【異議申立】超かぐや姫!考察感想 公式ガイドブックは間違っている。矛盾とご都合主義すぎ!【公式に物申す】
《約27,000字》※リンク先を除く
⚠注意
『超かぐや姫!』のアニメ・小説・公式ガイドブックのネタバレを含みます
考察本体リンク
以下🔽の「富士山頂のタケノコは埋めたのではなく掘り出している」が本体になります。是非ご覧ください
はじめに
1月下旬の初視聴からハマりにハマり、映画館も含めれば10回以上フル視聴して(考察のための部分視聴の時間も入れたらもっと見てる)、なぜか人生初の考察記事まで書き始め、タケノコを掘ったの埋めたのと何の生産性もない議論を日夜繰り広げ・・・
そして先日、おそらく最後の考察となるであろうはずだった「rayMV以降のヤチヨとかぐやの関係について」の考察が完成する直前。何気なく公式ガイドブックに目を通していたところ、偶然ある記載を発見してしまいました。
そこには明確な答えが出ていないと思っていた物語の結末の一部、「ヤチヨとアンドロイドかぐやの関係」の結論といえるような一文が記載されていました。
(ガイドブックは発売当日Kindleにて購入していましたが、まさかそんなことが書かれているとは思いもよらず、ほぼインタビューと設定資料しか読まずに単純に見落としていました笑。申し訳ございません🙇)
しかしTwitterを眺めると、これに言及されている方も一部いますが、あまり広まってはいないようで、おそらくほとんどの方も見落としているのではないかと思われます。
実際、関連する私の考察記事に指摘や質問をしてきた人は大勢いましたが、その記述を証拠に使ってきた一人もいませんでした。もしこの公式の記載が証拠として使われていたら、その場で私の考察が間違いであると認めざるを得なかったと思います。そのくらいはっきり明記されておりました。
しかしそれを見つけた時、予想外でとてもびっくりしました。いくつも可能性がある中でまさかそのルートが取られるとは・・・
いろいろ頭の中で整理しましたが、考えれば考えるほど違和感は強くなり、本作自体の作中の記述と相容れず、整合性がないと感じられる箇所がいくつも出てきました。
またあまりにも都合が良すぎる展開ではないかと疑惑を抱くに至り。大変おこがましいのは承知ですが、公式に物申したく当記事を執筆・掲載させていただく覚悟を決めた次第です。
つまり率直に言えば
公式ガイドブックの記述間違ってませんか?
と本気で思っております。それほど強い違和感を感じております。
正確に言えば以下の3パターンのどれかではないか?と思っています。
①公式ガイドブックの記述が間違っている
→もし本当にそうなら訂正を期待するが・・・(もしそうでも無理だろうけど)
②キャラの性格や思想を変えたり大きな覚悟や決断をさせるほどの重要かつ複雑なシナリオが完全に省かれており視聴者には絶対に理解できない
→これはしょうがないかもしれないけど「余白」どころではないのでは・・・
③仕事の詰めが甘い。設定・設計・整合性チェックが甘い
→残念です
公式ガイドブックの設定のとおりであれば、流石にいろいろ盛りすぎかつ違和感がありすぎだと感じましたし
そして何より「本当にこれはハッピーエンドなのか?」という疑念が生じてしまったことが私にとって非常に大きいです。
私にとっては楽しさと感動の大きさよりも違和感と疑惑が上回ってしまったようです。
当記事では私が上記のように思い至った理由の説明を記載しております。
とはいえ、こんな些末な記事を製作に関わる方がご覧になるとも思ってもいませんし、すでに発表済みの作品なので別に何か対応があるとか変わるとかそうした期待はしていませんが。
しかし「みんな自由だ!」とかぐやも言っていました。私もそれに倣って(法に触れたりせず表現の自由に収まる範囲で)私なりに超かぐや姫!への最大級の感謝と愛を込めて全身全霊思いっきり指摘させていただきます。
前置き
以下をよくご承知の上、ご覧いただければと思います。
◉念のため明言しておきますが、自分自身の考察が間違っていたから(認めたくないとか悔しいとかで)異義や文句を言っているなどというものでは決してありません。
自分の解釈が合っていようがなかろうが、ストーリーと辻褄がある程度合っていて、登場人物が宣言したとおりのハッピーエンドになっているなら、「なるほどそうだったんだな」で終わる話です。
正直ずっと書いていたタケノコの掘った埋めたでさえも、埋めたほうにちゃんと説得力のある動機や記述があれば私も埋めたんだなと考えます。(実際最初は私も埋めたと思っていたので)ただタケノコを掘り出している方が説得力があるから説得力がある!と言っているだけです。
そして本件に関しては公式ガイドブックにその説得力を感じないという話です。
◉私が違和感がある、おかしい、と思っているのは、私の感性・感想だけではなく、超かぐや姫!本作中のセリフや描写、またインタビューの内容と具体的な相違や矛盾があると考えているからです。
公式ガイドブックの問題の箇所
さて問題の公式ガイドブックの記述ですが。
11ページ。アニメ本編の最終版からエンディングについてのあらすじが書かれたSTORY SCENE4に以下のような一文がありました。
時は流れ10年後。研究職に進んだ彩葉は、かぐやを復活させることに成功。
仮想空間上の人格・ヤチヨとともに三人でステージに現れる───!
上記のとおり「仮想空間上の人格」と明記されています。
公式ガイドブックの一つ前のページにて、正体を表したヤチヨのことを「仮想空間上の存在」と記載していたのに、それをわざわざ「仮想空間上の人格」と言い直しているわけなので「人格」だけがあらためてサイバー空間上に生成された存在であるからに他ならないと思います。
「仮想空間上に(新たに)用意された人格」、つまり最終盤に映っていたヤチヨは仮想空間上に再現されたヤチヨ本体のコピー・複製・分身だとほぼ確実に言えるのではないかと思いますし
ということは一方で「アンドロイドかぐや」は「ヤチヨ本体」だったということになると思われます。
私は以下の考察に記載していたとおり、アンドロイドかぐやは「8000年前のヤチヨの記憶データを分岐させて新しく生み出した存在」と自信を持って考えていました。
その理由は以下です。
◉8000年生きたヤチヨの人格や生き方はすでにかぐやとは別人と読める記述が多数確認できたため。
◉ヤチヨがそのままアンドロイドに入っても、以前のかぐやと同じように無邪気には生きられない。考えられない。戻れないため。(これは一般通念として成熟・成長した人間が昔の自分に戻れないため)
◉そして実際アンドロイドかぐやの言動がもともとのかぐやのままのように見えたため。
◉ヤチヨがアンドロイドに入って、昔のかぐやのように無理矢理演じるのもおかしいし、ヤチヨの生きた時間・歴史を尊重しているとはいえない方法であると思ったため。
◉ヤチヨとかぐやの記憶に明確に相違があると思われる描写があったため。
◉かぐやに対する彩葉の「8000年ぶり?」というセリフの整合性が取れるため。
しかし残念ながら、公式ガイドブックが正しければ、私の上記の考察は間違っていたことになります。
今でも各記述を見返すと「アンドロイドかぐや=ヤチヨ本体」になるのであれば、ではアニメ本編や小説の記述は一体何を表現したかったのだろうか?と不可解に思う点などが多々あり、以降でおかしいのではないか?間違っているのではないか?つじつまが合わないのではないか?もしくはあまりに設定が甘いのではないか?と矛盾や違和感を感じる点についてまとめます。
違和感と矛盾の指摘(全4点)
1)複製人格のヤチヨがあまりにかわいそうでは?
上記のとおり「仮想空間上の人格・ヤチヨ」とのことで、おそらく
◉ヤチヨのコピー・複製・分身をヤチヨとして、ツクヨミの管理およびAIライバーとして残った。
◉ヤチヨ本体の思念体がアンドロイドかぐやに入った。
ということなのだと考えます。
監督が同じく公式ガイドブックのインタビューで以下のように話しています。
作中のあるキャラクターが実はメインキャラの未来の姿だった、というのは割とアニメやノベルゲームなどでの鉄板のネタですが、僕もとても好きでして・・・・・。有名どころでいえば「Fate/stay night』の衛宮士郎=アーチャーがありますが、企画の種が上がってきた段階ですでにこのギミックが組み込まれていたので、ヤチョとの経験の差や、運命をまだ知らないかぐやのラストライブなど、おもしろくできる要素はたくさんあるなと。
また、こういう作品の場合「未来のそのキャラ」は最後に消えてしまうことが多いのですが、そのキャラクターの生きた歴史ごと受け入れて二人でエンディングを迎える、という要素にこだわって企画を立てています。
公式ガイドブックが正しいのなら、これが最高のハッピーエンドであり、めでたしめでたしということになりますが・・・
これ本当にハッピーなんですか?
ねえ、これ本当にハッピーなんですかね?
仮想空間上の人格・ヤチヨと書かれていますが、現代のAIやロボットのようにプログラムで機械的に動いているわけではないはずです。
仮想空間上の人格とはいえヤチヨ本人と言っていい存在と思われます。
それは以下のような状況・描写があるためです。
①小説版の記述から
小説の最終盤には以下のように記載されています。
「・・・・今日、長くなるの?」★
「多分ね」
「いよいよ~~~?」★
「うん」
二人でベッドに横たわるアバターボディを眺めた。急ピッチで作り上げた試作品第一号『かぐや』。今日が初の起動実験の日である。
「十年間お待たせしました」
ベッドに横たわるかぐやを見つめながらヤチヨに言う。
「八千年に比べればあっという間だよ~~~」※
・・・・・でも、私はヤチヨのこと、もう待たせたくないから。※
(略)
「ありがとう、彩葉。かぐやを産んでくれて」※
珍しく真面目な口調でそう言った。※
「まるでおとき話みた~~い。竹の中からかぐや姫を見つけた翁は、十年後本当にかぐやを産み出してしまいましたとさ☆」※
「あーっ、それ! 言っとくけど、十年前に私のことお爺さん呼ばわりしたことまだ忘れてないからね」※
「ヤチヨは八千年前だから忘れちゃったよ~~」 ケタケタと笑い合う※
声が、研究室に満ち満ちた装置の駆動音に混ざった。
(略)
「・・・・・ヤチヨのおかげでここまで来れた」※
「ヤチヨだって。彩葉のこと追いかけて、ここまで来ちゃった」※
「二人して追っかけあってさあ、ふふ・・・・・・・」※
「ねえ、ヤチヨ。本当のこと言っていい?」
「なんだいなんだい?」
「本当はさ、ドッキドキで叫び出しそう!」
「ヤッチョも~!本当は待ち遠しくて堪らなかった!」※
また二人の笑い声が研究室に響いた。※
めでたしめでたしまで、あとちょっと。
冒頭の「・・・・今日、長くなるの?」「いよいよ~~~?」というセリフからして、このヤチヨがこれからアバターボディの中に直接入るはずはありません。これから自分が試験を受けるのに予定を何も把握しておらず他人事っぽく質問するということはありえないでしょう。
なので、すでにヤチヨ本体(思念体)はアバターボディで試験起動する状態に入っているはずです。ですので上記で彩葉が会話しているのはまず間違いなく、公式ガイドブックでいう「仮想空間上の人格・ヤチヨ」のはずです。
もう説明をするまでもないと思いますので省略しますが、※の箇所をみれば、どう見ても「記憶と感情」を持っていることは間違いありません。
そして彩葉自身もどう見ても相手をヤチヨとして会話していますよね。
ヤチヨの形をしたプログラムとして接しているようには見えません。実際、公式ガイドブックを見るまでは我々も全く疑いようがなかったわけで。彼女の人格はヤチヨ本人となんら変わらないはずです。
②rayMVの描写から
感極まって泣いてるんですよ。これで感情が無いなんて絶対に言わせないです。泣くってことはこれまでの記憶も感情も間違いなくあるはずです。
存在としてはもうヤチヨ本人と基本的に変わらないわけです。
(まさか都合良く、タイミングを合わせて涙を流すプログラムでも組んでいるのでしょうか?笑)
複製に頼りすぎ・問題押し付けすぎ
複製本人からすれば、ただ形式上、偶然自分が複製として生み出されただけで、自分はかぐやに戻れないということになります。
人格としては自分もヤチヨ本人と何ら変わらないのに。8000年の辛く苦しく寂しかった記憶もあるし、彩葉のことが大好きな感情もあるのに、一緒に救われず、サイバー空間上の管理者としての役割を与えられて、一人で据え置きで残されて、「彩葉とかぐや」という二人の輪に入れないわけです。
結果的に便利な代替物のように扱われてしまったように見えます。(本人たちや製作側がそうは思っていなくとも)これはあまりに理不尽で可哀想で残酷ではないですか?
ヤチヨ本体との違いはおそらく思念体があるか?プログラム的な存在か?ということだと思いますが。(思念体はざっくり言えば「魂」といえるような存在だと思います。かぐやも「このままだと幽霊みたいになっちゃう」と言っていたし)
なので確かにヤチヨ本体と仮想人格ヤチヨは厳密には異なる存在ではあると思います。しかし魂は無くても人格、つまり記憶と感情は間違いなくそこにあるのです。魂は無いとしても記憶と感情と精神があるならば、できれば自分もリアルに復活してかぐやとして彩葉と触れたいと思うはずです。
2030年の卒業ライブ後、正体を告白して「触れたら温かいかなっていつも思うんだ。また彩葉と一緒にパンケーキ食べたいな」「もうこれで終わってもいいって思ってた」と想いを語り、彩葉が希望を描いて向かっていくことになってドキドキワクワクした記憶もあるはずです。MVの最後のようにリアルで彩葉と手をつないでめでたししたいと思う感情があるです。
それなのに「あなたは複製の人格だからこれからもサイバー空間を守ってね。よろしく」と言われたら「え?」ってなりませんか?
どうやって仮想人格ヤチヨの気持ちや想いを納得させたのでしょうか?受け入れさせたのでしょうか?もしかしてプログラムの制御などで彩葉への気持ちだけを強制的に削除したりロックしたのでしょうか?(違うと思いますが)もしそうなら尚更酷いですよね?都合のいいただの道具なのでしょうか?
そこまで分身や複製の設定を深く考えておらず、複製を作った時点で「自分が複製だという自覚はあり、感情があっても全て都合よく動く」ような設定なのでしょうか?それだったらあまりに都合がよい、まさにご都合主義的な設定だと思いますね(なんとなくこれのような気がしていますが・・・)
仮想人格ヤチヨの思考が何らかの方法で強制されていないなら、仮に画面外で自分の今後の立ち位置や役割について納得するイベントがあったのだとしても、少なくとも彩葉とリアルでも一緒にいたい気持ちは「ある程度我慢してる」ことは間違いないと思います。
だって記憶と感情はあるのだから。
8000年も苦しんだヤチヨを、まだ半ば強制的な取り組みでこれ以上我慢させて縛り続けるのでしょうか?
彩葉とかぐやが目指して辿り着いたハッピーエンドは、複製の犠牲と我慢の上に成り立っている状態なんじゃないんですか?
これは本当にハッピーエンドと言えるんですか?
魂が宿ってないことで別の存在(生物)として認めるか否か?これはロボットやアンドロイドなどを描いたSFの永遠のテーマの一つにもなる話しだと思うので、この場で結論は到底出せないと思いますが。
しかしですよ、それならヤチヨ本人がヤチヨとして残って、複製をアンドロイドかぐやにして彩葉と二人でめでたしめでたしでも良いわけじゃないですか。
私個人としてはそのほうが正々堂々としていて潔く、感情としてハッピーだし、作中の記述とも整合性がとれていると思います。
なぜかというと、トラブルで致し方ないとは言え8000年の苦労をしたのはヤチヨ本人の過失・ミス・運命なわけです。その自分の行動の結果を自分の複製に任せて、自分はアンドロイドで具現化して彩葉とめでたしめでたしはちょっとズルいのではないか?と私は思います。
「いや、仮想人格ヤチヨもヤチヨだから~」「どっちも同じことでしょ~」と思うなら、繰り返しになりますが、それならリアルヤチヨがヤチヨとして残って、新しくかぐやを誕生させてもいいはずです。
そのキャラクターの生きた歴史ごと受け入れて二人でエンディングを迎える、という要素にこだわって企画を立てています。
ハッピーエンドにするために、監督自身が言ったように、当事者本人が自分の辛い過去も、不運も、アクシデントも、ミスも、失敗も受け入れてエンディングに向かうべきでしょう。
にも関わらず、本体は彩葉と現実でもハッピーエンドに向かうが、もう一人の自分の複製には仮想空間で引き続き保守・管理してもらい、二人のハッピーエンドに含まれないという展開は、理想ではない状態は自分で受け入れずもう一人の自分に負担させていると言えると思いますので、私は監督自身の発言と矛盾を感じてしまいます。そのキャラクターの生きた歴史とその結果を真に受け入れているとは言えないのでは?
複製や仮想人格を使うのが良くないと言ってるんじゃないのです。記憶や感情がある存在に理想のハッピーエンドではない(サイバー空間上の存在である)状態を任せて解決、としていることに違和感があるということです。
そうするなら仮想人格からは、感情を無くして、完全なプログラムとしてしゃべらせないくらいに描くべきだったのではないかと思います。都合良く見栄えがいい演出や描写ばかりを出した結果、整合性が甘くなったのではないでしょうか?
「複製」の使い方が都合良すぎではないですか?
まさかと思いますが。かぐやがもう一度地球に降りようとした時にも自分の複製を作って仕事を任せてきていますよね・・・まさかその複製にも記憶や感情があったんじゃないですよね?
我々はヤチヨが正体を告白する際に、頭にゼンマイがついた複製のイメージ描写を見て(実際にゼンマイがついているわけではないと思いますが)あくまでも業務的なプログラムやロボット的な存在だと認識しがちだったと思います。
しかしもしかして仮想人格ヤチヨと同様に、この複製かぐやにも同じく記憶や感情があり、複製かぐやも本当は彩葉とまた会いたいという想いがあったにも関わらず、仕事を押し付けて月に置いてきた、ということはないですよね?
これは何の根拠もないものの、仮想人格ヤチヨを用いた上記のような結果になった以上、この可能性も否定できなくなってしまったと思います。
「地球のことを全部思い出して、自分の複製を作って、それから姫と協力して舟も作って」
いや、根拠というか「「複製」」というワードを使っているわけですよね。その言葉を単純に受け取れば、そのまままさに自分の複製・コピーなわけなので、逆に上記のヤチヨと同様の懸念の方が可能性として高いのではないかという気がしてきます。いやワードだけで判断するならそうなりますよ。実際に仮想人格ヤチヨの存在によって記憶と感情が再現可能なことは実証されてしまったわけですから。
万が一もしそうなら、二回も自分と同じ記憶も感情もある複製に負担やシンドい役目を押し付けて、自分だけハッピーエンドに向かったことになるわけですよね。ハッピーエンドが聞いて呆れます。ちゃんちゃらおかしいですよ。
というかね、作中で解決が難しい障壁や問題が起こったら、毎回毎回キャラクターそっくりそのままの人格と能力を持った複製を作って、問題を任せて解決しました!って単純に作品として都合が良すぎじゃないですか?一つの作品上で何度同じ手段を使いまわすんでしょうか?
はっきり言ってこれに関しては非常にセンスがないと私は思うので、自分が作品に失望したくないためにも間違いであってほしいです。
私も超かぐや姫は、細かい描写よりも勢いと音楽とビジュアルでおもしろく楽しいプロレス的な作品だと思って楽しんでいたので「都合の良い反則気味の技でもまあいいじゃん!細けえこたあ気にすんなよ!」と思って楽しんでいましたが、同じ反則気味の技を二回繰り出したら、流石に立派な反則になるような気がします。イエロー2枚でレッドカードだと思います。シナリオや設定に欠陥があったように感じてしまいます。
(プロレスよく知らないので全然違ったらすみません笑)
作中でかぐやが自分で言ってましたよね?
「いい話し風になっているのが余計許せない」と。
「これかぐや姫絶対不幸じゃん!しかもいい話し風になってるのが余計許せないよ〜!」
(私の愛情が少しでも伝われば幸いです)
そして山下清悟監督はインタビューでこうおっしゃっていましたよね?
「自分が作品を見ていて一番腹が立つ時って、状況に負けてキャラクターが変わってしまう時なんです。展開によって性格がねじ曲げられる瞬間があって、それは単純に心が折れてしまったということではなくて、作者の都合で曲げられていると感じる時があるんです。それはやっぱり避けたい。
まさに製作側の都合で曲がっていませんか?
「いい話し風になっているのが余計許せない」と言っていたかぐやが複製に負担を任せて良い話し風に終わらせることになっていませんか?
キャラクターの価値観が変わって甘くなってしまっていませんか?
言ってることとやってることが変わってしまっていませんか?
おかしくないですか?都合よくないですか?
↑の涙は演出として卑怯だし感動を煽るために盛りすぎだったと思いますよ。これこそ蛇足どころか過剰演出です。こんなん何でもありじゃないですか。複製だから複製として使命に忠実で、本体達の望んだ通りに動くけど、魂がある本体と相違なく、エモい会話はするし感動して涙は流すって。
最後に涙を見せず、また小説でも感謝の気持ちを伝えたり感情的な会話をさせずに、もっと機械的に描いていればただのプログラムとしての存在で済んだのに。なぜそうしなかったのか・・・
ヤチヨの人格をこの先も永遠の牢獄に閉じ込めるんですか?
これこそ拷問みたいなもんですよ。
何度も言いますが、感情と記憶が入っているから涙を流したり、エモい会話ができたわけですよね?そうでなければできないですよね?
ということで、まず第一に上記のサイバー空間人格ヤチヨの扱いに違和感、矛盾を感じたため公式ガイドブックは間違っているのではないか?と思ったわけです。
1)に対して事前に想定できる指摘への反論
仮想人格ヤチヨもアンドロイドに入ってリアルで一緒に過ごすから問題なく幸せなはず!という指摘への反論
A1:大前提の公式ガイドブックに仮想空間上の人格とある
それはないはずです。 まずそもそも本件の大前提の公式ガイドブックに
仮想空間上の人格・ヤチヨ
と書かれているわけですから。
むしろこの記述で、私の最後の長文考察書き直し(2週間分の作業がパー)という拷問が始まったので逆に無かったことにして欲しいですよ笑
「仮想空間上の人格」と指定されて明記された以上は、彼女は仮想空間上で活動させるために構築された存在と見るべきです。そうでないなら普通に「ヤチヨ」「ヤチヨの複製」などで良いはずです。わざわざ「仮想空間上の人格」と書いたのはそのまま仮想空間用の存在だからなはずです。
時は流れ10年後。研究職に進んだ彩葉は、かぐやを復活させることに成功。
ヤチヨの複製とともに三人でステージに現れる───!
A2:ヤチヨは一度もアンドロイドとして登場していない
まず事実の確認です。
2040年のアンドロイド(正式名称:アバターボディ)開発以降も、ヤチヨは一切アンドロイドの状態で登場していません。リアルではなく常にツクヨミでのデジタル描写かもしくはタブレットやスマホの画面ごしのみの登場となっており、アンドロイドヤチヨは頑なに登場しません。
もちろん、ただ描写がないからといって「アンドロイド化はできなかったのだ!」と結論付けるようなことはしません。ただ偶然映ってないだけかもしれませんよね。
ということでしっかり考察していきますが。
ヤチヨがアンドロイドとして登場しない状況についての論証
ここは論証なので根拠はありませんが、できるだけ説得力があるように考察をしていきましょう。アンドロイド状態の描写がないということは以下のパターンが考えられます。
①アンドロイド化できるが偶然映っていないだけ。
②アンドロイド化できるが何か理由があって特定の状況のみにしている。
③アンドロイド化しなかった(する必要がなかった)④アンドロイド化できなかった。
まず先に④ですが、これはヤチヨ本体がアンドロイドに移植されたはずなので、できないことはないと思います。後述しますが思念体が移植できて、仮想人格が移植できないなんて理屈はないと思います。
ということで①ですが、これも「無い」だろうと思います。
ヤチヨが富士山山頂の時点でスマホの中、つまりバーチャル状態であることは間違いなく、リアルで参加はしていません。
富士山山頂にタケノコを掘り出しに行こう!(「埋める」でもいいですが)という三人にとって非常に重要なイベントに、アンドロイド化でリアルに参加できるのに参加しない、というのは違和感があります。地面を掘るという労働に対する人手的な意味でも理由もなく参加しないことはないと思います。
ですので、意味もなく参加しないということは論理的にはないと思いますから②のように何かしら理由があるものと思われます。
私が唯一思いついたのは以下です。
「AIライバーを名乗ってきた方針はそのまま、今後も活動することにしたので、人目につかないように基本的には第三者の目につく可能性がある場所ではアンドロイドには入らない」
という可能性があるのかな、と思いました。これなら富士山にアンドロイドで登らないという理由も、かぐやの復活ライブでツクヨミからの参加という体裁をとったというのも十分納得できるかな、思いました。
しかし、そうすると今度はこっちで矛盾が発生します。
これはMVの後半で「自宅で彩葉とかぐやがお茶を飲みながら話すシーン」です。
ヤチヨもアンドロイドとしてリアルで生活しているなら、流石に二人と別々に暮らすことはないと思います。かぐやのためにサイバー空間での存在を保守し続けているのに仲間外れは可哀想です。リアル生活をするなら三人一緒に暮らすはずです。
第三者の目につかないように屋外でのアンドロイド化を避けるのは分かるのですが、そうするとこのプライベート空間でもアンドロイドとして同席していない理由が分からなくなります。グラスも2つしか置いてありません。
(「他の予定があって偶然いなかっただけでは?」のような、根拠のない揚げ足取りをするキッズが時々湧きますが、どうぞ学習日記帳に書いてクラスで発表してください笑)
この会話のシーン、個人的には結構重要なシーンだと思っています。
MVの最終盤、rayのエンディングの部分は以下の3つのシーンが交互に入れ替わりで目まぐるしく切り替わります。
A)富士山のタケノコの掘り出しに向かう展開
1️⃣自宅で彩葉とかぐやがお茶を飲みながら話すシーン
2️⃣彩葉がメールで誰かに相談するシーン
3️⃣掘り出されたタケノコのアップ
B)富士山のタケノコの掘り出しシーン
富士山上空からカメラが降下し風景が降りてくる
シャベルでの掘削シーン
C)エンディングライブ(ダンス)
A・B・Cは時系列的には上記のように並ぶはずです。(Cのダンスは全ての決着がついた後の本当のエンディングだと思いますから。だから泣いてるんですよね)
またB・Cの中の各シーンも全て時系列順で流れていますから、同様に1️⃣2️⃣3️⃣も時系列順になっているのは間違いないはずです。
つまり1️⃣2️⃣3️⃣は因果関係で結ばれているとも言えます。1️⃣があったから2️⃣があり、2️⃣があったから3️⃣がある、というようにです。
ということは1️⃣自宅で彩葉とかぐやがお茶を飲みながら話すシーンは、2️⃣彩葉がメールで誰かに「私はかぐやを本当の意味で人間に・・・」と相談するためのキッカケになったと考えられると思いますし、またそう考えるべきだと思います。そうでなければわざわざ限られた時間のMVで2️⃣の前に描かれる意味がありません。
そのキッカケが何か感情的なことだったのか、もしくは技術的な課題などに関することだったのか、もしくは月の「姫」と原典の竹取物語に関する情報だったのか、それは我々には分からないですが。
一つ言えるのは、次のメールの展開に動くキッカケとなっており、彩葉にとっては非常に重要な何かが話されているということです。
そうした場面においてアンドロイド化ができているのであればヤチヨもそこに居ないというのはちょっと違和感があるかな?と思います。
アンドロイド化できるにも関わらず、
◉復活ライブにもアンドロイドで参加しない
◉富士山にもアンドロイドで登らない
◉自宅でもアンドロイドの姿が見えない
こう3つも重なると製作側が意図的にその設定を徹底して隠した(ヤチヨがどうなったのか我々の妄想を掻き立て話題を膨らませる商業的な意図で笑)か。
もしくは③アンドロイド化しなかった(仮想空間用の人格・複製としての存在だから必要なかった)と考えるのが自然ではないかと思います。
なお、Netflixアニメ本編のラストシーンで映される写真の中に、復活ライブの(おそらく)楽屋で撮ったであろう写真にヤチヨも映っています。
これを見た時に見た目が他の二人と大差がないので「ああ、なんだアンドロイド化もできていたのか」と思ったのですが、検討を重ねた結果おそらくここも実体ではなく、復活ライブ中と同じく3Dホログラムのようなアバター状態だったものと考えています。
理由は以下です。
◉アンドロイド化できたとして、ここでアンドロイドヤチヨになっているのに、やはりその後富士山にアンドロイド状態で一緒に登らない理由が分からない。
◉もしAIライバーとして人目につかないように富士山には登らなかったという理由があるのなら、今度は楽屋とはいえやはり他人の目に付く可能性はあり、理由として説得力に欠ける。
◉楽屋だけでなく、ステージの舞台裏でもアバター状態で投影されていたので(どういう技術か分からないが笑)、初音ミクのLiveようにステージ上でしかリアル投影されないというわけではない。
◉仮にこの写真がアンドロイドヤチヨだったとして、わざわざアバターボディを会場まで運搬して楽屋まで運び入れ、ライブはホログラムで参加して、楽屋だけアンドロイド状態で過ごし、またアンドロイドを運搬して運び出すという謎の行動をすることになり非常に不自然。
◉アンドロイドでもバレないように変装して楽屋まで入って、ライブだけホログラムで参加して、またアンドロイドで帰ったのではないか?→じゃあ富士山も変装して登ればいいじゃないか。→ではなぜ富士山ではスマホの中にいたのか?→?????
サイバー空間でも五感が実装されたから仮想空間ヤチヨも幸せなはず!という指摘への反論
実現したいこと
①サイバー空間の中でも味覚・嗅覚・触覚を得られる技術を作ること
②①を実現できるサイボーグボディを開発すること
確かにホワイトボードに①がありますが、それは本件の本質とずれています。
本質は、同じ人格の本体がリアル(ツクヨミも入れる)で彩葉と同じ人生を歩むのに、なぜ複製はサイバー空間だけで満足しないといけないことになるのでしょうか?ということです。同じヤチヨの人格なのに平等ではなく、ヤチヨ本体が都合よく分身に負担を任せてハッピーエンドに進んでいるということが問題なのです。
いずれにしても①が用意されたとしても、明らかにヤチヨ本体と存在に差がつけられていることになるわけですよね。「ちゃんと仮想人格ヤチヨも尊重して平等なんだ~」というなら富士山もアンドロイドとして一緒に行けばいいのに、事実として行っていないわけで、何らかの理由で行動に物理的な差が生じているじゃないですか。
サイバー空間内だけでも幸せなんだというのは視聴者がこのような差を感じた時に、自分の罪悪感の救いを求めているだけの思考であり、一貫性がないと思います。
さらに言うと、本体ほど尊重してないなら、そもそも①はなんで存在したのか、それ自体いまいち分からない話になるのではないかと思います。②のアンドロイド化だけで本体はハッピーエンドになれるわけですから。
①は何のため?中途半端に仮想人格ヤチヨを労うため?私は①があるのはヤチヨ本体がツクヨミにずっと残る(タケノコから思念体が出れない ※次章に関連)からだと思いました。だからこそ①があるのだと。
仮想人格ヤチヨもアンドロイドに出れるのなら尚更②だけでもいいはずです。
このあたりについても整合性が怪しく、支離滅裂気味なのではないかと思っています。
2)思念体の移植ってどうやったんですか?
彩葉の進路相談(提案)のホワイトボードに目標として以下の2つが書かれています。
実現したいこと
①サイバー空間の中でも味覚・嗅覚・触覚を得られる技術を作ること
②①を実現できるサイボーグボディを開発すること
そして学ぶべき分野として以下のように記載されています。
学ぶべき学問
・システム工学
・電子情報工学
・ロボティクス
・神経科学
・脳情報???
etc…
そして実際に2040年にはアンドロイドかぐやも誕生し、また「②①を実現できるサイボーグボディを開発すること」と書かれているということは、おそらく①も完了かもしくはある程度は進んでいるものと思われます。
もうこの段階で研究者・開発者・技術者としては人類史に名を残しまくりの、エジソンやアインシュタインやスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツと並べても遜色ないどころか、それをはるかに凌駕するレベルの発明家であり産業革命をもたらしたと言っていいと思いますwww
しかし、しかしです。上記の発明だけでも神の域に達しているレベルなのに、もしアンドロイドにヤチヨ本体を移植したというのなら、上記の①②に加えてもう一つとんでもないことを同時にやってのけていることになります。
ではお聞きます。
どうやって思念体をアンドロイドに移植するんですか?
どうやって思念体をアンドロイドに移植するんでしょうか?
あなたはイメージできますか?説明できるでしょうか?
どうやって「思念体」という謎の物質?状態?の生命体を、超高度文明のスーパーテクノロジーのタケノコ(しかも故障中)から抽出?してそれを正しくアンドロイドに移植?定着?させて、アンドロイドの各パーツや機能が動くように接続したり調整するのでしょうか?
私には全然分かりません。皆目検討もつかないです。
今あなたは「いやいや、思念体もデジタル情報(0と1)と同じように移植するんだよ」と思ったのではないでしょうか?
たしかに作中には以下のような記述があります。
かぐや
「(迎えに来るのは)たぶんツクヨミにかな?仮想の世界って月ととても近いから」
ヤチヨ
「(インターネット)それは月の世界と少し似ていて、かぐやは初めて魂だけの自分が世界と関われる可能性を知りました。」
「月の世界とサイバー空間やインターネットが似ているということは、0と1のデジタル情報と親和性があるということではないか?かぐやが月人に手を掴まれた時にプログラムのソースみたいなのも表示されていたし。」
私もそれはそうだと思います。
だから私はアンドロイドかぐやには8000年前で分割したヤチヨの記憶データ(0と1のデジタル情報)だけであれば、分割・出力・調整して移植可能ではないか?と考えていたわけです。
彩葉が開発したアンドロイドが一般的な現代のロボットやコンピューターの延長線上にあるものだとするなら、すごく大まかに分かりやすく言えば、手足がついたパソコンというだけです。
おそらく頭の中に
・演算処理装置(CPU):思考する脳みそ
・主記憶装置・メモリ(RAM):一時的に記憶し高速で作業する脳みそ
・記憶装置・ストレージ(SSD/HDD):たくさん記憶する脳みそ
などが搭載されており、
この記憶装置にかぐやとしての記憶データが移植されたものと思われます。
目(カメラ)
耳(マイク)
口(スピーカー)
なども機能としては普通にPCにもありますよね。
しかしだからといって
「だから思念体もデジタル情報と同じように移植できるはずだ」
と、そこで自分の望む答えに短絡的に結びつけずに慎重によく考えてみましょう。
確かに「記憶データ」だけであれば0と1のデジタル情報として処理を行い、記憶装置に移植できる可能性はあるかと思います。少なくとも我々の技術水準でもやろうとすることの理解はできますし、普段我々も日常でスマホやパソコンにデータを記録しています。
しかし「思念体」は記憶データ(だけ)ではありません。それ自体で独立して「思考」もして生きているわけです。(おそらく)それ自体で生命体なのです。
月人は肉体を持たない思念体だ。だから、月製の舟『もと光る竹』は、着陸した星の環境を調べ上げ最適化された肉体を乗員に付与する。となると、依代を見つけないと私は幽霊みたいになっちゃう?うぉぉん虚しい~。
機能が死んでるのか?
......『もと光る竹』、応答して。
そんな~。
......『もと光る竹』、応答して。
いろんな可能性全部シミュレーションしたじゃあん、かぐやちゃん力及ばすってことッ?
......『もと光る竹』、応答して!
マジかよ。声も出せず、姿も見えず、ここから離れることもできず
分かりますか?
パソコンやサーバーに搭載されたAIがあったとして、それはパソコンのCPUやメモリを使って思考するわけですが、思念体はタケノコの装置や設備を使って思考を行っているわけではないのです。ただのデジタルデータと違って思念体そのものが生きて思考しているわけです。
本人も言っているように幽霊や魂に近い存在と言えると思います。
では、もう一度聞きますね。
幽霊や魂をどうやって抽出して機械のアンドロイドに移植するのでしょうか?
姿も形もない幽霊や魂の思考や感情(脳みそ的なエネルギーとか情報群とかプラズマとか?)をどのように解析・受信・伝達して、機械の身体に定着させて、機械の身体を制御できるようにするのでしょうか?
もしかしたら、これについても彩葉は何か考えていて、実現する可能性をイメージできているのかもしれませんね(もう神の次元を超えています)
しかし、2040年に少なくとも二回目以降の起動試験を行った際に彩葉は以下のように言っています。
「味覚はもうちょいお待ちあれ」
味覚の実現もまだ終わっていないわけです。
繰り返しますが、2030年に進路相談で以下の目標を掲げていましたよね。
実現したいこと
①サイバー空間の中でも味覚・嗅覚・触覚を得られる技術を作ること
②①を実現できるサイボーグボディを開発すること
厳密に①がどうなったのかは分かりませんが、少なくとも②がまだ完全に終わっていないような状況なわけです。
つまり地球人の身体の再現も実現途中である段階で、さらに
③思念体の解析と制御そして移植
が追加されており、そしてむしろ先に③が実現完了していたとは私には到底イメージできません。まだその領域には至っていないはずです。到れるわけないと思います。
よって2040年の段階で思念体のアンドロイドへの移植などという異次元の施術が実施できたというのはあまりにぶっ飛びすぎではないか?と思います。
流石に盛りすぎで、都合良すぎではないでしょうか?
もう本当になんでもありじゃないですか。
DEATHNOTEのジェバンニの再来でしょうか
彩葉が10年でやってくれました。
この「サイバー空間の五感実装」と「アバターボディ開発」と「思念体の解析と制御」が間に合うかが鍵でした
(しかもホワイト研究所で定時上がり(白目))
いや、なんならジェバンニよりひどい気がしますけど笑
なんでもありでいいなら
タイムマシンを開発して隕石にぶつかる前のかぐやを救い出して💢、さらにタイムパラドックスでヤチヨとツクヨミが消えないように複数の世界線を固定する時空(多元宇宙)管理システムも作っておいて💢、ヤチヨ本体と月のオリジナルかぐやと一緒に過ごして完全無敵の最強ハッピーエンドにすればいいじゃないですか💢💢💢
もともと楽しければ何でもあり寄りなプロレスエンタメ作品だとは思いますけど、ちゃんと描かれた設定以上にさらになし崩しで盛ってしまうなんて、もはや作中の設定描写が意味をなしていない。崩壊していませんか?
「そう言うもんなんだよ!」って言うなら、シナリオライターとか舞台設定や設計を考案する仕事の意味ってあるんですかね
CIAの職員もそうでしたが、超かぐや姫はかなり壮大なストーリーすぎて、解決できない問題が起こると(仕方がないとは言え)明らかに反則技のようなやり方で解決する傾向が強いと思います。
まさか思念体がアンドロイドに幽霊みたいに憑依してるわけでもなし。
もしかしてオカルト作品でしたか?
まさかオカルト設定じゃないですよね?
味覚機能の開発だとか、それこそ10年の研究の意味、ロボティクスだとか
神経科学とかはなんなんだって話になりますよ
ということで、第二に上記の違和感により、ヤチヨ本体(思念体)をアバターボディに移植することに違和感しかなかったので、やはり公式ガイドブックは間違っているのではないか?と思いました。
3)ヤチヨはかぐやに戻れるの?
上記の記事などでも常々記載していましたが、ヤチヨは自分で元々のかぐやから変わってしまったと言っていたんですよね。
ヤチヨ「キラキラのかぐや姫はもうおばあちゃんです」
ヤチヨ「何でもできる最強だったかぐやは、もういなくなってしまった。」
ヤチヨ「でも彩葉。私は、元のかぐやではなくなってしまった。冗談を言うことも減った。再開を願っても、もはやその形は月で夢見たような華やかなものではない気がして。」
アンドロイドかぐやとしてのセリフや活動の描写がほとんどないので、厳密に比較はできないのですが、私はアンドロイドかぐやは元のかぐやと同じ人格や性格のように見えました。(※後述)
おばあちゃんになってしまった・・・
変わってしまった・・・
最強のかぐやはいなくなってしまった・・・
と作中でずっと描写しておいて、と
↓ からのー?
じゃーん!
やっぱすぐ戻れましたああああ!✌^^✌ ウィー
ってそうなるとしたらずるいですよね笑
もしそうなら完全にミスリードですよ
しかも8000年積み重ねたものが数ヶ月だか数年で都合よく戻るのでしょうか。
というか成長・成熟・老化した人の人格が遡及するとは考えられないですよね。私はこれは絶対にないと断言できるくらいに思っています。時間と同じく不可逆だからです。
もしヤチヨが8000年経過する前のかぐやの人格に戻ったのだ!と思う方は、是非ご自分の中学生・小学生の頃の人格・価値観・性格に戻してみてください。
できたでしょうか?すぐにではなくても何年か時間かけてもいいのでチャレンジしたらできそうでしょうか?
きっと何年かけてもできませんよね。残念ながら我々は精神的にも老いる一方です。それは現実の時間の流れと全く同じです。絶対に戻れないのです。
タケノコの機能で人格を戻したというようなことも無いはずです。なぜなら監督が「そのキャラクターの生きた歴史ごと受け入れて二人でエンディングを迎える」と言っているからです。
ということはですよ、アンドロイドかぐやはヤチヨの人格をそのまま受け継いだことになると思うのですが・・・
rayMVの冒頭、富士山頂に到着してこういうやり取りがありますよね。
かぐや「イヤァァァァフォォすくぁwせdrftgyフェフフフゥゥゥゥ^p^」
彩葉「あっちょっ あぁ・・・ちょっと転ばないでよぉ!?」
かぐや「ア~^」
かぐや「やっと、ここまで来れたね」
私はこれは彩葉(母)とかぐや(子)的な関係性が現れていると思っています。少なくとも普段から精神的に自分より成熟して頼れると思っている相手がちょっとはしゃいで駆け出したからといって、慌てて注意するようなことはないと思いますから、彩葉からみてアンドロイドかぐやは注意するに値する、ついつい心配になり注意したくなるような人間性であるというのは言えると思います。
以下で説明していきますが、アンドロイドかぐや誕生後、ヤチヨと彩葉とかぐやの関係性(概念)は、母親(祖母)・子・孫となったと思われます。
彩葉にとってヤチヨは母親といえる存在である
少し遡ってアニメ・小説最後のアンドロイドかぐや誕生のシーンの話になりますが、小説版をよくよく読んでみると、おそらくアニメでは描ききれなかったメッセージが見えてきます。
まず以下のセリフですが、
「ありがとう、彩葉。かぐやを産んでくれて」
「竹の中からかぐや姫を見つけた翁は、十年後本当にかぐやを産み出してしまいましたとさ☆」
ヤチヨがそのままアンドロイドに入るだけ、もしくは分身を入れるだけ等ならまず「産む」なんて言い方は違和感があり、不自然だと私はずっと思っていました・・・
まあでもガイドブックが正しいなら入っちゃったんですけどね・・・
最初「ちょっと気持ち悪い言い回しだな笑」と率直に思いました。小説でやたらと「産む」「産む」というんですよね。アンドロイドにヤチヨをそのまま移植するのなら「産む」というよりは、せめて
「ありがとう、彩葉。かぐやに戻してくれて」とか
「ありがとう、彩葉。かぐやを救ってくれて」とか
「ありがとう、彩葉。かぐやを蘇らせてくれて」とか
のほうが自然なんじゃないか?と思いました。まあエモさを出すためなんだろ程度に思っていたのですが、前後の記述をよくよく読み直した時に、隠れたメッセージに気づきました。
「───大切なメロディは───流れてるよ───あなたのハートに───」
何て澄んだ歌声なんだろう。私の心に寄り添って全ての不安を取り除いてくれる。まるで波の音のように、心臓の脈打つ音のように。
優しくて、温かくて、安心できるヤチヨの歌声。
それは多分、私が母に求めたもの。母への依存を断ち切った今ならわかる。私にとってヤチヨは───。
「ありがとう、今度は私の番だからね」
誰にも聞こえない声でそう言った。
私にとってヤチヨは────
なんなのでしょうか?
直前の記載から見て「母親」しかないですよね。
正確には、
私にとってヤチヨは────
・母の代わりだったのだ。
・母の代わりに優しさを与えてくれた存在だったのだ。
・母の代わりに温もりを与えてくれた存在だったのだ。
・母の代わりに愛情を与えてくれた存在だったのだ。
のような意味合いが続くはずです。
これにご納得いただくため、背景も確認しておきます。
アニメ本編では彩葉の母親(紅葉)は「めちゃくちゃ厳しいけど最後は理解してくれるお母さん」のようにポジティブに見えます。進路相談の後も認めてくれたような描写もあります。
しかし、小説を読まれた方なら分かると思いますが、小説版では率直に言って毒親そのものです。
「やってみ。ただ、好きなことをするには責任が付きまとう。向いてたかどうかなんて最後までわからんし、最悪誰もおらんとこで一人で死ぬことになる。それを忘れたらあかんよ」
それだけを言い残して一方的に電話は切れた。脅かして怖がらせて、そんなふうにしか心配を伝えられないんだ。
特に序盤は彩葉の脳裏に四六時中、それはそれは頻繁に母親の呪詛的セリフがフラッシュバックし、おそらく洗脳(依存)と言っていい症状が出ているのが見て取れます。ある種、母親の呪いに取り憑かれていると言っていいように思います。
しかも最終的にも「一応自立したとみなされ長文お説教メールや無遠慮な連続着信電話も鳴りを潜め、あるのはたまに会った時のお小言くらい」となったということで落ち着きはしたものの、ちゃんと和解して仲良い親子になったということもありません。
「宇宙人調べでもそのお母さん激やばおかしいって!!おかしい~!おかしいおかしいおかしい!」とかぐやが訴えていたのは至極真っ当な批評だったと思われます笑
またインタビューで監督も以下のように発言しており、やはり酒寄家の真の家庭事情はかなり重苦しい状況だったことは間違いなさそうです。
こうした背景を踏まえると、彩葉はずっと母親の優しさ、温もり、愛情に飢えていたのは間違ありません。
特に以下でハッキリと書かれています。
お母さんに褒められると涙が出るほど嬉しかった。突き放されると全てが否定された気持ちになった。私の気持ちをお母さんが利用しているのが嫌と言うほどわかってても、私は、お母さんが────大好きだった。認めてほしかった。そのためなら死んでもよかった。 でも、どれだけ頑張っても私は完璧にはなれなくて、お母さんは変わらなくて、笑ってくれなくて、責められて、ぶつかって、そしていがみあうことを望んでいるようなところが耐えられなくて、逃げ出した。
彩葉は母親の優しさ、温もり、愛情に飢えており、そして彩葉が母に求めていた「私の心に寄り添って全ての不安を取り除いてくれる。まるで波の音のように、心臓の脈打つ音のように。優しくて、温かくて、安心できる」存在、つまり母親代わりの役目をヤチヨが果たしたということが示されているわけです。
rayPVのこのシーンはまさに彩葉の心をヤチヨが支えた場面でもありますし、
「・・・・・ヤチョってこんなにお喋りだったんだね。いつも聞いてもらうばっかりだったから、私なんにも知らなかったよ」
また以下のシーンも、実際にかぐや(ヤチヨ)が幼い彩葉に会ったというわけではなく、幼い頃に傷つきトラウマになり飢えていた彩葉の心(心の中の潜在的な幼少の彩葉)をかぐや・ヤチヨが癒やして救ったのだというイメージの表現であると思います。
よって、彩葉にとってヤチヨは「母親」といえる存在であった。また「母親としての愛情、温もり、優しさ」を与えた存在であったと言えることは間違いないと思われます。
そして彩葉がかぐやの母となりヤチヨにとってかぐやは孫となる
しかしそれだけでは終わりません。上記の彩葉のセリフには以下のように続きがあります。
優しくて、温かくて、安心できるヤチヨの歌声。
それは多分、私が母に求めたもの。母への依存を断ち切った今ならわかる。私にとってヤチヨは───。
「ありがとう、今度は私の番だからね」
誰にも聞こえない声でそう言った。
「今度は私の番だからね」
これは今度は彩葉がヤチヨを助け、その心の恐怖と孤独と絶望から救済し、傷ついた心を救い癒やしを与えることを意味するはずです。
その手段がこそが「かぐやを産む」ということになります。MVのシーンでいうと以下の一連の描写がそれを表現しています。
それは自分の幼少の心の傷を救われたのと同じく、ヤチヨにとっての過去、彩葉と同じように子供時代と言ってもいいかもしれませんが、8000年前から始まった過去の自分の苦しみ、孤独、絶望から救済してあげるということです。それがアンドロイドかぐやの誕生であり、それがヤチヨにとっての救済にもなるはずです。
彩葉にとってヤチヨは母であり、そして今度は彩葉がかぐやの母になる。
つまりヤチヨはかぐやの祖母、また逆にかぐやはヤチヨの孫のような関係性、概念・存在・演出・表現であると言えると思います。
(かぐやが8000年前の記憶から分岐しているのであればもっとピッタリで感動的な説明ができていたのですが・・・惜しいです・・・)
「かぐやはヤチヨの孫であること」を暗示しほのめかす意味深な設定(実母には孫はできない)
上記の説を明らかにほのめかしている、意図的に記載されているとしか思えない描写があります。それは小説版、新・終章が始まってすぐの以下の彩葉と帝(朝日)の会話です。
「正月にお祖父ちゃんお祖母ちゃんとこみんなで行ったやろ。私と二人きりになった時にさあ、「足掬われんようにな」って言われて」
静かな研究室の中、私は兄との通話中だ。
「私もうええ歳やのに、まだそんなこと言わはるん!? て。びびったわー」
「まああん人は死ぬまでそんな感じやろ。俺もこないだ久々にメール来たから『おーっす!』て返しといてん」
「もしかして乃依くんとのこと?」
「せや。未だに孫なし確定なん嫌みたいやわ」
「なんやそれ~」
私たちは声を上げて笑い合って、待ち合わせについての確認をしてから通話を切った。
普通に読んでいたら。クライマックスで突如不意打ちで食らうまさかの強烈なBL展開。
予想外の“BL”
特に理由のない薔薇展開が腐女子を襲う――!!初見の時はもう頭の中大騒ぎですよ!!
「待って!!え!!ヒャダ!!なに!?そういうことなの!?!?」と一気に昂ぶってしまって、私もうっかり腐女子化してしまいました。
もういてもたってもいられずTwitterでつぶやかざるをえませんよね。
その衝撃のあまり実は非常に重要なことが紛れ込ませて書かれていることを素通りしてしまう人がほとんどでしょう。私も素通りしました。
正直、最初私は男性二人がそういう関係であることを読んだ時「流石にいくらなんでも設定盛りすぎだし狙いすぎでしょ」とちょっとうーんと思いました笑
サブカル性癖的な意味で一般層の私でも彩葉(妹)とかぐやの百合的な関係性は明らかに感じ取れていましたが、まさか兄まで同性愛とはビックリでした。
「なんでどっちも同性愛にしたんだよwwwオタクウケ狙ってやりすぎだわ~(呆)」といくらなんでもそこまでやるかと、なんでも盛ればいいわけじゃないでしょうと思っていたのですが。
実はこれにもおそらく重要な意味があったのであろうことに後から気づき、とても反省致しました・・・
もうお気づきかと思いますが
「せや。未だに孫なし確定なん嫌みたいやわ」
ここですよね。
彩葉の母親(紅葉)には孫が確定でできないということです。
(ここの解釈はもしかしたらさらに別のメタファーやメッセージ性も込められているのかもしれませんが)
兄妹そろってダブル同性愛というかなり不自然に思える設定は明らかに意図があったからこそのものであると私は思います。
(父親が死んでから)最後まで彩葉に愛情も温もりも与えられなかった実の母親には孫が生まれず、一方本当の愛情と温もりを与えたヤチヨにはかぐやという孫が生まれたというのは、シンプルかつ明確な対比となっている、対比させていると思います。
まるでおとぎ話の花咲か爺さんや舌切り雀のようですね。正直者で優しいお爺さんに対する、よくばりで嘘つきの爺さん婆さんのように、読者にはカタルシスを感じさせるものでもあります。
以上から、
アンドロイドかぐや誕生後、ヤチヨと彩葉とかぐやの関係性は、母親(祖母)・子・孫となったのだということを、自信を持って主張することができると考えているわけです。
早見沙織さんのインタビューより
─── 仮アフレコを経て、早見さんはどのようにヤチヨというキャラクターを捉えられたのでしょうか?
山下監督から言っていただいたのは、振り幅を自由に付けてもいいとのことでした。彩葉とかぐやよりもお姉さん的な立場として物語を俯瞰で見ているシーンもあれば、少女のような顔を見せる時もある。それでいて、時には母のような包容力も見せますし、コミカルなギャグ顔で周りを振り回すこともあります。それだけヤチヨは 8000 年という永い時の中で、さまざまな感情を抱えてきたんだろうなと。そういったことを念頭に置き、遊び心を持って収録に臨みました。
山下監督のインタビューより
spoon.2Di vol.131 (KADOKAWA MOOK)という雑誌で監督自信も以下のように言っています。
――かぐやと彩葉について、どんな女の子であると考えていらっしゃいますか? 二人の関係性をどんなふうに捉えていらっしゃるのかと併せてお聞かせください。
「かぐやは、当初もっと宇宙人っぽい、若干怖いところが多いキャラクターだったんです。彩葉に対してだけは割と言うことを聞くため、友達思いな丸い印象になりましたが、本質的には少し残酷だったり、合理性を軸にした考えをベースに持つ孤独な子です。彩葉に関しては母親から受けた呪いをトラウマに近いレベルで内面化してしまっているが、その深刻さに自分で気づいていないという子です。かぐやはその悲壮さを直感で察知しています。この二人の間にあるのは深い精神的な瑕疵を持った者同士の友情、親子愛、家族愛だと思っています」
友情だけでなく、親子愛、家族愛とのことです。
彼女たちの関係性のコンセプトとしてまず間違いないと思います。
ということで大変長くなったのですが。
ヤチヨ、彩葉、かぐやには、母、子、孫という文脈も含まれており、ヤチヨがアンドロイドかぐやの中身だとすると、祖母(母)と孫が同一の人格になるということです。
「いや、あくまでも上記の関係性は概念的なメッセージやメタファーであって、具体的なキャラクターの設定とは関係ない」ということなのかもしれませんね。
それは分かります。そういう概念は納得できます。
しかしやはり、やっと冒頭の本題に戻りますが
◉rayMV富士山登頂シーン
かぐや「イヤァァァァフォォすくぁwせdrftgyフェフフフゥゥゥゥ^p^」
彩葉「あっちょっ あぁ・・・ちょっと転ばないでよぉ!?」
アンドロイドかぐやの中はヤチヨなんですよね?
で人格はそうそう変わらないと思いますから、描写がないだけでヤチヨらしい一面もあるわけですよね?(もし人格が完全にかぐやに戻ったならそれはそれで問題でその理屈の説明を要求したいです)
そしてそれは彩葉にとっては母親としての温もりを感じていた人なわけですよね?
最初に言ったように、普段から精神的に自分より成熟して頼れると思っている相手がちょっとはしゃいで駆け出したからといって、慌てて注意するようなことはないと思います。彩葉から見てアンドロイドかぐやは注意するに値する、ついつい心配して注意してしまうような人間性であるという描写と矛盾しているのではないでしょうか?
このように彩葉(母)とかぐや(子)的な関係性が描かれているのにも関わらず、その中身は「大好きで憧れていた祖母」なんです!というのはちょっと自由すぎではないかなあと思った次第です。
ということで、第三に上記の違和感により、ヤチヨ本体をアバターボディに移植したことと、その後の人物描写に違和感があったので、やはり公式ガイドブックは間違っているのではないか?と思いました。
4)彩葉の「8000年ぶり?」はおかしくないか?
アニメ本編最後の復活ライブにてご存知以下のようなセリフがあります。
かぐや「(ライブ)久々すぎぃ~!」
彩葉 「8000年ぶり?」
ヤチヨ「ヤッチョは先週ぶり~!」
三人「えふふ笑」 ← かわいい
ここで明らかになっているのは、アンドロイドかぐやとヤチヨで時間に対する認識(記憶)が異なるということです。
それだけは間違いないです。
もし公式が「上記のシーンのかぐやとヤチヨの中身が全く同じで記憶も全く同じなのだ」と言ったとしても、私は論破する自信があります。
なので、上記のアンドロイドかぐや(ヤチヨ本体)は少なくとも、最近アンドロイドに入ったのではなく「ライブが久々」と感じられるくらい前には、仮想人格ヤチヨにライバーとしての役目を引き継ぎ、自分はアンドロイドに入ったか、その準備としてライバー活動をストップしたことになります。
おそらく10年間のうち、序盤はまだ彩葉も勉強中なので、アンドロイドに入る準備をするとしても後半の2、3年くらいが現実的なのではないかと思います。それであれば「久々すぎぃ~!」という時間感覚も成立するだろうと思いますから。
しかし問題は彩葉の「8000年ぶり?」です。
どういうセリフなんですかねこれ💢
だって、アンドロイドかぐやの中に入っているのはヤチヨ本体であって、上記のとおりであれば数年前までライブを(一緒に)していたわけですよね。
中身のヤチヨを意識して聞くなら「数年ぶり?」になり。
もしくは
外見のかぐやを意識して聞くなら卒業ライブぶりなので「10年ぶり?」になるはずですよね。
何をもって「8000年ぶり?」って聞いたんですかねwww
全く意味などなく軽口で「8000年」と適当に三人にとっての思い出のキーワードを使った冗談や雑談を言ったのでしょうか。もしそうなら何もつっこめないですが・・・
でも(彩葉が大人になって余裕が出てきたとはいえ)これまでずっと頭空っぽな冗談を言っている姿は一度も描かれていなかったと思うので、最後の重要なシーンで初めて「全く意味のない冗談を言っただけなのです!」と言われても受け入れ難いものがあります笑
もし会話としてそのまま受け取って考えれば、歴史上では8000年前という時代で記憶をサルベージしてきて、アンドロイドに移植した存在と考えるのが自然なのではないかな?と私は思いましたが。
そうでないなら、非常に不思議な会話を彩葉が行ったことになります。「8000年」という単語を発するということは、以下のような奇妙な思考を行っていることになります。
横にいるかぐやを10年前に卒業ライブをしたかぐやとは(当然)見ておらず、つまり8000年を体験したヤチヨ本体が入っている認識でいるが、しかしヤチヨとして過ごしたライバー活動期間を頭の中で対象外として考慮せず、8000年を体験して復活した純粋なかぐやという虚像の皮を被せて、語りかけるような複雑なセリフだと思います。
ヤチヨを意識しながら、ヤチヨを意識しない
かぐやであるけど、かぐやではない
自分で書いてても意味がよく分からず混乱しますが、そんなよく分からないことを彩葉が言うんですねぇ
はえーやっぱ天才は違いますわー
んなわけあるか!😠
私はこのシーンと公式ガイドブックの記述に相違が生じるように感じ、とても違和感があります。冗談にしてもそうでないにしても、事情や状況を詳しく知っている彩葉だからこそ逆に出てこない単語のように思います。
ということで、第四に上記の違和感により、ヤチヨ本体をアバターボディに移植した彩葉のセリフとは思えないので、やはり公式ガイドブックは間違っているのではないか?と思いました。
おわりに
おそらく今回こそ私の最後の考察になると思います(なって欲しい)
超かぐや姫!がノリと勢いで楽しさ全振りの作品であることは、それはもう私自身が重々承知しています。
その楽しさと感動がとても大きかったから
彩葉が美人で天才で東大も楽勝で運動もできて(祖父から仕送りもらっているとはいえ)自分でバイトして生活費も稼いで音楽も作れてゲームもうまくて、優しい優しいイケメンの実兄がNo1ライバーでプロゲーマーで大成功していて、優しい友人が二人とも美人でインフルエンサーで成功していて(ここまでは絶対にありえないとは言えないし)
そしてサイバー空間の五感実装とアンドロイド開発を10年で開発という超絶ご都合主義であっても。
そしてどれだけエアプのアンチがご都合主義だ!と不満を言っても。
ええやんええやん!おもろいやん!細けえこたあいいんだよ!で私は楽しめていました。
この2か月本当にとても楽しかったです。
しかし当記事に記載のとおり、公式ガイドブックの設定のとおりであれば、流石にいろいろ盛りすぎかつ違和感がありすぎだと感じましたし
そして何より「本当にそれはハッピーエンドなのか?」という疑念が生じてしまったことが私にとって非常に大きいです。
これにより私にとっては楽しさと感動の大きさよりも違和感と疑惑が上回ってしまったようです。公式ガイドブックの該当箇所を見てから残念な気持ちになってしまいました。
あらためて私の結論(意見)としては以下のとおりです。
①公式ガイドブックの記述が間違っている
→もし本当にそうなら訂正を期待(例えそうでも無理だろうけど)
②キャラの性格や思想を変えたり大きな覚悟や決断をするほどの極めて重要かつ複雑で特別なシナリオが省かれすぎて誰にも理解できない
→それにしても上述のような違和感や不自然な点が出るだろうか・・・?
(結局①か③では?)
③仕事の詰めが甘い。設定・設計・整合性チェックが甘い。雑。
→残念です
もし①公式ガイドブックが間違っている可能性があるのなら、プロのクリエイターとしての矜持を見せてほしいものです。
ここまで読んでいただいた超かぐや姫ファンの方からすれば、随所で厳しく嫌な書き方もしてるかもしれませんが、2か月間夢中になるほど楽しませてくれた「超かぐや姫!」への感謝と愛情もたくさん込めております。
何か奇跡のような展開があり、また超かぐや姫!に無心で夢中になって考察記事を書きたくなる機会が来てくれれば本当に嬉しいですね。
超かぐや姫!本当にありがとう。
さようなら、全てのかぐや姫。
「お話は、もう終わり」


