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ワクワクしながら新築タワマンのモデルルームに行ったら、突然殴られた話
設定は架空の家族に置き換えましたが、自分が実際に体験した話を書きました。
※蔵前の隅田川沿いのタワマンのモデルルームという設定にしていますが、実在のマンションとは関係がありません。
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モデルルームというのは、いけない。
あれは人を浮かれさせる装置である。冷静に購入判断をするために行く場所のはずなのに、行った瞬間から冷静さが、隅田川の川下へ、さらさらと流れていってしまう。
玄関から入っただけで、ああ、なんかいい、となる。何がいいのか分からないが、とにかくいいのである。プレミアムフロア前提だから天井が高い。照明がやわらかい。ソファがふかい。百貨店みたいな香りがする。
本来3LDKの間取りを2LDKに変更するという贅沢をかましているせいでリビングは広々とし、折り上げ天井の間接照明が上質な雰囲気を醸し出している。
しかも、あれは家そのものを見せているのではない。家を買ったあとの、自分の機嫌のいい未来を見せている。
ここで朝、コーヒーを飲みますよ。ここで子供が笑いますよ。ここで夫婦は無駄に喧嘩をしませんよ。収納も豊富ですよ。休日には窓辺で本なんか読んだりしますよ。そういう、実際には発生するかどうか分からない、いや、たぶん全部は発生しないであろう都合のいい生活の気配が、オプションもりもりの内装に塗り込められている。
だから人は、うっかりする。うっかり、これを買えば幸福がついてくるのではないか、などと思ってしまう。まことに危険である。
その日も私は、まんまと浮かれていた。
日曜の午後、私は妻と息子を連れて「レタリアタワー蔵前」のモデルルームに来ていた。
隅田川のほとりに建つ36階建てのタワーマンションだ。東向き高層階はスカイツリーを臨み、低層階は水辺の景色を楽しめる。西向きも都心向けの眺望が美しい。スカイツリーと隅田川の花火と、堂々とそそり建つマンションの外観をこれでもかと盛り込んだCGが印象的な新築タワマンだった。
私は35歳、証券会社勤務、年収1500万。妻は2歳下で洋菓子メーカー勤務、年収600万。息子は4歳で、さっきから地図が貼り付けられたテーブルの上でONE PIECEのカードをめくっている。
我々はつい先日、豊海タワーの抽選に外れたばかりで、つまり軽く負け犬の匂いをまとってこの蔵前まで流れ着いてきたのであった。
中古も見た。見たが、見れば見るほど、新築の、あのまだ誰の生活臭も付着していない、キラキラした感じに惹かれてしまう。さっきまで見学していた部屋の余韻にひたりながら、商談用の個室の椅子に座っていた。
70㎡以上の3LDK、予算は1.8億。高い。十分に高い。高いが、このご時世、東京でファミリーが暮らすなら、もうそれくらい出さねば新築は相手にしてくれない。そういう時代に我々は尻を押し込まれている。
営業担当は、髪の毛を1本1本、会社の方針に従って整列させたような男で、歯を見せて笑うたびに、あ、今この人、歯を見せる段取りに入ったな、と分かる種類の人だった。
「お部屋はいかがでしたか。実は大反響で、弊社のレタリアタワー大崎よりもエントリーが多かったんですよ」
「Xでも大抽選で話題になっていた大崎よりも!?」と焦ったが、私は平静を装った。豊海タワーの倍率4倍の部屋を外した苦い思いが蘇る。スマホ越しに見た抽選機は、商店街の福引きのガラガラみたいだった。こんなものに家族の人生が委ねられるのか。
大写しになった玉に書かれた数字は「3」で、「1」の我々は次点にも次々点にも入らなかった。
そういう苦い思いをすべて飲み込んで、「すごいですね」とだけ口にした。とかく大人の世界は胃もたれがするものである。
「そして価格ですが」
来た。 営業がついに我々の前についに価格表を差し出してきた。
我々にとってモデルルームで最も知るべき情報は隅田川の花火がどう見えるかではない。3種類から選ぶ床や面材の色ではない。ましてや掃除が大変そうな透明なバスルームの扉(有償オプション)ではない。
「価格」である。
ここに来ないと分からないのも謎であるが、なぜかこの業界はそのような仕組みになっているのである。
私は表に目を落とし、そして、あれ、と思った。
もう1回見た。
見間違いではなかった。
74㎡、2.2億……ですか」
思わず声が乾いた。乾くほかない。1.8億のつもりで来て、2.2億を見せられた人間の声帯は、そりゃ乾く。井戸でも干上がる。
営業は、ここからだ、という顔になった。自分の見せ場だと思ったのだろう。
「はい。正直、安くはありません」
いや、知ってるよ。あなたの正直を待たなくても分かる。
「ただ、これには理由がありまして」
理由。
出た。価格の理由。マンション営業の語る理由は、たいてい価格の説明ではなく、価格への服従を促す説諭である。駅距離、周辺環境、希少性、都心へのアクセス……、いったいどんな理由を繰り出してくるのか。
「新築タワマン人気じゃないですか。最近は投資家が入ってしまうせいで、どうしても抽選になってしまうんですね」
なるほど、そこまではまあ聞いたことがある。
「なので今回は、実需のお客様のために……」
そこで営業は言葉を切った。実需。まあ確かに私は家族3人で住むいわゆる実需層で、そりゃいつかは売るかもしれないが、息子が巣立つまでは住むつもりだった。
営業はにこりと笑って続けた。
「抽選にならないよう、あえて高めの価格設定にしているんです。投資家が入ってこないように」
私は、なんですかそれは、と思った。
さすがにそれは嘘だろう、と思った。
実需だって高いのはつらいぞ、と思った。
2.2億を「実需のため」って、なんだそれは。人のためを思って殴りましたみたいな理屈である。慈愛の鉄拳。親切価格の逆。スッ高値に道徳の衣を着せるな。
ああそうだ、日本は資本主義国家だ。企業が利益を追求するのは当然。それでよい。本音は「人気だから高く売りたい」のだろう。それでいい。
そんな火の玉ストレートな言葉を検討者にぶつけられないのなら、「建築費が高騰しているから」とか「地価が上がっていまして」とか、北京ダックの皮みたいに分厚いオブラートに包んでくれよ。
なのに「実需のために高値にした」はさすがに検討者をナメすぎではないか。

「私たちは投資家じゃなくて実需に買ってほしいんですよね」

抽選にならない高値にしてくれてありがとうございます! もう抽選はこりごりだったんで嬉しいです!!
……って言うと思った? 言うわけないでしょうが。たわけが。
だが私は黙った。
イラッとはした。確かにした。眉間の裏側に、小さい火打石みたいなものがカチカチ鳴るのを感じた。けれど、ここで「いや、それは理屈がおかしいでしょう」と言ったところで、男が「おっしゃる通りです、では4000万引きます」となるわけではない。ならない。絶対にならない。
私も証券会社の社員である。今まで散々見てきた。価格とは社会的公正さや買い手への配慮ではない。需給である。ほしい人がたくさんいるなら価格は上がる。それだけの話だ。
妻はずっと黙っていた。
黙って、管理費やら修繕費やらインターネット利用料やらが書かれた紙を見つめていた。息子は今度はVジャンプの付録についてきたというドラゴンボールのカードをめくっていた。
私はローンのことを考えた。年収1500万と600万。頭金を厚く入れるか。含み益のあるインデックスファンドを崩すか。いや、それでも2.2億は違うだろう。そのお金は、やがてスーパーサイヤ人のカードを受験票に持ち替えていく、この息子の私立中学校の学費になるものだ。
我々が新築の抽選にかまけている間に、市場はどんどん先へ行ってしまった。家族を置いていった。ああ、いやだ。ほんとうにいやだ。家を買うというのは、幸福の器を探すことではなく、自分がどこまで市場に侮辱されても黙っていられるかを試されるゲームなのかもしれない。
営業はなおも言った。
「むしろ、こういう価格帯だからこそ、本当に住みたい方だけがご検討されるんです
本当に住みたい方。
そうきたか。
2.2億を出せる者だけに住みたい資格がある、と、そうおっしゃる。
いや、言ってない。言ってないが、言っている。こういうのを社会的な婉曲表現という。
私は笑った。笑うしかないから笑った。
「なるほど」
何がなるほどだ。何もなるほどではない。
営業も笑った。分かり合えたと思ったのだろう。分かり合っていない。1mmも。だがこういう場所では、分かり合っていなくても、分かり合ったふりをするのがオトナの礼儀なのである。まことに面倒くさい。そして哀しい。
帰り際、営業が最後に、
「ご予算との兼ね合いもあるかと思いますが、今の市況ですと、むしろ適正感はあるかなと」 と言った。
適正感。
出た。感。事実をぶつけられないから感で撫でてくる。嫌な撫で方である。
すると、それまで静かだった妻が、にこりと笑って言った。
「そうですよね。抽選にならないように高くするなんて、本当に購入者思いの価格設定で、感動しました」
営業は一瞬、え、褒められたのか、という顔をした。
だが妻はそのまま続けた。
「私が働いている会社はケーキを売ってるんですけど、今度から売り切れそうな商品は、実際の2倍の値段をつけてみます。お客様のために」
営業の笑顔が、そこで初めて、ほんの少しだけ本物にならなくなった。
私は胸の中で小さく拍手した。
息子は何も知らず、悟空のカードを大切そうにリュックにしまった。

外に出ると、蔵前の風は少し冷たくて、川のほうから、どうにもならない現実みたいなにおいがした。川向うに近いようで遠いスカイツリーが見えた。
私は妻に言った。
「さっきの、よかった」
妻は言った。
「だって腹立つじゃん」
その通りであった。腹立つのである。 だが、腹が立つからといって安くはならない。 ならないが、最後にひと刺し入るだけで、人は少しだけ救われる。
それでいいのかと言われれば、よくない。 しかし、よくないまま帰るよりは、少しだけいい。
人生はたぶん、その少しだけいい、を拾い集めて帰る作業なのだろう。少なくとも、スッ高値のモデルルームを出た家族にとっては。
「この近くにオレンジエスプレッソが美味しいカフェがあるってインスタでみたよ、飲んで行こうか」
妻がにこっと笑った。
(おしまい)
※おことわり 執筆作業の一部とサムネイル画像にAIを使用しています。
この物語はフィクションですが、「実需のために高くした」「投資家が入ってきて抽選にならない価格にした」「私たちは実需に買ってもらいたい」といった発言は、私が最近某タワマンのモデルルームで実際に言われたことです。
私は作中の妻のように反論できず、「はあ、そうなんですね」としか言えませんでした。弱いです。 マンション小説、過去作をまとめてみました。 1話完結で5分で読めます。たぶん笑えますが哀しい気持ちにもなります 〇身の丈に合わないマンションのモデルルームに行っちゃった話 〇マチアプに「趣味が不動産」という女性がいたのでワクワクして会ったら自分が案件であることに気づいた話 〇自宅を売却した後、Xで知らない人たちが「ISOGE!」「安すぎ」と盛り上がってたことに気づいた話 〇賃貸派は暴落の夢を見る
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