「戦争はあかん」の思い継ぐ レイテ沖海戦で撃沈の空母「瑞鶴」生還兵の孫が出版
先の大戦で史上最大の海戦と呼ばれたフィリピン・レイテ沖海戦(昭和19年10月)で米軍に撃沈された空母「瑞鶴(ずいかく)」の生還兵の孫が、祖父の思いを紡いだ著書「不滅の絆~忘れないことが祈りになる」を自費出版した。当時をほとんど語ろうとしなかった祖父だが「戦争は絶対にしたらあかん」とだけは孫に伝えたという。世界で戦火がやまない今、改めて言葉の重みをかみしめる。 【写真】空母「瑞鶴」 出版したのは、大阪市西成区在住のシンガー・ソングライター、NISHIOKA(本名・西岡秀記(ひでき))さん(44)。 祖父の稔(みのる)さん(享年79)は昭和16年9月に瑞鶴の乗組員となり、同年12月8日の真珠湾攻撃などに参戦した。19年10月のレイテ沖海戦では戦艦「大和」など主力のおとり艦となり、25日午後2時14分、ルソン島のエンガノ岬沖で沈没。乗組員約1700人の半数以上が戦死する中、稔さんは僚艦に救助された。 戦後は大阪に戻って西成区で暮らし、近所に住む孫の秀記さんとは毎日のように顔を合わせた。 ■風呂で見た戦争の傷 「戦争のときに銃で撃たれたんや」。秀記さんが幼稚園の頃、稔さんと風呂に入ったとき足のあたりの傷について尋ねるとこう答えた。が、そのまま口をつぐんだ。 ただ、テレビで先の大戦の番組が放映されると「戦争なんか絶対やったらあかん。あんな悲惨なものは他にない」と話すのが常だった。「生死をさまよった体験の奥底から、ぎりぎりそぎ落とされて残った言葉でしょう」と秀記さんは振り返る。 「どっちの兵隊が悪かったの?」。小学生の頃、一度だけ尋ねたことがあった。 「どっちも悪くない。向こうも一緒や」 瑞鶴での戦闘について稔さんは、秀記さんの父に少しだけ話したことがあったという。「撃たなければ仲間が死ぬ。船も沈む。それでも『どうか当たらないでくれ』と思いながら撃っている人がいた。目をつぶって撃つしかない場面もあった」 稔さんは、多くを語らないまま平成10年に亡くなった。