フリエミュール・グリモリアスは、かつて小さな里に暮らす平凡な娘だった。
生家は代々書士をしていた家計であり、父の代からは小さな本屋を営むようになっていた。
フリエは絵本代わりに魔法の基礎学習書を読んでいたのだが、これは、人間で言えば中等魔法に分類される。
そして、人間の魔法使いの七割が初等魔法の習得にさえ血反吐を吐くことを考えれば、フリエの非凡は、言うまでもなかった。
周囲からは期待をかけられていた。
フリエ自身悪い気はしなかった。得意になって、本の知識をひけらかして自慢げに、さも、極東のカズミなる土地に伝わる「ヤマブシ・テング」のごとく鼻を高くしていたことは否めない。
だからというわけではないが、自分が高貴なエルフであるということを自覚していた。
同時に、それゆえの責務があることも理解していた――納得が伴っていたかどうかは、今となってはもう、判然とはしていないけれど。
エルフは生まれながら膨大な魔法力を持つ。
その力は、数人単位が集まって「大魔法」というそれを行使するだけで、ゆうに五、六百人規模の村を吹っ飛ばせるほど。
だからこそエルフは十四歳を境に精神修行を行い始める。
それによって心と体を鍛え、力を持つものにふさわしい、しっかりと筋の通った考えを育むのである。
力あるものは、決して暴走してはならない。
竜ですら、みだりに力を振るうことを神によって戒められている。
過ぎた力の行使は、理性も知性も伴わぬ暴力は、ときに、「神罰」の対象となるのである。
フリエミュール――フリエは、己に与えられた力と才覚を誇り、そして、わずかに驕りつつも……修行の中で、徐々に己が果たすべき使命というものの輪郭を掴みつつあった。
それがすべて終わったのは、今から一年と半年前。
十六歳の頃であった。
済んでいた里が、蹂躙された。
鉄砲と火薬。
剣と槍。
鉄の嵐が吹いた。雷鳴じみた音が濁流のようにとどろき、あとはあっという間だった。
噂には聞いていた。火縄銃というものが人の世で猛威を振るっていること、そしてそれを改良した、燧銃――フリントロック式の鉄砲が生まれ、雨天でも、鉄砲を打てるようになったことを。
里は壊滅した。わずか、二刻ほどの戦闘――いや、蹂躙劇であった。
牛馬は焼かれた。男女の別なく裸に剥かれて、鞭打たれて、その場で人買いたちのオークションが開かれた。
そうして一年前、フリエはここへ売られた。
以来ずっと、この牢獄のダンジョン塔で過ごしている。
こんな石組みの塔など、その気になれば、風穴くらい開けられる。なんとなれば、飛翼の法で飛んで脱出もできる。
しかし、ことここに及んで、フリエは人間の善性を信じていた。
そうでなければ。
そうでなければ、……。
――私達は、人の心に、弄ばれたということになる。
その現実を受容するには、――汚い現実を腹に収めるには、フリエはまだ若すぎたのである。
フリエは静かに、ただ、雌伏して待った。
いつかこの苦痛が終わる時が来ると信じていた。
それは、エルフが信仰する光の女神、フィオーリアへの信奉というよりは、むしろ。
――人を信じる、などというまやかし。ありもしない空想にすがり、己の暗い未来から逃げ続ける、遠回しな破滅願望にも近いものがあった。
「やあフリエ。今日こそ、私にその力を貸してくれるね」
じっとりと重たく、砂利を飲んだような濁声が、鉄扉の向こうからした。
のぞき窓から見える、おぞましい、欲望で濁った目。
恰幅が良いほうだが、けっして、意味なく贅肉でブヨブヨとしているわけではない。
嫌な男であるが、同時に、統治者としては理想的であろうことは、フリエは認めている。
だが。この男の恐ろしい野心だけは、腹に据えかねる。
フリエは気丈にそれを睨んだ。
「魔法があれば、私の領土はもっと広がる、国取りも夢ではないだろう――ッ!」
それが、この男の。
タジラードという男の「夢」なのだろうか。
✧
師匠ザックの時間稼ぎも長くは持たないだろう。
彼女の言う時間稼ぎとは、仕事の時間を稼ぐというよりは、無茶な仕事を切り上げて早々に脱出するための行動を指している。
すなわち、退路の確保、それがザックの目的だ。
それが終われば合図が上がる。それをわかったうえで、ラグは「大きな音と光を発する道具」を渡していた。
(猶予は四半刻(およそ三十分)くらいだろうな)
ラグはそう推測する。
塔は螺旋階段を描いている。登る側が剣を振りにくいように、時計回りに登る作りだ。常に右手側に塔の柱があるので、右手で剣を抜くとなると、つっかえてしまうのである。
ラグは
第4盗 黒血の刃
第一章ラスト、第五話は明日の更新を予定しています。
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