第3盗 刻限

 窓の中を伺うと、息を弾ませる男女が見えた。男のほうが上になって、鼻息荒く、腰を打ち付けている。

 どうもお楽しみの最中らしい。

 始末してもいいが、確認したいこともあった。

 さっきの見張りが喋っていたことについてだ。お宝の正体について、しかとそれが何なのかを知っておきたかった。


(……少し待つ。それでだめなら始末する)

 判断は、やはり、早い。シーフ稼業に迷いは禁物であった。基本的にこの仕事は選択と判断の連続である。一つのミスが、のちのち、己どころか組の存亡を危ぶませることもあった。


(一ト切がせいぜいだ)

 少しといっても、半刻も待たない。どんなに待っても一ト切ひとぎり(およそ十分から二十分)だ。


 百数え、二百、三百数えたとき、物音。

 男のほうがいそいそと着替えると、部屋を辞した。

 ラグは素早く伺いを入れる。右手に、L字に曲げた棒を持っていた。先端には、磨いて銀メッキを施した鏡がある。手鏡ハンドミラーだ。それで部屋の中をさっと確認すると、ラグは男がいないのを確認し、中に滑り込む。


 ベッドの上で毛布を抱いている女がいる。獣人族の女だった。

 見たところ、犬系の種族に思えるが――ろうそくという限られた光源ではわからない。


 ラグは左手を回し、素早く女の口を塞いで、床に引きずり下ろし、小声で囁く。

「殺しはしない。だが悲鳴を上げるようなら首を折る。わかったら二度頷け」

 女は目を白黒させる。

 首がかすかに震え、吐息が、恐怖におののく。

「俺はただの泥棒だ。知りたいことがある。話してくれれば」


 ラグは、己の懐から金貨を右手でつまみ出し、見せてやった。

「この金貨はお前のものだ。それともあの男に操を立てていたのか?」

 女の目が、金に、その金色に眩んだのがわかった。

「手を離すが叫ぶなよ。いいな」

 女は二度頷いた。


 手放すと、女は喉元を抑えて控えめに咳き込んだ。

「こほっ、かはっ」

 龕燈の明かりが彼女を浮かび上がらせる。

 やはり、犬系の獣人だ。


「悠長にしてるヒマはない。聞きたいことがある。さっきの男がタジラードか?」

「え、ええ。そうよ。ロード・タジラード。ベッドの上でも、他人にも短気な最低の男」

 ラグは、この女がタジラードへの忠義や思慕で肉体関係を持っているわけではないことを見抜いた。語気は明らかに侮蔑の色があり、そこには主従の忠誠も、男女のロマンスも感じられない。

 しかし二人の不義密通など、そこにどんな事情があるかなど、己には、心底どうでも良いことだった。


「タジラードが執心するお宝については知ってるか」

「知らないわ。私はただのメイド。金をもらえるから、あの豚野郎に抱かれてるだけ」

 嘘だと思った。この女はそれについて知っているふうである。それを示すような、挑戦的な笑みが浮かんでいる。

「問を変える。牢獄塔ダンジョン、ってのははどこにある」

「この本館にはない。北の渡り廊下を通って。その先がダンジョン」

「そこには何がいる」


 質問を変えた。

「なにが」ではなく、「なにが」、と。

 お宝が何かを答えられないなら、そう聞くしかない。

 女も、この機転に気づいたようだ。


「倍額。金貨二枚なら、口を滑らせるかもね。でも、渋ったら叫んでやるわ」

 気丈な女は嫌いじゃなかった。彼女がどのような人生を歩んだのかは知らないが、相当な肝っ玉である。由来、常に綱渡りの暮らしをするシーフは、こういう心を預けられるような気の強い女を好む。

「俺の負けだ。ほら、二枚」

 ラグは、さきほど商人からせしめた金貨二枚を渡した。


 女は全裸であるが、毛皮を持つ獣人なので、あまり目のやり場には困らない。

 むろん。ラグはシーフであるから、女の裸くらいで騒いだりはしないが。

 女は金貨をろうそくの火に照らし、矯めつ眇めつした。

 軽く噛んで、満足したように胸元の毛皮にそれを突っ込んで隠した。


「ダンジョンにはエルフがいる。どうも、里を焼かれたって聞いたわ。タジラードは人買いから大枚をはたいて買ったらしい」

「いつ頃?」

「去年くらいって聞いた」


 ラグは、ふと思い当たるフシがあった。

「黄色い、仕立てのいい服を着た男か、その人買いってのは。セルファ村にいた」

「ええ。今日もここで商談を済ませてから、バラッドを聞きたいとかって、セルファ村の鉄山羊亭イェンルゴート・インに」


 あの男だ。

 世間は狭いものである。


「聞きたいことはこれだけ? 私は寝るけど、……あんた、可愛い顔してるし、一発くらいならタダで抜いてあげていいわよ」

「いらん。惚れた女がいるんでな」

 ふふ、と獣人の女は笑う。


「じゃあ、とっとと消えて。記憶に残っちゃあこまるでしょう?」


 ラグは、つくづく、頭の回転の早い女だと感心した。

 そうして部屋をさっさと出ていく。ドアの前で手鏡を出して確認して、北へ向かう。


 ダンジョンというのは、城の塔をいう。そして、牢獄とは地下ではなく、塔の上階にあるのが常だ。

 理由は、上階からの脱出が困難であること。

 当然防御陣地である塔には人が通れるような窓などないし、高いところに監獄があるから、よしんば抜け道を作っても転落死が関の山。

 こっそり抜け出そうにも、そのためには監視の多いホールやらを通らねばならない。

 地下に牢屋を作るより、塔の上に作ったほうが、遥かに効率がいいのだ。


 居館内部はさすがに見回りは少ない。

 ここまで侵入されるなどとは、梅雨ほども思っていないのだろう。


 ――エルフ。

 ――里を焼かれた。


 ラグの胸の奥を、ちりちりと焦がすものがある。

 十二年前。ラグがまだ五つの頃。


 ――思い出すな。


 炎が、魔物の怒号が。

 燃える家。燃える人。食われる子供。屍の山。

 怖かった。自分を地下の蔵に押し込む父。

 二日して、空腹に耐えかねて外に出ると。


 ――思い出すな。


「坊主。生きるすべを、この私が教えてやろう」


 ――師匠。俺は。俺は。


 その師匠さえ、八ヶ月前には。


 ラグは首を振った。

 今はそんな、くだらない感傷に浸っている場合ではない。

 居館を北へ向かう。二階の回廊を回って渡り廊下に出た。

 廊下の先には、見張りが二人。

 厄介だと思った。

 渡り廊下には光源のためか、等間隔で燭台が並び、火の光を放っている。

 バレてしまうことは請け合いである。


 さすがに、半弓など持ってきていない。

 飛び道具は銑鋧がせいぜいだが、まず届く距離ではない。


 まさかここで――お宝目前で撤退を余儀なくされるのか。

 シーフは時に引き際、逃げ時を見極めるのも肝腎であるが。


「坊や」

「あんた……」

 さっきのメイドだ。裸ではなく、きちんと、メイド服を着ている。

 なぜここに、と問いかけたが、理由など明らかだ。この女は、どこかから派遣された別系統のシーフなのだろう。

「宝は山分けでいいな」

「文句はない……刃物はある? 刀じゃなくて、もっと小さいのがいい」

「ああ」


 ラグは、鈎爪ナイフではない、普通の剃刀さすがを渡した。

 彼女はそれを袖口に仕舞い隠すと、なんでもないように歩いていく。


(やっぱり、ただのメイドじゃない)

 普通、シーフに脅されたら、あんなふうに落ち着いてはいられない。大抵は解放されたあとも、恐怖におののくのが常なのだ。

(同業……?)

 竜鈎組りゅうかぎぐみではない。おそらくは、推測通り別の組のシーフ、ないしなんらかの「やばい仕事」をしている奴であろう。


 女は見張り相手に軽くなにか喋っていた。

 みょうにしなを作る仕草があり、甘く媚びるような声がして、

 パパッ、と右手が旋転。いつの間にか剃刀を抜いており、彼女はそれで、二人の喉笛を掻き切っていた。


「――!」

 ラグは声に出さず、驚いていた。

 なんという早業! ただごとではない技量!


 彼女は手を招いた。来い、と言っているのは確かである。

 ラグは急ぎ、彼女のもとへ向かうが、その意識は攻撃される可能性へ向けられていた。


「あんた、竜鈎組りゅうかぎぐみね」

 女の元へ行くと、そう切り出された。

「……」安く答えるわけには行かない。

「ふふ……」


 女は、メイド服の襟の内側を引っ張った。そうすると、それがばらりと足元へ、抜けるように落ちる。変装用の仕掛け服だった。

 そうして女は

 あらわになるのは、女の肢体。

 毛皮ではない、人の肌の体である。


 歳は、三十前後と見える。

 彼女は毛皮の服を反転させて着込む。その外側は、ありきたりな革製のコートだった。

「し、師匠……」

 師匠――歴戦の女シーフ、ザックが微笑んだ。

「腕を上げたわね。私には通じなかったけど」

「八ヶ月前、っ、行方不明になったって、――俺がどんな気持ちで! ……いったい、なにをしていたんですか」

「仕事よ。敵を欺くには味方から。さ、行くわよ」


 ラグは少し複雑な気持ちだった。

 仕事のために味方を欺くのはいい。

 それは別に、シーフらしく、誇り高い生き様にも思える。


 だが。

 男に抱かれていたのが、――それなりに、憧れさえした。姉のように、時に母のようにも思った師匠だったのが。


悋気りんき?」

「いいえ」


 師匠のザックは、死体から鍵の束を奪うと、ダンジョン塔のドアを開けて入っていく。


「エルフのこと、知ってたんですね」

「確信を掴んだのは一週間前。〝城〟に鳥を出したから、そろそろ来るとは思っていた。けどまさか、ラグが来るなんて」

「俺がこの八ヶ月、何してたと思ってるんですか」


 二人の会話は極めて小声である。常人では聞き取るのも難しいほどに。


「ルシェ姫様にご執心だったからねえ、あんた」

「うるさいですよ」

「まあ、行き遅れのおばさんに興奮するよりは健全か」


 自虐的に笑うザック。ラグはしかし、ザックがその実、引く手あまたなのを知っている。

 竜鈎組りゅうかぎぐみ内での婚姻は決して禁止されていない。ただ、ザックがなにか理由があるのか、それをことごとく断っているのだ。


 塔には誰もいない。

 当然と言えば当然か。

 こんなところまで侵入を許すとは思ってもいないだろうし、万が一にでもその見張りがいらぬ刺激をし、エルフが魔法を行使した場合、

 魔法とは、言ってしまえば小規模な天災である。

 それこそ大魔法クラスになれば、数百人規模の村が吹っ飛ぶこともある。


 そのときである。

 りぃん、ごん、ごん、ごん。


「っ」

 ラグは瞠目した。死体が見つかったか、気絶させた誰かが目を覚ましたかしたのだ。

「馬鹿」

「すみません」

「ためらうなと教えたはず。敵地の人間は殺せと――まあいい、時間を稼ぐ、いくつか道具をちょうだい」

「わかりました」言い訳が見つからなかった。

 馬屋の女は殺せたが、それが引き金だったのか、罪悪感が生まれてしまったのかもしれない。殺さなくていい理由を作ろうとして、こうしてヘマをしている。


 自分は冷酷だ、クールに仕事をこなせるんだといいながらもどこかで甘く考えるところがあったのだ。

 反省ならいくらでもできる。今は、仕事だ。

 ラグは、装備していたいくつかの道具を渡した。

「エルフを頼むよ。次は判断を誤らないこと」

「わかりました」

 ザックから鍵束を受け取る。

 師匠はラグから受け取った道具類を体に巻くと、素早く駆け出していった。


 のんびりしていられない。

 ラグは、急いで塔を登るのだった。

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