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SNSでバズっていたNHKのWEB記事をご存じでしょうか? 「人気の『狭小住宅』国の計画から『最低居住面積水準』削除に」という見出しに、批判的な意見が殺到していました。
記事の内容は、国土交通省が2026年3月27日に閣議決定した新たな「住生活基本計画」において、人間が健康で文化的に暮らすための「最低居住面積水準」の達成目標を外したというもの。その背景には、あえて狭い部屋を選ぶ若者が増えているという「多様なライフスタイル」があるという説明です。
今までは1人暮らしは25m²、2人暮らしは30m²、3人暮らしは40m²が、4人暮らしは50m²が最低居住面積水準とされていました。その「人間が健康で文化的な生活を送るために最低限これぐらいの広さが必要だよ」という指針を、国としての「達成目標」から外しているのです。
現在筆者は、夫婦2人で25m²という激烈に狭いマンションに暮らしています。最低居住面積水準以下だからこそ「狭すぎる家を増やすことへの警鐘」を、WEBの片隅から鳴らしまくりたいと思います。
狭小住宅が人気なのは家賃が高いから。選んでいるのではなく「追い込まれている」だけ
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【若者は狭小住宅を「選ばされている」】
前述したNHKのWEB記事だけでなく、テレビのニュース番組では、近頃「狭小住宅が若者に大人気」という特集が頻繁に組まれています。そこに登場する若者たちにインタビューすると、皆一様に「合理的な選択だ」「ミニマルな暮らしも悪くない」と言い、彼らが「あえて選んでいる」テイになっています。
でも現実は、「選んでいる」のではなく、「選ばされている」だけ。家賃が上がりすぎた結果、「しんどい思いをして遠方から通うか」それとも「狭さを我慢して都心に住むか」という、二択に追い込まれているのです。
これを「人気の狭小住宅」だの「多様なライフスタイル」だのと、さも自発的なブームのように、肯定的にとらえる空気。まったくもって「なんじゃそりゃ!」です。
かつて就職氷河期に、正社員になれず、アルバイトや派遣といった非正規雇用を選ばざるを得なかった若者たちを、「会社に依存しない新しい働き方」と報じたのと同じ構図で、「不都合な事実のすり替え」を感じてなりません。
私は今年で50歳。ドンピシャの「就職氷河期世代」で、大学卒業後ほとんどの期間をフリーターとして過ごしてきました。当時は「こちらの方が自由だし、自分にはこの生き方が合っている」とうそぶいていましたが、今振り返ればそれは、他に選択肢がなかった自分を納得させるための痩せ我慢でした。
イソップ童話の「酸っぱいブドウ」のキツネと同じです。「正社員」「社会保障」「ボーナス」といった手に入らないものに対して「これでいいのさ。羨ましくなんてないもんね」と、負け惜しみを自分に言い聞かせてきました。それはどこか、今の狭小住宅をめぐる状況と重なって見えるのです。
「3畳」がもてはやされる異様さ
物件サイトを覗けば、専有面積10m²(6畳)前後の極小物件が並びます。「6畳なら住める」と思うかもしれませんが、実際にはミニキッチンやトイレ、シャワーが室内に収まり、実際の居住スペースは3畳ほど。ロフト付きも多いものの、空間は分断され、はしごでの上り下りが必要になるなど、快適とは言い難いのが実情です。
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【“実質3畳”の部屋が「合理的」「ミニマル」と、もてはやされている】
2018年に社会問題化したシェアハウス投資事件「かぼちゃの馬車問題」を覚えているでしょうか。「不動産投資」のうたい文句でオーナーを集めたものの、運営会社のスマートデイズが経営破綻。多くのオーナーが巨額の債務だけを背負う結果となり、スキームの不透明さが厳しく問われました。
詐欺的な運営体制や、スルガ銀行の不正融資に加え、居室が4〜5畳程度という住環境も問題視されました。かぼちゃの馬車はシェアハウスだったので、単純比較はできないものの、決して余裕があるとは言えない広さ。実際、当時のメディアはこぞって「貧困ビジネスだ」「劣悪すぎる環境だ」と批判していたのです。
ところが現在、それを下回る“実質3畳”の部屋が「合理的」「ミニマル」と言い換えられ、もてはやされている。ほんの数年前まで「あってはならない」とされた広さが、いまや「自発的な選択」として美化されているのです。違和感を抱いた人々が、今回のニュースに怒りの声をあげたのは当然と言えます。
リタイヤした夫婦だからこそ、ギリギリ保てる25m²の暮らし
と、そんなふうに世の中の皆さんと一緒に怒っている筆者ですが、もう1つ理由があります。現在、わが家は夫婦2人で25m²・6畳1Kの狭小マンションに暮らしているのです。
かつて1人暮らしの最低居住面積水準とされていた部屋で2人暮らしをした実感は「クリアできなくはないけれど、相当な無理ゲー(さらに言えばクソゲー)」といったところ。
ソファも、ベッドも、ドレッサーも、PCデスクも置けません。普通の暮らしを営むことはほぼ不可能で、「狭い空間をやりくりする」こと自体を趣味のように楽しむタチだからこそ、ギリギリのバランスでジェンガのように成り立っている状況です。
これが成立しているのは、我が家がたまたま「特殊な条件」を満たしているから。50代のフリーライターである私は、ノートパソコン1台で働き、60代の夫はリタイアして、スーツや仕事道具を全て断捨離しました。なおかつ、スキルス性胃がんで闘病中の夫が通院しやすい、という理由で、今の家を選んだ面も大いにあります。
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【「住める」ことと「快適に暮らせる」ことは別】
「特殊な条件」「のっぴきならない事情」が重なったことで、25m²・6畳1Kの狭小マンション暮らしを選んだ我々夫婦。それ以前も30m²の部屋に2人で住んでいたこともあり、言ってしまえば「ちいさ暮らしのプロ」なのでそれなりに楽しく暮らしています。
しかし、それでもふとした瞬間に「やっぱり狭いなぁ……」と、天井を仰ぐことがあるのが実際のところです。
狭さのメリットをうたう私が、今の流れは危険だと思うワケ
私はこのエッセイを通じて「小さく暮らすメリット」を発信していますが、「狭い家も良いところいっぱいあるよ」と伝えています。ただし、極端に狭い住まいでの、無理を前提にした暮らしは心身をすり減らすばかりだと思います。
持ち物の量に合わせて家を広げるのをやめ、荷物を見直して暮らしを小さく整えるという選択は、あくまで『快適さ』を維持するための手段であって、修行が目的ではありません。
むしろ、最低基準を下回る25m²の極小物件で暮らして痛感したのは、「国がかつて定めていた『最低居住面積水準』の数値は、恐ろしいほど適正だった」という事実です。
実は、今の家に引っ越す前、私たちは「2人暮らしの最低居住面積水準」とぴったり同じ、30m²の部屋に住んでいました。たった5m²(約3畳)の違いですが、あの時は今のような閉塞感もなく快適に暮らすことができていたのです。
両方に住んでみたからこそ、実体験をもって声を大にして言いたい。かつての数字は、机上の空論ではなく「ガチ」だと。「住める」ことと「快適に暮らせる」ことは別です。その違いを曖昧にしないでほしいのです。
なお、今回論拠とした「新たな住生活基本計画(全国計画)概要」では、国は最低居住面積水準という概念自体を消したわけではありません。しかし、国の成果指標(KPI)のリストから外しています。つまり、「多様性」の名のもとに、最低水準の担保が相対的に後景に退いたとも言えます。
本当にそれでいいのか。多くの人が狭い部屋に暮らすことで、誰か得をする人が別にいるのではないか……狭い部屋に暮らすプロだからこそ、しっかり警鐘を鳴らしたい変化でした。
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【25㎡で夫婦で暮らす…「狭いなあ」と感じる?その他の写真】