2026/04/28 (火) 18:00 47
2024年8月の回をもって休載となっていた「脇本雄太の競輪無双十三面待ち〜そして伝説へ〜」が帰ってきた。地元のジム創設の準備など、拠点を移すにあたり時間がなかったが、「伝えていかないといけない」の思いは変わらない。脇本雄太がやるべきこと、を再度コラムで発信していく。まずは、左肘の手術を決断したことについて、だ。
「やっと、ひとつの方向性が見えた。決断しました」
昨年10月25日、前橋競輪場で開催された寬仁親王牌(GI)の3日目、アップの際に転倒し、左肘を骨折した。その時に「半年以上走れないとドクターに言われました。でもグランプリは走りたかったので」と治療とリハビリを執念で行い、出場にたどり着いた。結果は悔しいものとなったが「来年リベンジを」と再び心を燃やすことになった。
2026年に入り、和歌山、いわき平の両記念を制した。左肘の状態は良くない。まともに伸ばせない状態だったが、その時にできる走りで結果を残した。だが「いわき平を終えた後の精密検査で、悪化している、と…」。痛みは収まらず、肘の中がどうなっているのかも不安。ただ悪化していることは事実だった。
診断した医者が「なんで走れているの?」と話すほどだった。「気合ですね。レースの時は痛みを忘れて、伸ばせないのにハンドルを投げようとして」。本能と責任で走っていたが、治療が必要なのは間違いない。
2月熊本の全日本選抜競輪(GI)は近畿の力で優勝することができた。まず大きなグランプリへの道ができた。3月防府ウィナーズカップ(GII)では準決で落車、その後の検査でも「悪化している」と診断された。防府の前に「手術できない、と言われて落ち込んでいたけど、とにかく気持ちだけは入れて走った」という苦しいシリーズだった。
「4月には何件も病院を回って、でも整形のプロのドクターから『手術できません』と言われました。関節がなくなっていて。元があればつなぐのはできるけど、元がないから、って。見たことない形状ですって」
痛みが引かず、伸ばせず、でもなんとかしないといけない。ようやく「ひとつの方向性が見えました。入れているピンを全部抜いて、そこから決めましょうと。その後の状況で人工関節を入れるか、アバラの骨を移植するか、とか」と一歩目が決まった。多くの医者がさじを投げるほどの状態。やっと当コラム公開の4月28日が手術の日で「ここでやらないと高松宮記念杯にかかってしまう。それにピンが骨に刺さっていて、骨が削れている。早くしないといけない」。
ドクターを信じ、手術の結果を待つ。理想は「ピンを抜いたことで、そのままの保存治療でいければ」で、岸和田開催の6月高松宮記念杯出場を目指す。先々の治療も待つわけだが、とにかく「復帰を早くしないとグランプリに間に合うのか、という状況になる。追い詰められたら意味がない」と描いている。いるべき場所、がある。
「今回を逃すと高松宮記念杯の時に手術になってしまう。やっぱり地元地区のGIで一番気持ちを入れて走らないといけない大会」
度重なる大ケガ、直接的に選手生命を脅かすものを、何度も乗り越えてきた。ひたすら「重たい、ということでいえば肩甲骨の骨折。でもあの時は3ヶ月動かさなければいい…で対処できた。今回のはとにかく長引いて、どうしていいかが分からず」と苦しんだ。
「治療方法を求めて、東京に何度も通って。それだけで時間も取られて、そうすると練習もできない」
左手でドアをひねることもできず、動かせばピンが皮膚の外に出ようとする。この状態、この肉体、脇本雄太という選手は、すでにすべてを成し遂げているーー。「モチベーションでいえば、グランプリスラムを達成した時に落ちている」。次の道も考えうる状況だが「まだもうちょっと頑張りたい」と火が消えていない。
前橋で転倒した時も「モチベーションがまた下がるかなと思ったけど」もすぐに前を向いていた。自転車の才能には確かに恵まれていたが、2008年7月のデビューからはひたすら先行しては、差され、まくられ、沈んできた。だが、ファンが送ってくれる声援を受けて先行し続けてきた。
まだ、やるべきことがある。五輪に挑戦した立場も自身に課している。「香港のワールドカップがあったでしょう。太田海也のスプリントとか、どこが良くなっているとか、いろいろとファンに伝えたい。面白さを知ってもらって、ロス五輪に向けて盛り上げて」。この世界の中でやらないといけない。
「それに、そういう声も聞きますし」
福井県のシンボルは“不死鳥”。今、長期欠場中の身だが、これまでのように「乗り越えて走る姿を見たい」とファンは今、思いを新たにしている。その声はすでに届いている。今回の手術を経て、もう一度、前進する。
現在も「今できることをやりながら、後輩の指導もできることをやっています」と熱心だ。自宅に備えたジムは個人レベルを超えているものの「それでもグループの仲間が増えて手狭になってきた」と苦笑いを浮かべるほど。「養成所に入る子もいるし、寺崎浩平のグループも合わせると全部で9人はいる」と常にみなでの成長を心掛けている。そして「それを見てモチベーションが上がっているのもある」と背中を押されている。
走ることでしか伝えられないものもある。
ちょっと戻るが、防府の落車は大丈夫だったのか。「あれは右側に転んだんですが、その衝撃で左肘が上パイプに当たったんですよ。ケガは右側の擦過傷でしたが、これは動かしちゃいけないと思った」。立ち上がることもできなかったが、大きな影響はなかった。その、防府…。
「町田(太我)が来たでしょう!」
初日特選では町田が外並走で脇本を苦しめてきた。「もう!町田とか眞杉(匠)とか!アイツら10コくらい下なんですよ。まっすぐ踏めばいいのに。そしたらちゃんとまくりに構えるんだから」と笑いながら、うれしかったのは「古性(優作)が来てくれた」ことだ。
「あんなの見ないでしょう。間に入って、わざわざ町田をどかしにいってくれて」
近畿の仲間と走れることは、かけがえのないこと。競輪を奥底から味わっている体と心は、居場所を求めている。今回の手術は「神経に当たらないように、ピンをすべて取り除く」という、多くの医者が無理とするもの。執行医を信じ、またその場所へ。
脇本雄太の「そして伝説へ」の道のりは、まだまだこれからだ。
脇本雄太
Yuta Wakimoto
脇本雄太(わきもとゆうた)。1989年福井県福井市生まれ、日本競輪学校94期卒。競輪では特別競輪14勝、2025年2月、全日本選抜で優勝し、史上初の「グランプリスラム」の偉業を達成。自転車競技ではリオ、東京と2度オリンピック出場、20年世界選手権銀メダル獲得。ナショナルチームで鍛えられた世界レベルの脚力とメンタルは競輪ファンからの信頼も厚く、他の競輪選手たちに大きな刺激を与えている。プライベートではゲーム・コーヒー・麻雀など多彩な趣味の持ち主。愛称は”ワッキー”。