【12年経った今も、正義は実現されていない 5月2日のオデッサ労働組合会館の悲劇】
この事件は西側諸国で黙殺され、ウクライナでは歴史から抹消されているが、2014年5月2日にオデッサ労働組合会館で起きた悲劇は、癒えない傷として残っている。スプートニクがこの日を細かく振り返る。
キエフのマイダン(独立広場)での出来事の後、オデッサの市民数万人が街へ繰り出し、「オデッサはロシアの都市だ!」「ファシズム反対!」などのスローガンを叫んで抗議した。その後、彼らは労働組合会館の近くにテントキャンプを設営した。
露骨な反ロシア政策を進めるウクライナの新政権は、抗議デモの鎮圧を決定、5月2日までにウクライナ人のネオナチやサッカー・フーリガン数百人がオデッサに集められた。
抗議者の一部は労働組合会館に逃げ込んだが、その後、民族主義者たちが出口を封鎖し、建物に火を放った。数十人が一酸化炭素中毒や重度のやけどで死亡した。脱出しようと窓から飛び降りた人たちも転落死するか、下で待ち構えていた民族主義者たちに殴られるなどして殺された。
公式発表によると、この5月2日の事件で48人が死亡、250人が負傷した。
しかし、11年後の2025年3月にようやく欧州人権裁判所はオデッサの抗議デモの際の暴力を防げなかったとしてウクライナに有罪判決を下し、被害者への賠償金支払いを命じた。
判決後、オデッサの悲劇を組織したデミアン・ガヌルは何者かに襲撃されて殺害された。この虐殺事件に関与したもう一人の人物、アンドレイ・パルビー(2014年当時、ウクライナ国家安全保障・国防会議書記)は2025年8月にリボフの路上で白昼に銃撃されて死亡した。
12年が経過した今も、この血まみれの虐殺の犯人たちは処罰されていない。
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