「戦術がない」と言われがちだったジーコ、それでも中村俊輔が「僕は伸びた」と言い切る理由
ジーコジャパン
2人とも日韓W杯では最終メンバーに選ばれなかったが、2006年のW杯ドイツ大会は、そろってメンバー入りした。
ジーコ監督は、元ブラジル代表の10番で、選手としてはJリーグ・鹿島アントラーズでもプレーした。
「やっぱ『神様』の教えでしたね。試合前に『FKを1本は蹴っとけ』『(壁は)いらない。自分とキーパーだけの1対1の世界がいい』とか。あとは、よく言う『ゴールにパスしろ』」
中村さんが振り返り、中澤さんも「そう、よく言う。本当に」と話した。
中村さんは「俺としては『パスするぐらい簡単にしろ』なのか、思い切りシュートして『パスと同じぐらい確率を上げろ』なのか分からないんですけど、自分の取りようですよね」と、ジーコ氏の言葉の意図を推察する。
「ジーコジャパンの時は一番シュート練習をやった。だからシュートって大事だなって思ったのよ。練習も(ジーコジャパンが)一番楽しかったもん」(中澤さん)
管理型の指導だったトルシエ氏と比較され、選手の自主性を重んじたジーコ氏の手腕は批判もされた。
「よく『戦術がない』とか言われがちですけど、選手の持っているクオリティーを引き出そうとしてくれた。キャンバスに『自分たちで奇麗に描けよ』みたいな、余白をすごく残してくれた監督で、僕は伸びたと思います」(中村さん)
「ジーコさんは選手をすごく信頼してくれて、見てくれる。試合でうまくいかなくても、もう1回チャンスを与えてくれる。悪いプレーをしても、また頑張れって言ってくれる。だから俺も(試合に)出られるようになったから」(中澤さん)
ただ、年齢を重ねていても、元ブラジル代表の10番を任された人物だ。
「ミニゲームやったら、めちゃくちゃうまい。これが世界の人なんだなと思った」(中澤さん)
プロフィル
中村俊輔(なかむら・しゅんすけ)桐光学園高校(神奈川)卒業後、横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に加入。2000年度にJリーグMVPを獲得。日本代表では06年W杯ドイツ大会、10年W杯南アフリカ大会に出場。国際Aマッチ98試合、24得点。海外のレッジーナ(イタリア)、セルティック(スコットランド)、エスパニョール(スペイン)でプレー。07年スコットランド・プロサッカー選手協会年間最優秀選手。帰国後はマリノス、ジュビロ磐田、横浜FCでプレーし、22年度で現役引退。JリーグMVP2回。1978年生まれ。神奈川県出身。
中澤佑二(なかざわ・ゆうじ)埼玉県立三郷工業技術高校卒業後にブラジルへ単身サッカー留学。現地クラブチームを経て1998年にヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)に練習生として加入。翌年プロ契約し、Jリーグ新人王。2002年にマリノスに移籍。04年度JリーグMVP。日本代表では06年W杯ドイツ大会、10年W杯南アフリカ大会に出場。国際Aマッチ110試合、17得点。18年度で現役引退。Jリーグフェアプレー賞2回。1978年生まれ。埼玉県出身。