ホルムズ海峡通過の出光丸、行き先は「名古屋」 厳戒下の決断、73年前の日章丸事件想起

川崎港に入港した日章丸=昭和28年(出光興産提供)

ホルムズ海峡を通過した出光興産系の原油タンカー「IDEMITSU MARU(出光丸)」は日本時間29日午前、オマーン湾をインド洋に向かって航行しているとみられる。イラン革命防衛隊に近いとされるタスニム通信は、出光丸はイラン側と調整の上で通過したと報じた。船舶位置情報の提供サイト「マリントラフィック」の目的地表示は「FOR ORDER」(注文用)から「Nagoya, JAPAN」に変わった。出光による厳戒下の石油輸送は、73年前の「日章丸事件」を想起させる。

第二次世界大戦後の石油業界はメジャー(国際石油資本)に支配され、イランの石油資源は英国のアングロ・イラニアン・オイル・カンパニー(現BP)の管理下に置かれていた。

イラン国民が富の恩恵を受けない中、当時のモサデク政権は1951年に石油の国有化を宣言した。英国は反発し、ペルシャ湾に軍艦を派遣して海上封鎖。イタリアのタンカーが拿捕される事件も起きた。

外資と連携しない民族系の経営を進めていた出光興産の創業者、出光佐三(1885〜1981年)は熟慮の末、①窮地に立つイランの救済②メジャーへの反発③石油の安定確保―の観点から、イランの石油輸入を決断し、タンカー「日章丸」を神戸港から極秘裏に出港させた。

行き先を知っていたのは船長と機関長だけだった。日章丸がセイロン(現スリランカ)沖に達したとき、船長は乗組員を集め、「本船はこれより、イランのアバダン港に向かう。そこで石油を積み込む」と宣言した。

佐三から預かった「ここにわが国は初めて、世界石油大資源と直結したる確固不動の石油国策確立の基礎を射止めるのである」というメッセージを読み上げると、乗組員から「日章丸万歳」「出光興産万歳」「日本万歳」の声が上がった。

日章丸は無線を切るなどしてアバダン港に入港し、ガソリンと軽油2万2000キロリットルを積み込んだ。英軍の監視をかいくぐって、昭和28(1953)年5月9日、無事に川崎港に帰ってきた。

その直後、英米両国は米中央情報局(CIA)を使ってモサデク政権を転覆し、パーレビ体制を樹立した。

メジャーに挑戦した出光興産の快挙は、敗戦から復興に向かう日本人に大きな勇気を与えた。イランでは日章丸事件が語り継がれ、日本への好印象の理由になっているとされる。

在日イラン大使館のX(旧ツイッター)は29日、出光丸のホルムズ海峡通過には触れずに日章丸事件を説明し、「両国間の長年にわたる友情の証として残っている。この遺産は今なお大きな意義を有している」と投稿した。(渡辺浩)

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