1945年、もし京都市に原爆が投下されていたら 広島とともに一時「AA目標」、具体的な被害をシミュレーション
太平洋戦争末期、米国は広島・長崎に続く3度目の原爆投下計画を進めており、京都市は投下の可能性がある都市の一つだった。もし、日本が無条件降伏を拒み続け、京都市に原爆が投下されていたら、どのような惨禍が起こっていたのか。人類初の核兵器使用から80年にあたり、京都新聞社が広島大の専門家の協力を得て具体的な被害状況を想定したところ、死傷者20万人を超える甚大な被害の可能性が浮上した。さらに京都市民は、戦後も長く健康不安や結婚・就職差別などに苦しみ、現代まで原爆の被害を引きずることになったと考えられる。 【実際の写真】1945年8月、京都新聞は原爆投下をどう伝えていたのか ※この記事は、京都市への原爆投下を想定したもので、実際の出来事ではありません。自治体名は2026年現在の表記を使用しています
■「文化財が多かったから、京都は空襲がなかった」は大きな誤解
「京都に空襲がなかったのは、文化財が多かったから」と語られることがあるが大きな誤解だ。1945年、米軍は原爆投下の威力を詳しく確かめる目的で、京都市への大規模な空襲を停止していた。 原爆計画責任者だった米陸軍レスリー・グローブス少将の残した最高機密文書(米国立公文書館所蔵)によると、45年5月の標的委員会で、京都市は市街地の規模や保存状態から、原爆の威力測定や心理的効果の面で最適とされる「AA目標」に選定された。 投下目標地点は、鉄道がT字に交わり上空から視認しやすい梅小路機関車庫(下京区、現京都鉄道博物館)だった。AA目標は京都と広島の2市、A目標が横浜と小倉(現北九州市)の2市、B目標が新潟市だった。
■広島大学の専門家に協力・助言受ける
45年7月21日、戦後の占領政策を円滑にするという政治的理由で京都市は除外され、長崎市が追加された。しかし、7月24日に大津市、7月29日に京都府舞鶴市に「京都投下」の訓練とみられる模擬原爆(パンプキン爆弾)の投下があり、完全に目標から外れたのかどうか、真実は今も分からない。 こうした経緯を踏まえ、京都新聞社は京都市に原爆が投下された事態を具体的に想定した。45年の京都市と周辺の人口分布や広島市の被害状況などを基に、人的・建物被害を算出したところ、死傷者20万人を超える甚大な被害の可能性が浮かび上がった。また、戦後に京都の人々が背負う健康被害や差別、心身の苦痛などを被爆者の実体験や資料から考察した。 具体的な被害の推定手法や医学的な影響などは、原爆被害に詳しい広島大平和センター川野徳幸教授に協力・助言を受けた。 想定の狙いは、決して原爆の威力を示すことではない。核兵器の極めて高い暴力性や残虐性を「私たちが暮らす街」で表現し、平和や核廃絶、広島・長崎の惨禍を自分事として考えることにある。