科学技術のアネクドート

長音的発音なしの4音以上だと略すことになりやすい


生んだ赤ちゃんに名前をつけるとき、「よびやすさ」を重視する人はどのくらいいるでしょうか。「長音的発音のない4音以上」の名前の多くは、省略形のよびかたになりそうです。

たとえば、赤ちゃんに「貞治(さだはる)」という名前をつけるとします。家族や親類はこの子を「おい、貞治。風呂のお湯かげん見てきて」などと省略せずによぶかというと、どうでしょう。「おい、サダ」のように、省略してよぶ場合が多いのではないでしょうか。

その点、「陸斗(りくと)」とか「洸(こう)」とか、3文字以内のことばであれば、「おい、陸斗!」とか、「おい、洸!」とか、よびやすそうなものです。

おなじ4文字以上の名前でも、「翔太(しょうた/しょーた)」とか、「康平(こうへい/こーへい)」とか、長音記号的な発音がふくまれるものであれば、長音的発音なしの4文字よりはよびやすいでしょう。

もちろん、本名が4文字以上ながら、親しみを込めて省略形でよぶということが自然体であってそれでよいというなら、それでよいわけです。たとえば「一之助」を「いち!」とか「いっちゃん!」とよぶように。

ただし、余計なお世話ながら、「仁左衛門(にざえもん)」とか「左團次(さだんじ)」とか、1文字目が1音のみで、2文字目が2音以上の名前だと、省略もむずかしそうです。「おい、ニザ!」とか「おい、サダ!」とかになるのでしょうか。

明治安田生命保険が発表している2025年の「名前ランキング」では、男女とも「トモノリ」とか「ヤスフミ」とか「サクラコ」とか、長音的発音のない4文字以上の名前が50位以内に入っていません。

男子では、上から10位までが「ハルト」「ミナト」「アオト」「セナ」「ヒナタ」「ユイト」「リク」「ソラ」「リト」「ソウタ」となっています。いっぽう女子では「エマ」「サナ」「スイ」「ツムギ」「イロハ」「ミオ」「コハル」「メイ」「ヒマリ」「ハナ」なのだそう。男女通じて4文字なのは男子25位の「ユウセイ」と男子42位の「ソウスケ」のみ。このふたつはいずれも、長音的発音ありの4文字です。

この点、命名者たちのなかには、「今後にわたってよびやすい名前」を考慮して名づけている人がすこしはいるかもしれません。だんだんと短くなって、2音に近づいている傾向にあるようです。

参考資料
明治安田生命保険「2025年の読み方ランキング」
https://www.meijiyasuda.co.jp/enjoy/ranking/index.html#/year/2025y/7
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「光学の父」が人生の危機で扮したのは「狂人」――立体視への挑戦(14)

これまでの「立体視への挑戦」はこちら。

「アラビア哲学の創始者」とよばれたアル=キンディ(796ごろ〜873)が生まれた河港都市バスラで、およそ1世紀半後の965年ごろ、後世の人たちに「光学の父」とよばれた人物が産声をあげました。イブン=アル・ハイサム(965ごろ-1039ごろ)です。光学とは、光の性質について研究する学問分野。光学の金字塔を打ちたてられたのは「狂人のふりをして過ごしたから」という逸話がハイサムにのこっています。


イブン=アル・ハイサムの肖像画
絵作者:Adolph Boÿ, engraved by Jeremias Falck

ハイサムが生まれ育った10世紀後半は、イスラム文明において学問が隆盛を極めていたころにあたります。学校や図書館がつぎつぎ建ちならび、学者と学生たちは高度な議論を楽しみ、古代の書物がつぎつぎとアラビア語に翻訳されていきました。

ハイサムは、広い分野で知識を磨きあげるなか、自信を強めていったのかもしれません。バスラから西へ1500キロメートル以上も離れた「大河」でひんぱんに起きていた氾濫を、自分は食いとめることができると公言したのです。

その大河とは、アフリカ大陸北東部から地中海に注ぐナイル川。この大河は流域に肥沃な農地をもたらしていました。古代ギリシャの歴史家ヘロドトス(紀元前484ごろ-没年不詳)に「エジプトはナイルの賜物」と称えられたのはよく知られるところです。

ただし、ナイル川が下流の土地に肥沃な土壌をもたらしたのは、毎年のように氾濫を起こし、上流から運ばれてきた土を流域にあたえていたからにほかなりません。上流のエチオピア高原で夏ごろ降った雨水を湛え、秋になると下流で溢れさすのでした。

そうした状況を知っていたハイサムは、伝えによると「もし機会をあたえられるなら、ナイル川の氾濫を制御する解決策を実行に移したい」と豪語しました。とはいえ、ハイサムはそのときまで現地ナイル川を訪れたことはなかったといいます。

ハイサムの豪語を耳にした一人が、エジプトを含む北アフリカ一帯を支配していたファーティマ朝の第6代カリフ・アル=ハーキム(985-1021)です。ハーキムの人格は特殊で、同一の人間がおこなっているとは思えないくらい、「振れ幅」があったといいます。たとえば、1005年、カイロに自然科学と人文科学の研究所ダール・アルヒクマを建て、さらにカッタムの丘に天文台を設けるなどして、学問を手厚く保護し、カイロを学徒たちの憧れの地にしました。しかし、その一方で、夜中にかかわらずロバに乗って街を闊歩したり、女性の外出を一切禁止したりしたほか、熱狂的なシーア派イスラム教徒として、キリスト教徒やユダヤ教徒を厳しく弾圧しました。

そんな狂気じみたカリフ・ハーキムの耳目にかかり、ハイサムはカイロに招かれたのです。自信をもっていたハイサムは、ダムと貯水池を建設することで、氾濫をくりかえすナイル川を制圧することができると言ってはばかりませんでした。

後世に書かれたハイサムの伝記によると、ハイサムは、銀の装飾を施したロバの馬上にいるハーキムに謁見すると、ベンチの上に立って、ナイル川の開発計画に関する工学論文の写しを手渡したといいます。

ところが、言うは易し、行うは難しだったのかもしれません。ハイサムは河畔に赴くと、「規模の大きさ」にたじろいだようです。ナイル川の大きさにだけでなく、河岸にそびえる数々の偉大な遺跡に、です。これだけ偉大な建築遺産を築いた、古の建築家たちにも、大河の氾濫をとめることはできなかったのか、と。

もはや豪語したことをいかに撤回するかが、ハイサムにとっての課題となっていました。

いっぽうのカリフ・ハーキムも、治水の計画を実行するに見あうだけの利益を得られないと判断するようになったといいます。計画を非難しだし、ハイサムが謁見に使ったベンチを撤去するよう命じたとも。

エジプトに戻ったハイサムは、ふたたびカリフ・ハーキムに謁見し、計画は不可能である旨を告げたといいます。ハイサムにとってこの瞬間は人生最大の危機だったにちがいありません。カリフ・ハーキムに白い目で見られたら、自分の身に保証はないのですから。

ここでハイサムは、自分の身をまもるための奇策に打ってでたといわれます。ハイサムは、カリフ・ハーキムの前で狂人を装ったのです。というのも、ハイサムは、「このハーキムは、とにかくイスラム法を遵守するカリフだ」という見たてをもっていたのでした。

どういうことか。

イスラム法では、狂人を失敗や罪の責任に問わないという慣習がありました。イスラムの信仰とは完全無欠なるものであって、背教者が生じること自体ありえない。処刑をできるだけ回避したい。そこで「狂人のしでかしたことにして責任能力を問わない」という扱いで解決をはかるという考えかたが、背景にあったのかもしれません。

ハイサムがとったこの「狂人のふり」作戦は功を奏します。ハーキムの遵法精神のもと、処刑や追放を免れることができました。ただし、その代わり、自身と人びとの安全が確保されるようにという名目のもと、ファーティマ朝の保護下におかれ、軟禁状態に置かれたのでした。

ハイサムにとってこの軟禁状態は、自身の研究にうち込めるものでした。伝えによるところ、暗い部屋にたたずむなか、壁の小さな穴から外の光が差しこむのを見て、ハイサムは光の性質について深く考えをめぐらせるようになったといいます。代表的著作となった『光学の書』の礎となる実験や観察を、ハイサムは積みかさねていきました。

そしてついに「釈放の日」を迎えます。1021年ごろ、カリフ・ハーキムが死去あるいは失踪し、その治世に幕が下ろされたのです。この伝えが事実であれば、ハイサムは50歳代なかばになっていた計算です。「光学の父」の名声を得るに十分な知識を貯めこんでいたことでしょう。ハイサムにとってそれは長い暗黒時代だったかもしれませんが、光というものを捉えるには十分な好機だったのかもしれません。

実際、『光学の書』には、これまでの先人が展開してきた「ものの見えかた」をめぐる議論に対し、ハイサムの明確かつ鋭敏な考えが示されています。次回以降ではハイサムによる「流出説・流入説の議論」への結論、そして距離や遠近という点でのものの見えかたの提示、さらに立体的なものの見えかたの提示などの記述をたどっていきます。つづく。

参考資料
改訂新版 世界大百科事典「イブンアルハイサム」
https://kotobank.jp/word/いぶんあるはいさむ-3143316
日本大百科全書「イブンアルハイサム」
https://kotobank.jp/word/いぶんあるはいさむ-3143316
平田寛『図説科学・技術の歴史 : ピラミッドから進化論まで 上』
https://dl.ndl.go.jp/pid/12590343/1/59
1001 Inventions and the World of Ibn Al-Haytham “Who was Ibn al-Haytham”
https://www.ibnalhaytham.com/discover/who-was-ibn-al-haytham/
A. I. SABRA “The Optics of Ibn Al-Haytham BOOKSI-III On Direct Vision”
https://monoskop.org/images/f/ff/The_Optics_of_Ibn_Al-Haytham_Books_I-III_On_Direct_Vision_Sabra_1989.pdf
改訂新版 世界大百科事典 「ハーキム」
https://kotobank.jp/word/はーきむ-3184606
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「ハーキム」
https://kotobank.jp/word/はーきむ-3184606

 

| - | 23:29 | comments(0) | -
相つぐ不適切投稿は「支配されやすさ」のあらわれ


ソーシャル・ネットワーキング・サービス「BeReal.」を使った「職場テロリズム」があちこちで起きているようです。この社会現象は、人間が情報通信技術に支配されやすいことを証明する事例といえるのではないでしょうか。

BeReal.は、一日に一度、「2分以内」に写真や動画を投稿するよう促す通知が、決まっていない時刻に届くソーシャル・ネットワーキング・サービスです。

「これのどこがサービスなのか」と思う人もいるでしょう。いついかなる状況でも即興的に投稿しなければならない、つまり「BeReal.」の名のとおり「ありのままの現実」を投稿するという点が、若い人たちのあいだに響いているようです。

「2分以内」の縛りを破っても投稿できるものの、通知から遅れた時間が「3時間Late」のように投稿に表示されてしまうという「罰」的処遇を受けます。逆に、「2分以内」を守って投稿できると、その日はいつでも写真を追加で投稿できるという「賞」的処遇を受けられます。よく考えられたしくみです。

BeReal.の使い手が、自分のつとめている職場で機密情報をふくむ画像や動画を投稿してしまう事例があとを絶たないようです。これまで「バイトテロ」とよばれていましたが、2026年4月以降、新年度が始まり新入社員が不適切投稿をする事例が見られ、「新入社員テロに昇格した」といわれたりしています。

「従業員に勤務中は不適切な投稿をしてはならないといったことまで教育・指導しなければならないのか」と企業側の人たちを落胆させているようです。対策的にはそういう教育をしなければならない時代といえます。

社会構造的には、職場での不適切投稿は「いかに人間が情報通信技術に支配されやすいか」を示す事例と捉えられるのではないでしょうか。

アプリケーションから「2分以内」での投稿を促され、しかも「2分以内」を守れなかった場合、それがBeReal.でつながっている友人・知人たちに知れわたってしまう。使い手の多くは、そのしくみを「楽しんでいる」と思っているかもしれませんが、同時に急かされている感覚をもっているとしたら、そのしくみに「支配されている」ともいえそうです。

もちろん、自分にあたえられた「日課」を破ったり怠ったりする人はいます。むしろ、まじめで几帳面あるいは完璧主義的な人のほうが、「とにかく2分以内に」を厳守しようとするあまり、不適切な投稿をしてしまうおそれはありそうです。

人間がなにかに心やからだを支配されるのは、BeReal.のような情報通信のしくみにかぎったことでありません。支配者、機械、賭け、酒、甘味、薬物、フェティシズム、エロティシズム、ネコなど、さまざまなものごとに支配されがちです。

逆にいえば、人間はこれほど支配を受けやすいわけですから、電子的なしかけと対人的なしかけの両方をたくみに備えた情報通信技術には、いともかんたんに支配されてしまう。BeReal.を介した数かずの「職場テロ」は、このことを伝えてくれます。

参考資料
Impress Watch 2024年4月23日「“映え”ないSNS「BeReal.」が若者に人気の理由」
https://www.watch.impress.co.jp/docs/topic/1585647.html
東洋経済オンライン 2025年10月23日「『寿司をなでなで…』回転寿司店でまた迷惑動画、次はZ世代に大人気のSNS『BeReal(ビーリアル)』が新たな火種に? 親や学校が知っておきたいこと」
https://toyokeizai.net/articles/-/912931
日本経済新聞 2026年4月18日「『SNSに社外秘資料』注意 限定公開でも拡散事例 懲戒・損害賠償の恐れ」
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO95743080X10C26A4CT0000/
朝日新聞 2026年4月22日「教諭がSNS『BeReal.』に不適切投稿 通知に『深く考えず』」
https://www.asahi.com/articles/ASV4Q1GQLV4QUNHB01ZM.html
| - | 12:09 | comments(0) | -
ドヴォルザークの原曲に、堀内が日本語作詞。マンレーの英語作詞を参照しつつ

唱歌「遠き山に日は落ちて」は、チェコの作曲家アントニン・ドヴォルザーク(1841-1904)が作曲した「交響曲第9番」のひとつの楽章の一部に、作詞家の堀内敬三(1897-1983)が歌詞をつけたもの。米国で歌詞がつけられていた「マッサ・ディア」という唱歌の歌詞を踏まえ、日本語歌詞をつけたものとみられます。当初は「夜の歌」とよばれていました。

ラジオなどから流れてくるクラシック音楽を聞いていると、「この旋律は歌ったことのある歌とおなじではないか」となるときがあります。その旋律が聞こえてくると、急に身近に感じられるもの。

べつのことをしながら、ドヴォルザークの交響曲を聞きながしていると、ふと「これは『遠き山に日は落ちて』そのものではないか」と心が奪われるときがあります。

「遠き山に日は落ちて」は、堀内敬三が1928(昭和3)年に作詞を手がけ、日本で発表した唱歌。子ども時代の林間学校やカブ・スカウトで、日暮れどき、焚き火をかこみながら合唱した人も多いのではないでしょうか。歌詞を引用します。
_____

とおき やまに ひはおちて
ほしは そらを ちりばめぬ
きょうの わざを なしおえて
こころ かろく やすらえば
かぜは すずし このゆうべ
いざや たのし まどいせん
_____ 


堀内敬三。1935年ごろ撮影
写真作者:大日本作曲家協会

この唱歌は、もともとドヴォルザークが作曲した「交響曲第9番」のうち、第2楽章からのもの。まさに、唱歌「遠き山に日は落ちて」の楽曲全体にあたる旋律が、同楽章の中心となっていて、何度も演奏されます。さらに最後の第4楽章でも、「とおきやまに」にあたる部分の旋律が演奏されます。

「交響曲第9番」第2楽章の中心的な旋律に歌詞をつけたのは、堀内が初めてではありません。米国の作家で教育専門家のフレデリック・マンレーが1919年までに歌詞をつけ、「マッサ・ディア」(Massa Dear)という題で発表したことが記録に残っています。より有名なのは、ドヴォルザークの弟子ウィリアム・アームズ・フィッシャー(1861-1948)が1922年、べつの歌詞をつけて発表した「家路」(Goin' Home)でしょう。また、日本では詩人の宮沢賢治(1896-1933)が1924年、「春はまだき 朱雲を……」と歌詞をつけ、「種山ヶ原」という題をつけていたとされます。

なかでも堀内の「遠き山に日は落ちて」が、後世に歌いつがれる唱歌となったのは、やはり堀内の歌詞が、人びとの心に入ってくるものだったからではないでしょうか。

「遠き山に日は落ちて」の歌詞が、初めて出版物に載ったのは、おそらく、大日本少年団聯盟が出版した雑誌『少年団研究』の1928年8月号においてです。ここには、歌の名前が「遠き山に日は落ちて」でなく「夜の歌」と記されています。

そして、「夜の歌について」という小さな解説がつぎのように記されてあります。

「原曲はボヘミアの作曲家ドボルジヤクの『新世界交響曲』中第二樂章に現はるゝもの、Boy Scout Song BookにMassa Dearとして採録せる英語歌詞を立案しました。此の旋律は日本人には最も唱ひ易い音程によつてあるので、高尚な節ではありますが、愛誦されると思いひます」

これが堀内自身による解説かどうかわかりません。しかしながら、「Massa Dearとして採録せる英語歌詞を立案」とあることから、前述のフレデリック・マンレーによる「マッサ・ディア」の歌詞が「夜の歌」こと「遠き山に日は落ちて」の歌詞づくりで参考にされていることがわかります。


フレデリック・マンレー
出所:https://archive.org/details/monkeystailother00manl/page/n7/mode/1up

では、「マッサ・ディア」の歌詞はどういったものでしょう。

上記解説に出てくる“Boy Scout Song Book”の出版前年にあたる1919年、米国で出版された“Twice 55 Community Songs(No.1)”という楽譜・歌詞集に、“41. Massa Dear”として、つぎの歌詞が見られます。1番だけ引用し、堀内の「遠き山に日は落ちて」の歌詞と対応させてみます。
_____

Massa dear, massa dear, O look down a while, 
とおき やまに ひはおちて

Winds am still, heav'n am clear, You can hear dis chile. 
ほしは そらを ちりばめぬ

All the home folks is gone, And I'm lonesome here; 
きょうの わざを なしおえて

Work is o'er, day is done, Take me, massa dear; 
こころ かろく やすらえば

Take me home, for delight Went away with you; 
かぜは すずし このゆうべ

Call me home from the night, As you used to do.
いざや たのし まどいせん
_____


C.C. Birchard and Company1919年出版“Twice 55 Community Songs (No.1)”より“Massa Dear”
出所:Internet Archive

このように、“Massa Dear”には、“Winds am still,”つまり「風は凪いで」や、“heav'n am clear”つまり「天は澄み」のほか、“Work is o'er,”つまり「つとめは終わった」や、“day is done”つまり「日は暮れた」といった歌詞が出てきます。

堀内は、“Massa Dear”のこれらの歌詞を、醸しだされる雰囲気を大切にしながら、意訳的に日本語歌詞にしたのではないでしょうか。

そもそも、ドヴォルザーク作の「交響曲第9番」の第二楽章の一部に、これほど多様に歌詞がつけられたのは、「歌詞をつけやすい旋律」だったからでしょう。「交響曲第9番」を通して聴くと、第二楽章、とくに「遠き山に日は落ちて」全体の歌詞にあたる中心的旋律の部分は、やや孤立した印象さえあたえます。さらにいえば、北米大陸の大平原が日没のときを迎え、空に夕闇が訪れるような光景を思いおこさせます。歌詞がそうさせるのでしょうか。

ドヴォルザークがこの楽曲をつくったのは、米国国立音楽院の院長に迎えられ、ニューヨークに滞在していた時期にあたります。当時、米国の黒人や先住民の音楽の旋律を借りてつくったのではないかと批評されたことがありました。本人は「これらの国民的なアメリカの旋律の精神をもって書こうとしたが、私の力では遠く及ばなかった」と述べるにとどまっています。


アントニン・ドヴォルザーク。1882年撮影
出所:Gallica Digital Library

参考資料
ウィキペディア「交響曲第9番(ドヴォルザーク)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/交響曲第9番_(ドヴォルザーク)
大日本少年団聯盟 1928年8月『少年団研究』第5巻第8号
https://dl.ndl.go.jp/pid/1595210/1/14
Archive Viewer “Twice 55 Community Songs(No.1)(1919)”
https://archive.org/details/twice-55-community-songs-no-1-1919/page/n27/mode/2up
IMSLP “Manley, Frederick”
https://imslp.org/wiki/Category:Manley,_Frederick
世界の民謡・童謡「家路 Goin' Home 歌詞の意味・和訳」
https://www.worldfolksong.com/songbook/usa/goin-home.html

| - | 15:37 | comments(0) | -
痩せたい人に「燃費の悪い運動を」とは伝えづらい



運動をするとき「効率を高めよう」と考える人は多くいそうです。ただし、「なんの効率か」で、その方法は異なってくるもの。たとえば、「速く走るための効率」か「痩せるための効率」かでは、やりかたは逆になりそうなもの。しかし、世の記事を見てみると、そうなっていないことがあります。

ためしに「ランニング 効率的」でインターネット検索をすると、つぎのような見だしの記事を見ることができます。

「マラソン・長距離で疲れにくい走り方をマスターしよう」
「ランニングに必要なスタミナと持久力をつける方法」
「疲れにくい!理想のランニングフォームとは? 走りの基本姿勢や改善ポイントを解説」

これらは、疲れず楽に長く走ろうとする人に「効率の高い」走りを伝えるものといえます。そのため、「着地はひざ下~地面は垂直に」「インターバル ワークアウトを取り入れる」「体の軸はまっすぐ」といったことが記されています。

いっぽう、おなじ「ランニング 効率的」でのインターネット検索で、つぎのような見だしの記事を見ることもできます。

「ランニング30分のダイエット効果とは。本当に痩せる?何kg減る?」
「ダイエットに効果的なランニングのコツは?走る時間や距離、頻度、速さを解説」
「『走るダイエット』で脂肪燃焼!ジョギングとランニングはここが違う」

これらは、ダイエット目的、つまり痩せようと走る人に「効率の高い」走りを伝えるものといえます。

理屈でいえば、「疲れず楽に走る」のと真逆のからだの動きをすれば、それだけ、エネルギーを効率よく消費できるはず。それはいわば「車の燃費をいかに悪くする走りかたをするか」を追いもとめるのとおなじです。

たとえば、極端な話、ひざを引きずるようにして、からだの軸をぶれさせて、むだな動きを意識しながら走りつづけるほうが、おなじ距離を走るとしてもエネルギーを多く消費できるはずです。エネルギーを多く消費できれば、脂肪を燃やすことができ、痩せることに近づけます。

では、上の痩せようと走る人向けの記事三つの具体的な方法を見てみると、どうでしょう。

「会話ができる程度のペースが目安です。息が切れるほど速く走ると、脂肪より糖質の消費が中心になり、長続きもしません」
「ランニングの効果を高めるためには、正しいフォームを意識することが大切」
「マラソン選手の走り方を見ると、着地した脚の膝が伸び切らず、足が膝より前に出ていないように見えます。実はこれが疲れにくい走り方の1つ目のポイントです」

上の三つのうち、ひとつ目は、脂肪を燃やすための走りかたを説いているので、痩せようと走る人向けといえます。

いっぽう、ふたつ目とみっつ目は、どちかといえば、疲れず楽に走ろうとする人向けの走りかたを説いています。「燃費を悪くして走ろう」とは伝えづらいのでしょう。うち、ひとつの記事では「ランニングのフォームが崩れていると、ダイエット効果が落ちる」と書かれてあります。ほんとうでしょうか。

たしかに、痩せるためとはいえ大変さをともなうランニングを長つづけるためという点では、「疲れず楽に走れる」ことは効率の高い方法といえるかもしれません。むだな動きを意識的にして、からだを疲れさせても、「これを続けよう」とは思いづらいでしょうから。

つまるところ、痩せようと運動をする人に、その運動での効率の高いやりかたを伝える内容は、とてもかぎられているのではないでしょうか。どんなからだの動きであっても、とにかく「長くつづける」ためにどうすべきかを求めるほうが大切そうです。

参考資料
グリコ「マラソン・長距離で疲れにくい走り方をマスターしよう」
https://www.glico.com/jp/powerpro/sports/entry97/
ナイキ 2026年3月27日「ランニングに必要なスタミナと持久力をつける方法」
https://www.nike.com/jp/a/increase-stamina-endurance-for-running
メガスポーツ「疲れにくい!理想のランニングフォームとは? 走りの基本姿勢や改善ポイントを解説」
https://store.megasports.jp/webmagazine/list/detail/b-run-runstyle/
MELOS「ランニング30分のダイエット効果とは。本当に痩せる?何kg減る?」
https://melos.media/training/275770/
WG 2024年3月23日「『走るダイエット』で脂肪燃焼!ジョギングとランニングはここが違う」
https://www.dr-air.com/wellgood/article/diet-jogging-and-running/?srsltid=AfmBOoqRdREllatdrqugrCaw0j7VRs-iNw7olgGtn69HfzHEAOlG3qIt
楽天市場「ダイエットに効果的なランニングのコツは?走る時間や距離、頻度、速さを解説」
https://event.rakuten.co.jp/market/health/article/009/
デジタル大辞泉「燃費」
https://kotobank.jp/word/燃費-596034

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単位「ワット時」で示される数値は、平均の値でなく、積算の量

写真作者:Ryosuke Sekido

単位の「ワット時」はさほどなじみない単位ではないでしょうか。「時」が出てくる単位としてほかに「時速」があり、「平均時速100キロメートル」などと使いますが、「ワット時」の意味するところは、似ているようで異なります。単位「ワット時」で示される数値は、平均の値でなく、積算の量です。

電力量の単位のひとつが「ワット時」です。たとえば、「1ワット時」は、「1ワットの仕事率で1時間になされる仕事の量」のこと。では「ワット」とはなにかというと、電流の大きさと電圧をかけ算することで求めることのできる「電力」の単位です。

「ワット時」は、さほどなじみのない単位ですが、これを1000倍した「キロワット時」は、電力料金を決めるときの単位として使われています。

たとえば、冷房を使うとき、使われる電力は小さい場合、500ワットといいます。この電力による冷房を1時間、使おうとするとき、「500ワット × 1時間 = 500ワット時」つまり「0.5キロワット時」が使われることとなります。

では、この500ワットの電力の冷房を2時間にわたり使いたいというとき、電力量を単位「キロワット時」を使って表すとどうなるか。答えは「1キロワット時」となります。「500ワット × 2時間 = 1000ワット時 = 1キロワット時」というわけです。

おなじように、500ワットの電力の冷房を4時間にわたり使いたいときは「2キロワット時」となります。8時間にわたり使いたいときは「4キロワット時」となります。

「時」の文字が使われる単位に、「時速」があります。たとえば、「平均時速100キロメートルで走りつづければ、東京から名古屋まで3時間強で着く」のように使います。

時速の単位「時速何キロメートル」のほうは、「1分ごととか一定時間ごとに切りきざめば速度は変わるだろうけれど、それらを均して1時間つづければ、この距離を進める」ということを意味する単位です。つまり、「時速何キロメートル」は、平均の値につける単位です。

いっぽう、単位「ワット時」のつく数値はというと、上の冷房の例にあるとおり、おなじワット数であるとき、時間が長くなればなるほど積みかさなっていきます。つまり、「何ワット時」は、積みかさねの値につける単位です。

「何キロワット時」をふくむ説明の1文と、「時速何キロメートル」を含む説明の1文を、むりやり対応させるとつぎのようになります。

「1ワットの電力を1時間にわたり維持したときの電力量が1ワット時」
「時速1キロメートルの速さを1時間にわたり維持したときの距離が1キロメートル」

つまり、「何ワット時」は、速さをめぐる話でいえば「何キロメートル」という距離をさすことになります。

「何ワット時」という単位のつく数値をわかりにくくさせているのは、「ワット時」の説明に「1時間あたり」という表現が使われることがあるからではないでしょうか。「1時間あたり」というと、「1時間につき」という意味になるので、「時速何キロメートル」とおなじように「均して1時間つづけた場合」のような意味あいにとられかねません。

参考資料
精選版日本国語大辞典「ワット時」
https://kotobank.jp/word/わつと時-3221133
蓄電池バンク「アンペア(A)・ボルト(V)・ワット(W)の違いについて教えて下さい。」
https://batterybank.jp/question/other/difference1.php#google_vignette
お得電力ナビ「2026年最新 電気代のワット数とは? 1分でわかる計算式と世帯・家電別の平均額・効果的な節約術を解説」
https://otoku-denryoku.com/media/electricity-bill-wattage/
reddit「5歳児にもわかるように説明:ワットとワット時。」
https://www.reddit.com/r/explainlikeimfive/comments/1dxfr8z/eli5_watt_vs_watthour/?tl=ja
東大・岩船由美子研究室 2011年「緊急節電 100Wって?;ワットとワットアワー」
https://www.iwafunelab.iis.u-tokyo.ac.jp/kinkyusetsuden/watt.html
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「ようこそ」は「よくこそ」由来ながら、「デニーズへよくこそ」では違和感


写真作者:Phil Kates

相手の訪問などを歓迎する「ようこそ」は、「よくこそ」の転じたもの。21世紀のいま「よくこそ」を使うと、違和感を覚えられそうです。

「ようこそ」と聞いて、なにを思いうかべるでしょうか。たとえば、「いらっしゃいませ、デニーズへようこそ」という店員のあいさつは、客にとって印象ぶかいもの。「ようこそ」が効いているのでしょう。

「ようこそ」は21世紀のいま、この4文字で副詞または感動詞として使われます。由来はというと、「よく」と「こそ」が連なった「よくこそ」にさかのぼれるといいます。

けれども、「よくこそ」に違和感を覚えるかもしれません。いっぽう、いまも「よくぞ言ってくれた」のように使う「よくぞ」には違和感を覚えません。「こそ」も「ぞ」も、前の語を強調するための係助詞。「よくぞ」があるのだから、「よくこそ」があってもおかしくなかっただろうと考えると、すこしは「よくこそ」がしっくりくるのではないでしょうか。

ただし、いまの時代、かつて使われていたからと「よくこそ」を使うと、聞かれた相手に違和感を覚えられそうです。

店員「いらっしゃいませ、デニーズへよくこそ」
お客「……。はぁ……」

店長「ちょっとちょっと。いま聞いてたけど、よくこそってなんだい。いらっしゃいませ、デニーズへようこそ、でしょうに」
店員「もちろんです。私はその原点に立ちかえり原型のあいさつを使っているのです」
店長「だめだこりゃ……」

このようになるのではないでしょうか。

また、国語辞典には「ようこそ」の言いかえ語に「よくぞ」とあるので、だからと「よくぞ」を使うと、やはり違和感を覚えられそうです。

店員「いらっしゃいませ、デニーズへよくぞ」
お客「……むむ。よく、ぞ……ですと」

店長「おいおいおい、きみ。今度は、よくぞってなんだよ。お客さまに失礼でしょうに」
店員「よくこそがだめと言われたので、言いかえ語である、よくぞを使うことにしたまでのことです」
店長「くびだこりゃ……」

非常になんといいましょうか。言語や古文に対する興味があるあまり、それを日常生活の場で表現してしまい、意思疎通不全に陥ってしまっている「痛そうな」人物に感じられそうです。

それほど、「ようこそ」は、独自の歩みをたどり、ほかの言いかえが効かないことばになったわけです。「ようこそ」のあと、なにもつづけなくても、敬意が伝わるという点で、このことばは感動詞としての度が高いといえます。

参考資料
精選版日本国語大辞典「ようこそ」
https://kotobank.jp/word/ようこそ-652945
毎日のんびり日本語教師 2022年8月31日「『ようこそ』の語源は何?」
https://mainichi-nonbiri.com/qa/qa54/
WEB国語教室 2025年8月18日「第11回『ぞ』『なむ』『こそ』の違い――紫式部にファンレターを書こう⑧」
https://www.taishukan.co.jp/kokugo/media/blog/?act=detail&id=568
デニーズジャパン「デニーズのここに注目!」
https://www.dennys.jp/anniversary/quality/amazing/

| - | 23:59 | comments(0) | -
「霊夢と魔理沙」による定型「ゆっくり解説系」が霞んでゆく


2026年になってから、ユーチューブの動画サムネイル表示で、「ゆっくり霊夢」と「ゆっくり魔理沙」とよばれるキャラクターたちが案内役として登場する「ゆっくり解説系」の動画があまり出てこなくなりました。背景には、ユーチューブ運営側が「量産型」動画を規制するようになった事情があるといいます。「霊夢」と「魔理沙」による「ゆっくり解説」を「量産型」と思っていなかったユーチューブ視聴者は多くいたことでしょう。

「ゆっくり解説系」は、案内役のキャラクターたちが登場して会話を展開し、特定の主題や題材を解説する動画を総称したもの。動画編集ソフトウェア「ゆっくり MovieMaker」によりつくられたものが多くありました。そして、そこでは定型として「ゆっくり霊夢」と「ゆっくり魔理沙」とよばれるキャラクターが登場していました。

しかしながら、2026年になり、すくなくとも「霊夢」と「魔理沙」が登場して展開する「ゆっくり解説」系の動画は、あまり新しくつくられていないようです。たとえば、鉄道や交通の話題を解説する「ゆっくり鉄道博物館」では、2026年3月ごろから、「霊夢」と「魔理沙」を登場させないかたちの動画のみを掲載しています。

2026年2月14日の「新音声 ゆっくり鉄道博物館の過去動画と今後について大切なお知らせ」という動画では、この変更には「大人の事情ってやつ」が関係しており、「量産型と判断されないようオリジナリティを高めないと生き残れないようだ」などと説明しています。

「ゆっくり霊夢」と「ゆっくり魔理沙」を登場させる定型の「ゆっくり系動画」がつくられなくなった背景に、ユーチューブ運営側の「収益化ポリシー」の変更があるようです。「繰りかえしの多いコンテンツ」を収益化対象から外していましたが、2025年7月に、対象を「量産型コンテンツ」に変更したといいます。

この変更により、「霊夢」と「魔理沙」が登場して合成音声で解説するような定型の「ゆっくり解説系」は、「量産型コンテンツ」とみなされるようになったもよう。

「ゆっくり解説系」をふくめ、ユーチューブ動画を投稿する人たちには、「動画を投稿して収益化する」ことをねらっていたことでしょう。「霊夢」と「魔理沙」にしゃべらせる定型の「ゆっくり解説系」では収益化できないとなれば、「量産型コンテンツ」と見なされない動画をつくっていかなければなりません。

量産型かどうかを判断する手だては、ほぼ自動的なしくみによるといいます。これまでの、定型が用いられている「ゆっくり解説系」は、有無をいわさず収益化対象から外されてしまったおそれがあります。

ユーチューブ視聴者、とくに日本の視聴者の多くは、「霊夢」と「魔理沙」が登場して解説してくれる「ゆっくり解説系」に慣れしたしんできました。「霊夢」と「魔理沙」の解説だから見ると、むしろ信頼感を抱いていた視聴者も多かったのではないでしょうか。

こうした視聴者にとっての「価値」を考慮しないまま、ユーチューブ運営側は「価値のあるコンテンツをつくってください」と言っているみたいです。

このたびの「収益化ポリシー」の変更は、定型を使いつつ独自内容の動画づくりに挑戦するといった、新規参入者を拒むものといえます。「ゆっくり霊夢」と「ゆっくり魔理沙」が登場して、新たな話題を解説する動画は、今後ほぼ現れないのでしょうか。

参考資料
YouTubeヘルプ 2025年7月15日「YouTube のチャンネル収益化ポリシー」
https://support.google.com/youtube/answer/1311392​
フライデー 2026年3月7日「YouTube界に激震! 「量産型」規制で収益化停止が続出…収益を復活する“裏技”とは」
https://friday.kodansha.co.jp/article/460273
ゆっくり鉄道博物館 2026年2月14日「新音声 ゆっくり鉄道博物館の過去動画と今後について大切なお知らせ」
https://www.youtube.com/watch?v=5H427CcseUA
| - | 18:18 | comments(0) | -
ゆで時間「7〜9分」的な表示こそ親切では

写真作者:Vassilis

スパゲッティの乾麺の袋に「ゆで時間」の目安が記されています。かたや、スパゲッティ料理の調理書の多くで、「標準ゆで時間の1分前にゆでるのを止める」とあります。ゆで時間の目安が「7〜9分」のように記されているのは、消費者に親切な伝えかたかもしれません。

たいていの調理書で、「標準ゆで時間の1分前にゆでるのを止める」とあるのは、その後、べつのフライパンでつくっておいたソースに麺をからめる時間をもつからでしょう。からめる時間は30秒ほどでしょうか。すると、できあがるとき、ほどよい麺のかたさになっているというわけです。

しかし、そうであれば、乾麺の袋に、たとえば「ゆで時間9分」でなく「ゆで時間8分」と記されているほうが、二重基準とならずよさそうなものです。

そうなっていないのは、すでに「標準ゆで時間の1分前にゆでるのを止める」という調理法に消費者が慣れてきっているからでしょう。「ゆで時間9分」と記してある乾麺に、いまから「ゆで時間8分」と記されたら、消費者は、調理書の指示に合わせて、それより1分ほど短い7分でゆで上げてしまうおそれがあります。「もともと9分。理想は8分。調理書に沿えば7分」となり、「なにを信じればよいのか」となりかねません。

その点、製品によっては「ゆで時間の目安7〜9分」のように、範囲をとって記されているものがあります。これであれば、中心は8分と察しがつきます。そして、調理書に「標準ゆで時間の1分前にゆでるのを止める」とあれば、「7分を過ぎたらそろそろ火をとめて湯を切ろう」となります。

消費者に親切な伝えかたといえそうです。

しかし、このように範囲をとってゆで時間の目安を伝える乾麺製造業者はさほど多くありません。たいてい、「7分」とか「9分」とか、決まった時間をひとつだけ記しています。このほうが伝わるので消費者に受けいれられやすいといった効用を見いだしているからなのか……。

日本の百科事典には、「理想的なゆであがりの状態をアルデンテという」と明記しているものもあります。「アルデンテ」(al dente)とは、イタリア語で「歯にまで」の意味で、歯ごたえを残す調理法をさします。これを、執筆者は「理想的なゆであがり」と記しているわけです。本場イタリアの人たちは、さほどアルデンテにこだわっておらず、日本人を不思議に思っているという話はあります。

参考資料
日本大百科全書「スパゲッティ」
https://kotobank.jp/word/すぱげつてい-3156550
Live Japan Perfect Guide 2021年1月30日「イタリア人が「ホントに!?」とショックを受けた日本のパスタ事情」
https://livejapan.com/ja/in-tokyo/in-pref-tokyo/in-tokyo_train_station/article-a0003441/
| - | 14:35 | comments(0) | -
視線を点としてでなく三次元で捉える――立体視への挑戦(13)
これまでの「立体視への挑戦」はこちら。

「アラビア哲学の創始者」にして「本当のアラビア人哲学者」と評されたアル=キンディ(796ごろ〜873)は、博学的な知識を数多くの著書にまとめあげるなか、「ものの見えかた」についての著作ものこしました。キンディの示した「ものの見えかた」は、先人ユークリッド(紀元前300ごろ)らの記述とちがって、三次元的な考えをとり入れたものでした。

キンディの著した「ものの見えかた」をめぐる著書のひとつに、『ユークリッドの「光学」と称される書において彼に帰される誤謬と難点の修正』があります。この著書の名からわかるとおり、キンディは先人が論じた「ものの見えかた」について、誤っていると思ったところの修正を試みました。「ものの見えかた」をめぐるキンディの著書にはほかに、『視覚論』と略されることのある『視覚の多様性の原因およびその幾何学的証明をあたえることについて』など複数があります。

キンディは、先人のユークリッドが示していた「ものの見えかた」のどこに誤謬があると考えたかというと、一次元的なものの見えかたの記述に対してです。つぎのように、ユークリッドの論を、否定的に批判しました。

ユークリッドの著書『光学』の命題1は、「見られるもののどれ1つとして、その全体は同時に見えない」というものでした。ユークリッドの示した図をあらためて掲げます。


ユークリッド『光学』命題1

ユークリッドは、眼を点Bとすると、視線の対象としてADは「同時には見えないであろう」と考えました。なぜなら、眼の点Bがたとえば点Gを見ているとき、視点は、ほかのところ、たとえば点A、点K、点Dには行っていないからです。

これに対し、キンディは、ユークリッドの考えは、一次元つまり「線」の考えにもとづいた誤ったものであり、ほんとうは眼の視線を三次元で考えなければならないとしました。キンディはその理由を理論的に示しています。

まず、視線というものは三次元の物体によって遮られるのだから、視線そのものも三次元でなければおかしいという理由です。また、視線が「点G」や「点K」に行ったなどというが、そもそも「点」とは、長さ、深さ、幅をもたないものなのだから、点を視ることはできないだろうに、という理由も掲げました。

そしてキンディは、ものが見えることの源となる「眼」のつくりについても、ユークリッドが示したような単なる一点としてでなく、三次元的な眼球として捉え、それにより「ものの見えかた」を独自に説明しました。つぎのようにです。

キンディは、『視覚論』で、命題14として下の図を掲げています。


アル=キンディ『視覚論』命題14

内側の円は、まさに眼球の断面であり、円弧ABGは瞳の表面です。このうち、たとえばBの部分から発する視線は、Bの接線にあたるEからZまで、つまり外側の円のうちEからILTを経てZまでに及ぶとキンディは考えました。

ただし、視線はBから発するものだけではありません。Aも瞳の端っことはいえ瞳の範囲内ですから、Aから発する視線も同時に存在することになります。その視線の及ぶ範囲は、Aの接線にあたるHからTまで、つまりHからEILを経てTまでとなるわけです。

おなじように、Gも瞳の端っことはいえ瞳の範囲内ですから、Gから発する視線も同時に存在することになります。その視線の及ぶ範囲は、Gの接線であるIからKまで、つまりIからLTZを経てKまでとなるわけです。

このようにして、瞳は同時に、Bの視線でのEからZまでと、Aの視線でのHからTまでと、Gの視線でのIからKまでに、いずれも視線を届かせていることになります。そして、キンディがためしに挙げたこれら三つの視線についてだけ考えれば、視線を届かせている範囲として三つ重複しているところが、ILTとなります。

キンディは、視線を届かせている範囲が重なっているところほど、鮮明な視覚が生じると考えました。ろうそくが2本あるほうが1本よりもおなじ場所をよく照らすのとおなじことだと考えたのです。この考えからすると、上の図でもっとも鮮明に見えているのは、ILTの部分となります。

なお、あくまで理屈を説明するために、キンディは 瞳から視線が始まるところとして、円弧ABGのB・A・G三点のみを取りあげたにすぎません。実際は、AB間やBG間の連続した無数の点も視線がはじまるところであるはずです。円弧ABGの連続した無数の点からの視線を考えると、もっとも視線を届かせている範囲として重複するのは、Lということになります。

こうしてキンディは、先人のユークリッドらが唱えた「点」で捉える「ものの見えかた」を否定し、三次元の概念をとり入れた「ものの見えかた」を唱えたのでした。人間の視学の歩みにおける革新的な業績といってよいでしょう。

キンディは、アッバース朝の第7代カリフだったアル=マームーン、それに第8代カリフだったアル=マウタスィムから好遇を受け、まさに「アラビア哲学の創始者」という後世の名声にふさわしい知の歩みを果たしました。

しかしながら、第10代カリフのアル=ムタワッキル(822-861)が847年から治世を始めると、一変、キンディは不遇のなかで過ごすことになります。第7代マームーンが公認し、キンディが密接なかかわりをもっていたイスラム神学の先駆的一派「ムアタジラ派」が、ムタワッキルによって異端と見なされたからです。

873年ごろ、キンディはバグダッドで独りさびしく没したといいます。アラビア哲学の知の巨星はここに堕ちたのです。しかし、キンディのうち立てた「ものの見えかた」の考えかたは、およそ200年後「光学の父」と称されることとなった人物に影響をあたえることとなります。つづく。

参考資料
David C. Lindberg “Alkindi's Critique of Euclid's Theory of Vision”
https://www.jstor.org/stable/229818
斎藤憲・高橋憲一共著『エウクレイデス全集 第4巻』
https://www.amazon.co.jp/dp/4130653040
黒田寿郎『イスラーム辞典』
https://dl.ndl.go.jp/pid/12185212/1/185
改訂新版 世界大百科事典「ムータジラ派」
https://kotobank.jp/word/むーたじら派-3187793
| - | 19:40 | comments(0) | -
地元のインフラ貢献者を表彰する「賞」第2回の推薦、2026年4月末まで


地元のインフラストラクチャーを守る貢献者を表彰する「KOSEN-REIM西川和廣賞」第2回の候補者推薦を、主催者の高専インフラメンテナンス人材育成推進機構が(2026年)4月末まで募っています。

この賞は、インフラストラクチャーの維持管理に奮闘する貢献者を顕彰し、維持管理の重要性に光をあて、インフラストラクチャー長寿命化社会への変革をめざすことが重要と考えた同機構が2025年に創設したもの。

賞のよび名にある「KOSEN-REIM」とは、同機構の英語名“KOSEN-Recurrent Education of Infrastructure Maintenance”を略したもの。うち、“KOSEN”は、高等専門学校のことです。

また、西川和廣(1953-)は、橋梁工学者で同機構の理事長。2020年代のいま、道路橋をはじめとするインフラストラクチャーの老朽化はよく知られるところになりましたが、西川は1994年に論文「道路橋の寿命と維持管理」を発表し、高度経済成長時代に整備された道路橋が将来に寿命を迎え、更新が追いつかなくなることについていち早く警鐘を鳴らしました。いまの国土交通省にあたる建設省に1978年、入省し、土木研究所構造橋梁部橋梁研究室長などをつとめてきました。

同機構は賞に三つの部門を設けています。

「予防保全部門」は、社会インフラストラクチャーの劣化・崩壊などを未然に防ぐことに貢献した個人もしくは団体に授与するもの。

「技術開発部門」は、地域ニーズに合致した社会インフラストラクチャーの長寿命化に資する設計・施工・維持管理に関する技術・工法・発注形態などを実装した個人もしくは団体に授与するもの。

「人材育成部門」は、持続的な社会インフラストラクチャーの建設・維持・管理を可能とするための人材育成・人材開拓・市民啓蒙などの活動を実施した個人もしくは団体に授与するもの。

ちなみに、第1回では、「予防保全部門」で、櫂舟歩道という企業がタブレット点検で健全度判定IVを発見した事例により、また、新潟市土木部土木総務課がタブレット橋梁点検システム導入によるコスト縮減と担い手確保により、それぞれ受賞しています「技術開発部門」では、福井県工業技術センター建設技術研究部の林泰正がメンテナンス性に優れた伸縮装置の開発により、また「人材育成部門」では、CATS-B(橋守隊)という任意団体が協働によるインフラメンテナンス活動の実践と担い手候補の発掘により、それぞれ受賞しています。

第2回の受賞候補者推薦の受けつけは4月末日まで。推薦の形式は、自薦もしくは同機構の会員、理事、顧問、パートナー技術者による推薦となります。賞の理由となる活動などは、2025年以降のものにかぎらず、過去にさかのぼれるとのこと。推薦を受けた人のなかから、同機構の選考委員会が各部門の受賞者を決定します。

受賞者は、同機構が7月に開催する予定の催しものにて表彰を受けます。また、記念の盾が贈呈されます。

各地のインフラストラクチャーの維持に貢献する人の役割は、今後ますます重要となっていくことでしょう。日ごろはあまり目立たないものの、重要な役割を果たしている貢献者たちに光をあてる賞といえます。

高専インフラメンテナンス人材育成推進機構による「第2回 KOSEN-REIM 西川和廣賞 候補者募集」の案内はこちらです。実施要領を見たり、推薦書をダウンロードしたりすることができます。
https://www.kosen-reim.or.jp/bosyu_kazuhiro_nishikawa_award_2026/
| - | 19:49 | comments(0) | -
生体模倣系は明確な利用文脈のもと開発される

画像作者:National Center for Advancing Translational Sciences

医薬品などの研究開発では、ヒトのからだを模した「微小生体」のしくみが使われることがあります。このしくみが使われるとき、専門用語で「利用文脈」と訳される要件と合っていることが求められます。

医薬品候補の効き目や安全性を確かめるとき、ヒトを対象とするより前の段階で、動物を使うなどしてきました。しかしながら、動物を使うことには、ヒトのからだの環境とかならずしも合っていない点や、生命を奪うことになる点などの課題がありました。

そこで、医薬品開発企業などは、動物を使うかわりに、ヒトの細胞を培養して体外で器官のやくわりをする系をつくり、試験に使いはじめました。2010年代の米国で、その動きが本格化していきます。

この系を、日本語では「生体模倣系」といいます。英語で、“Microphysiological System”とよばれているので、これを直訳すれば「微小生体系」となりますが、日本では「生体模倣」の熟語が使われています。

よく似たことばに「生物模倣技術」があります。生物模倣技術のほうは、壁にひっつくヤモリの足裏を模倣して開発した「ヤモリテープ」のように、おもにヒト以外の生きものの能力を、ヒトの生活に役立てようとするもの。いっぽう、生体模倣系は、ヒトのからだに似たしくみを、ヒトのからだの外側で人工的につくったものといえます。

生体模倣系の例にひとつに、オルガノイドがあります。ばらばらの細胞から、臓器や器官を模して再構成された組織のことで、「微小臓器」などとよばれたりします。このブログの2019年8月26日の記事「細胞から臓器や器官を模した立体物をつくる」で、オルガノイドは、研究者たちが願っていた三次元での臓器・器官の模倣を実現させていることを伝えました。すでに多くの臓器・器官のオルガノイドが実用化されています。

オルガノイドのほか、液体を灌流させることのできる腸管上皮や腎尿細管を模した流路や、複数の臓器模倣物を連結させられる基板などが、生体模倣系製品として研究開発されています。

生体模倣系を開発するにあたり、明確化しておくべきこととして「利用文脈」(CoU:Context of Use)があります。どのような用途で、どのような適用範囲で、どのような方法で使うかなどの要件を、利用文脈といいます。医療にかぎらず、モノづくりではどのような製品をつくるにしても用途や目的などの想定はあるでしょうが、生体模倣系の開発では用途や目的を「利用文脈」として明文化するわけです。

生体模倣系の世界市場規模は、2023年の時点で1億892万ドルだったといいます。2030年にはおよそ6.5倍の7億619万ドルに達すると予測されています。動物などに代わり、医薬品開発における実験系の主流になる可能性があります。

参考資料
科学技術振興機構 研究開発戦略センター「戦略プロポーザル バイオテクノロジーと材料・デバイス技術による細胞の集団的適応性の制御・設計」
https://www.jst.go.jp/crds/pdf/2024/SP/CRDS-FY2024-SP-02.pdf
日本学術会議 2023年9月26日「革新的医療製品の評価技術を迅速に適格性認定するための5つの提言」
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-25-t353-1.pdf
肝細胞研究会「研究交流 Microphysiological System(生体模倣システム)の開発」
https://hepato.umin.jp/kouryu/kouryu48.html
毎日新聞 2025年10月6日「薬の開発で動物実験は減らせるか? 進む培養細胞やAIの導入」
https://mainichi.jp/articles/20251003/k00/00m/040/053000c
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「本当のアラビア人哲学者」、ものの見えかたでも古人の欠陥の埋めあわせ――立体視への挑戦(12)
「立体視への挑戦」の連載はこちら。

ギリシャの数学者ユークリッド(紀元前300ごろ)や、後世の天文学者クラウディオス・プトレマイオス(2世紀ごろ)らが示した「ものの見えかた」の理論は、さらに後世、アラビア語に翻訳され、アラビア哲学で大いなる貢献をした人物たちの研究の対象となりました。

「アラビア哲学の創始者」にして「本当のアラビア人哲学者」と評される人物が、アル=キンディ(796ごろ〜873)です。


アル=キンディ。イラクの切手より
元画像作者:Iraqi Post

キンディは、いまのイラク南東の河港都市にあたるバスラで生まれ、少年時代を過ごしました。その後、いまのイラクの首都にあたるバグダッドに赴き、イスラム王朝として西アジアを支配し、最盛期を迎えていたアッバース朝の宮廷に仕えました。治世をしていた第7代カリフのアル=マームーン、それに第8代カリフのアル=マウタスィムから好遇を受け、唯一無二の存在となります。「本当のアラビア人哲学者」と評されたのは、その後のアラビア哲学の代表的人物の多くがペルシャ人であるなか、キンディにかぎっては生粋のアラビア人だからです。

キンディは、「哲学者」についての信念をもっていました。それは、哲学者は、経験界のあらゆる存在の本質を究めることなしに、経験界の源となる必然的存在を知ることはできないというものです。つまり、あらゆる分野における知識がなければ、哲学者にはなれないといった信念です。これを実行すべく、キンディは歴史・地理から、数学・医学、雄弁術に至るまで、じつに幅広い学問に通じていたといわれます。

占星術もキンディの研究領域でした。この分野の代表的な著書『四十章』では、占星術の対象となる細かいできごとにまで言及しています。たとえば、「窃盗について」という章では、月または上昇星座の支配星が「シグニフィケーター」つまり占われし者の象徴にあたるとき、失われたものをとり戻すことができるなどと述べています。また「競馬について」という章では、ウマの毛色と太陽系の天体の色を重ねあわせ、「太陽はもっとも輝く白か輝くブロンド。金星は美しく多様な模様」などと述べるほか、「シグニフィケーター」が東方に位置すればウマは若く、西方に位置すれば老いているなどと述べています。

当然のように著作は多産となりました。バグダッドで10世紀末につくられた図書目録『フィフリスト』によると、キンディの著書は256冊のぼります。分野別では音楽8冊、天文学23冊、占星術24冊、幾何学26冊、医学23冊、心理学5冊、政治学6冊、論弁術17冊、気象学14冊、そして「ものの見えかた」とかかわる光学の分野では10冊を著すなどしています。

キンディは哲学を、「人間の能力の限界内において可能であるかぎり事物を真にそのあるがままに認識すること」と定義しました。そして、その方法として、「古人がある主題について言ったことがあれば、それを詳細に調査する。次に彼らが十分に確立できなかった不完全な個所について思いをひそめ、それらの欠陥を埋めていく」としました。

こうした哲学の方法を、キンディは、ユークリッドやプトレマイオスら「古人」が論じた「ものの見えかた」にも当てはめていきました。この連載の第7回でとりあげた、「ものの見えかた」をめぐる「流出説」と「流入説」の議論では、キンディはユークリッドとおなじ「流出説」の立場をとりました。しかしながら、ユークリッドが示した「ものの見えかた」には「欠陥」があるとし、それを埋めていく論述をしていったのです。つづく。

参考資料
井筒俊彦『井筒俊彦著作集5(イスラーム哲学)』
https://dl.ndl.go.jp/pid/13274428/1/95
黒田寿郎『イスラーム辞典』
https://dl.ndl.go.jp/pid/12185212/1/185
Benjamin N. Dykes “The Forty Chapters of Al-Kindī”
https://www.scribd.com/document/751998816/Dokumen-tips-Al-Kindi-Forty-Chapters-Ben-Dykespdf
ウィキペディア「フィフリスト」
https://ja.wikipedia.org/wiki/フィフリスト
斎藤憲・高橋憲一共著『エウクレイデス全集 第4巻』
https://www.amazon.co.jp/dp/4130653040
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「元の生活」への踏んぎり、強制的な活動が好機かも

写真作者:Scott Robinson

風邪からの病みあがりでは、「いつから元の生活のかたちに戻るか」が課題ではないでしょうか。なかば強制力のある活動への復帰は、元の生活のかたちに戻る好機のひとつかもしれません。

風邪を引くと、しばらくの日々、「風邪下での生活のかたち」になってしまうものです。仕事や家事、趣味の日課を休んだり、風呂に入るのを控えて、床に伏せて過ごすことに。

その原因は、からだの不調にあるでしょう。鼻水やせきや発熱がともない、なんともいえない気だるさを感じます。そうしたなかで風邪を引くまえの生活のかたちを保つのはたいへんなこと。こうしたことから、風邪下での生活のかたちに入ってしまうわけです。

たいてい何日か経てば、高熱がおさまるなどして、快方に向かっていることを感じるものです。悪寒が減ったり、すこしずつ食欲が戻ってきたり。

すると、「いつから元の生活のかたちに戻るか」が課題となってきます。

「風邪を引いている」から「風邪から治った」になるのは、「1」から「0」になるような離散的なものではありません。「病みあがり」とよばれる、途中の状態を迎えます。元の生活のかたちに戻ろうとすれば、戻れるかもしれないが、まだ鼻水は出ているし、頭はぼうっとしている。いつ床から出て、ふだんの生活に戻るか。

こうしたとき、なかば強制力のある活動に復帰することは、踏んぎりをつけられるため、元の生活のかたちに戻る好機のひとつではないでしょうか。たとえば、約束していた会合に出席するとか、締めきり日の仕事にのぞむとかいったものです。もちろん、人と会う場合は、マスクをつけるなどの配慮を要しますが。

はじめはむりやりでも、人と話したり、仕事に打ちこんだりしていれば、自然と元の生活の感覚を強められるものです。そして、その活動を終えるころ、すくなくとも「元の生活」優位になっているのではないでしょうか。

ほかに、元の生活のかたちに戻る手として、「風呂に入る」「軽くからだを動かす」「外出する」などがあるでしょう。いずれも、自律神経の復調といったからだの調子の回復につながるのかもしれません。

人それぞれ、元の生活のかたちへの戻りかたがあるかもしれません。意外と人によって方法は異なるものかもしれません。
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「だれだれに気どられる」でもおかしくなさそうだが……
「だれだれを気どる」は、「だれだれ」のことに心酔し、気を奪われているのだから、「だれだれに気どられる」であっておかしくなさそうです。しかし、「だれだれのようすをみずからのものにする」という意味だと捉えれば、「だれだれを気どる」でおかしくないのかもしれません。


写真作者:Midnight Believer

作家の夏目漱石(1867-1916)は、「ハイカラ」ということばをつぎのように説きました。

「高襟者流西洋風を気取って新しがる者をハイカラ (high collar の訛り)と呼んだので、その直訳語を用い、ハイカラ式の意を言う」

「だれだれを気どる」というとき、「そのものになった気で、それらしい振るまいをする」ことをさします。「秀才を気どる」とか「芸術家を気どる」とかもいいます。つまり、自分はそうなれていないのに、西洋風の人とか秀才とか芸術家とかになったふりをしているわけです。

本人からすると、きっと内心、必死です。その人に憧れて、その人のように振るまわなければならないのだから、その人のことを気になってしかたないでしょう。

そうとなると、「その人を気どる」というより、「その人に気どられる」というほうが正しいように捉えられます。つまり、いいかえれば「その人に心うばわれる」ということです。

しかし、現実の日本語ではそうなっていません。「その人に気どられる」でなく「その人を気どる」です。そうなると、「気どる」にべつの解釈があると考えるしかありません。

21世紀のいまにも通じるところはありますが、かつて「気」には「ようす」といった意味がありました。「気」を「ようす」とすれば、「気どる」は「ようすをみずからのものにする」となります。

「気どる」は「ようすをものにする」だと考えれば、「西洋風を気どる」は「西洋風のようすをみずからのものにする」となります。つまり、これでいいのだ、となります。

しかしながら、「彼は芸術家に気をとられ芸術家を気どっている」といった文は、もちろん成りたつことになります。

なお、「Yahoo!知恵袋」に、「気障な態度を取ることを一言で『気取る』と言うようになったのでは」という言説が見られます。「気色が悪い」を「きしょい」といったり、「挙動不審な態度をとる」を「きょどる」といったりする例があるので、この言説をあながち否定できません。

一般的に、だれかを気どるということは、まわりの人からあまりよく見られません。それは、「その当人みたいになれずにいるのに、なろうとしているなんて、むしろ格好わるい」という意識がまわりの人にはたらくからでしょう。とはいえ、「かたちから入ることも大切」といわれたりもします。

参考資料
夏目漱石『漱石全集 第9巻(文学論)』
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000039-I12543680
学研全訳古語辞典「気」
https://kobun.weblio.jp/content/気
言葉の意味辞典「『気取る』とは? 2つの読み方と意味の違いを徹底解説」
https://word-dictionary.jp/posts/4476/
Yahoo!知恵袋 2015年2月9日「『気取る』の由来を教えてください。」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12141761032
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昭和の小学生の「野球うちきり」、理由は失球、日没、上級生到来


とくに昭和時代に小学生男子だった人たちのなかには、学校の放課後に公園や空き地で「野球」をしていた人もいたでしょう。しかし、決まって諸事情により9回や7回での勝敗はつかず、途中で「うちきり」となりました。

『ドラえもん』で、剛田武や野比のび太らジャイアンズが空き地で野球をしたり、『サザエさん』で、磯野カツオが中島に「おい磯野、野球やろうぜ」と誘われたりする日常が、まさに昭和の時代にありました。硬式球や軟式球を使わず、化学樹脂製の球を素手で扱った男子たちもいたでしょう。

9人対9人の人数が揃うべくもなく、「打席待ちが審判」や「透明走者」といったしくみを共通規則とした男子も多かったのではないでしょうか。小学生男子たちの創意工夫です。

しかし、プロ野球や少年野球で9回ないし7回まで進んで勝負が決するのとちがい、決まって途中で勝負は「うちきり」となるものでした。

「うちきり」の理由は三つぐらいあったでしょうか。

まず、「持ってきた球がなくなる」というもの。打者が打った球が民家に入って見失われたり、木の高いところに引っかかって落ちてこなくなったりして、ついにあきらめます。予備の球を1、2個、用意していればよかったのでしょうけれど、小学生たちの予算はかぎられていたのかもしれません。

つぎに、これはプロ野球や少年野球でもたまにありますが、「日没となる」という理由もありました。球は化学樹脂製のため鮮やかな色ながら、暗くなるとさすがに見えません。なかには、蛍光色素を内部に入れることで光らせられる球を使ったという人もいるでしょうか。しかし、それでも、暗闇で受ける球は異なる軌道に感じられ、やはり野球になりません。「おれ、もうそろそろ帰る」とだれかが言いだすと、「おれも」「おれも」となって「うちきり」に。

そして、もっとも後味の悪い「うちきり」の理由として、「上級生たちがやってきて場所を占拠しにかかる」というものがありました。「学年が上のほうがえらい」という不文律があったのでしょう。たまたま野球をやる予定がおなじ場所でかさなると、どんな状況でも「上級生優先」の暗黙的規則が発動されます。途中まで野球をしていても、です。これで、あきらめて「うちきり」とあいなります。地域によっては、「じゃあ、6年生と5年生で戦おうぜ」などと新展開を見せたところがあるかもしれませんが。

昭和の終盤は、ファミリーコンピュータの登場した時期。「公園での野球」という子ども文化が、徐々に、確実に、「家でのファミコン」に置きかえられていく時期でもありました。
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音階が低くなりすぎて歌えなくなる楽曲も


歌つきの楽曲では、曲の終わりあたりに低音がつづき、あまりに低すぎる音のためついに歌えなくなるものがあります。パレスチナ民謡「シャロームの歌」はそのひとつです。

楽曲には旋律がありますから、音が高くなったり低くなったりするもの。なかには聞かせどころで高くなって、歌えなくなる楽曲があります。スピッツの楽曲「ロビンソン」の「ルララ」の歌詞のところはその典型例です。

いっぽうで、逆に音が低めになっていき、ついに歌えなくなる楽曲もあるものです。

その典型例としてパレスチナ民謡の「シャロームの歌」があります。歌詞は「どこかで またいつか あえるさ またあおう またあおう どこかで」というもの。小学校の音楽の授業や林間学校で歌ったという人もいるのではないでしょうか。

「シャロームの歌」は二短調であり、楽譜によるともっとも低い音が出てくるのは、冒頭の「どこかで」の「ど」と、終末の「どこかで」の「ど」。音階としては「ラ」となります。「ラ」といっても、よく歌われる「ラ」でなく、ひとまわり低い「ラ」です。

ソプラノ歌手よろしく始めから高音の「ラ」で歌いだせば問題ありません。しかしながら、高音を出すのが苦手だからと、ひとまわり低い「ラ」で始めてしまうとたいへんなことになります。

冒頭のほうの最低音については、歌いはじめですし、だましだまし「…こかーで まーたいつか」のように歌えば、どうにかつくろえます。

けれども、終末のほうの最低音については、歌の締めくくりにあたるため、はっきり歌いあげて聞かせたいもの。冒頭とちがってつくろえません。加えて終末の「ど」のあとの「こかで」も、それぞれ「レ」「ファ」「レ」と低音です。この終末の「どこかで」で、ついに低音すぎて音階どおりに声を出せなくなり、ちょっと高めに外れた音階で、お経を読むように「どぉこぉーかぁーでぇ……」と声を絞りだす人のなんと多いことか……。

そうしたなか、「シャロームの歌」を、ひとまわり低い「ラ」で歌いはじめることに挑んでいる人物がいます。男性重唱団ダークダックスのベース担当だった遠山一(1930-2023)です。

ユーチューブでダークダックスの歌う「シャロームの歌」を聴くことができます。遠山は、終末の「どこかで」の部分にあたる、ヘブライ語の歌詞「シャロームシャロン」を、非常に小さな声になりながらも歌っているように聴こえます。低音の声から「ゾウさん」の異名をもつ遠山の真骨頂といえましょう。ただし、遠山の声でさえやや苦しそうに聞こえなくありません……。

素人がみんなで歌って楽しめればよいではないかということでいえば、あえて「シャロームの歌」をみんなひとまわり低い「ラ」で歌いはじめるのは一手かもしれません。最後のほうで、みんなで苦しそうに「どぉこぉーかぁーでぇ……」と歌いあって笑いあえば、それもまた楽しいでしょうから。

参考資料
うたごえサークルおけら「シャロームの歌」楽譜
https://bunbun.boo.jp/okera/saso/sharoumu.htm
ダークダックス - トピック「シャロームの歌」
https://www.youtube.com/watch?v=0Y_tA0ojITE
ウィキペディア「ダークダックス」
https://ja.wikipedia.org/wiki/ダークダックス
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書評『スノウ・クラッシュ』
邦訳書の初出版は1998年。初の文庫化は2001年。そして新版文庫化が2022年となります。

『スノウ・クラッシュ 上・下 新版』ニール・スティーヴンスン著、日暮雅通訳、ハヤカワ文庫、上巻438ページ・下巻462ページ、2022年


2021年から2022年に流行したインターネット上の仮想三次元空間「メタバース」の原型といえる世界を、作家ニール・スティーヴンスンは1990年代、サイエンスフィクション『スノウ・クラッシュ』で設定した。後世に開発される技術の原型を作家が小説で描くことはよくあるが、スティーヴンスンの“メタヴァース”はその典型といえる。そして重要なことに、現実世界のメタバースを2026年のいまなお、メタバース設定のしかたという点で凌駕している。

小説で、登場人物がパリから東京へなどと舞台の場所を行き来するのとおなじように、本書『スノウ・クラッシュ』では、主人公をはじめとする登場人物が、現実世界とメタバースを行き来する。世界が平準化し、米国がもはや音楽、映画、ソフトウェア、高速ピザ配達しか誇れなくなり、個人運営の私立国家が乱立する近未来、技術の産物としてメタバースが存在し、多くの人びとがその仮想世界で入って過ごしているという設定だ。

そもそも主人公のヒロ・プロタゴニストは、現実世界ではピザ配達人だが、仮想世界では有名なフリーランス・ハッカー。人間の化身の“アヴァター”どうしがメタヴァースで戦闘するときの規則についてのコードを最初に書いた実績をもつ。そのヒロが大きなできごとに巻きこまれていく。ウイルスともドラッグともいえる「スノウ・クラッシュ」を悪用して覇権を得ようとしている光ファーバー系独占企業の保有者L・ボブ・ライフの組織によって友人ハッカーDa5id・マイヤーの心身を侵されてしまった。調査に向かった元恋人ジャニータ・マーケスの身も危うい。仲間たちを助けるため、ライフの水上要塞<ラフト>に向かっていくのだった。

あえてあらすじをなぞれば上記のようになる。だが、物語は単純な勧善懲悪ものではない。登場人物の関係性、国家のあり方、技術の使用法などにおいてとても込みいった設定のものとなっている。たとえば、中心人物の女性はヒロの元恋人ジャニータでなく、ヒロの知人で企業が運営する「特急便屋」としてはたらく15歳の少女Y・Tである。この少女もライフの組織とべつのマフィアの組織にそれぞれスパイとして利用され、巻きこまれていく。

物語をまさに多層的にしているのが“メタヴァース”の登場だ。前半では、Da5idが経営する会員制の仮想バー<ブラック・サン>で、ヒロがアヴァターの男から「スノウ・クラッシュを試してみないか」と声をかけられ、スノウ・クラッシュを初めて認識するといった重要な場面が、メタヴァース内で展開される。

また、ヒロが、人工知能の「ライブラリアン」から、L・ボブ・ライフの野望に関連する古代シュメール文化の知識を得ていくのもメタバースにおいてだ。

さらに物語が進むにつれ、メタヴァースにおける登場人物たちの行動のとりかたは過激なものとなっていく。ヒロはライフの組織と現実世界で戦闘するなか、メタヴァースにおいて自動二輪車に乗りこみ、公園に集まった無数のアヴァターたちのスノー・クラッシュへの感染を防ぐため、3万2000キロメートルの距離を10分ほどで走破する。

さらに、メタヴァース内でライフの組織の重要人物レイヴンを追走した末に決闘をし、ついにレイヴンの首を斬りおとす。敵を絶命させることができたわけだが、これは仮想現実の世界においてのこと。現実世界ではレイヴンは生きていることとなる。

このように著者スティーヴンスンは、とくに物語の終盤にかけて、メタヴァースでの人びとの行動や状態を超現実的に描いている。これこそが、スティーヴンスンが、みずから設定したメタヴァースにおいて表現したかったことなのだろう。ただでさえ、近未来の時代設定のフィクションであるけれども、そこに輪をかけてメタヴァースを、現実世界と異なることがなされる空間として描いているわけだ。

小説から離れ、「現実世界での現実世界」では、人びとのあいだで一時的に流行したメタバースの熱気が一気に冷め、一部で「失敗」と評価されるに至っている。『スノウ・クラッシュ』で描かれていたほどの仮想世界を実現するには至っていないのだ。

小説と事実はしばしばくらべられる。小説でのメタヴァースと事実でのメタバースという比較では、スティーヴンスンの設計した前者が、いまなお後者を凌駕している。

『スノウ・クラッシュ』前編はこちらでどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4150123543/
後編はこちらになります。
https://www.amazon.co.jp/dp/4150123551/
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研究者にも「管理職への専念」決断する人あり


研究者の多くはおそらく研究を好んでいるでしょうから、みずからで研究の実務をいつまでも担いつづけたいと願うでしょう。しかしなかには、実務から身を引き、研究者集団の管理者に専念しようとする人もいます。

「研究の実務」とは、ここでは、手技を生かして実験をしたり、発掘現場に出むいて試料を採取したり、あるいは図書館を訪れて関連する論文を閲覧したりすることです。経験年数の浅い研究者は、なにより経験を積むことが大切ですから、当然ながら実務を多くこなしていきます。

その後、准教授や教授ぐらいの立場になると、徐々に実務から離れ、若手などの経験の浅い研究者たちを管理したり指導したりする仕事が増えていくのが通例のようです。会社づとめの人が課長や部長となり、部下を管理するはたらきを求められるのとにています。

なかには「自分は昇進してもみずからで研究をしたい」と思って、そうした役職に就く人はいます。よく知られた例では、2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一(1959-)の意向があります。受賞から半年ほど、ようやく騒ぎがしずまってきたころ、田中はそれまでの「普通の生活」をとり戻す決意をし、現場の技術者を貫く姿勢を示しました。役職的には、所属する島津製作所から「田中耕一記念質量分析研究所所長」を用意されて就任しましたが、心は管理者でなく一技術者に寄っていたようです。

いっぽうで、みずからで実験をすることを、きっぱりやめた研究者もいます。たとえば、睡眠医科学の研究者として知られる柳沢正史(1960-)は、講演会で「自分で実験するのを米国の研究室開設から5年目でやめた」「研究では引き際も大事と思っています」と明言しています。

柳沢が米国テキサス大学で教授として研究室を開いたのは1991年。それから「5年目」の1996年は、柳沢にとって36歳ごろにあたります。多くの研究者からすれば、まだ研究実務者として自分で実験したり発掘したりすることに未練をもちそうなもの。しかし、柳沢は、研究室を牽引する者という自分の役割を自覚し、「引き際」を明確にしたのでしょう。

もちろん、研究の実務から離れるといっても、研究員たちに任せきりということはありますまい。柳沢の研究業績として知られる神経伝達物質オレキシンの発見を、実験するのをやめたあとの1998年に実現しています。テキサス大学の柳沢研究室に留学していた櫻井武(1964-)らとの綿密なうちあわせがあっての成果でしょう。

つまるところ、研究者にも、「生涯実務者」を志す人と、「管理者」を受けいれる人とがいるわけです。実際のところは、そうはっきりと線引きできず、「ほんとうは昔みたいに実験したいのだけれどなぁ」と思いつつ、管理者としての役割を演じているという人が多いのでしょうけれども。

参考資料
NOVEL DAYS「『いきなりノーベル賞』にたじろいだ普通のサラリーマン 富山県」
https://novel.daysneo.com/works/episode/680678f57b361b89cdf9b459924d5915.html
千里ライフサイエンス振興財団ニュース 2025年10月「睡眠の謎に挑む 基礎研究から睡眠ウェルネスへ」
https://www.senri-life.or.jp/wp/wp-content/uploads/2025/10/LF106_hp.pdf
ウィキペディア「柳沢正史」
https://ja.wikipedia.org/wiki/柳沢正史
| - | 22:57 | comments(0) | -
喫茶店の「源流」に、新聞も雑誌もたばこも
4月13日は「喫茶店の日」といいます。これは、1888(明治21)年のこの日、東京市下谷区上野西黒門町2番地に、日本での本格的な喫茶店の第一号「可否茶館(カツヒーサカン)」が開店したことにちなみます。主人の手による開店時の「広告」を見ると、21世紀のいまの喫茶店にも通じる新聞・雑誌、それにたばこなどの備えがすでにあったことがわかります。

「可否茶館」の店主は実業家の鄭永慶(ていえいけい、1858-1894)。唐通事つまり中国語通訳の家として知られる鄭家の鄭永寧(ていえいねい、1829-1897)と非正妻の間に生まれた子です。1874(明治7)年、米国エール大学に留学し、帰国してから外務省官吏や英語教師をつとめ、30歳ごろ「可否茶館」を開きました。

鄭永慶が開店の際に『可否茶館広告』を出版し、開店の意図やサービス内容を述べています。


『可否茶館広告』の表紙と1ページ目
所蔵:国立国会図書館

冒頭、「今番敝舘草創ノ趣向ハ、竊カニ外國珈琲茶舘ノ古昔ニ擬シタレバ、僅ニ其胚胎ヲ作リ、先以テ諸賓ノ御來遊ヲ仰望シ、隨テ一碗(パイ)ノ珈琲ヲ賣鬻(ウリ)シ、御蔭ヲ以テ手前ノ生活ヲ諮ルニ過ギズ」とあります。

つまり、可否茶館の趣向として外国の古き喫茶館を模倣して、わずかながら喫茶館の発祥をつくりましたが、なにはともあれみなさんのご来店を望んでおり、ひと杯のコーヒーを売って、そのおかげで私の生活をはかるにすぎません、といったことを記しています。米国留学などで現地の喫茶館を見聞したでしょうから、それを参考にしたにちがいありません。

さらに、見込み客に向けてうやうやしく、「御來臨ノ上ハ、右一碗一啜ノ間ニ於テモ、其當サニ貴重セラルベキ大務(タイム)ヲ空過セシメザル為メニ、室中ニハ内外ノ新聞紙及ヒ雑誌類、或ハ東西官許ノ隹賭具ヲ備フルハ勿論、其他和漢洋書籍及ヒ書畫ヲモ、現有ノ他、猶ホ次第ニ之ヲ蒐集……」と伝えます。

つまり、ご来店のうえは、ひと杯やひとすすりのあいだでも、貴重である時間をお過ごしため、店内に国内外の新聞および雑誌、また、東洋・西洋の許可を得たカードを用意しているのはもちろん、ほかに日本・中国・西欧の書籍および絵画もあるほか、次第にその収集をさらにしていきますとのこと。客たちにコーヒーを飲ませるとともに、新聞や雑誌、壁画などに目を通してもらうという喫茶文化のかたちが、日本の喫茶店の源流からしてすでにあったわけです。

ほかに、「勃児陀(ボルドー)伯林(ベルリン)」の良醸なワインや、「久巴(キューバ)馬尼剌(マニラ)」の名産なタバコも用意していたといいます。このあたりも、21世紀の喫茶店に通じるものがあります。

さて、コーヒーなどの値段はというと……。


同2・3ページ目
所蔵:国立国会図書館

「カヒー 一碗 代儥 金壹銭五厘」また「同牛乳入 一碗 代儥 金貮銭」とあります。つまり、コーヒー1杯1銭半、牛乳入りだと2銭だったわけです。このころ、外食でのそば・うどんの値段が1銭強、また駅弁の値段が5銭から7銭ぐらいだったといいます。21世紀の序盤の感覚でいえば、コーヒー1杯で300円か400円ぐらいといったところでしょうか。

喫茶店という空間をなす要素のかなりの部分は、日本第一号の「可否茶館」にすでにあったとみてよさそうです。

ちなみに鄭永慶が「タイム」を「大務」と記したことが、世の喫茶店やスナックの店名の当字「待夢」につながったのかといえば、たぶんちがうでしょう。

参考資料
PRタイムズマガジン「喫茶店の日(4月13日)」
https://prtimes.jp/magazine/today/coffee-shop-day/
デジタル版 日本人名大辞典+Plus「鄭永慶」
https://kotobank.jp/word/鄭永慶-1092805
デジタル版 日本人名大辞典+Plus「鄭永寧」
https://kotobank.jp/word/鄭永寧-1092807
鄭永慶『可否茶館広告 : 附・世界茶館事情』
https://dl.ndl.go.jp/pid/802922/1/2
荒木詳二「カフェ変容史 文学の中のカフェ」
https://cir.nii.ac.jp/crid/1520572358413619968
コインの散歩道「外食」
https://coin-walk.site/J077.htm
| - | 21:13 | comments(0) | -
缶入りトマトのクエン酸、分解はかんたんでない

絵作者:Andy Warhol
写真作者:Brandon Fick

缶入りのホールトマトやカットトマトは、トマトそのものより経済的で、とろとろした中身であるためカレーやパスタなどの料理に向いています。いっぽうで、酸味をいかに抑えるかが課題。加熱すれば酸味を弱められるといいますが、高温を要するためかんたんではありません。

缶入りトマトの成分表示を見ると「トマト」のほか、「クエン酸」と記されていることが。クエン酸は多くの植物の種子や果汁にふくまれる酸。トマトそのものにも含まれていますが、わざわざ「クエン酸」と記されているということは、添加物として加えられていることを意味します。クエン酸は保存料として添加されるといわれます。結果、酸味が加わるわけです。

クエン酸の酸味を弱めるには、摂氏170度以上の熱でこの化合物を分解させること。しかしながら、トマトやその果汁そのものを170度以上できるとは考えられません。フライパンを強火で熱すると200度以上を得られるといいますが、強火で沸騰させても水を100度より高められないことから、クエン酸を170度以上にするのはむずかしそうです。

油とともにホールトマトやカットトマトを熱する手はどうでしょう。サラダ油やオリーブ油を加熱すれば、170度超にすることはできます。170度超の油にホールトマトやカットトマトを混ぜると、170度超の熱をもった油に触れさせられるため、多少はクエン酸の分解温度170度に近づけそうです。しかしながら、油を170度超にするには、煙が立ちはじめるくらいの加熱を要しますし、そもそもまわりの水分が100度どまりのため、クエン酸を分解させるのはむずかしそうです。

缶入りホールトマトやカットトマトの酸味を弱めるには、クエン酸を170度超まで熱して分解させること以外の手だてを求めるほうがよいかもしれません。その手だてとしては、砂糖やはちみつを加える、油とともに弱火で10分間以上加熱する、下ごしらえで裏ごしをして酸味の強い部分である種をなくす、といったものが巷に見られます。

参考資料
日本大百科全書「クエン酸」
https://kotobank.jp/word/くえん酸-3149618
アイチョイスのWEBマガジン みっくすなっつ 2025年5月2日「食品添加物クエン酸って?」
https://www.mix-nuts.ichoice-coop.com/organic/shokuhintenkabutsu_kuensan-31/
cucina KAMEYAMA bar&cafe「プロが教える究極のトマトソースの作り方~もう酸っぱいトマトソースとはオサラバです~」
https://ryourigaka.jp/tomatoso-su/#google_vignette
食NOTE 2026年3月15日「オリーブオイルとサラダ油の違いと使い分けを徹底解説!」
https://shoku-note.com/oliveoil-saladoil/
note kemgoroo 2024年5月19日「実験 ホールトマトを強火で加熱したら酸味が無くなって美味しくなるか?」
https://note.com/kemgoroo/n/n621331794713
note kureseki 2024年10月30日「トマト缶の上手な使い方」
https://note.com/kureseki/n/n10b9705b2d9d
| - | 09:24 | comments(0) | -
ずれ落ちに「寸法あわせ」「口どめ」「そもそも履かない」などの手だて



多くの人びとにとってほんとうは課題であるのに、だましだましやりすごしているものごとは存在するものです。靴下がずれ落ちるという課題はそのひとつではないでしょうか。

たいていの靴下では「口」のところにゴムが編まれてあって、ふくらはぎを締めつけます。また、靴下全体が足首から爪先にかけてを足のおなじようなかたちで覆います。これらのつくりによって、靴下が脚と足にわりとぴったり密着して、ずれ落ちにくくなっているはず。

ところが、靴を履いて歩いていると、わずかずつ、けれどもたしかに、靴下が足からずれて落ちてきます。あるいは、靴を履いて歩いていなくても、部屋のなかで時を過ごしているだけで、やはり靴下が落ちてくるときがあります。

歩いているとき靴下がずれ落ちる原因としていわれているのは摩擦です。足の大きさに合っていない靴を履いて歩いていると、靴のなかで足が動きやすくなり、それに合わせて靴下が滑っていくといいます。ことばで理解するより、「ああ、あの感覚ね」と理解できている人のほうが多いかもしれません。

いっぽう、靴を履いて歩いているときでなくても靴下がずれ落ちる理由としては、靴下と足の大きさが合っていないからというのが考えられそうです。靴下のなかで足が動きやすくなれば、やはり靴下がずれていきます。あるいは、口のゴムの締めつけが弱くまっていることでも靴下はずれていくでしょう。ふくらはぎを締めつけるという「最後の砦」が機能しなくなってのずれ落ちです。

これらから、靴下がずれ落ちないようにするための対策として、足の大きさと合った靴を履く、また、足の大きさと合った靴下を履く、口のゴムの締めつけが強い靴下を履く、といったことが考えられそうです。

道具の助けを借りるという手もあります。ソックタッチとよばれる粘着剤をふくらはぎなどの皮膚に塗ることでずれ落ちるのを止めるのは、おもに女子高校生の手だて。また、面ファスナー製で紐状の靴下どめを、履いた靴下の上から巻くことでずれ落ちるのを止めるのは、おもに年配者や走者の手だてといったところ。

多少のことは気にしないといった精神論的な解決の手だても一考に値するでしょうか。靴下がかかとあたりまでずれ落ちたらさすがに、手で上げなければなりませんが、そこまででなければ気にしないでいようとする。すると、ずれ落ちるのに慣れてきて、気にならなくなるかもしれません。ただし、スラックスの裾と靴下のあいだに、ふくらはぎの生身の顔を覗かせてしまうのは、すこし恥ずかしいかもしれません。

靴下を履かずに生活を送る俳優の石田純一(1954-)や元蹴球選手のラモス瑠偉(1957-)などは、ひょっとすると、靴下のずれ落ちから解放されることを考えて、この選択をしたのでしょうか。悩みのもととなるものと、そもそも付きあわないようにするというのは、原理的であり合理的です。

| - | 18:29 | comments(0) | -
ふたりの人物を紹介する記事、「男性と女性」の座組が無難ながら……


男性と男性。男性と女性。女性と女性……。記事などで「ふたりの人物」を紹介するとき、ふたりの性別の組みあわせとして、これらが考えられます。このとき、「女性と男性」がもっとも均衡がとれているといえなくありませんが、均衡を考えなくてよい、あるいは考えるべきでないという見かたは強まってきているのでしょう。

たとえば、理科の教科書で、「学校で学んだ理科の知見を生かして仕事をしています」といった内容の人物紹介の記事をつくるとき、ひとり紹介するだけではさびしいので、ふたつの企業に取材して計ふたり紹介しようということになる。このとき、「男性と男性」「男性と女性」「女性と女性」の組みあわせが考えられます。

教科書の使い手として、男子生徒と女子生徒がいることからすれば、おもに男子生徒たちの模範として男性社会人に登場してもらい、おもに女子生徒たちの模範として女性社会人に登場してもらう、つまり「男性と女性」が、もっとも均衡のとれた座組といえます。

しかしながら、「男性や女性といった性別にとらわれず、ひとりの社会人として仕事ぶりなどを紹介すればよいではないか」という考えもあるでしょう。男女雇用機会均等法が制定されたのが1985(昭和60)年。その風潮は、かつて女性が就いていた仕事に男性が就くようになったり、「リケジョ」ということばがなかば死語になったりしていることからすると、徐々に強まっているととれます。

そうした風潮からすれば、「男性と男性」や「女性と女性」の座組であっても、「べつに男女関係なく仕事で活躍できるのだから、『男性と女性』にこだわらなくていいでしょうに」となりえます。

とはいえ、それはあくまで理屈の話。実際のところ、その記事の読み手のなかには、「男性と男性」、あるいは「女性と女性」が登場する紙面を見て、違和感を覚える人はかならずいるはずです。あるいは、自分とおなじ性別の人物が登場していないことで、自分と関係ない記事と捉える人もいることでしょう。感覚の話としては、「男性と女性」がもっとも落ちつくわけです。無難といってもよいかもしれません。

すこしずつ、「性別などを気にしない」という風潮は強まってきていることでしょうから、記事づくりでも、いつか「男性と女性」の座組を気にしなくてよいときがくるかもしれません。しかし、その日がいつくるかはわからないし、記事の目的などによってはこないかもしれません。
| - | 20:51 | comments(0) | -
「もの」は不変的な対象を受け、「こと」は可変的な対象を受ける


「物事」とか、「モノ消費・コト消費」などといいますから、「もの」は物体的な対象を受けた名詞であり、「こと」は行為的な対象を受けた名詞だと見られる向きがあります。けれども、日本語の使われかたとして、これに当てはまらない文例があります。では「もの」「こと」はそれぞれどのような役割の名詞かといえば、「もの」は不変的な対象を受け、「こと」は可変的な対象を受ける名詞であるという話があります。

たとえば、つぎのような一文があります。

例文1
別れというものに鈍感になる。それで耐性がつくということはあるかもしれない。


1文目にある「別れ」は、「別れる」という動詞の連用形「別れ」が名詞化したものです。つまり、もともとは「別れ」という行為をさす名詞です。これに「というもの」がつづいて、「別れというもの」と書かれています。つまり、この文では、「別れ」は「もの」であるということになり、「『もの』は物体的な対象を受けた名詞」という一般的な見られかたに当てはまりません。

いっぽう、2文目にある「耐性がつく」は、「耐性が」という主部と「つく」という術部からなる文節群です。これに「ということ」がつづいて、「耐性がつくということ」と書かれています。つまり、この文では、「耐性がつく」は「こと」であるということになります。

仮に、例文の「もの」「こと」を入れかえるとどうなるでしょう。こうなります。

例文2
別れということに鈍感になる。それで耐性がつくというものはあるかもしれない。


どうでしょう。日本語を学習中の外国人の方は例文とのちがいを感じないかもしれませんが、日本語を母語としている人の多くは違和感を覚えるのではないでしょうか。とくに「耐性がつくというもの」に、かなりの違和感を覚えるかもしれません。

例文1・2からいえるように、どうやら「もの」は物体的な対象を受けた名詞で、「こと」は行為的な対象を受けた名詞とひとくくりにできない「なにか」があるようです。

この点、日本語研究者の原田登美と小谷博泰は、1992年に発表した共著論文「日本語『もの』と『こと』」で、「もの」と「こと」のちがいを、つぎのように述べています。

「『もの』とは不変的存在物であり世間でのありかたである。(略)一方、『こと』で表現された文の場合には、その事柄は生成変化し不動ではない一事象の話者の経験を示しているのであり、その意味では可変的な性質の事例である」

すこしむずかしい説明に映るかもしれません。要は、「もの」は不変的、つまり変わらない対象を受けた名詞であるのに対し、「こと」は可変的、つまり変わる対象を受けた名詞であると述べているわけです。

例文でいうと、1文目の「別れというもの」については、あえてことばを足せば「どんな別れであろうとも、別れというものは」となります。よって、ここでの「別れというもの」は、あらゆる「別れ」という行為に当てはまる、つまり不変的な「別れ」について述べた文節群といえます。

いっぽう、例文の2文目の「耐性がつくということがある」については、「人においては耐性がつかない場合もいろいろあるけれど、別れに鈍感になった場合は、耐性がつくということがある」となります。よって、ここでの「耐性がつくこと」は、一部のかぎられた条件で当てはまる、つまり可変的な「耐性がつく」について述べた文節群といえます。

例文2に違和感を覚えるのは、「別れということ」と示され、受け手が、可変的な「別れ」をさした文節群に唐突にもっていかれたからであり、また、「耐性がつくというもの」と示され、受け手が、どんな場合であっても不変的に「耐性がつく」と説かれて納得しづらいからでしょう。

もちろん文によっては「こと」と「もの」の両方が当てはまる場合があります。とはいえ、その場合であっても、「こと」が使われた文と、「もの」が使われた文では、受け手の捉えかたが、わずかかもしれませんが、たしかに変わってきます。

参考資料
奥田智樹「『もの』の本義について」
https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/sosho/7/okuda.pdf
原田登美・小谷博泰「日本語『もの』と『こと』」
https://ronbun.nijl.ac.jp/kokubun/00237028
| - | 15:47 | comments(0) | -
「現状維持の原則」とべつに委員長の「可決すべき」で可否同数の予算案可決

写真作者:Dick Thomas Johnson

国会では参議院本会議で、きのう(2026年)4月7日(火)2026年度予算案が可決し、成立しました。

本会議の前の予算委員会では、議長を除く44人のうち、賛成が22人で反対が22人の「可否同数」となりました。参議院の当初予算の採決で可否同数となるのは1980年以来、46年ぶりとのこと。

結局、予算委員長である藤川政人(1960-)が、国会法の第50条に基づき、「委員長はこれを可決すべきものと決定します」と述べて、可決となりました。

国会法の第五十条は、つぎの条文のもの。

「委員会の議事は、出席委員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、委員長の決するところによる」

つまり、可否同数となったときは、委員長が可否を決めてね、というわけです。自民党など与党が主導してきた予算案のため、自民党議員の委員長が「可」に投票したかたちといえます。

しかしながら、かならずしも可否同数のとき委員長や議長が、可否を決める規則が、国内外の議会で通例となっているわけではありません。

国や議会によっては、「現状維持の原則」とよばれる原則があり、守られています。これは、議案の採決に際して可否同数となったとき、現状維持を重視して否決するという原則です。

この現状維持の原則には、英国の政治家で庶民院17代議長だったエヴリン・デニソン(1800-1873)の考えが反映されているといいます。

1867年、英国庶民院では、ダブリンのトリニティ・カレッジのフェローシップをめぐる議案で議長をのぞいた投票では可否同数となりました。このとき、議長のデニソンは反対票を投じました。あわせてデニソンは、いかなる決定も多数決で承認されなければならないと宣言しました。

議案を可決させるということは、これまでの状況を変えることを意味し、そのためには可否同数よりも大きな「可」の勢力を必要とすべきである。こうした考えが、「現状維持の原則」の根拠といえます。

実際、「現状維持の原則」が適応された一例として、兵庫県の加西市議会で2013年、「日の丸掲揚」をめぐる議案で、7対7の可否同数となり、議長が否決したという記録があります。2年後の2015年、この議長は単なる議員になったことから、おなじ内容の議案で賛成にまわったということです。

では、今回の2026年度予算案については、「現状維持の原則」が適応されうるものでしょうか。

年度の予算案は、たしかに前年度の予算とは異なるもののため、現状が変わる要素をふくんではいます。けれども、予算案はその年度、今回の場合は2026年度についてのものであり、当然ながら「これまでの2026年度予算を変える、新たな2026年度予算案」ではありません。「現状維持の原則」が適応されると考えるのはむずかしいかもしれません。

参考資料
e-GOV 法令検索「国会法」
https://laws.e-gov.go.jp/law/322AC1000000079
ABEMA TIMES 2026年4月7日「予算案は参院委員会で22対22 起立からわずか6秒で『可否同数』どうやって数えた? 最後は委員長決裁で『可決』」
https://times.abema.tv/articles/photo/10237351
日本経済新聞 2026年4月7日「参院予算委、26年度予算の採決で可否同数 1980年以来」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA077SD0X00C26A4000000/
加藤幸雄「議会の議決における『現状維持の原則』の採用について」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jichisoken/48/525/48_1/_pdf/-char/ja
前田英昭「日本の国会(ダイエツト)とイギリスの議会(パーラメント)」
https://komazawa-u.repo.nii.ac.jp/record/2009479/files/00005162.pdf​
ウィキペディア「議長決裁」
https://ja.wikipedia.org/wiki/議長決裁
wikipedia “Speaker Denison's rule”
https://en.wikipedia.org/wiki/Speaker_Denison%27s_rule
加西市「議会報告『市民との意見交換会』記録(平成27年2月17日(火)北部公民館)」
https://www.city.kasai.hyogo.jp/uploaded/attachment/9262.pdf
| - | 10:02 | comments(0) | -
伊豆諸島から東京港までの航路、客がもっとも乗りこんでくるのは横浜港


東海汽船の東京港と大島・利島・新島・式根島・神津島の各島を結ぶ航路には、各島から東京に向かう往路、横浜港に寄港する日が土曜・日曜にあります。通常は直接、大島から東京に向かうのですが、横浜寄港便は余分に45分かけて大さん橋のフェリーターミナルに立ちよります。

横浜港に船が近づくと、デッキの地上階と2階に鈴なりの人びとがいて船のほうを見ているのが見えてきます。「こんなに送りむかえの人たちが横浜港にはいるのか」と初乗船の人は思うかもしれません。

やがて、そうでないことがわかってくるのですが。

船が着岸すると、横浜港で下船する乗客がぱらぱらと乗降用階段から降りていきます。横浜市民はじめ、神奈川県に住む人にとって、横浜港で降りられることは、さぞ便利でしょう。

さて、下船者を降ろして船は出発、となるかといえば、そうなりません。デッキにいた鈴なりの人たちが乗客として乗りこんでくるではありませんか。ざっと数えて200人以上。伊豆諸島の各港での乗船客にない数の人たちです。



この横浜港からの乗船客がどこに向かうかといえば、終点の東京港のほかありません。横浜港から東京港まで、船で移動するわけです。

もっとも、横浜から東京への移動は、ほとんどの目的地で、電車を使うほうが短時間で済みます。横浜港の大さん橋から東京港の竹芝桟橋まででさえ、徒歩と電車を使えば1時間30分ほど。いっぽう東海汽船の船便では1時間35分ほど。電車に乗るほうが早い。料金は電車で900円であるのに対し、船では最安の2等で1830円です。

やがて船が横浜港を出発すると、船内放送ではにジェイポップの歌謡曲が流れだし、ディスク・ジョッキー的な人の声がうきうきの声で夜景の案内を始めます。大島港まで、「われは海の子」の曲が流れ、決まった音源で「まもなく大島です」と流れていたのとはうってかわってです。

つまり、神津島から横浜港まで、おもに移動手段としての船便だったわけですが、横浜港から東京港までは、横浜港から乗船する人たちを意識したクルーズ船と化すわけです。

時間尺さえ異なるものの、下町の児童数200人くらいの学校に通っていた素朴な小学生たちが6年生になったところで、学区内に新たに建てられたタワーマンションの住人の転校生を数多く迎え、学校の雰囲気が一気に変わるのを経験するのと似ているかもしれません。

いくら新幹線に乗りたいからといって、品川駅から東京駅まで乗る人や、上野駅から東京駅まで乗る人は、ほぼいません。ところが、船となると、めったに乗る機会がないため、横浜港から東京港のあいだでも、運行会社にとって、おそらく「ドル箱」になるわけです。

なお、伊豆諸島から東京港まで乗船する予定だったある乗客は、横浜港から乗船してきた客たちがわれさきにとデッキの眺めのよい場所を確保しようとするなか、自分のいる場所を確保しつづけたといいます。「伊豆諸島から乗ってきた乗船客としてのささやかな抵抗です」とこの乗客。



参考資料
東海汽船「時刻表」
https://www.tokaikisen.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2026/01/7485cc5a6d187d703f877ef806a94c91.pdf
東海汽船「運賃表」
https://www.tokaikisen.co.jp/boarding/fare/
| - | 15:48 | comments(0) | -
「朝令暮改」は「よいこと」と捉えられる向きが強まる
朝に出した命令を夕方に改めることを「朝令暮改」といいます。「朝令暮改」に、どのような印象をもつでしょうか。時代とともに肯定的、あるいは都合主義的に「よいものだ」と捉えられる向きが強まっているようです。

前漢の第5代皇帝である文帝(紀元前180-紀元前157)に、家来の晁錯(生年不詳-紀元前154)が進言しました。役人たちの農民への搾取がきつことを心配しての進言です。

「勤苦此の如くなるに、尚復た水旱の災あり、急政暴賦、賦斂時ならず、朝に令して而も暮に改む」

つまり、農民たちの苦しさはこのようであるのに、なおも洪水や日照りの災害があり、急に税を求められ、それが頻繁となっており、朝に命令を出すも夕方に改める始末となっています、と伝えたのです。晁錯が言ったこの「朝に令して而も暮に改む」が、「朝令暮改」の語源とされています。

日本では江戸時代に「朝令暮改」が使われだしたといいます。遅くとも明治9年の文献に「朝令暮改」を使った文献がのこされています。米国の教育者ジェームズ・P・ウィッケルスハム(1825-1891)が著し、官僚の箕作麟祥(1846-1897)が訳した『学校通論』の巻6に、つぎのように出てきます。

「教師ハ恒心ヲ具ヘザル可カラズ然ルニ若シ朝令暮改ノ癖アリ或ハ事ヲ中途ニ廃スルノ失アル時ハ生徒ノ信頼ヲ得ルニ能ハズ又ハソノ尊敬ヲ受クルニ能ワズ」


ジェームズ・P・ウィッケルスハム著・箕作麟祥訳『学校通論』巻6より。9行目に「朝令暮改」
所蔵:国立国会図書館

つまり、教師は「恒心」をもたなければならないが、朝令暮改の癖があったりものごとを途中で止めるといったあやまちがあると、生徒の信頼や尊敬を得られることはない、というわけです。これは明らかに、「朝令暮改はよくない」といった考えに基づいた、「朝令暮改」の登場のさせかたです。

以降、1875(明治8)年に国会で設置された元老院の会議筆記に「朝令暮改」はよく見られ、「朝令暮改ノ弊害ヲ絕ツコトヲ要ス」や、「政府ハ朝令暮改ノ議ヲ邀ヘ民ニ信用ヲ失ハント欲スルモノナリ」のように、やはり、「朝令暮改はよくない」といった前提での発言となっています。

では、現代における「朝令暮改」はどうかといえば、たしかに「よくないもの」と捉えている記述は見られます。

しかしながら、とくに2000年代ごろから、「朝令暮改はよいこと」とする考えにもとづいた表現が、リーダシップ論の書籍の題などに見られるようになります。2000年のジャーナリスト岩見隆夫(1935-2014)の著書『朝令暮改でいいじゃないか 北川正恭の革命』や、2008年の経営者の鈴木敏文(1932-)の著書『朝令暮改の発想 仕事の壁を突破する95の直言』などです。

「朝令暮改」をよしとする印象形成にさらに拍車をかけたのは、実業家の孫正義(1957-)の台頭ではないでしょうか。孫の形容句として、しばしば「朝令暮改で知られる」といった表現が見られます。孫は、経済界のリーダーの模範として捉えることのある人物。本人がどう思っているかわかりませんが、「孫さんが朝令暮改を是としているなら、朝令暮改ってよいことなんでしょう」といった考えを広める張本人となりました。

これらのことから、「朝令暮改はよくない」といった論調で占められる明治初期から、「朝令暮改でよいではないか」といった論調が増えた2000年以降にかけて、「朝令暮改」の捉えかたの変化が人びとのあいだにあったものとみられます。

その変化の背景には、「朝令暮改」でなく「朝礼朝改」という新語の出現もありそうです。「令をすばやく改めることはよいこと」と印象づける人たちが現れ、「朝令暮改」はよいものであって当然という印象を強めたわけです。「朝礼朝改」は、早くも1928年の帝国議会衆議院議員議事の記録に、「長岡政府委員」の応答として「朝令暮改トハ云ハズ、朝令朝改デモ私ハ差支ナイト思ヒマス」と発現している記録が見られます。

「朝令暮改」や「朝礼朝改」を「よいもの」とする論を張るのは、どちらかといえば、それをしてきて成功したと自認している統率者的な立場の人たちでしょう。いっぽう、その下にいる人たちからすれば、「またあのリーダー、言うことを変えやがって」と見られかねません。

「朝令暮改」や「朝礼を朝改」をする人は、それをするのがあたりまえと捉えないほうがよいでしょう。「よくないもの」と捉える人たちが多くいるからです。せめて、日ごろ「この決定は、状況変化により変えていくものです」や「命令を改めるのはこうした理由からです」などと、従者たちに伝えることが肝要でないでしょうか。どこかの星の国の大統領に望むまでもありませんが。

参考資料
デジタル大辞泉「朝令暮改」
https://kotobank.jp/word/朝令暮改-569196
中国語スクリプト「故事成語 朝令暮改」
http://chugokugo-script.net/koji/choureibokai.html​
ウイケルスハム著・箕作麟祥訳『学校通論 巻6,7』
https://dl.ndl.go.jp/pid/808282/1/41
元老院会議筆記 自 第四百二十四号 至 第四百三十号
https://dl.ndl.go.jp/pid/1367166/1/61
元老院会議筆記 自 第五十四号 至 第八十九号
https://dl.ndl.go.jp/pid/1367156/1/288
岩見隆夫『朝令暮改でいいじゃないか:北川正恭の革命』
https://www.amazon.co.jp/dp/4569612520/
鈴木敏文『朝令暮改の発想:仕事の壁を突破する95の直言』
https://www.amazon.co.jp/dp/4103064315/
新R25 2018年10月30日「仕事は15分単位で区切るべし。“朝令暮改”孫正義の元秘書に聞く『超効率仕事術』」
https://r25.jp/articles/928885293185368066
衆議院事務局 1928年『帝国議会衆議院議事摘要 第56回帝国議会 中』
https://dl.ndl.go.jp/pid/14051312/1/233
| - | 10:34 | comments(0) | -
「科学」と「くそったれ」に「分ける」という共通の語源


英国の脳神経学者クリストファー・フレンチの著書に『不思議なもんの科学』があります。未邦訳書であり、原題は、“The Science of Weird Shit”といいます。

この書名の興味ぶかいところとして、“Science”と“Shit”というふたつのことばが使われているという点があります。“science”は「科学」の意味。いっぽう“shit”については、“Weird Shit”で「不思議なもん」といった意味となりますが、“Shit”単体では、「くそったれ」や「くそ」といった意味となります。

“science”と“shit”の語源はおなじであるという話があるのです。似ても似つかぬ二つのことばですが、そのいわれている語源の語義を知ると、納得できるものがあります。

インドや欧州のさまざまな言語に共通の祖語は「インド・ヨーロッパ祖語」といいます。この祖語に「切る、分ける、離す」といった語義の“skey”があります。これが、英語の“Science”と“Shit”に共通する語源であるという説があるのです。

“Shit”については、インド・ヨーロッパ祖語の“skey”の拡張形に“skeyd”があり、アングロ・サクソン人が西暦700年ごろグレート・ブリテン島に渡り、1100年ごろまで使った「古英語」において、“scit”となりました。そして、現代英語で“Shit”に。

「切る、分ける、離す」といった語義の“skey”が、なぜ“shit”つまり「くそったれ」になったか。これは、「くそったれ」つまり「糞便」がどういう位置づけのものかを想像すればわかるかもしれません。それは、からだから「切られる」もしくわ「分けられる」もしくは「離される」ものという位置づけです。

劇作家ウィリアム・シェークスピア(1564-1616)の時代には、“shit”に汚い意味がさほど込められていなかったといいます。仮に、日本語で当時の“shit”を表すとしたら、たとえばですが、「わけ」といったものだったのではないでしょうか。

ただし、英語圏では“shit”の婉曲的な表現としての度合が高まり、それにともない下品なことばと化していったといいます。

いっぽうの“science”については、インド・ヨーロッパ祖語の“skey”を語源として、ラテン語において「知る、理解する」といった意味の“scire”という動詞が生まれました。

そして、“scire”の名詞形で「知識」を意味する“scientia”が、フランス語で“science”となり、英語でも使われるようになったといいます。とくに英語圏で“science”は、「知識」を超えて「知識の体系」や「知識獲得の過程」といった意味となっていきました。

つまり「科学」の原義には、ものごとを概念的に「分ける」とか「分別する」といったものがあったわけです。21世紀のいまも「科学の本質はものごとを分別することにある」という考えはあります。

ということで、まとめると「くそったれ」の“shit”と、「科学」の“science”には、どちらも「分ける」といった語義の語源があるということになります。

参考資料
Chris French “The Science of Weird Shit: Why Our Minds Conjure the Paranorma”
https://www.amazon.com/Science-Weird-Shit-Conjure-Paranormal/dp/0262553023
ARRANT PEDANTRY 2019年1月24日 “Science and Shit”
https://www.arrantpedantry.com/2019/01/24/science-and-shit/
wikipedia “Science”
https://en.wikipedia.org/wiki/Science
日本大百科全書「アングロサクソン語」
https://kotobank.jp/word/あんぐろさくそん語-3142365
| - | 12:59 | comments(0) | -
記者は取材対象者の改稿希望にかならずしも応じなくてよい

写真作者:Oleksandr K

記者が一般的な記事を書くとき、取材対象者から原稿確認の一環ということで改稿を求められることがあります。記者はこの求めに応じなければならないわけではありません。記者が取材対象者と認識共有しておきたいのは、「原稿をつくるのは記者である」という前提です。

とくに企業に取材を申しこんで、技術担当者や広報担当者に製品や技術について取材し、その製品や技術を紹介するといった記事では、企業側から「原稿を見ましたが、この部分をこう改めてほしい」といった求めを受けがちです。

たとえば、見出しに製品名を入れてほしいとか、製品名の前に「高機能材料の」という形容句をつけてほしいとか、あるいは、製品名が出てくるところすべての右肩に登録商標記号「®︎」をつけてほしいとかいったものです。原稿確認用のワードファイルを送送ると、これらの具体的な修正希望が編集履歴に加えられて戻ってきます。

企業からしてみれば、記事で自分たちの製品のことをよく紹介したいもの。記事のなかで製品名をできるかぎり多く出したい。高機能であることを示したい。商標登録されている製品であることを伝えたい。こうした願いがあってこその、記者への改稿希望でしょう。

いっぽう、記者や編集者は、一般的な記事をつくるとき、「宣伝臭」を漂わせないようにするほうが得策です。なぜなら、読者に「この記事はなんか宣伝っぽいな」と感じられて、冒頭や途中で読まれなくなることを防げるからです。

その技術や製品がどのような名称であるかは、記事の本文で最低ひとつ紹介すれば伝わるもの。その技術や製品が「高機能」であるかは、技術や製品の具体的な中身を紹介したうえで、読者に判断してもらえばよい。そして、その技術や製品が商標登録であるという記号は読者にまずもって不要であり、むしろ読み進めるうえでの妨げとなります。

これらの理由から、記者はできるだけ、読者に読んでもらえるための最善の表現を選択し、読者に提供しなければなりません。企業側から改稿を求められても、その改稿が読者にとって読みづらさにつながると判断したならば、企業側からの求めに応じず、もとの表現を通すほうがよい。

ところが、「原稿確認は、取材対象者の改稿希望を、意向どおりに反映させるためのものだ」というまちがった認識をもっていると、取材対象者側の改稿希望をのまなければ、原稿を完成できないといったことになってしまいます。

あくまで、その記事を通じて伝えたいことを伝えるのは記者です。その原稿がだれの手によるものかといえば、取材対象者でなく記者です。「この原稿は、記者である自分がこのような表現で伝えることが、読者に伝わる最善の手であると考えて書いたものであるから、指摘を受けるとしても、改稿するかは記者である自分が判断します」というのが本来的な姿勢です。

その点、取材対象者側から「これ、だれがみてもおかしな表現ですよね」と指摘されたり、「この部分が事実と異なっていますよ」と指摘されたりする原稿をできるだけつくらないようにしなければなりません。その指摘が当たっていると考えたら、甘んじて改稿すべきでしょう。

記者は、取材対象者に取材させてもらうという協力を得て、記事をつくるもの。取材対象者と協力して記事づくりを進めるという考えかたはなりたつものです。その延長線上として、協力者たる取材対象者の希望に応じるべきという考えかたもありえます。

だからといって、記者は取材対象者のいいなりにならなければならないわけではありません。文に責任をもって、読者に最善に伝わるよう原稿を書くのは、取材対象者でなく、記者です。

とはいえ、みんながみんな、このような前提をもっているわけではありません。

記者は、取材対象者に取材を申しこむとき、「原稿をご確認いただくことはできますが、最終的な表現のしかたは、文責者である記者に委ねさせていただきます」といった、あらかじめの断りを入れておくと、改稿をめぐる認識の齟齬を防ぐことができます。
| - | 13:56 | comments(0) | -
いつも夜に走っている人が朝に走ると、遅く感じるか遅くなりやすい(2)
いつも夜に走っている人が朝に走ると、遅く感じるか遅くなりやすい(1)


写真作者:dwiforr

夜の時間帯に走る人が、たまに朝の時間帯に走ると、錯覚のおそれはあるものの、実際のところ夜の時間帯より速度が落ちてしまう。この傾向を支持する、いくつかの報告があります。

ひとつは、朝のほうが、全力での運動能力発揮の持続時間が短くなるというもの。

米国の身体運動研究者デビッド・ヒル(1953-)は2013年9月、『応用生理学、栄養学、代謝学』という雑誌に「高強度運動に対する朝と夕の反応のちがい」という論文を発表しています。

論文によると、ヒルは健康な若い人たち20名に、高強度エルゴメーター負荷試験を、朝の6時30分から9時30分までの時間帯と、夕方の17時から20時までの時間帯で、それぞれの人に課しました。高強度エルゴメーター負荷試験とは、自転車のペダルのような器具を、できるかぎり懸命に漕がせる試験です。

試験の結果、夕方の運動能力発揮のほうが朝より著しく長くつづくことが示されました。唯一、総合的な運動効率という点では、夜より朝のほうが高まったものの、ほかの点では、疲労困憊になるまでの時間では夕方のほうが20パーセントほど延びたほか、最大酸素摂取量でも4パーセント高まるなどしました。

ヒルは、「運動試験や、おそらく運動練習においても、時間帯を考慮する必要がある」と述べています。

朝は、多くの人にとって「起床したばかり」の時間帯です。この点も、朝の走りのほうが夜より遅くなる原因となるのかもしれません。

健康スポーツ科学研究者の本田亜紀子らは2022年3月、朝日大学の『保健医療学部健康スポーツ科学科紀要』という論文集に、「ピークパフォーマンス発揮のための至適起床時間について」という論文を発表しています。

この研究では、健康で活動的な男子学生7名に、それぞれ異なる3日において、起床から1時間30分後、3時間後、4時間30分後で運動を課し、8項目にわたる運動成績の頂点が三つのうちどれになるかを測りました。

その結果、「50メートル走」では、1時間30分後が2人、3時間後が1人、4時間30分後が4人となりました。また、「単純反応時間」については、おなじ順で1人、1人、5人となりました。ほか、「腕振りなし垂直跳び」以外は、成績の頂点が4時間30分後または3時間後に現れる場合が多かったといいます。

本田らは、考察として「少なくとも運動の3時間前には起床することがパフォーマンスを高めるために有効であると考えられた」と述べています。

就寝から起床したばかりの朝は、からだを安静にしつづけた直後にあたります。体温や筋温、またからだの柔軟性などの点で、からだが運動する準備がまだできていないことは考えられそうです。

もちろん逆に、習慣的に朝の時間帯において走っているという人は、夜に走るとなると、もはや眠くなっているなどして、実際の速度が遅くなるということはありえるでしょう。

生活習慣により、「朝のほうが速く走れる」「夜のほうが速く走れる」「どの時間帯でも速さはかわらない」といった、その個人の特性がつくられていくものかもしれません。了。

参考資料
David W. Hill “Morning–evening differences in response to exhaustive severe-intensity exercise”
https://cdnsciencepub.com/doi/10.1139/apnm-2013-0140
本田亜紀子・徳永拓也・修行哲大「ピークパフォーマンス発揮のための至適起床時間について」
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390292350991905152
| - | 22:54 | comments(0) | -
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