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小泉進次郎氏には「防衛相」たる自覚と資質があるのか、自民党大会での現役自衛官登壇で見えた不作為と無責任さ

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自民党大会で小泉進次郎防衛相(左)と握手を交わす陸上自衛隊中央音楽隊の鶫真衣さん(写真:時事)

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2026年4月12日に開催された自由民主党(自民党)党大会で、現役自衛官が登壇し国歌を歌ったことが政治問題化している。

隊員は政治的行為は禁止されている。それにもかかわらず制服着用のうえで陸上自衛隊の音楽隊下士官として、政党行事で国歌斉唱の音頭をとった。前代未聞の事態である。

そこで注目すべきは、防衛大臣の等閑視だ。政治そのものの行事で制服着用の自衛官が音頭をとった。その事態を目前にしていながら、なんら手立ても尽くさなかった。さらには問題化した後にも措置をとっていない。

はたして、現在の小泉進次郎防衛相は、その資質を備えているのだろうか。

そう言いたくなるのは、自衛隊監督者としての義務を果たしていないからだ。やってはならないことをやめさせる。罰すべき者を罰する。そのうえで政治から隔離を徹底する。それをしていないのである。

阻止すべきを阻止しない

防衛大臣の資質はどのようなものか。事件からはその心配も浮かんでしまう。その第1は、目前の違反を看過したことである。

防衛大臣にとって最大の仕事は「非違の制止」である。やってはならないことをやめさせる。自衛隊や隊員が法令に背く行為を進めていれば、文民政府の代表として阻止しなければならない。それも断固として拒否する立場にある。

しかも、今回は重大な規律違反を目前で犯している。それならば躊躇なくやめさせる必要がある。管理系統や命令系統や手続きに拘泥してはならない。隊外であれば副官に命じて、その帯同がなければ大臣自らやめさせる。そうすべき状況であった。

しかし、防衛大臣はそうしなかった。逆に是認した。制服姿で登壇し行事が終わるまでそのままとした。後には記念写真を撮影しSNSに投稿している。斉唱後は拍手もしたのだろうし、撮影時には政治家として世辞の1つも言ったのだろう。

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【重大な規律違反、なぜクビにならないのか】

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さらには、勘所の悪さや決心力の欠如もうかがえる。まず、規律違反の問題化を予想できていない。マスコミの取材もいる政治的集会で、制服を着用した陸自隊員が主導的な役割を果たそうとしている。事件となることは間違いないし、それを隠し通せる見込みはない。それが見えていない。

また、阻止に踏み切れない弱さも見える。25年10月の大臣就任から既に半年近くが経過している。目前の行為を見ればやめさせる以外の選択肢はないことも承知している。それにもかかわらず何もできていない。

雰囲気にのまれたのだろう。総裁である首相以下は、祭り気分で浮かれている。そこに水を差す決心はできなかった。本来は絶対的強硬の立場をとり、一切の妥協は排すべきなのだ。それにもかかわらず「迎合する」という安寧に流れてしまった。国会では議席数に頼んで野党は揶揄できるが、事件ではその同輩議員の数にのまれた形である。

拒絶すべき事態で拒絶しない不作為である。大臣には防衛行政に関する拒否権がある。その権能を持ちながらも空しくしたのだ。その点で「防衛大臣としての資質を持ち合わせているのだろうか」との疑問も生じるのである。

クビにすべきをクビにしない

第2は、断固たる処分もできていないことだ。防衛行政を司る立場なら果断な処理を進めなければならない。だが重大な規律違反を犯した隊員をそのままとしている。さらに人事処分を回避する政府方針にも異議を唱えていない。これも不作為の1つである。

今回の事例では、懲戒免職以外にはありえない。自衛隊員は飲酒運転などの私生活上の非行でも懲戒免職となりうる。勤務上はさらに厳しく、正当な理由のない欠勤で20日を経過すれば懲戒免職となる。それからすれば政治活動への参画は懲戒免職以外はありえない。

本人も承知の上だ。10代の兵隊や20代前半の若手下士官が無知から参加したわけではない。自衛隊生活も長い38歳の中堅が自発的意思で政治行事を主導したのだ。

そこからすれば斟酌(しんしゃく)の余地はない。歌が上手だろうが音楽隊に必須だろうがは関係ない。むしろ「技能により政治的中立の規律違反を免れられる」との誤解を広めかねない。

また与党についた隊員を与党が守る前例もつくるべきではない。「政治的行為ではない」や「国歌を歌っただけ」「私人なので差支えない」との遁辞(とんじ)は通用させてはならない。

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【政治に近寄ろうとする自衛隊】

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しかも、政治工作の可能性もある。陸上自衛隊として積極的に協力した印象も拭えないからだ。

トップの陸上幕僚長が会見で口にした逃げ口上からもその印象を受ける。いつもであれば、私人でも規律や秩序の維持から処分を進める。だが、今回は別扱いにしている。

そもそも陸自は40年前から削減阻止のための政治力涵養に力を注いでいる。選挙前にも投票先について「誰が自衛隊のためになるのかよく考えて」と明言指導していた。

それからすれば協力した可能性はありえる。打診を受けたうえで非公式に「私人」として下士官を差し出した形である。

つけ加えれば、音楽隊も乗り気になりうる立場である。音楽隊は、削減に近い職域の最たるものだからだ。陸自は世界で一番音楽隊が多い陸軍である。定員14万人に21個も存在している。組織や人員整理があれば6個残るかどうかだ。

音楽隊、自衛隊としての政治性の現れ?

実際に関与した疑いも強い。大会には副長も同行参加している。音楽隊として、音楽職域として政党に奉仕したとも疑いうるのである。それにもかかわらず、防衛大臣は処分を進めようとしていない。信賞必罰は組織維持の原則である。「賞するに遠きを遺さず、罰するに近きに阿(おもね)らず」という。その罪が与党への協力であれば、むしろそれゆえに厳罰を示す必要がある。

そもそも大臣の任免権はそのためにある。規則上の任免権者は東部方面総監だが、それは大臣の任免権を貸し与えたものにすぎない。総監も下僚であり口頭指示で処分は進められるし、直接大臣が懲戒免職にもできる。

権限を持ち、それを行使する時機にありながら行使をしようとしない。これも大臣の資質について疑問を抱く事態である。

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【防衛相はなぜ戒めないのか】

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第3は、規律の引き締めにも手をつけていないことだ。本来なら自衛隊内に徹底を指示する立場である。制服を着用した自衛官が、一政党の政治行事を主導した。そのような事態が起きた以上、大臣名で政治からの隔離を徹底させる必要がある。

なぜなら防衛大臣は再発防止を図る責任があるからだ。自衛隊の政治的中立性は文民統制と国民的信頼の前提をなす。隊員の政治的行為が疑われる事態が起きた以上、大臣には個別処分だけではなく自衛隊全体での改善を進める義務がある。

戒めるべきを戒めない

しかも、最近は事件が多発している。26年3月には、自衛隊員による駐日中国大使館の襲撃事件もあった。さかのぼれば公用車を利用した靖国神社への参拝もあり、参拝と区別もつかない練習艦隊実習幹部の集団研修もあった。

これらの悪影響は国内にとどまらない。日本軍国主義の復活を印象づけかねない事件だからだ。

それからすれば、歴史認識や軍国主義との決別も全隊員に示す必要がある。防衛省自衛隊の放送設備はそのためにある。整備趣旨は全隊員への直接指示であり、新大臣のあいさつではない。

さらには右派との隔離も必要となる。「講師招聘などによる神がかり右派の浸透を許さない」「市民大会や国民大会の名のもとに、実態として政治団体が主催する行事への協力にも距離をとれ」。そういった部内指示も必要となるはずだ。

明示しなければ自制は崩れる。隊員の間には「この程度は許される」との受け止めが広がる。与党や保守政治団体への協力も慣例化してしまう。そうなれば自衛隊は自民党の私兵に似たものに堕してしまう。国軍ではなく党の軍隊であり親衛隊とのそしりを受けることとなる。

しかし、その手段を講じようとしていない。放送どころか文書も出していない。これも不作為を疑われる事態である。大臣に求められる監督義務を尽くさず、自衛隊の中立性を守るために当然行うべき措置を怠っているからだ。

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【政策を持たない防衛相】

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それよりも不人気をひたすらに回避しているようにも見える。これまでの発言をみても、防衛省自衛隊には厳しい内容の発言はない。逆に自衛隊員や応援団体、ひいては支持層の歓心を買うことにのみ腐心している。

はたして、隊員の顔色をうかがう防衛大臣はその任に耐えるのか。これも資質を満たすかに疑問が生じる理由である。

なにより、政策がない

つけ加えれば防衛大臣としての政策も見えない。当然ながら、その基ともなる問題意識や解決改善の方向性や路線も見えない。

所管大臣は行政の問題改善を主導する立場にある。防衛大臣であれば防衛省自衛隊、防衛政策や安全保障政策に存在する問題について解決あるいは改善を図ろうとする。さらには、それについてどのようにして実施するのか。そのような目論見も示す立場である。

歴代大臣や長官はそのような政策を持っていた。1980年代以降であれば、海空重視と陸上戦力整理、冷戦後の戦力整理、日米軍事協力の推進、人員不足の解決といった内容だ。

もちろん、中には肯定しがたい政策もあった。国民経済を圧迫するGDP比2%への防衛費増額を推進する。辺野古基地建設を強行継続する。対中包囲網の損だけを率先して受け入れる。「開かれたインド太平洋」や「安全保障のダイヤモンド」といった誤った政策の推進である。

ただ、それでも職責への熱意はあった。間違えた方向にせよ国家に奉仕する意気込みはあった。努力を尽くし、さらには政治家生命を賭けて推進を図っていた。

いまの小泉氏からはそれがうかがえない。政策どころか問題意識も見て取れない。もちろん政策の主導は義務ではなく、それをせずとも不作為とはならない。ただし、大臣として、さらには政治家としての職責の懈怠(けたい)である。

そこにあるのはパフォーマンスだけだ。仕事をしている動画や写真を撮ることに終始している。アメリカの国防長官との筋トレや、落下傘訓練への参加、オーストラリア国防相との艦上署名のいずれもそれである。そのうち、フッ素化合物PFASが流出した水域でサーフィンのような水遊びもしかねない勢いだ。

そのいずれも官僚機構や幕僚連のお膳立てである。大臣には調整する時間はない。そして官僚や幕僚も満足した様子を確認している。今では「何を持っていっても黙って判子をつく」と内心でほくそ笑んでいるはずだ。

はたして、防衛大臣は必須の資質を持ち合わせているのか。現体制下において防衛大臣は戦前の首相を超える権力を持つ。総兵力24万人の自衛隊を管理するだけではない。その指揮つまりは統帥権をも束ねる立場にある。戦時においては戦争指導にもあたる。以前の環境大臣のごとき伴食大臣とは異なっている。

重ねて言う。防衛大臣はその資質を持つのか。その疑問は少しも拭えないのだ。

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