致命的なシステムエラー

ハルカとの交際は順調に進んだ。メッセージアプリを通じてお互いの好きなものを語り合い、時には季節のイベントや美術館にといった話題に花を咲かせ、時間を合わせては食事を重ね、次のデートの行き先を話し合ったりもした。

 

ノリトの中で、ハルカという高潔な女性はどんどん理想として膨らんでいき、「美術館デート」というありふれた日常のデートですらも「高尚な趣味」というご都合主義的に解釈された。

日々のメッセージも、ノリトの脳内では「知的なダイアログ」として完璧に変換され続けた。ある夜、ハルカからメッセージが届いた。

 

 

「社内の洋酒クラブで、ちょっと飲みすぎちゃいました」

 

 

彼女なりの親しみと隙を見せたメッセージ。それは、仕事の緊張感から解放された、等身大の38歳の女性が放った「酔った勢いの甘え」に過ぎなかった。

しかし、ノリトの受容体(レセプター)はそれを別の信号として受信する。

 

 

「洋酒クラブ……なるほど、単なる嗜好品としてではなく、文化的な背景を含めて嗜んでいるのか」

 

 

彼は、学生時代に酒屋でアルバイトをし、一時期は洋酒の営業職に身を置いていた頃のアーカイブを即座に引き出した。相手はもはや気心しれた大学生ではない。ノリトはちょうどいいコンテンツとして機能していたアーカイブを適切なメッセージへのパッチととらえてこう返した。

 

 

「ウイスキーのピート香の強弱は、その土地の土壌の歴史を物語りますよね。以前の職ではアイラモルトの官能評価もしていましたが、ハルカさんならその繊細な差も愉しまれるのでしょう」

 

 

画面の向こうで、ハルカは少しだけ困惑していた。彼女が伝えたかったのは「同僚と楽しく飲んでフラフラだ」という他愛もない事実だった。だが、ノリトから返ってくるのは、教養と専門知識がミルフィーユのように重なった「講義」に近いレスポンス。

 

彼女は「……すごいですね!」と、画面上では笑っている絵文字を多用して返した。ノリトはそれを見て、「彼女は僕の高度な比喩を理解し、愉しんでいる」と確信を深め、内心で「やはり彼女は教養の深い、真の才女だ」と、一方的な補完を加速させていく。

 

趣味の舞台鑑賞についても、その溝は深まるばかりだった。 ハルカにとってのそれは、日常のストレスを忘れさせてくれる華やかなエンターテインメント、いわば「推し」を愛でるミーハーな悦びだった。しかしノリトは、彼女が語る劇の感想を、演出論や戯曲の構造分析といった高尚な文脈で曲解した。

 

 

「ハルカさんは、物語のプロットよりも、その裏にある人間の業をメタ認知的に鑑賞されているんですね」

 

 

そんな言葉を投げかけられるたびに、ハルカの心の中には、冷たい隙間風が吹き抜けていた。 彼女が求めていたのは、「あのシーン、格好よかったね」と笑い合える軽やかさだった。だが、ノリトが提示するのは、一分の隙もない、学術的で洗練された「正解」ばかり。

 

ノリトは、自分の人生のスペックアップが、彼女という「高難度な課題」を攻略するための唯一の武器だと信じて疑わなかった。ハルカが時折見せる戸惑いの沈黙を、彼は「深い思索」だと読み違え、さらに高い教養の壁を積み上げていく。 そのズレが、やがて「致命的なシステムエラー」となって自分を撃ち抜く日が来ることなど、慢心したエンジニアは想像だにしていなかった。

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