再反論します 2(後編)
※プリキュアについて「普通の」記事を読みたい方はこちら
長年のプリキュアファン、KLPです。
引き続き、こちらへの反論記事に再反論していきます。
※この記事は前編から続いています。
「何のためのコラボなのか?は当時話題になったこと」
そのように話題にしていたのは、もっぱら批判派です。
ぼくプリにはアニメ絵の設定がありますし、舞台として成功しているので、ぼくプリファンの間では、アニメ化を望む声が以前からそれなりにあります。
そしてキミプリには、相性が良さそうだからコラボしてほしい、コラボするかもしれないという意見がしょっちゅう上がっていました。先に舞台でのコラボは決まったので、アニメの方でも是非、と言われていました。
それほどぼくプリに熱心ではない人にも、いずれアニメとして描かれることもあるかもしれない、くらいの予想はあったようです。
こういう人たちにとっては、コラボは「期待どおりのことが起こった」でしかなく、何のためかを気にする必要はありません。
例えば、ただのファンサービスです、でも納得できますし、ファンはただコラボしているというだけでおもしろいので、どうでもいいことなのです。
(個人的には、本当にファンサービスではないか、くらいの考えでいます。)
一方、なぜ批判派がコラボに疑問を持つのかというと、コラボ自体を望んでいない上に、
・ぼくプリは成功していない。
・アニメとぼくプリのファンはすみ分け状態である。
という思い込みがあるからです。
キミプリサイドには、「成功していない」もしくは「すみ分け状態」のぼくプリとコラボするメリットがない。だからぼくプリサイドの方がキミプリを利用したいはずだが、「すみ分け状態」なので集客効果もない。こういうことです。
「成功していない」は、どう見ても現実に合っていないので論外です。
集客効果については、公式サイドが求める数字が明かされていないので、視聴者サイドで気にしても意味がありません。
コラボしたその日に全日程が完売しないと成功ではない……という極端な話でもないわけですから。
一応、この方はそういう断りを入れたツイートもしたようですが、それでもなおチェックしつづけて「売れているように見えない」とまで言っているのは、悪い印象を残そうとしていると思われても仕方ないでしょう。
「あの人にはいいところもあるけど」と断ったとしても、いくつも悪口を言えば、「あの人」に悪い印象がつくのと同じです。
なおこれも既に書きましたが、私の目には、キミプリがゲストの12月7日のチケットは売れ行きが良くなったように見えました。
また、コラボを機にぼくプリを配信で見てハマったという報告もそれなりに見ましたし、そこからさらに3のチケットを買うに至った人もいます。現地には行けなくても、配信で見たという報告もありました。
未就学児は直接の鑑賞は叶いませんが、配信で見せたら気に入ったようだ、という報告もありますし、小学生くらいの子どもなら劇場でもよく目撃されています。
何より、アニメのコラボも、舞台でのコラボも、好意的な感想で盛り上がっていた印象です。両者のファンは、批判派が思うほど「すみ分け」などしていないのです。
そうした良い点に目を向けずにチケットサイトばかり気にして「売れていない」と言い続けるところが、執拗で恣意的と感じるわけです。
兎組と響カイトの予想
兎組については、その最初の予想の投稿は初めて見ましたが、その後は変身の可能性を低く予想する記述が何度かあり、映画以降では「もう変身する機会はない」と言っている記事もあります。何かあると変身への期待を強めていった擁護派とは逆です。
「拘る層の批判をそらす」「圧力を意識した逃げ」など、公式サイドや擁護派に対してネガティブなニュアンスで書かれているところも、やはり実際に起きたこととズレているでしょう。
兎組を追加戦士だと予想した人たちの考えの根幹にあるのは、「普通の男の子では終わらない」です。作中の扱いなり、グッズ展開なりで、変身するくらいの重大な展開があるだろう、と考えた方向性は間違っていなかったわけです。中には「なってほしい」が先にあって深読みしすぎた人もいますが、なりそうだと考えてよい根拠はじゅうぶんにありました。
公式サイドが言うには、わんぷりには男の子プリキュア案があり、それがなくなった後も男の子キャラを出して変身させるところまではやったとのことですから、「逃げ」どころか、そうした男の子の参戦に積極的なスタンスが現れた扱いだったのでしょう。
少なくとも、扱いやグッズを意に介さず、変身自体に否定的だった人たちよりはよほど正解と言えます。「追加戦士ではなかった」「「プリキュア」にはならなかった」という部分が当たったところで、表面的なことでしかありません。
(擁護派の「変身するなら正式メンバーであってほしかった」という批判は、変身自体は予想どおりで、嬉しいものだからこそです。)
響カイトについては、私が見た限り、追加戦士だとの予想は兎組ほどはいなかった印象です。プリルン・メロロンが候補として強かったので、レジェンドアイドルとして一度くらいは、という予想が多かった気がします。兎組よりも正しい予想ですね。
一時的な変身という方法を忘れたように、追加戦士がプリルン・メロロンでこれ以上何もないと思っていた批判派は、やはり予想が外れたのです。
ところでこの方が、兎山大福がオスだという情報をかつて疑っていた記述があります。
誤報は起きうることですが、ここをあえて疑うのも恣意的なものを感じます。
なぜなら、ツバサに起きてもいない男女の問題を指摘するこの方であれば、大福が女の子になると悟との同居に問題が生じるのでは、と考えてもおかしくないからです。
つまり大福がメスだと、兎組がプリキュアになる可能性を否定しやすくなります。
もしくは逆に、仮にプリキュアになるなら片方くらい女の子であってほしい、と願うあまり、男女の問題をすっかり忘れることもありえます。
どちらにしても、男の子プリキュアに否定的な意識が疑わせたように、私には思えます。
なぜ批判派と見なすのか
・ポジティブ寄りな情報を微妙なニュアンス頼みでネガティブに取る。(「受け入れた」など)
・ネガティブなものを引き合いに出して語る。(値上げ、ハーレムなど)
・他でも起きている(起きる可能性のある)ことを特有の問題として語る。(ツバサの保育や男女の問題など)
・曖昧な根拠で「失敗した」という話に持っていきたがる。(チケットのチェックなど)
・予想外のことが起きると自分の考えではなく起きていることの方を疑う。(変身を「ノルマで嫌々」と解釈するなど)
こういう言動を「そのまま」見て、指摘の対象を擁護していると“自然”に思えるかどうか、自分のことと思わず客観的に考えれば分かるのではないでしょうか。
例えば「ノルマ」は擁護派でも悪気なく口にする人はいますが、ここまでの条件が重なるのはさすがに擁護するスタンスには見えません。
この方は、「お姫様」論で最終的には男の子プリキュアを認めているのだ、と言いたいのでしょうが、「お姫様」論の「男の子にとってプリキュアはドロドロした負の存在、やめる方向に行く」という前提が既に、ネガティブなものなわけです。
「そのまま見る」が何なのかも分かりません。
恣意的な取捨選択が見られますし、あるときは表面的な判断をしたと思ったら、別なときには邪推や余計な深読みを「自然と導き出される」で通したりもしていて、とてもそのまま見ているようには思えないのです。
自然と導きだされる、も便利な言葉です。邪推や余計な深読みでしかないことも、あたかも描写されていたかのように語れてしまいます。
「そのまま」でも「自然」でもないネガティブな指摘、ハーレムや値上げといったネガティブイメージ、「変身しない」フラグの判断、欠点さがし、などなど否定一色の流れで「でも私の考えた(公式サイドが唱えたわけではない)理論だと全て解決します」と言われて、しかし言うほど的を射てもいなかったら、それを擁護だと思える人はあまりいないと思います。
「これは男の子だからではない」と連発しているのも、それだけ否定的な発言が多いことをかえって示しています。
擁護派なら誰もが同じ意見になるはずだ、と言っているわけではありません。
事実として擁護になっていない、と言っているのです。
ウィングがかわいいか、かっこいいかは、表現が違っても褒めていることに変わりないでしょう。この方はそういう範囲ではなく、もっと根幹から違います。いわば「ブサイク」と言っておいて、「かわいい」と言っている人の輪に入ろうとするようなものです。
その上で「ブサイクは褒め言葉だ」と主張しているような感じでしょうか。
(世の中には「ブサイク」を売りにしているものもありますが、もちろんそういう話ではありません。)
なお、ぼくプリの記事に、「お姫様」論を追記しながら「私自身も強くは賛同したくはない」とも書かれているものがありますね。
つまり、「私は批判的である。一応、どうすれば擁護できるかは思いつくが、不本意である」と、示しているではないですか。
はじめに、こうして再反論することで何を要求したいのか、と聞かれましたが、一つ言えるとすれば、「無理に擁護派になろうとしなくていいですよ」でしょうか。
ぼくプリは第1弾で終わりませんが、最後まで見ろとは誰も強制できません。パドドゥの件がショックで、「ここで終わりでいい」と思ったのなら、終わりまで見たいと思うほどの作品ではなかった、と評価すれば良かったのです。
テレビで言う視聴切りと同じことでしょう。
私は擁護のつもりだから擁護だ、と言われても、実際のところ擁護になっていない、キャラにも擁護派にも不必要にネガティブな印象ばかり残していく言説なのですから、そう受け止めた上で反応するしかありません。
嫌いだとか、受け入れられないと思うのは自由ですから、ただ自分の気持ちを大事にしたらいいと思います。
私は納得できない言説には反論しますが、気持ちには反論しません。
それと今さらですが、女の子のプリキュアに「お姫様」が何人かいるんですよね。
プリキュアにおいて「お姫様」は、守られるだけのおとなしい人ではないのではないでしょうか。はぐプリのセリフは「守られる」という意味で使われているものの、それを言われた若宮アンリがその後キュアアンフィニとなり、守られるだけではなかったことを考えれば、「「お姫様」にもいろいろいる」というところに落ち着くのが“自然”にも思えます。
「男の子もお姫様」は「女の子だって暴れたい!」の反対語ではないし、「お姫様も時には暴れる」のではないでしょうか。
そして、この方に見るつもりがあるのか分からないので先に言うと、ぼくプリは確かに最後、自らプリキュアをやめます。
しかし、彼らはプリキュアを誰かに引き継いでほしいのだそうです。
もしこの方の言うように、「男の子にとってプリキュアはドロドロしたもので、戦うのをやめる方向に行く」だとすると、彼らはドロドロしていてやめたいものを、あわよくば他人にさせようとしていることになります。
これは男の子というより、プリキュアとしてどうなんでしょうか。
彼らがなぜ引き継ぎたいと言ったのか。
それは性別に関係のない、実にプリキュアらしい理由です。
あれほどの理由では、「やめたのには変わりないから「お姫様」論だ」ともならないはずです。
(大体のプリキュアはお話が完結するとプリキュアをやめるので、男の子だけ「やめる」に注目するのが既に不自然な気がしますが……。)



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