「9条から語る」のではない平和論 藤原帰一さんが憤る日本政府の姿
平和主義国家とは、何をする国家のことなのだろう――。
米国がイスラエルと組んでイランに武力攻撃をしかけた。日本では、平和主義の柱である憲法9条を改正しようという声が上がる。世界はどう変わったのか、日本政府は平和を守ろうとしているのか。戦争と平和を論じつつも、なぜか9条についてはほとんど語らない、国際政治学者の藤原帰一さんに聞いた。
大国間の戦争可能性、高まった世界
――南米のベネズエラへ、そして中東のイランへ。今年に入ってトランプ米政権は立て続けに軍事攻撃を仕掛けており、世界はとてもイヤな感じに包まれ始めたように思えます。
「世界中に『戦争の時代がまた来るのか』という漠然とした不安と恐怖が広がっています」
「ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザやレバノンへの攻撃、そして米国とイスラエルのイラン攻撃。大きな戦争が三つも進んでおり、戦火のゆくえは分かりません。現状では第3次世界大戦と呼ぶべき状態にまだ達していませんが、不安と恐怖が広がるのは当然です」
――米国のイラン攻撃で、世界はどう変わったのでしょう。
「一般に、暴力で領土や勢力圏を広げる行動が各国に広がった場合、大国は小国を支配できるかもしれませんが、国際関係は不安定となり、大国間の戦争が起きてしまう可能性が増大します」
「イラン戦争では米国とイスラエルが短期戦による勝利に失敗し、ともに戦前より弱体化しました。米国が弱体化した今こそ戦争を始める機会だと考える国家指導者が出てくる恐れもあります。危険な状況です」
――そう聞くと、中国政府の今後の動きが気になります。
「私は、中国政府が台湾侵攻を第一に進めるべき課題と考えているとは思いません。ただ、トランプ政権は中国の抑止よりも自国の勢力圏拡大を重視しています。米軍の戦力が中東に傾くことで、実際に中国への抑止力は低下しています」
「これは中国政府から見れば、中国が台湾に侵攻しても米国は中国を攻撃しないかもしれない、という予期が強まる状況です。残念ながら、中国が短期戦による台湾制圧に乗り出して成功する可能性は、イラン攻撃の前よりも高まっています」
平和へのチャンスはあるか
――藤原さんの目に、平和へのチャンスは見えていますか。
「短期的なチャンスはあります。たとえばウクライナ戦争でもイラン戦争でも、停戦が実現する可能性はあるでしょう」
「しかし、その場合もウクライナには侵略で領土を奪われた現実が残り、イランは体制存続のための核開発をおそらく手放さない。停戦が長期的な平和と安定につながるかと言えば、ほど遠いのが実情です。残念ですが、イヤな感じはまだまだ続くということになるでしょう」
――藤原さんは昨年のインタビューで、米国は「プレデター(捕食者)の帝国」に変貌(へんぼう)しつつあると語りましたね。トランプ政権がグリーンランドの獲得やカナダの併合を目指すと発言する状況下での分析でした。
「今年に入ってトランプ政権が見せているのは、力の行使への抑制をやめてしまった米国の姿です。国際秩序は、帝国主義の時代のそれに近づいています」
――日本では高市早苗政権が憲法9条改正に意欲を見せています。藤原さんは本紙夕刊で15年前からコラム「時事小言」を毎月連載していますが、戦争と平和を考える欄なのに9条についてはほとんど論じていませんね。
9条論より「プロセスとしての平和」を
「はい、憲法9条から語るアプローチを私は採ってきませんでした。『原理としての平和』ではなく『プロセスとしての平和』を語ろうと考えてきたからです」
――プロセスとしての平和とは、どういうものですか。
「いま実際に起きている戦争を止め、将来起きそうな戦争の芽を摘んでいくことです。現実の紛争に向き合って具体的な解決や改善の道を探ることが自分の仕事だと考えてきました」
――憲法9条については、どう考えているのですか。
「憲法9条は、侵略をした日本を二度と侵略のできない国にするために定められたものだと考えます。それは軍国主義だった日本を世界に再統合するための貴重なステップとなり、米国や中国や東南アジアの人々だけでなく、日本国民にも受け入れられるものでした。その意味で私は憲法9条に賛成ですし、なくすべきだとは思いません」
「ただし厳しい言い方をするならば、憲法9条を守るという姿勢には孤立主義の性格があるとも考えてきました。9条から語る平和論では、米国との同盟関係の中で日本がどこまで武力での協力をするかが課題だったのであり、コンゴで起きた戦争をどうしたら止められるかは課題ではありませんでした」
――世界で起きた戦争をどう終結させるかは課題になりにくかったということですか。
「はい。9条を守っていれば日本が戦争に巻き込まれることを避けられた面があり、それには意味があります。しかしそれだけでは、世界の紛争を具体的にどう止めるのかという視点は空白になりがちでした」
「憲法から考えるなら、前文も読み直すべきです。戦争のない世界を作る誓いが書かれていますから。『平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会』の努力に貢献すると。ならばイラン戦争では、米国とイスラエルの戦争を止めることに取り組むべきでしょう」
――今回のイラン戦争では、憲法9条があったからホルムズ海峡に自衛隊を送らずに済んだのだという議論が見られます。
「仮に憲法9条の縛りがなかったとしても、日本は、戦争が続くホルムズ海峡に自衛艦を送ってはならないのです。米国によるイラン攻撃は明白な侵略戦争なので、米国からの求めに応じて自衛艦を送ったら、侵略に加担することになるからです。国際法違反となり、戦争責任を問われます」
「残念ながら高市政権からは、戦争に関するこうしたリアリティーが感じられません。もしトランプ氏から強く求められたら自衛艦を送ってしまうのではないかと懸念しています」
9条改正は東アジアの「現状変更」
――日本の政界で憲法9条を改正せよとの声が改めて強まっていることを、どう見ますか。
「国際政治の視点から見れば、日本が憲法9条を持っていることも米国と安保条約を結んでいることも、東アジアの『現状』です。この中で憲法9条を改正するということは『現状変更』をする行為にあたります」
「具体的には、いま存在する武力行使への様々な自制をやめる可能性がある、と他国に知らせることになります。憲法は非現実的だから変えろという議論は、憲法を変えること自体が国際関係に不安定をもたらす、こうした可能性に目を向けていない気がします。国際政治における平和はガラスのようにもろいものであると自覚すべきです」
――高市首相による国会での「存立危機事態」発言を、コラムで批判しましたね。台湾有事について「存立危機事態になりうる」とする答弁でした。
「米国も台湾も中国も現状変更を求めていない中にあって、高市首相の発言は、存立危機事態の解釈を日本政府が拡大したかのように受け取られうる発言であり、国際間の微妙な均衡を崩す発言だと他国に解釈されてしまう余地のあるものでした」
「戦争と平和にかかわる場面で政治リーダーに求められるのは、他国との緊張を拡大させない配慮であり、武力行使に対する慎重さであるはずなのですが、首相の発言からはそのどちらもうかがえませんでした」
戦争終結の取り組み、見えぬ日本政府
――イラン戦争を終結させるための行動に、日本政府は取り組んでいるでしょうか。
「私にはその取り組みは見えません。ホルムズ海峡の航行の自由のための国際協議を始めようと欧州が言い始めましたが、あれも本来ならば日本が呼びかけをするべきものでした」
「日本政府の対応にはがっかりさせられるばかりで、怒りがわいてもきます。あきらめてはいけないと自分に言い聞かせ、現実への判断がゆがまぬよう怒りを抑えるのに必死です」
――具体的には、何をすればいいのでしょうか。
「イラン戦争の終結を求めているという姿勢を明確に打ち出して、戦争終結のための具体的な行動を始めることです」
「日本は中東各国との安定した関係を持ち、イランとの信頼関係も高い方に入る。G7加盟国の中でも日本は、中東各国との和平協議に大きな役割を果たすことができる国なのです」
――出遅れてしまった日本でも可能なのですか。
「残念ながら欧州に先を越されましたが、今からでも始めればいいじゃないですか。停戦への環境づくりをすることは、原油の安定供給にもつながります。もしトランプ政権から文句を言われたら、『いえいえ、これは米国にもお得な話ですよ。一緒にやりましょう』と言って米国を誘い込めばいい」
「戦争終結には、イランの核開発問題への対処も必要です。米国でいま始まったNPT(核不拡散条約)再検討会議に、残念ながら高市首相は出席しないようですが、政府としてもっと力を注いでいくべきです」
停戦提案に米国を引き込め
――欧州の首脳からはトランプ政権への批判も聞かれます。日本政府も批判すべきですか。
「欧州には通常戦力なら米国抜きでもロシアと対峙(たいじ)できる軍事力があります。しかし日本と周辺国では、韓国と豪州を合わせても米国抜きでは中国の戦力に遠く及ばない。日本は軍事的な対米依存度が欧州より高いのです」
「トランプ氏に向かって『愚かな選択だ』と批判しても、『お前の方が愚かだ』と言われて終わるだけです。必要なのは抗議より、多国間協議に基づく停戦と平和構築の提案に米国を引き込むことです」
「対立するどちらかの側について他方が倒されるのを待つのではなく、両者の間に立って、実現不可能と思われていた合意を引き出す。それが平和構築であり、プロセスとしての平和です。もちろん交渉によって得られる戦争終結とは、しばしば理想とはほど遠い、妥協の産物でしょう。それでも、平和を実現することには意味があります」
藤原帰一さん
ふじわら・きいち 1956年生まれ。順天堂大学特任教授。東京大学名誉教授。戦争と平和に関する考察で知られる。著書に「平和のリアリズム」「世界の炎上」など。
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