【「京大1969 -「自由の学風」の闘争史-」】
 青土社には、京大新聞は縁があって、創設者の伊達得夫は、京大新聞の編集員だったと聞く。
 また、青土社は、現代思想だけでなく、1970年代、森毅さんや神谷美恵子(精神医学)さんの地味な本を出版し続けた。
 編者に京大人文研の福家(ふけ)さんが入っているので、間違いないと思う。
 1969年の当事者は、山田稔さん(教養部助教授)、石田紀郎(農学部助手)、松久寛(工学部学生)、上野千鶴子(文学部学生、ブント)、高城修三(文学部学生)、池田浩士(教養部講師)かな。小野和子さんは院生かな。高城修三さんは、のち元総長奥田東に接近し節操がない。いずれ(その資料をアップする)。ほかのメンバーは、1969年後の生まれだったり、中野さんのようなウエーバーの名のある研究者だ。1969年入学の八島久男さんの不在が、寂しい。
  1968年当時、京大では奥田東が「京大方式」で対立を「うまく」うやむやにすることが多く、亡くなった尾崎ムゲンさん(教育学部・ブント)から「どうやって東大のようにバリケードを築けるかが課題だった」と1980年代に聞いた。その突破口が1969年1月の寮闘委による学生部封鎖だった。
 のち、1969年入学者らが、それを引き継いでゆく。その代表が、1969年入学の八島久男さん(文)や、神野明さん(法)。1970年代、京大の学生運動をバランスよく率いてゆく。そこに、京大パルチザン(滝田修)や、白樺派(高瀬泰司)、ブント(八木俊樹、新開純也)、C戦線(レーニン研)などが合流し、一種のボナパルティズムで同学会の共闘体制を維持した。それが壊れるのが、1977年6月の竹本処分だった。竹本処分以降、個人的には京大の自由の後退戦が継続しているとみている。
 なぜなら、1978年4月、「3.7規程(国有財産取扱規程)」「4.20通達(学園における秩序の維持について)」の適用が始まり、1980年4月にはその通達の実質化として時計台前の立て看板の撤去が始まった。1981年に時計台や、工学部8号館に大ステッカーは張れなくなり、そして、教養部は総合人間学部と改組されたのち、21世紀に建物は建て替えられ、結婚式場のようになり、ステッカーや、24時間利用はできなくなった。
 編者:松本卓也、福家崇洋、渡辺恭彦
 発行:青土社
 定価:3,960円(本体3,600円)
 発売:2026年2月18日
サブタイトル「もう一つの自由をめぐる闘争史」
「自由の学風」の大学で起きた学生たちの叛乱は、何を社会に訴え、現代の私たちに何を遺したのか。関係者を含む多くの証言や資料から未完の闘争史の全貌に迫る。大学の「自治」が揺らぎ、学問それ自体のあり方が問われるいま、あらためてその歴史的意義を検証する。
 著者:松本卓也/福家崇洋/渡辺恭彦/小林哲也/駒込武/池田恭哉/木下千花/大隈楽/山田稔/小野和子/石田紀郎/池内了/瀬戸口明久/松久寛/上野千鶴子/中野敏男/鵜飼哲/高城修三/池田浩士/下平尾直/藤井祐介/藤原辰史
テキストの画像のようです
All reactions:
2 comments
23 shares
Like
Comment
Share
Takahiro Nagao
細かいことを言って恐縮ですが、伊達得夫はユリイカという会社の創設者で、「ユリイカ」という雑誌を出して、1950年代後半から亡くなる61年まで、現代詩に大きなインパクトを与えてきましたが、そのユリイカと関わりのあった清水康雄という人が1969年に青土社を作って雑誌「ユリイカ」を復刊したというところです。伊達得夫が京大出身で戦中戦後に京都帝大新聞で記事を書き、戦後は編集長も務めていたことは大岡信が伊達得夫『ユリイカ抄』の解説で1961年当時に京大新聞名誉顧問だった入山雄一という方の伊達に対する追悼文を引用する形で紹介しています。
まつい ひろし
懐かしいお名前がずらっと並んでいます😸