリスト教の真髄を掴んだ。神の前では、基本的には願ってはならない。誓うこと。伊勢神宮に、唯一「ここでなら願い事をしてもいい」と言う場所がある。それ以外では、願わないこと。誓うこと。キリストに抱かれて死ぬなら最高に幸せなこと。キリストの部分を愛にしてもいいし、自然にしてもいいし、志に置き換えてもいい。これのために死ぬなら本望だと思うものがある人は、幸せだ。
ルルドを離れ、今回の旅の最大の目的地を目指した。フランスで最も美しい村とされている場所だが、村長が「すでに多くの観光客が訪れるこの村に更に人が増えると、静けさの尊厳が損なわれてしまう」と言っているため、名前は伏せる。その村の更に山奥にある、隣人が一人もいない(隣牛はたくさんいる)家に泊まることになった。信じられないスケールの自然に囲まれて、周囲には何もない。何もないとはこう言うことかと言うくらい、何もない。何もない場所に行くと身体が自然に戻る。大きな声を出して、駆け出したくなる。
パリに二十年間暮らしている日本人も「そこにはずっと行きたいと思っていたけれど、まだ行けていない」と言っていた。車がなければアクセスが難しく、信じられないほど長距離の山道を抜けた先にこの村はある。途中、車酔いをしてグロッキーになった私は「何でこんな目に」と自分の境遇を呪ったが、到着した先に広がった景色は常軌を逸していた。おとぎの国が目の前に現れたみたいで、車酔いは一発で吹き飛び、ここまで連れて来てくれてありがとうと宇宙に感謝を捧げた。苦しみの一歩先。そこに、信じられない喜びがある。
一つのイメージを見た。地球と言う惑星には時の流れがあり、時の流れに投げ込まれた私たち一人一人の人間は、年老いることを避けることはできない。誰もが死に向かって生きていて、瞬間瞬間に失っている。失うことが前提の惑星では、失うことを恐れる限り、失い続ける。ないものを見ればキリがなく、何かを堰き止めることは命の固定化となり、躍動感を見失う。その中で、私たちがやるべきことは「あるあるある」と、自分に残されているものに目を向けることだと思った。失ったものに目を向けるのではなく、まだ自分に残されているものに目を向けて、最後の瞬間まで残るものに意識を向ける。やがて、私たちは身体を失い、最後には「あるあるある」の声だけが残る。
私一人では、この村の存在を知ることも、この村に行こうとすることもなかった。一人じゃ行けない場所がある。そこに行くことができる。人と人が関わり合う最大の喜びは、そこにあると思う。一人では絶対に辿り着けなかった境地に、誰かとなら辿り着くことができる。お互いの経験をシェアして、お互いの世界を広げ合うことができる。失くしたものを目を向けるのではなく、残されているものに目を向ける。ないないないと嘆くのではなく、あるあるあると前を向く。神の前では願わないこと。誓うこと。これのために死ぬなら本望だと思えるものに捧げられた人生は、幸せだ。私は「愛と共に生き、愛と共に死ぬ」と誓った。
ら、奇跡が起きた。
(つづけ・・・)
坂爪さん!遅ればせながら、記事にしていただきありがとうございました!
自分を変えたくて坂爪さんに会ったのに、尚も自分を守り変わらない自分を呪いそうでしたが、タイトルに涙が出ました。
わたしは坂爪さんの記事のタイトルが好きです。
変わりたくても変われなくて。自分を曝け出せなくて。
そんなダサい自分がいても見放さず、その奥にいる本人を見ようとする。
ダサいってただ批判するなんて誰にでもできて。
坂爪さんは奥の本人に届けようとする。本人で生きていけるように。勇気を思い出せるように。相手のためという気持ち悪さは一切なく、心からその人が笑えたら、一緒に笑えたら面白いから。
どんな自分でも飛び込んでいい。受け止めてもらえるってとても幸せなことです。
うれしかった。
坂爪さんに会えたから。
えいやっと彼にプロレス仕掛けられました。
わたし以上に自分を守って、人生を諦めている彼の奥にいる本人を見つけに。
どんなあなたも受け止める。
その姿勢で今!勝負してます!
肩の力は抜いていきます。
暑さも味方にして素晴らしい日々を✨
連絡先
keigosakatsume@gmail.com
LINE ID ibaya
いいなと思ったら応援しよう!
ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


コメント