昭和45年8月26日の広島19回戦。甲子園球場は序盤から興奮の坩堝(るつぼ)と化していた。
0-1と広島に1点のリードを許した三回、阪神は1死満塁で「四番」遠井が広島の先発・外木場の初球、真ん中高めのストレートを右中間スタンドへ叩き込んだ。大歓声に包まれるスタンド。さらに続くバレンタインが中前へはじき返し、田淵が打席に入った。ここまで田淵の本塁打は21本。虎ファンの誰もが昨年の本塁打数と並ぶ22号2ランを思い浮かべた、その1球目だった。
死球で耳から大量出血
外木場の投じたストレートが田淵の左耳の上を鈍い音をたてて直撃したのだ。ドーッとその場に倒れた田淵の耳からは大量の血が流れ出ていた。
騒然となるスタンド。ベンチから飛び出した阪神の選手たち。すぐさまタオルで出血を止めようと耳を押さえたがたちまちタオルは真っ赤に染まった。
「担架や!」「早う救急車を呼べ!」
球場から西宮市上鳴尾町の「明和病院」へ運ばれた田淵は精密検査を受けた結果、幸いにも「脳波には異常がなく神経障害の症状も認められない」と診断された。大阪の厚生年金病院(現大阪病院)に移り9月7日に発表された最終検査結果は「左側頭葉脳挫傷及び頭蓋内血腫」で全治3カ月。倒れてから23日後の9月18日、少し元気を取り戻した田淵はトラ番記者の前に姿を見せた。
「ボールが怖くなる? その点は大丈夫。当たったときのことを何も覚えてないから。それより、あの事故の3日前に巨人の金田さんと甲子園の通路で会って『お前は避け方がヘタやなぁ』と言われていたんです。これからは避け方を練習します」
気丈に振る舞う田淵。その明るさに村山監督と気まずい関係に陥りかけていたトラ番記者たちも救われる思いだったという。
ルールを代えた死球
生死をさまよった田淵。後年、こんな話を打ち明けた。
「三途の川って本当にあるんだ。事実、オレが渡りかけた。葦(あし)の葉がいっぱい茂ってて、水は膝ぐらい。とにかく、向こう岸へ行かなきゃとザブザブ歩いてるんだ。そしたら、後ろの方から『たぶち〜、たぶち〜』の声が聞こえてきた。向こうへ渡らなきゃいけないのに、うるさいなぁ。だんだんその声が大きくなる。うるさい、誰や!と振り返ったら意識が戻ったんだ。だから、生死をさまよっている人には、枕元で一生懸命に名前を呼ぶ。これが大事だ」
《ホンマかいな…》
プロ野球界ではこの田淵の死球後、耳当ての付いたヘルメットの使用を義務化した。(敬称略)