やや込み入った話をすると、トランス女性を「女性」のサブカテゴリーとして理解することは、性自認やそれに基づいて構築したトランスの人の生活を尊重しない社会においては、意味あることだと思います。
その一方で、そのような単純な理解は、トランス女性が経験している差別を「女性差別+トランスジェンダー差別」の掛け合わせ(交差性?)として思考するよう導きます。
しかし私は、トランス女性が経験している差別をそのような複合性から理解することはできないと考えています。
理由は2つあって、詳しくは原稿を読んで欲しいのですが、トランス女性に向けられる憎悪や暴力、差別は、彼女たちを独特の仕方で(しかも一つではなく複数のパターンで)女性ではない存在として位置づけており、またときに「脱ジェンダー化」という、性別を奪う作用をともなってもいるからです。このあたりは、近年ジョルジュ・ジル=ピーターソンやタリア・バットなどが論じていることを手掛かりにしました。
マニフェストなので緻密な議論はありませんが、ふんわりしたトランス包摂的フェミニズムには(個人的に)希望を抱けないので、書くしかないなと思って書いています。