時浦兼(トッキー)

「『日本書紀』にも捏造がある!」神功皇后論インタビュー・第2回

時浦兼(トッキー)

2026年4月30日 15:17

『神功皇后論』発売記念 小林よしのりインタビュー
第2回「『日本書紀』にも捏造がある!」

(インタビュアー・にしやん)

小林よしのり最新作!神功皇后論

小林「一般的に「女性というのはおしとやかなものだ」というのは、実はもの凄い刷り込みで、この刷り込みはもう延々と、今も続いている。
「皇統は男系じゃないとだめだ」とか言っている男達、あるいは女達は、まだ皆んなその感覚なんだよ。
男女平等とか学校で習っていたって、全然そうとは思っていない。
男と女というのは身体の構造上、絶対に平等にはならないからね。だからなおの事、それを思い知らされるわけだよね。

だけど、古代を調べていくと、前方後円墳の半分近くは女性の首長なんだよ。
これはわし個人の持論とかではなく、考古学的に実証されているの。
首長が女性の場合、祭祀の時は刀はこちら側に置くとか、装飾品を置くとか、そういう考古学的見地から、これは女の首長だったと全部分かってしまう。」

小林「古代日本のそれとは真反対なのが、例えば韓国とか中国とか、シナの儒教が浸透しているところ。儒教では、女は男の墓には入れない。完全な男尊女卑で、男が主なんだよね。

呉善花(オ・ソンファ)の『スカートの風』っていう本、あれは凄く面白いよ。韓国から留学生として来日した著者が、ルポエッセイで日韓の文化の違いを書いている。

たとえば、儒教の国では、大家族の中の序列が全部決まっていて、葬式とかがあると、新しく嫁に入った人は一番末端の席に座らせられるし、一日中、全員の料理を作ってなきゃいけないとか、ほとんど下女扱いなんだよ。そういうしきたりになってしまっている。

そういう男尊女卑のシナ男系主義が、徐々に日本に入ってくるわけでしょ。
『日本書紀』っていうのは、当時、世界の中心だったシナ向けにまとめられた書籍だから。
男が主、皇帝も当然男であるシナに対して、女が首長だったり、女が天皇だったりしたら、野蛮人と思われてしまう。
だから『日本書紀』自体が脚色してしまっている。全部「男」だったことに、捏造しちゃっているんだ。」

小林「神功皇后だけじゃないんだよ。
今の日本人が全然知らない人で、飯豊青皇女(いいとよのあおのひめみこ)って人がいる。この人も実は天皇だったんだよね。〈※1〉

神功皇后も元は「天皇」だったのに、『日本書紀』では「皇后」に変えられてしまっている。
皇學館大学の田中卓(たなかたかし)先生の家を訪ねた時に、先生が「『日本書紀』の中に「神功皇后」を「天皇」と書いてある箇所がある」って教えてくれたんだよ。
それで「ええーっ」と思って、わしは家に帰ってから岩波新書文庫の『日本書紀』を引っ張り出して必死に探した。そしたらあったの!確かに一箇所だけ消し忘れているところがあったんだよ!

元々は「天皇」と書かれていたのを、全部シナ向けに「皇后」にしたのに、『日本書紀』を作った当時に、一か所だけ「天皇」を消し忘れていたんだね。

当時七世紀ぐらいだよ。当時の人が歴史的ミスをしてしまっている(笑)それを今、令和の時代で見つけられてしまっているという、驚くべきことだよ!(笑)

しかも、一か所だけ「天皇」になっているものだから、岩波文庫としてはそこに解説を付けないとおかしいということで、脚注で解説が書いてある。それがまた、変な注釈なんだよ、なにそれ?っていう(笑)〈※2〉

小林「『日本書紀』の段階で、もう既にシナを意識しているんだよ。男性優位じゃないといけない、男系絶対じゃないといけないって、もうその時から意識してしまっている。
だから、今も男系固執している者たちは、実はシナ儒教の影響だよ、という話なんだよね。」

〈※1〉古事記・日本書紀には、5世紀末、第22代・清寧天皇の没後、第17代・履中天皇の娘・飯豊青皇女(いいとよのあおのひめみこ)が一時政治を執ったことが記されている。記紀共に正式に即位したとは書いていないが、後世の史書『扶桑略記』などでは「飯豊天皇廿四代女帝」と記されるなど、天皇の扱いになっている。

〈※2〉岩波文庫『日本書紀(二)』P157の注釈には、「この時は天皇がいないから天皇と書くのは不自然。しかしここは異伝の一節として別の時期のことかもしれず、その時に天皇がいたと伝えられていたのかも知れない。ただ誰をさすのか不詳」と書かれている。

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第1回「古代史から現れたフェミニズム」

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