侍J入りの北山から「太く短く」散った伝説の剛腕まで──竹丸&毛利はどうなる? 新人開幕投手の「その後」
1955年、岸一郎監督の「若手を使う」方針から開幕投手に抜擢された19歳右腕は、重い速球を武器に大洋打線を6回2失点に抑え、勝利投手になると、同年は22勝で新人王を獲得した。だが、独特の“かつぎ投げ”が災いして右肩を痛め、2年目以降は通算9勝。「太く短く」の野球人生だった。 勝利投手の権利を得て降板したのに、開幕戦白星が幻と消えたのが、1956年の東映・牧野伸だ。 3月21日の毎日戦、高卒1年目の牧野は、山内一弘らのミサイル打線を5回無失点に抑え、1対0で降板も、リリーフ陣が打たれ、逆転負け。13年間で通算45勝を記録し、引退後は審判員に転身した。 巨人・長嶋茂雄がプロデビューした1958年には、立大で長嶋と同期の南海・杉浦忠が開幕投手を務めた。 4月5日の東映戦、1、2回に1点ずつを失った杉浦だが、3回に味方打線が一挙8点と強力援護すると、硬さも取れ、7回2失点で勝利投手になった。 同年は27勝で新人王に輝き、翌59年には38勝とフル回転してチームの日本一に貢献するなど、通算187勝を記録した。 開幕戦を白星で飾ることはできなかったものの、後の400勝投手と互角に投げ合ったのが、1959年の巨人・伊藤芳明だ。 オープン戦の好調を買われ、開幕投手に指名された伊藤は、国鉄のエース・金田正一と投手戦を繰り広げ、5回まで無失点。1対1の6回に降板し、勝ち負けはつかなかったが、以後、先発ローテに定着し、63年に沢村賞を受賞するなど、“V9前夜”の巨人投手陣の柱になった。 巨人は1962年も城之内邦雄が新人開幕投手を務めている。 4月7日の阪神戦、城之内は5回2失点と試合を作りながら、打線の援護なく、プロ初黒星を喫した。だが、同年は24勝で新人王を獲得。“エースのジョー”の異名で7年連続二桁勝利をマークし、V9時代前半の巨人を支えた。 ドラフト制以降の新人で初めて開幕投手になったのが、1984年のヤクルト・高野光だ。