春。
新たな出会いに満ち溢れるこの季節、ノリトは人生という巨大な最適化問題の真っ只中にいた。
准管理職という地位、医療機器開発で培った専門知識、そして統計学に基づいた自己分析。大都市で揉まれ、法と技術を武器に「成果」を出し続けてきた自負がある。 今の彼は、かつて最愛の妻・ミカを失い、絶望の底で溺れていた頃の自分ではない。
「沈み切った後に浮かんで吸う空気は、この上なく美味い」
上ばかりを見ている上司を逆手に取り、現場を転がしながら後輩に慕われる。、かつて自分を指導したエース、先輩エンジニアの影を追いながらも、
「ムタ先輩、見ていてください。オレ、ここまで来ましたよ。」
愚直にまで真面目に仕事をし、最愛の妻にせめてもの慈悲をと懇願した男の顔は、成功という名の麻薬に蝕まれ、少しずつ歪んでいた。
そんな折、婚活という名のデータベースを検索していたノリトの指が、あるプロフィールの前で止まる。
カワノハルカ。38歳。
修士号を持ち、CRO(開発業務受託機関)で役職を務める彼女の経歴は、かつての妻・ミカが「派遣の営業事務」として疎まれていた場所の、遥か上層に位置するスペックだった。
画面越しに見る彼女の瞳には、磨き抜かれた硝子のような知性が宿っている。「季節のフィールドワーク」と「舞台鑑賞」を趣味とするその言葉選びには、付け焼刃ではない品格が滲んでいた。
「……似ているな」
ノリトは無意識に呟いた。ミカもまた、季節の移ろいを慈しむ繊細さを持っていた。しかし、今のノリトに去来したのは感傷ではない。
「あの頃の僕には、ミカが精一杯だった。だが、アップデートを終えた今の僕なら、このレベルの女性(ハルカ)をハンドリングできる」
写真で見るハルカは、誰もが目を止めるような派手な美貌ではないが、どこか不思議と心をつかまれるような整った顔立ちをしていた。加えて、婚活という市場では稀有な「才女」でもあり、医療業界でエンジニアを務める自分にとって、この上ない伴侶の候補になりうる、そう考えた。
彼は、ミカを失った地獄のような日々さえも、自分を強化するための「必要なプロセス」として処理した。かつての悲劇を糧にスペックアップした自分に慢心し、前妻を超える「上位互換」を見つけたことに、ノリトは内心で醜くほくそ笑んだ。
ノリトは、ハルカという一人の人間を見ようとはしなかった。彼は、自分が作り上げた「完璧なエンジニア・ヒロセノリト」という虚構に相応しい、最高級のパーツとして彼女を定義したのだ。自分と同じように論理で世界を構築し、感情をコントロール下に置く「才女」。彼はハルカに、自分以上の冷徹な知性と理想像を勝手に重ね合わせ、暴走を開始する。
「彼女なら、僕の高度な知性も、計算し尽くされたエスコートも、すべて『美しさ』として解釈してくれるはずだ」
独りよがりな最適化は、皮肉にも、彼が最も軽蔑していた「非合理な涙」へと向かって、静かにカウントダウンを開始していた。