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運命の日の朝が来た。昭和38年(1963年)11月23日、早朝5時27分。通信衛星が日本に近づき、巨大な宇宙中継アンテナが動き出した。カウント・ダウン。後15秒。息を飲む技術陣。
日米初のテレビ衛星中継。アメリカの若き大統領ケネディから日本国民にメッセージが届くはずだった。だが画面に映し出されたのは砂漠のサボテン。この映像は何だ。何が起こったのか。ケネディはどうした。変だ。
だがその時、ケネディは既に凶弾に倒れていた。テキサス州ダラスでパレード中に暗殺されたのだ。事情の分らない技術陣に動揺が広がった。世紀の大実験、宇宙中継アンテナは見事に海の向こうからの微弱電波を捉えた。だがケネディは映らない。これで成功といえるのか。

昭和35年(1960年)のローマ・オリンピック。日本の男子体操チームには金メダルの期待がかかっていた。NHK技研の安東平八郎、何とかこの映像をテレビの電波に乗せたいと思った。
当時の通信電波は短波。限られた情報しか送れない。写真の静止画は送れても、動画のテレビ映像はムリ。でも凄いアイディアが浮んだ。フィルムに1秒8枚の写真を貼り付けよう。これなら動く映像になる。
男子体操チームは見事<金メダル>を獲得した。NHKはその模様をテレビ電波に乗せた。だが放送を見たお茶の間の反響は厳しかった。あの<ぎくしゃくテレビ>は何だ。当時の技術の限界。短波ではムリだったのだ。

昭和36年、若き大統領ケネディは世界初の通信衛星を打ち上げた。地球の上空8000キロを飛ぶ衛星を介して、マイクロ波による高音質の電話回線網を構築する。マイクロ波は短波の1000倍の情報を運べる。テレビの国際中継も可能になる。
<これだ>とNHKの安東平八郎は思った。次は東京オリンピック。ここで<ローマの借りを返そう>と決意した。通信衛星を打ち上げたNASA(アメリカ航空宇宙局)に連絡を取った。国際衛星中継に日本も参加させてほしい。だがNASAの返事は冷たい。ノー。実験はヨーロッパと南米と結んで行う。日本は締め出し。

NHKは抗議した。でもNASAは言った。<あなた方に衛星中継電波を捉えるアンテナが作れますか>。KDD(国際電々)の小野欽司、見返してやろうと思った。だが渡米してアンテナの実物を見た小野は言葉を失った。
アメリカの衛星中継アンテナは全長60メートル、重さ380トン。巨大なほら貝の形。しかも自在に動く。これがアンテナか。制作費は40億円。ケタ違いだ。衛星中継は夢物語と思った。
国際中継の電波に要求される性能、実は10兆分の1Wの微弱電波を捉えるというもの。アメリカにある10ワットの電球の熱を、日本で感じるというレベル。大変です。でも「諦めるわけには行かない」。
<電波の鬼>と言われたKDDの宮憲一。一人、研究室に篭もった。フランスのカセグレンの論文を発見した。目を疑った。アンテナの<お椀>型の壁面を<鏡>にして電波を中心に集める。これだ。これなら安くできる。予算はアメリカの<10分の1>しかなかった。

アンテナ製造を担当したのは三菱電機。直径20メートル。自在に動くアンテナ。重量や精度など様々な<技術の壁>があった。でも克服した。茨城県十王町に昭和38年8月、世界初のカセグレン・アンテナが完成した。
偶然とは恐ろしい。衛星中継が迫るアメリカに大阪・毎日放送で5年前までアナウンサーをやっていた前田治郎がいた。左遷。アナから追放されたのだ。だがケネディが暗殺された日、彼にアナウンサーの仕事が舞い込んだ。テレビ局社長のドナルド・コイルが「リポートしてみないか」と誘ったのだ。
5時30分の第1回実験。緊急に砂漠のサボテン映像でつないだNASA。日本の報道陣にもやがて<暗殺>の一報が入った。誰もが中継は中止と思った。だがNASAは第2回の実験で「臨時ニュース」を送ることに決定した。

世紀の大実験に自分などが関与してよいのか、西村は迷った。だが時間はない。原稿もない。でももうやるしかない。
午前9時、第2回目の実験が始まった。「私は大阪・毎日放送のニューヨーク駐在員、前田治郎です。せっかくの日米初の衛星テレビ中継に、このような悲しいニュースをお届けしなければ…」。皆、呆気に取られた。テレビから突然、綺麗な日本語が聞こえた。これは何者だ。
テレビには頭部に凶弾を受け、倒れるケネディの映像が映った。「リー・オズワルドと名乗る男が逮捕されました。しかし、まだ犯人と確定したわけではありません」。
衝撃が日本中に広がった。NHKには「あれは本当にアメリカからの映像か」という問い合わせが殺到した。それは普段見ている普通のテレビ。でも新しい時代が始まったのだ。

1964年(昭和39年)の東京オリンピック。オリンピック史上初の衛星テレビ中継が実現した。ニューヨーク・タイムスは「鮮明で息を飲む美しい映像」と絶賛した。高性能・低価格カセグレン・アンテナを開発した日本技術陣の勝利。世界60カ国で採用され、輸出された。
「世界中で動いていると思うと嬉しい」と開発を担当した元KDDの佐藤敏雄。「でも、あの優しいケネディが暗殺される映像を映すとは…」と言葉を詰まらせた。
<電波の鬼>と言われた元KDDの宮憲一。今年4月、この世を去った。89歳だった。彼が残した言葉がある。「失敗は誰にでもある。しかし、たじろぐことなく活力源とするのが大成への道である」。

+++「私の戦後史」でもご紹介しました。火山はケネディ暗殺の悲報を、桜木町駅構内で聞きました。人々が驚きの声を上げた。生々しく記憶しています。それから約4半世紀が過ぎ、日本でも衛星テレビ放送が始まった。アメリカで既に実用化され、テレビ・チューナを輸出していた当社は、他社に先駆けて衛星放送受像機を発売した。
NHKと共催の「衛星放送展」が有楽町マリオンで開催され、美女軍団ブルーベレーもデビュー。火山も彼女らと衛星放送のプロモーションを担当することになった。思えば、これも偶然です。懐かしい。<プロジェクトX>のご紹介にも力が入ってしまいました。
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