ルターの「天職」概念をカルヴァン派の予定説が先鋭化し、救済の確証を奪われた信徒たちが世俗内禁欲と規則正しい職業労働の中に「選ばれたる徴」を見出した。これが「資本主義の精神」の誕生やと。核心はその後で、宗教的根拠が消失したのちもなお行様式だけが「鉄の檻」として残り、信仰なき近代人をも縛り続ける。怠惰に後ろめたさを覚えるあの感情は、神なき時代の信仰の残響。
日本ではこれを明治国家が「上から」鋳造し、戦後カイシャ共同体に移植した。労働=所属=承認=人格的同一性、という現代の感覚はこの延長線上にある。
AIで生産体制が根底から変わるならば、エトスは即座には溶解せず、過渡期に「働かざる自己」への救済安が残響として長く続く。
問わるべきは「人間の残された仕事は何か」じゃなくて、新たな生産体制が立ち上げる「救済の徴」がいかなる形を取るか、だと思います。
意図せざる結果に社会の核心があったりする。最近特に、歴史を学ぶことの価値を痛烈に感じます。
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けんすう
@kensuu
「働くことは偉い」「働いていない人は後ろめたい」という感覚は、人類に普遍的な道徳ではなく、
農業社会→宗教改革→近代国家→産業資本主義とかの時代の流れによって変わる生産体制と、
それに伴う教育制度の中で形成されて、強化されてきた「社会規範」なんですよね。