エース人生も「投手辞めます」 内野手転向も怪我で「はいクビ」、元中日名手の“始まり”
1年秋は遊撃手として活躍、2年からは外野手
「高校でも投手でと思っていたけど、いざ入ったら周りの同級生はでっかいヤツばかり。僕はどうも(背が)伸びないから、これはちょっとと思った。それで野手に転向したんです。まぁ、新チームになって見極めもされていたかな。『ピッチャー辞めます』って言ったら、“はい、野手”って感じでしたからね」。小学校時代は大きい方だったが、中3から身長は173センチくらいで止まっており、それが投手を断念する理由にもなったわけだ。 この決断が功を奏した。1年秋から豊田氏は遊撃手としてレギュラーの座をつかんだ。「2番を打ったかな。小っちゃかったけど、しぶといバッティングをしていたんでね」。秋の大会はブロック予選を勝ち上がったが、東京大会は1回戦で敗退。それでも主力としてプレーし存在感も示した。2年春からは外野手に転向。「冬の練習中、打球に手が先に出ちゃって(中指の)爪がポンと剥がれて浮いちゃって……。それで“はい、内野クビ”って」。 外野にも適応を見せた「(1973年の)2年になってからはレフトかな」。高校2年夏の東京大会は準々決勝で日大一に3-4で敗れたものの、強豪校のレギュラー外野手に成長した。「それで新チームになって、今度はライトに行ったんだよねぇ。背番号9で(打順は)3番だったなぁ」。 ちなみに1歳年上の作新学院・江川卓投手は、甲子園を沸かせるなど怪物右腕としてその名を轟かせていた。「すげぇピッチャーがいるなって思っていましたよ。(練習試合を含めて)対戦は全くなかったですけどね」。自身にとって“運命の相手”になるとは、この時は思ってもいなかった。
山口真司 / Shinji Yamaguchi