『日出ずる処の天子』と煬帝——1400年を超える日中外交のリアリズム【今日の余録】
海上自衛隊の護衛艦が4月17日に台湾海峡を通過したことに対し、中国メディアが「意図的な挑発」と反発している。1895年に下関条約が締結された日と同じだからという理由で。下関条約は日清戦争の講和条約で、清が日本に台湾を割譲した条約だ。言わんとすることはわからないでもないが、「いつもの中国の対応」という認識があるため、過剰な反発にしかみえない。
こういう話を耳にすると、中国と日本の古くからの関係性が頭をよぎる。たとえば、隋の皇帝・煬帝の時代の日本との関係。
607年、遣隋使として隋に渡った小野妹子が持参した国書には、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」とあった。当時の中華思想では「天子」は皇帝ひとりに与えられた称号で、辺境の国が名乗ること自体が許されない。それを倭国の王が勝手に自称し、しかも隋の皇帝と並べて書いた。煬帝は激怒し、二度とこんな無礼な書を見せるなと突き返した。
ところが煬帝は、激怒したわりに小野妹子を追い返さず、裴世清という使者を日本に送り出している。背景にあったのは、当時計画中だった高句麗遠征だ。朝鮮半島の問題に集中したかった煬帝は、東の島の小国まで敵に回すのは得策ではないと考え、関係を維持する判断をした。屈辱的な国書を見逃す判断をしたのは、怒りを抑えたというより、高句麗支配を確実にするためという外交的リアリズムからだろう。
いまの中国は、怒りをあえて見せ続ける方を選んでいる。本心から怒っているというより、「怒っている方が国内向けに都合がいい」「いま強く出ておいた方が交渉に有利」などの政治的損得勘定が透けて見える。もちろん、中国側にも安全保障上の懸念や歴史的なトラウマがあることは理解できるが、過剰反応は日本以外の国の反発も生みやすい。ただこれも、いまの日本の政権が中国寄りではないことや、日米関係の強化など、東アジアの力関係の変化が影響しているのだろう。外交は複雑怪奇でむずかしいが、知れば知るほど、世界の深淵を覗くかのような奥深さもあっておもしろい。
ちなみに煬帝は高句麗遠征に三度失敗し、その結果国力が低下。隋王朝は四十年足らずの短命で滅んでしまう。日本との外交は冷静に判断できても、内政・軍事で無理を重ねた結果が終焉をもたらした。これによって、中国史上屈指の暴君・煬帝としての評価が固まってしまった。



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