「同じ『ムリムリ』が、いくつもの顔を持つわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)」~各国版わたなれで見つけた、れまフレの翻訳くらべ~
はじめに
「翻訳なんて、意味が伝わればいいじゃん——そう思ってた時期が私にもありました」
2022年、みかみてれん先生がこんなことを呟いた。
「翻訳ってすごいよね。『芦高の天照大御神は、顔を手で覆ってセルフ岩戸隠れをした』とか、どうやって訳しているんだろう。すごいね」
翻訳ってすごいよね。『芦高の天照大御神は、顔を手で覆ってセルフ岩戸隠れをした』とか、どうやって訳しているんだろ。すごいね🈴
— みかみてれん (@teren_mikami) May 19, 2022
読んだとき、思わず笑ってしまいました。たしかに。天照大御神って、どうやって訳すんだろう。日本語ネイティブの私でさえ、その感覚はよくわかります。でもそれ以上に、先生自身が翻訳という行為をこんなふうに眺めているんだ、ということが、なんだか気になりました。
それから1年半後の2023年12月、先生はまたこう呟きました。
「わたなれって世界10カ国とか(それ以上?)に翻訳出版していただいているみたいなので、世界中で紫陽花さんが祝われてるのかと思うと、人類のこと好きになってくる」
わたしはぜんぜん把握できてないんだけど、わたなれって世界10カ国とか(それ以上?)に翻訳出版していただいているみたいなので、世界中で紫陽花さんが祝われてるのかと思うと、人類のこと好きになってくる🫶💐
— みかみてれん (@teren_mikami) December 12, 2023
世界中で紫陽花さんが祝われてる。この一文を読んだとき、私の中で何かが動きました。そうか、紫陽花さんは今、日本語だけじゃない言葉で生きているんだ、と。
そしてさらに2年後の2025年8月、先生はこう呟きました。
「わたなれは10ヶ国語以上に翻訳され、本当に世界中で読まれてて、そのいろんなところでいろんな好きの傾向があって、very良い……」
わたなれは10ヶ国語以上に翻訳され、本当に世界中で読まれてて、そのいろんなところでいろんな好きの傾向があって、very良い…
— みかみてれん (@teren_mikami) August 24, 2025
「米津玄師とかトムクルーズとか、どうやって訳してるんだろう……」
米津玄師とかトムクルーズとか、どうやって訳してるんだろう……
— みかみてれん (@teren_mikami) August 24, 2025
3年間、先生はずっと同じことを気にしていた。翻訳って、どうやってるんだろう、と。
この文書は、その問いへの、ひとつの答えです。
正直に言うと、きっかけはもっと単純なものでした。英語版のわたなれを買ったとき、「れまフレ」が「RENAFITS」になっていたのです。Rena+benefits。思わず声を上げて笑いました。攻めてる。めちゃくちゃ攻めてる。でも、なんか、わかる気もする。
笑いながらも、ちょっと引っかかりました。「れまフレ」という言葉が持っていた、あの軽くて可愛くて少し照れくさい感じは、「RENAFITS」に残っているんだろうか。英語圏の読者は、このふたりの関係を、どんな温度で受け取るんだろう。
その引っかかりが止まらなくて、わたなれのDiscordサーバーでよくしてくれている友人に中国語版の購入を依頼しました。韓国語版を買いました。英語の小説版も買いました。そうやって気づいたら、同じシーンを5カ国語で読み比べる人間になっていました。
初のわたなれオフ会を開いたときに持って行ったのはいい思い出です。
読み比べていくうちに、だんだんわかってきたことがあります。翻訳者はみんな、何かを諦めて、何かを守っていました。音を守るために意味を手放した人、意味を守るために音を手放した人、どちらも諦めて文化ごと作り直した人。その選択の跡が、各国版のページのあちこちに残っていました。
翻訳が正確かどうか、という話ではありませんでした。どの版も、それぞれの仕方で、わたなれを愛していました。
この本では、主に3巻・紫陽花さんが登場するシーンを軸に、日本語・韓国語・中国語・英語マンガ版・英語小説版の5カ国語を読み比べていきます。(その理由は私が紫陽花さんのシーンをまじまじと読んでいるからです)
直訳を並べて、何が変わって何が残ったかを一緒に眺めてもらえたら嬉しいです。翻訳の専門家ではないので、的外れなことも言うかもしれません。でも、ファンとして感じたことを、正直に書きました。
先生が3年間ずっと気にしていた「どうやって訳してるんだろう」という問いに、少しだけ近づけていたら、それ以上嬉しいことはありません。
最後にひとつ、正直に書いておきます。この文書の編集と構成には、AIを使っています。アイデアや素材は私のものですが、文章を整理したり、構成を考えたりする過程でAIの力を借りました。私ひとりでここまで書けるとは、正直思えなかったので。それもまた、翻訳と似ているかもしれません。何かを作るとき、ひとりでは届かない場所に、誰かの力を借りて辿り着くことがある。
では、始めましょう。
【本誌の読み方・凡例】
引用する台詞は、各言語版の原文をそのまま掲載し、直訳を添えています
「直訳」はあくまで意味の参考であり、ニュアンスの全てを伝えるものではありません
英語版は漫画版(Yen Press刊)と小説版を区別して表記しています
各言語版の書誌情報は巻末資料をご参照ください
第零章 わたなれとは何か、知らない人のために
「ムリムリ!※ムリじゃなかった!?」という構造について
この章は、わたなれをまだ読んだことがない方のために書きました。すでに読んでいる方は、読み飛ばしていただいても大丈夫です。ただ、後半の「タイトルの構造」の話だけは、ファンの方にも読んでもらえると嬉しいかもしれません。
わたなれってどんな作品?
正式タイトルは「わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)」。長い。
略称は「わたなれ」です。みかみてれん先生が書いたライトノベルで、集英社ダッシュエックス文庫から刊行されています。同時に竹嶋えく先生によるコミカライズも連載中で、私が今回比較しているのは主にこちらの漫画版です。
あらすじをざっくり説明すると、こういう話です。
主人公の甘織れな子は、陰キャな中学時代を脱却するべく高校デビューを試みます。なんとか憧れの陽キャグループに潜り込んだものの、そのグループの中心人物・王塚真唯からいきなり告白されてしまいます。戸惑うれな子に、真唯は「友達と恋人のどちらがいいかを勝負で決めよう」と提案します。そこから始まる、ふたりの「恋人未満」の関係と、その周囲で動く人間関係の物語です。
ジャンルでいえば百合ラブコメ。(しかし、これはガールズラブコメです)
(私が、他の人へ説明するときにはニセコイで楽が女の子だったらと説明しています)笑えて、ときどき胸が痛くて、でも最終的には温かい気持ちになれる作品です。
登場人物について
本誌で頻繁に名前が出てくる人物だけ、簡単に紹介します。
甘織れな子(あまおり・れなこ) 主人公。自称・元陰キャの高校1年生。真唯から告白をされるが、混乱しながら、真っ直ぐに生きる女の子。「ムリムリ!」が口癖。
王塚真唯(おうつか・まい) ヒロイン。現役モデルの完璧美少女で、グループの中心人物。飄々としていて掴みどころがないように見えるが、れな子に対して真剣。
瀬名紫陽花(せな・あじさい) 3巻のキーパーソン。優しくふわふわした雰囲気の持ち主ですが、れな子と真唯の関係に気づいており、3巻では重要な場面で核心に迫ります。本誌では主にこの紫陽花さんが登場するシーンを分析しています。
タイトルの構造について——「ムリ」という仕掛け
ここからは、ファンの方にも聞いてほしい話です。
このタイトル、よく見るとものすごく凝った構造をしています。
「わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)」
前半と後半で、言っていることが真逆です。(いわゆる、反語ですね)「ムリムリ!」と断言しておきながら、括弧の中で「※ムリじゃなかった!?」と自分でツッコんでいる。これは単なるギャグではなくて、この作品の感情の動き方そのものを表しています。
「ムリ」と言い続けながら、少しずつムリじゃなくなっていく。その過程が物語であり、タイトルがすでにその構造をネタバレしている。でも、ネタバレされていても面白い。それがわたなれという作品の強さだと、私は思っています。
さらにもう少し掘り下げると、「ムリ」という言葉自体がとても多義的です。
「ムリムリ!そんなわけない!」という否定。「これ、ムリ……好きすぎる……」という感情の溢れ。「ムリ、やっぱり私には無理だ」という諦め。「ムリだって言ったのに」という照れ隠し。
全部「ムリ」なのに、文脈によってまったく違う感情を指しています。日本語話者は無意識にこれを使い分けていますが、これを別の言語に翻訳しようとすると、とたんに難しくなります。
各国の翻訳者たちが「ムリ」をどう訳したか。その選択が、この文書の核心のひとつです。詳しくは第三章で扱いますが、タイトル翻訳の比較だけでも、なかなか面白い発見がありました。
なぜ3巻なのか
わたなれの3巻は、紫陽花さんが物語の前面に出てくる巻です。れな子と真唯の「れまフレ」関係に気づいている紫陽花さんが、そのことをどう受け取り、どう動くか。その緊張感と、ちょっとした切なさが詰まっています。
翻訳比較の素材として3巻を選んだのは、単純に私が紫陽花さんのシーンをまじまじと読んでいるからです。それ以上の理由は正直ありません。好きなシーンを深掘りする、それが私のスタンスです。
ただ、翻訳比較という観点からも、3巻は非常に豊かな素材が揃っていました。「れまフレ」という造語が初めて紫陽花さんに開示されるシーン、心内語の多いシーン、ユーモアと緊張感が混在するシーン。翻訳者が腕を振るう場面が随所にあります。
では、そのシーンへ向かいましょう。
第一章 終わった。(※終わってなかった)
紫陽花問い詰めシーン——5カ国語の「絶望」を読む
1-1 このシーンのどこが好きか
3巻を読んで、最初に「これは大変だ」と思ったシーンがあります。
紫陽花さんが、れな子に聞くんです。「れまフレ……?」と。
それだけです。たったそれだけなのに、れな子の内心が一瞬で「終わった」になる。ページをめくったら大きく「終わった」という文字が置いてあって、私も一緒に「終わった」と思いました。
このシーンが好きな理由を説明するのは少し難しいのですが、紫陽花さんという人物の怖さとやさしさが同時に出ているからだと思います。紫陽花さんは責めていません。ただ、聞いている。でもその「ただ聞いている」が、れな子にとっては十分すぎるほどの圧力になっている。
それに、れな子の慌て方がとてもリアルです。「もにょもにょ」しながら、どこまで話していいかわからなくて、でも嘘もつきたくなくて、助けを求めて。その混乱が、コマのあちこちに溢れています。
翻訳比較という視点で見たとき、このシーンは非常に豊かな素材です。「終わった」という絶望の一言、言いよどみの「もにょもにょ」、造語の「れまフレ」、そして「八方ふさがり」という慣用句。翻訳者が選択を迫られる表現が、これでもかというほど詰まっています。
では、順番に見ていきましょう。
1-2 「終わった」の直訳比較
まずはこのシーンの冒頭、れな子の絶望の一言から。
🇯🇵 日本語|終わった|→ 終わった
🇰🇷 韓国語|끝났다|→ 終わった
🇹🇼 中国語|完蛋了|→ 卵が割れた=終わりだ
🇺🇸 英語マンガ|GAME OVER, MAN.|→ ゲームオーバーだ、男よ
韓国語の「끝났다」は、日本語の「終わった」とほぼ同じ感触です。静かに、でも確かに、何かが終わった瞬間の言葉。音も短くて、心の中でぽつりと呟くような感じが原語に近いと思います。
中国語の「完蛋了」は少し面白い表現で、直訳すると「卵が割れた」になります。転じて「もうダメだ・終わりだ」という意味で使われる口語表現で、台湾・中国どちらでも日常的に使われています。原語の「終わった」より少しだけ砕けたニュアンスがあって、れな子のパニック感がよく出ていると思います。
そして英語版の「GAME OVER, MAN.」。これが一番個性的です。
「GAME OVER, MAN.」は映画『エイリアン2』(1986年)の有名な台詞で、英語圏ではミーム化しています。絶望的な状況に対して、半ば自嘲気味に叫ぶときに使われる表現です。「終わった」の静かな絶望とは少しトーンが違って、どこか外向きで、自分を客観視するような距離感があります。
原語のれな子は、心の中でひっそりと「終わった」と思っています。内向きの崩壊です。でも英語版のれな子は「GAME OVER, MAN.」と言っている。同じ絶望でも、感情の向きが少し違います。英語圏の読者にとってはこちらの方がより「絶望感が伝わる」表現なのかもしれません。どちらが正解というわけではありませんが、読んだときの質感は確かに違います。
1-3 もにょもにょシーンの直訳比較
「終わった」の直後、れな子は紫陽花さんに説明しようとして、うまく言葉が出てきません。そのときの「もにょもにょ」という表現も、翻訳者を悩ませる箇所のひとつです。
🇯🇵 日本語|もにょもにょ|→ 言いよどむ様子を表す擬態語
🇰🇷 韓国語|우물우물 / 쭈물|→ もぐもぐ・もじもじ
🇹🇼 中国語|喃喃|→ ぶつぶつ・もごもご
🇺🇸 英語マンガ|Mumble|→ ぶつぶつ言う
日本語の「もにょもにょ」は、擬態語としてかなり独特な言葉です。「もごもご」よりも少し柔らかくて、言いにくいことを言おうとして口ごもっている感じ、決して攻撃的ではない戸惑いの様子が出ています。れな子らしい言いよどみ方だと思います。
韓国語の「우물우물」や「쭈물」は、日本語の擬態語文化に近い感覚で訳されていて、音の柔らかさも似ています。韓国語は日本語と擬態語・擬音語の文化が近いこともあって、このあたりの表現は比較的自然に対応できているように感じます。
中国語の「喃喃」はぶつぶつとつぶやく様子を表す言葉で、少し文学的なニュアンスがあります。「もにょもにょ」の持つ少しコミカルな感じよりも、ややシリアスな印象になっています。
英語の「Mumble」はシンプルに「ぶつぶつ言う」という動詞で、漫画の効果音的に使われています。「もにょもにょ」の持つ擬態語的な柔らかさや可愛らしさは薄れていますが、英語には日本語ほど豊かな擬態語の文化がないため、これが最も自然な選択のひとつだと思います。
1-4 れまフレ発覚シーンの直訳比較
このシーンの核心です。紫陽花さんが「れまフレ……?」と言う場面。
🇯🇵 日本語|れまフレ|→ れ(な子)+ま(唯)+フレ(ンズ)
🇰🇷 韓国語|레마프렌드|→ レマフレンド(音写)
🇹🇼 中国語|玲真摯友|→ 玲+真+心からの友
🇺🇸 英語マンガ|RENAFITS|→ Rena+benefits
「れまフレ」は、れな子と真唯がふたりだけで作った言葉です。れな子の「れ」、真唯の「ま」、そしてフレンズの「フレ」。造語としての可愛らしさと、ふたりの関係の特殊さが一語に凝縮されています。
韓国語版は「레마프렌드(レマフレンド)」と音写しています。日本語の響きをそのまま残す選択で、読んだときの語感が原語に最も近いと感じます。ただ、韓国語話者にとってこれが「造語である」という感覚がどこまで伝わるかは少し気になるところです。
中国語版は「玲真摯友」という新しい造語を作っています。玲(れな子の中国語名)の「玲」、真唯の「真」、そして「摯友」(親友・心の友)を合わせた4文字。音よりも意味と関係性を優先した訳し方で、ふたりの名前が入りつつ「特別な友人」というニュアンスも込められています。原語の軽さや遊び感よりも、関係性の深さを前面に出した選択です。
英語版の「RENAFITS」は、この文書の中で私が一番好きな翻訳のひとつです。Rena(れな子)+benefits。「friends with benefits」という英語スラングを下敷きにしています。「friends with benefits」はふたりの関係の曖昧さを英語圏の読者にストレートに伝える力があります。原語の「れまフレ」はもっと無邪気で可愛い言葉ですが、「RENAFITS」はふたりの関係の本質をえぐるような鋭さを持っています。翻訳者の胆力を感じる一手です。
1-5 「八方ふさがり!」の直訳比較
れな子が心の中で叫ぶ「八方ふさがり!」。日本語では「どこにも逃げ場がない」という意味の慣用句ですが、これも各言語でまったく違う表現が選ばれています。
🇯🇵 日本語|八方ふさがり|→ 八方向がすべて塞がっている
🇰🇷 韓国語|사면초가|→ 四面楚歌(故事成語)
🇹🇼 中国語|束手無策|→ 手を縛られて策なし
🇺🇸 英語マンガ|BACKED INTO A CORNER|→ 隅に追い詰められた
面白いのは、日中韓の三言語がそれぞれ別の慣用句・故事成語を選んでいることです。どれも「逃げ場がない絶望的な状況」を表していますが、比喩のイメージはまったく違います。八方向、四方からの包囲、縛られた手、壁の角。どれもれな子の状況を正確に表しているのに、頭に浮かぶ絵がまったく違う。
韓国語の「사면초가(四面楚歌)」は中国の故事から来た表現で、四面を敵に囲まれた絶体絶命の状況を指します。日本語でも「四面楚歌」という表現はありますが、韓国語ではより日常的に使われる感覚があります。中国語の「束手無策」は手を縛られて何もできない状態の表現で、動けない無力感が前面に出ています。
英語版だけが慣用句ではなく、空間的・視覚的な描写に近い表現を選んでいます。「壁の角に追い詰められた」という状況は、漫画のコマと合わせて読んだとき非常にわかりやすく、英語圏の読者には一番直感的に伝わるかもしれません。
1-6 「ご納得いただけた模様!」の直訳比較
このシーンの後半、紫陽花さんがとりあえず納得してくれたように見えたとき、れな子は心の中でこう思います。「ご納得いただけた模様!」。
この台詞、翻訳が難しいポイントのひとつです。自分の心内語なのに、わざわざ敬語を使っている。そのコミカルな奇妙さと可愛らしさが笑いを生んでいます。
🇯🇵 日本語|ご納得いただけた模様!|→ 敬語で相手の納得を確認する
🇰🇷 韓국語|납득한 모양!|→ 納得した模様!
🇹🇼 中国語|原、原来是接受!|→ な、なるほど、受け入れた!
🇺🇸 英語マンガ|LOOKS LIKE WE'RE IN THE CLEAR!|→ どうやら切り抜けたみたい!
韓国語版は「납득한 모양(納得した模様)」とシンプルに訳していて、敬語ニュアンスはやや薄れていますが、安堵の感じは伝わります。中国語版は「原来是接受(なるほど、受け入れた)」とどこか驚きのトーンが入っていて、れな子の混乱がよく出ています。
英語版の「LOOKS LIKE WE'RE IN THE CLEAR!」は、敬語のニュアンスは完全に消えていますが、「切り抜けた!」という安堵感は鮮明です。「WE'RE」という複数形になっているのも気になるところで、自分と真唯を「ひとまとまり」として意識しているようにも読めます。れな子が無意識にふたりを一緒に捉えているとしたら、それはそれで味のある翻訳です。深読みかもしれませんが、そういう読み方ができるのも翻訳比較の面白さだと思っています。
このシーンひとつとっても、各言語版がそれぞれ全力で向き合っていることがわかります。同じコマ、同じれな子の混乱なのに、読んだときの空気感が少しずつ違う。その違いを楽しみながら、次の章へ進みましょう。
第二章 同じページなのに、なぜ別の話に見えるのか(※同じページです)
翻訳者たちは、どこで迷ったのか
2-1 翻訳の三つの戦略
第一章で、いくつかの表現を比べてきました。「끝났다」と「GAME OVER, MAN.」、「레마프렌드」と「RENAFITS」、「사면초가」と「BACKED INTO A CORNER」。並べてみると、各言語版がまったく違うアプローチをとっていることがわかります。
この違いを整理するために、翻訳の戦略を大きく三つに分けて考えてみます。
音写(おんしゃ)——原語の音をそのまま別の文字に移す方法です。意味よりも響きを優先します。読んだときの感触を守ることができますが、意味が伝わらないリスクがあります。
意味翻訳——原語の意味を別の言語で再現する方法です。音は捨てて、内容を伝えることを優先します。意味は伝わりますが、原語の語感や遊び感が失われることがあります。
文化翻訳——原語の機能や感情を、その言語圏の文化的文脈で作り直す方法です。原語の音も意味もそのままでは使わず、読者の文化に合わせて別の表現を選びます。最も大胆な戦略で、うまくいけば原語以上に伝わることもありますが、原語から遠くなるリスクもあります。
わたなれの各国版を眺めると、この三つの戦略の使い分けがはっきり見えてきます。
韓国語版は音写寄りです。「れまフレ」を「레마프렌드」にする、「真唯えもん」を「마이에몽」にする。原語の響きをできる限り残そうとしています。
中国語版は意味翻訳寄りです。「れまフレ」を「玲真摯友」にする。音よりも、ふたりの関係性の意味を補完することを選んでいます。
英語版は文化翻訳です。「れまフレ」を「RENAFITS」にする、「真唯えもん」を「PAGING PRIVATE MAI!」にする。原語の構造を一旦手放して、英語圏の読者が自然に受け取れる形に作り直しています。
もちろん、ひとつの言語版がひとつの戦略だけを使っているわけではありません。場面によって使い分けていることもあります。ただ、全体的な傾向として、この三つの軸で見ると各言語版の個性が浮かび上がってきます。
2-2 紫陽花の心内語——思考の翻訳比較
第一章ではれな子の言葉を中心に見てきましたが、この章では紫陽花さんの心内語に注目してみます。
3巻の問い詰めシーンで、紫陽花さんは内心でこんなことを考えています。
「どんな情報を、どの順番で開示すればいいのか……」
れな子と真唯の関係について、どこまで話してもいいのか判断できずに迷っている紫陽花さんの思考です。このシーン、紫陽花さんの心内語が非常に多く、翻訳者が紫陽花さんの「考える人」としての側面をどう表現したかがよく見えます。
🇯🇵 日本語|どんな情報を、どの順番で開示すればいいのか……|→ 原文
🇰🇷 韓国語|이런 사정을 이런 순서로 설명해야 좋을지……|→ こんな事情をどんな順序で説明すればいいのか……
🇹🇼 中国語|我不知道該照什麼順序,揭露怎樣的情報才好……|→ どんな情報をどんな順序で明かせばいいかわからない……
🇺🇸 英語マンガ|JUST HOW MUCH CAN I GET AWAY WITH HERE…?|→ ここでどこまで切り抜けられるか……?
日本語・韓国語・中国語の三言語は、「情報の開示順序」という紫陽花さんの整理された思考をそのまま訳しています。紫陽花さんが冷静に状況を分析しようとしている様子が伝わってきます。
英語版は大きく違います。「JUST HOW MUCH CAN I GET AWAY WITH HERE…?」——どこまで切り抜けられるか、という訳です。「情報をどう開示するか」という分析的な思考から、「どこまで誤魔化せるか」というより直感的な判断に変わっています。
この違いは小さいようで、紫陽花さんというキャラクターの印象に影響するかもしれません。日本語版の紫陽花さんは、混乱しながらも論理的に考えようとしている。英語版の紫陽花さんは、もう少し直感的に状況を乗り越えようとしている。どちらも紫陽花さんらしさの範囲内ですが、読後感が少し変わる気がします。
続けて、もうひとつの心内語を見てみましょう。
「真唯の秘密についても話すのもダメだし」
🇯🇵 日本語|真唯の秘密についても話すのもダメだし|→ 原文
🇰🇷 韓国語|마이의 비밀에 대해서 얘기할 수도 없고|→ マイの秘密について話すこともできないし
🇹🇼 中国語|而且也不能提起關於真唯的秘密|→ そして真唯の秘密についても触れることができないし
🇺🇸 英語マンガ|I CAN'T TELL HER ANY OF MAI'S SECRETS.|→ マイの秘密は何も話せない
この箇所は四言語ともほぼ同じ意味で訳されています。ただ細かく見ると、日本語と韓国語・中国語の「〜し」という並列の言い方が、英語では独立した一文になっています。英語は接続助詞で文を連ねる構造が日本語ほど自然ではないため、こういった分割が起きやすいのですが、その分ひとつひとつの思考が少し重くなる印象があります。
紫陽花さんの内心のぐるぐるとした焦りは、文が連なってこそ出てくる部分もあるので、英語版で少し雰囲気が変わるのはここでも同様です。
2-3 コラム:英語マンガ版 vs 英語小説版
この文書では主に英語マンガ版(Yen Press刊)を参照していますが、実はわたなれには英語の小説版も存在します。同じ英語でも、翻訳者と媒体が違うと何が変わるのか。少しだけ比べてみます。
漫画という媒体は、台詞の長さに物理的な制約があります。吹き出しの大きさがあるため、長い訳文は入りません。また、絵と台詞が一体になって意味を作るため、台詞だけで説明しすぎる必要もありません。漫画の翻訳者は「短く、テンポよく、絵と合わせて読んだときに自然である」ことを優先します。
小説版はその制約がありません。文章だけで情景や感情を伝えなければならない分、より丁寧な言葉の選択ができます。また、地の文がある分、心内語の表現の幅も広がります。
「れまフレ」の扱いを見てみましょう。
🇺🇸 英語マンガ版|RENAFITS|→ Rena+benefits(造語)
🇺🇸 英語小説版|friends with benefits|→ そのままの英語表現
マンガ版が「RENAFITS」という新しい造語を作ったのに対して、小説版は「friends with benefits」という既存の表現をそのまま使っています。小説版には吹き出しの制約がないため、造語を作らなくても自然に説明できる、という判断があったのかもしれません。
「真唯えもん」の場合も比べてみます。
🇺🇸 英語マンガ版|PAGING PRIVATE MAI!|→ 真唯二等兵、応答せよ
🇺🇸 英語小説版|Mai-emon|→ 音写に近い形
マンガ版が大胆な文化翻訳を選んだのに対して、小説版は「Mai-emon」という音写寄りの表現を選んでいます。面白いのは、同じ英語でもこれだけ方向性が違うことです。媒体の違いが翻訳の戦略に影響している、という好例だと思います。
どちらが「正しい」という話ではありません。漫画版は読者に即座に伝わることを優先し、小説版は原語の雰囲気を残すことを優先した。その判断の違いが、同じ英語でも別の読み味を生み出しています。
この文書では主にマンガ版を比較の軸にしていますが、小説版との比較も随所で触れていきます。同じ言語の中に複数の翻訳が存在する、というのはわたなれの英語版ならではの面白さです。
翻訳の戦略が見えてきたところで、次はいよいよこの文書の核心へ進みます。「ムリ」という言葉が、各言語でどう訳されたか。その話をしましょう。
第三章 「ムリ」をひとことで訳せるわけないじゃん、ムリムリ(※やっぱりムリだった)
感情に名前をつけることの、やさしい残酷さについて
3-1 「ムリ」という語の解剖
「ムリ」という言葉について、少し真剣に考えてみます。
日本語を母語にしている人は、「ムリ」を毎日のように使っています。でも、いざ「ムリってどういう意味?」と聞かれると、意外と答えにくい。それくらい、文脈によって意味が変わる言葉です。
たとえば、こんな使い方があります。
「それは構造上ムリだよ」——物理的・論理的な不可能。できないという事実の確認です。
「ムリムリ!そんなわけないじゃん!」——感情的な否定。信じられない、あり得ない、という拒絶です。
「ムリ……好きすぎる……」——感情の溢れ。嬉しすぎて、可愛すぎて、処理できないときの言葉です。
「ムリだって言ったのに」——照れ隠し。本当は嬉しいけど、素直になれないときの防衛線です。
「もうムリ、疲れた」——限界の表明。これ以上は続けられないという諦念です。
「ムリしないで」——相手への気遣い。無理をするなという優しさです。
全部「ムリ」です。でも感情の色がまったく違う。日本語話者はこれを文脈と声のトーンで瞬時に判別していますが、文字だけで読む漫画や小説では、絵や文脈がその手がかりになります。
では、これを別の言語に翻訳しようとするとどうなるか。「ムリ」のどの意味を選ぶか、という判断を、翻訳者は台詞ごとに迫られます。ひとつの訳語に固定してしまえば、どこかの「ムリ」で意味がずれる。かといって毎回違う言葉を選べば、「ムリ」という言葉が持つ統一感が失われる。これが「ムリ」翻訳の難しさです。
3-2 わたなれというタイトルの構造
「ムリ」の多義性を踏まえたうえで、もう一度タイトルを見てみます。
「わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)」
前半の「ムリムリ!」は、感情的な否定と照れ隠しが混ざっています。「そんなわけない、あり得ない」という拒絶でありながら、どこか自分に言い聞かせているような、信じたくない気持ちの裏返しでもある。
後半の「※ムリじゃなかった!?」は、その否定が崩れていく瞬間です。「?」と「!」が同時についているのがポイントで、確信でも驚きでもなく、自分でも信じられないような、恐る恐る気づいていく感じが出ています。
いわゆる反語の構造です。「ムリ」と言いながら「ムリじゃない」に向かっていく。その揺れ動く過程が物語であり、タイトルがすでにその地図を示しています。ネタバレされていても面白い、という稀有な構造です。
翻訳者はこの構造ごと別の言語に移さなければなりません。「ムリムリ!」の勢いと、「※ムリじゃなかった!?」の恐る恐る感と、その間にある感情の距離を、どう再現するか。次の節でその答え合わせをしてみましょう。
3-3 タイトルを10カ国語で読む——「ムリ」は世界でどう訳されたか
タイトルの翻訳比較は、各言語版が「ムリ」をどう捉えたかを端的に示しています。
🇯🇵 日本語|ムリムリ!※ムリじゃなかった!?|→ 原語
🇺🇸 英語|There's No Freaking Way I'll be Your Lover! Unless...|→ 絶対に恋人になんてなれないって!でも…
🇧🇷 ポルトガル語|Um Amor Impossível! Ou não...|→ ありえない恋!それとも…
🇮🇩 インドネシア語|There's No Way I Can Have a Lover! *Or Maybe There Is!?|→ 恋人なんてできっこない!※できるかも!?
🇫🇷 フランス語|There's No Freaking Way I'll be Your Lover! Unless...|→ 英語版と同じ
🇻🇳 ベトナム語|Watashi ga Koibito ni Nareru Wake Naijan, Muri Muri! Muri Janakatta!?|→ 日本語をそのまま音写
🇹🇭 タイ語|ให้เป็นแฟนได้ไง ไม่เอาไม่ไหวหรอก(※หรือว่าจะไหวนะ!?)|→ 恋人になんてなれるわけ、ムリムリ(※なれそう!?)
🇹🇼 中国語|我們不可能成為戀人!絕對不行。(※似乎可行?)|→ 絶対ダメ。(※できるかも?)
まず目を引くのはベトナム語版です。タイトルを日本語のまま音写しています。「Muri Muri」として残っている。これは10カ国語の中で唯一、「ムリ」という音を守った選択です。ベトナム語に「ムリ」に相当する一語がなかったのか、あるいは日本語の響きそのものを届けることに意味があると判断したのか、理由は推測するしかありませんが、この選択は独特です。日本語を知らないベトナム語読者が「Muri Muri」を読んだとき、何を感じるのか、少し想像してみたくなります。
英語版とフランス語版は同じタイトルを使っています。「There's No Freaking Way」——「Freaking」という強調語を入れることで、原語の「ムリムリ!」の感情的な勢いを再現しようとしています。「Freaking」はかなり口語的で感情的な言葉なので、れな子の必死な自己否定の感じが出ています。後半の「Unless...」は「※ムリじゃなかった!?」の恐る恐る感を「...」で表現していて、タイトル全体の構造を比較的よく再現できていると思います。
ポルトガル語版の「Um Amor Impossível! Ou não...」は最もシンプルな訳で、「ありえない恋!それとも…」という構造です。「ムリムリ!」の繰り返しの勢いは消えていますが、前半と後半の反転構造はしっかり残っています。「Impossível(不可能)」という語は強くて明確な否定で、原語の「ムリ」よりも断言の度合いが高い印象があります。
インドネシア語版は原語の構造に最も近いタイトルです。「*Or Maybe There Is!?」という後半部分が、「※ムリじゃなかった!?」の「※」と「!?」の感じをよく再現しています。翻訳者が原語のタイトル構造を意識していたことが伝わってくる訳です。
タイ語版は「ไม่ไหว(マイワイ)」という言葉を使っています。直訳すると「耐えられない・できない」という意味で、「ムリ」の感情的な溢れ——処理できない、どうしようもないという感じ——に近い表現です。他の言語が「不可能」という論理的な否定を選ぶ中で、タイ語版だけが感情的な限界の表現を選んでいる。これが「ムリ」の本質に一番近いかもしれない、と私は思っています。
中国語版は「絕對不行(절대 안 돼)」と「不可能」を使い分けています。「不可能」は論理的な不可能、「不行」はより感情的な拒絶に近い言葉です。後半の「※似乎可行?(※できるかも?)」はシンプルながら、前半との反転がはっきりしていて読みやすい構造になっています。
こうして並べてみると、「ムリ」という言葉の翻訳に対して、各言語版が全然違う角度から向き合っていることがわかります。論理的な不可能として訳した言語、感情的な溢れとして訳した言語、音そのものを届けた言語。どれが「正しい」ムリかという答えはありませんが、それぞれの選択に翻訳者の読みが透けて見えます。
3-4 「ムリ」の感情温度マップ
ここまでの比較を踏まえて、各言語版の「ムリ」に相当する訳語を、感情の温度で並べてみます。
原語の「ムリ」が持つ感情の幅を0から10のスペクトルで考えると、0が「論理的な不可能」、10が「感情の溢れ・処理できない」だとします。
🇧🇷 ポルトガル語|Impossível|→ 論理的な不可能寄り(スペクトルの0に近い)
🇺🇸 英語|No Freaking Way|→ 感情的な強調あり(やや中間より)
🇹🇼 中国語|不可能・不行|→ 論理と感情の中間
🇰🇷 韓国語|무리(無理)|→ 原語に最も近い(中間)
🇹🇭 タイ語|ไม่ไหว|→ 感情の溢れ・限界寄り(スペクトルの10に近い)
🇻🇳 ベトナム語|Muri(音写)|→ 判断なし、音だけ届ける
面白いのは、タイ語版だけが「感情の溢れ」側に振り切っていることです。「ムリ」のどの側面を届けるかという選択で、タイ語版は「処理できない感情」を選んでいる。わたなれという物語の核心——れな子が真唯への気持ちを「ムリ」と言いながら処理できなくなっていく——と考えると、タイ語版の選択はある意味で物語の本質を掴んでいるかもしれません。
3-5 紫陽花が「ムリ」と言わないシーン
最後に、少し違う角度から「ムリ」を見てみます。
3巻の問い詰めシーンで、紫陽花さんはこう言います。
「といっても紫陽花さんに嘘をつくのはやりたくないし!」
これはれな子の台詞ですが、ここに「ムリ」は出てきません。「やりたくない」という言葉を使っています。「ムリ(できない)」ではなく「やりたくない(したくない)」。この違いが、れな子の紫陽花さんへの誠実さを表しています。
紫陽花さんに対して嘘をつくことは、能力の問題ではなく、意志の問題だとれな子は感じている。だから「ムリ」じゃなくて「やりたくない」なんです。
🇯🇵 日本語|やりたくない|→ したくない(意志の否定)
🇰🇷 韓国語|하고 싶지도 않고|→ したくもないし(意志の否定)
🇹🇼 中国語|我也不想對紫陽花同學說謊|→ 紫陽花さんに嘘もつきたくない(意志の否定)
🇺🇸 英語マンガ|BUT I DON'T WANT TO LIE TO AJISAI-SAN!|→ でも紫陽花さんに嘘をつきたくない(意志の否定)
四言語とも、ここは「できない」ではなく「したくない」という意志の否定で訳されています。翻訳者たちがこのニュアンスの違いを正確に掴んでいることが伝わってきます。
「ムリ」と言わないことで、れな子の紫陽花さんへの気持ちが浮かび上がる。このシーンの繊細さを、各国の翻訳者たちはちゃんと受け取っていました。
「ムリ」という一語を掘り続けてきましたが、掘れば掘るほど、この言葉が持つ豊かさに気づかされます。翻訳者たちが「ムリ」のどの側面を選んだか。その選択ひとつひとつに、わたなれへの読みが込められています。
次の章では、造語の翻訳に焦点を当てます。「れまフレ」と「真唯えもん」——ふたつの造語が、海を渡ってどうなったか。その話をしましょう。
第四章 れまフレは海を渡れるわけないじゃん、ムリムリ(※RENAFITSになってた)
造語と愛称の翻訳——「真唯えもん」が消えた言語、生き残った言語
4-1 造語翻訳の難しさ
翻訳者が最も頭を抱える表現のひとつが、造語です。
普通の単語には辞書があります。「終わった」なら「끝났다」、「不可能」なら「Impossible」と、対応する言葉を探せます。でも造語には辞書がありません。作者がその作品のために生み出した言葉だから、どの言語にも対応する訳語が存在しない。翻訳者は、ゼロから何かを作らなければなりません。
造語が難しいのはそれだけではありません。造語には、その言葉が生まれた文脈と感情が圧縮されています。
「れまフレ」という言葉を例にとります。この六文字には、れな子と真唯がふたりだけで共有している関係性、その関係を名前にしてしまうことへの照れ、「フレンズ」という言葉で曖昧にくるんだ本音、そしてふたりにしかわからない親密さ——そういうものが全部入っています。
翻訳者はこの六文字を、別の言語で再現しなければならない。音を守るか、意味を守るか、文化ごと作り直すか。どの選択も何かを失います。造語の翻訳は、何を諦めるかの選択です。
4-2 れまフレ全言語詳細比較
では「れまフレ」の各言語版を、改めて丁寧に見ていきましょう。
🇯🇵 日本語|れまフレ|→ れ(な子)+ま(唯)+フレ(ンズ)
🇰🇷 韓国語|레마프렌드|→ レマフレンド(音写)
🇹🇼 中国語|玲真摯友|→ 玲+真+心からの友
🇺🇸 英語マンガ|RENAFITS|→ Rena+benefits
🇺🇸 英語小説版|friends with benefits|→ 既存の英語表現をそのまま使用
韓国語版「레마프렌드」について
韓国語版は音写を選びました。「れまフレ」の音をハングルで表記した「레마프렌드(レマプレンドゥ)」です。
この選択の強みは、原語の響きが残ることです。日本語版を読んだことがある韓国語読者なら、「ああ、れまフレのことだ」とすぐに気づける。また、韓国語話者にとっても「造語っぽい」という感覚が伝わりやすい。馴染みのない音の組み合わせが、この言葉の特殊さを示しています。
一方で、「れ」と「ま」がれな子と真唯のイニシャルであるという仕掛けは、韓国語読者には伝わりにくいかもしれません。音は届いても、造語の構造まではわからない。それでも、ふたりだけの特別な言葉である、という雰囲気は音写でも十分に伝わると思います。
中国語版「玲真摯友」について
中国語版は意味翻訳を選びました。玲(れな子の中国語名・甘織玲子の「玲」)、真(真唯の「真」)、摯友(親友・心の友)を合わせた四文字熟語風の造語です。
この選択の面白さは、ふたりの名前の一文字ずつが入っていることです。「れまフレ」と同じ構造——ふたりのイニシャルを使った造語——を中国語でも再現しています。さらに「摯友」という言葉が加わることで、単なる略称ではなく「特別な友人関係」という意味まで込められています。
音よりも構造と意味を守った選択で、原語の仕掛けに最も忠実な訳だと私は思っています。ただ、「摯友」という言葉はやや格式ばった表現で、「れまフレ」の持つ軽さや可愛らしさとは少しトーンが違います。ふたりの関係を少しだけ真剣に、重く受け取った訳し方とも言えます。
英語マンガ版「RENAFITS」について
英語マンガ版は文化翻訳を選びました。Rena(れな子の英語名)+benefits。「friends with benefits」という英語スラングを下敷きにした造語です。
「friends with benefits」は英語圏では広く知られた表現で、「性的な関係がある友人」という意味を含みます。れな子と真唯の関係——友達のふりをしながら、実際にはもっと深い感情がある——を英語圏の読者にストレートに、そして少し刺激的に伝える力があります。
原語の「れまフレ」はもっと無邪気な言葉です。「フレンズ」というカタカナの軽さ、「れ」と「ま」を繋げたときの可愛らしさ、ふたりがこの言葉を使うときのちょっとした照れ——そういうものは「RENAFITS」にはありません。
でも「RENAFITS」には、英語圏の読者が「このふたりの関係、そういうことか」と瞬時に理解できる力があります。何かを失って、何かを得た。その取引の結果が「RENAFITS」という一語です。私はこの翻訳を見たとき、笑いながらも少しだけ切なくなりました。
英語小説版「friends with benefits」について
英語小説版は造語を作らず、「friends with benefits」という既存の表現をそのまま使っています。マンガ版が造語という形式まで再現しようとしたのに対して、小説版は意味の伝達を優先した選択です。
吹き出しの制約がない小説版では、説明的な表現も自然に使えます。そのため、わざわざ新しい造語を作る必要がなかったのかもしれません。読みやすさと理解のしやすさを優先した、堅実な選択だと思います。
4-3 真唯えもん全言語詳細比較
「れまフレ」と並ぶ、わたなれのもうひとつの代表的な造語が「真唯えもん」です。
真唯えもんとは、困ったことがあるとすぐに真唯に頼るれな子が、真唯のことをドラえもんに例えて呼んだ言葉です。真唯+ドラえもんの「えもん」。このネーミングには、頼りにしている甘えと、少しの申し訳なさと、それを笑いに変えるれな子らしさが詰まっています。
🇯🇵 日本語|真唯えもん|→ 真唯+ドラえもん
🇰🇷 韓国語|마이에몽|→ マイ+えもん(音写)
🇹🇼 中国語|真唯A少|→ 真唯+哆啦A夢(ドラえもんの中国語名)の「A」
🇺🇸 英語マンガ|PAGING PRIVATE MAI!|→ 真唯二等兵、応答せよ
韓国語版「마이에몽」について
韓国語版は「마이에몽(マイエモン)」と音写しています。「真唯」の韓国語読み「마이(マイ)」に、「えもん」をハングルで表記した「에몽(エモン)」を繋げた形です。
韓国ではドラえもんは「도라에몽(ドラエモン)」として広く知られています。そのため「에몽」という音から、韓国語読者はドラえもんを連想できます。ドラえもんの文化的共通認識が韓国でも機能するからこそ、音写だけで元ネタが伝わる。この訳が成立するのは、日韓でドラえもんが共有されているおかげです。
中国語版「真唯A少」について
中国語版は「真唯A少」という造語を作っています。ドラえもんの中国語名は「哆啦A夢(ドラえもん)」で、その「A」を引用した形です。
この訳は非常に巧みだと思います。「A少」という造語は中国語話者には自然に「ドラえもんっぽい何か」と伝わる。「真唯A夢」ではなく「真唯A少」にすることで、ドラえもんへの目配せをしながらも新しい造語として機能しています。「少」は若者・少年を指す言葉で、真唯のキャラクターにも合っています。
音写でもなく完全な文化置換でもない、ちょうど中間の選択です。元ネタを知っている人には伝わり、知らない人にも固有の愛称として受け取れる。この訳を考えた人は、相当頭を使ったんじゃないかと思います。
英語版「PAGING PRIVATE MAI!」について
英語版の「PAGING PRIVATE MAI!」は、この文書の中で私が一番驚いた翻訳です。
ドラえもんは英語圏ではほとんど知られていません。「えもん」という音から何かを連想できる英語読者はほぼいない。そのため英語版の翻訳者は、ドラえもんという元ネタを完全に手放す決断をしました。
その代わりに選ばれたのが、軍隊の無線コール「PAGING PRIVATE MAI!」です。「困ったときに助けを呼ぶ」という機能を、軍隊の緊急呼び出しという形で再現しています。ドラえもんの「どこでもドア」的な万能感は消えましたが、「真唯を呼び出す」という行為の切迫感は英語版の方がむしろ強いかもしれません。
「えもん」という語が持つ可愛らしさ——ドラえもんという文化的記憶、ネーミングのふわっとした柔らかさ——は完全に消えています。でも英語読者にとっては、「PAGING PRIVATE MAI!」の方がれな子の切迫した心情が伝わるかもしれない。翻訳者は「えもん」の可愛さではなく、「真唯を頼る」という感情の機能を守ることを選びました。
みかみてれん先生が「米津玄師とかトムクルーズとか、どうやって訳してるんだろう」と呟いたとき、もしかしたらこういった固有名詞の翻訳を念頭に置いていたのかもしれません。ドラえもんという固有名詞が通じない言語で、翻訳者はどうするか。その答えのひとつが「PAGING PRIVATE MAI!」でした。
4-4 コラム:ドラえもんが「通じる言語」と「通じない言語」
「真唯えもん」の翻訳を見ていると、ドラえもんという作品の文化的な広がりが透けて見えてきます。
日本語・韓国語・中国語の三言語では、ドラえもんへの目配せが翻訳に残っています。これはドラえもんが東アジア圏で共有された文化だからです。1969年に日本で生まれたドラえもんは、アジア各国に広まり、多くの人の幼少期の記憶に刻まれています。
一方、英語圏ではドラえもんは一般的ではありません。そのため英語版では元ネタへの目配せを完全に諦め、別の文化的文脈に乗り換えました。
翻訳は言語だけの問題ではなく、文化的共通認識の問題でもある——「真唯えもん」の翻訳比較は、そのことをはっきりと示しています。何が通じて何が通じないかは、言語よりも文化圏によって決まることがある。翻訳者はその境界線を毎回判断しながら、言葉を選んでいます。
「れまフレ」も「真唯えもん」も、翻訳者たちはそれぞれの方法で全力で向き合っていました。何かを諦めながら、何かを守りながら。その選択の跡を眺めていると、翻訳という行為の誠実さのようなものが見えてくる気がします。
次の章では、ここまでの比較を一枚の図に整理します。各言語版の翻訳哲学を並べて、全体を俯瞰してみましょう。
第五章 並べてみたら、見えてくるわけないじゃん(※全部見えた)
5言語の翻訳哲学を一枚の図にした話
5-1 翻訳戦略マトリクス
ここまで、たくさんの表現を比べてきました。「終わった」と「GAME OVER, MAN.」、「れまフレ」と「RENAFITS」、「真唯えもん」と「PAGING PRIVATE MAI!」、「八方ふさがり」と「사면초가」と「BACKED INTO A CORNER」。
個別に見てきたこれらの選択を、一度整理してみます。
横軸を「音寄り↔意味寄り」、縦軸を「原語の遊び・語感を守る↔手放す」として、各言語版の翻訳をプロットすると、こんな傾向が見えてきます。
韓国語版は「音寄り×原語の遊びを守る」象限に位置します。「레마프렌드」「마이에몽」のように、原語の音をできる限りハングルで再現しようとする。響きを守ることで、原語の雰囲気を読者に届けようとしています。
中国語版は「意味寄り×原語の構造を守る」象限に位置します。「玲真摯友」のように、音は手放しながらも造語の構造——ふたりの名前を使う仕掛け——は守ろうとする。意味と構造を優先した、丁寧な翻訳です。
英語マンガ版は「文化翻訳×原語の語感を手放す」象限に位置します。「RENAFITS」「PAGING PRIVATE MAI!」のように、原語の音も構造も手放して、英語圏の読者が自然に受け取れる形に作り直す。最も大胆な戦略です。
英語小説版は英語マンガ版よりやや「音寄り」に位置します。「Mai-emon」のように、マンガ版が文化翻訳を選んだ場所で音写を選ぶことがある。媒体の自由度が翻訳の方向性に影響しています。
この四者を並べると、翻訳とはひとつの正解に向かう作業ではなく、何を優先するかという選択の連続だということがわかります。音を守ること、意味を守ること、構造を守ること、文化的文脈を守ること——それぞれが正当な優先順位であり、どれを選ぶかが各言語版の個性になっています。
5-2 言語ごとの翻訳哲学まとめ
ここで、各言語版の翻訳哲学を改めてまとめておきます。
🇰🇷 韓国語版——音と空気感を守る翻訳
韓国語版の一貫したスタンスは「原語の響きをできる限り残す」ことです。「레마프렌드」「마이에몽」「끝났다」——どれも原語の音に近い形で訳されています。
これが機能する背景には、日韓の言語的・文化的な近さがあります。日本語と韓国語は語順が似ており、擬態語・擬音語の文化も共通しています。また、ドラえもんのような文化的共通認識も多い。だから音写でも意味が伝わりやすい。韓国語版の翻訳者は、その近さを最大限に活かした選択をしていると思います。
韓国語版のわたなれを読んだとき、原語に最も近い「空気感」があると私は感じました。台詞のリズムや感情の温度が、日本語版と一番似ている。それは音写という戦略の成果だと思っています。
🇹🇼 中国語版——意味と関係性を補完する翻訳
中国語版の一貫したスタンスは「意味と関係性をきちんと伝える」ことです。「玲真摯友」「真唯A少」「束手無策」——音よりも、何を言っているかを正確に届けることを優先しています。
中国語は日本語と漢字を共有していますが、音はまったく違います。そのため音写という選択肢が韓国語ほど有効ではない。その代わり、漢字の意味を活かした造語や四字熟語の引用が自然にできる。「玲真摯友」のような中国語版独自の造語が生まれるのは、この言語の強みを活かした結果です。
中国語版のわたなれを読んだとき、少しだけ「まじめ」な印象を受けました。れな子のコミカルな混乱が、中国語では少し落ち着いて見える場面があります。それは意味を正確に伝えようとする翻訳の誠実さの表れかもしれませんが、同時に原語の軽さや可愛らしさが少し薄れることもある。得るものと失うものが、翻訳の両面に現れています。
🇺🇸 英語マンガ版——文化ごと作り直す翻訳
英語マンガ版の一貫したスタンスは「英語圏の読者が自然に受け取れる形に作り直す」ことです。「RENAFITS」「PAGING PRIVATE MAI!」「GAME OVER, MAN.」——原語の音も構造も手放して、英語圏の文化的文脈に乗り換えています。
この戦略が必要になる背景には、日英の文化的距離の大きさがあります。ドラえもんは通じない、擬態語の豊かさは再現できない、敬語の概念は存在しない。韓国語や中国語とは違い、英語には日本語と共有できる文化的土台が少ない。だから文化翻訳という、最も大胆な戦略が選ばれます。
英語マンガ版のわたなれを読んだとき、一番「違う作品」を読んでいる感覚がありました。れな子のキャラクターは伝わりますし、物語の面白さも伝わります。でも台詞の質感が、原語とは明らかに違う。それは翻訳の失敗ではなく、英語圏の読者のために作り直した結果です。翻訳者が英語圏のれな子を作った、という感覚があります。
🇺🇸 英語小説版——媒体の自由度を活かした翻訳
英語小説版は、マンガ版と比べると音写寄りの選択をすることがあります。吹き出しの制約がない分、説明的な表現や原語に近い形を使う余裕があります。同じ英語でもマンガ版と小説版で方向性が違う、というのがわたなれの英語版の面白さです。
媒体が翻訳に影響する——このことは、翻訳を考えるうえで意外と見落としがちな視点です。言語の違いだけでなく、漫画か小説かという媒体の違いも、翻訳者の選択を変えていきます。
5-3 直訳一覧表(全シーン×全言語)
この文書で取り上げた表現を、まとめて並べておきます。読み返すときの参照用としてお使いください。
「終わった」
🇯🇵 日本語|終わった
🇰🇷 韓国語|끝났다(終わった)
🇹🇼 中国語|完蛋了(卵が割れた=終わりだ)
🇺🇸 英語マンガ|GAME OVER, MAN.(ゲームオーバーだ、男よ)
「もにょもにょ」
🇯🇵 日本語|もにょもにょ
🇰🇷 韓国語|우물우물 / 쭈물(もぐもぐ・もじもじ)
🇹🇼 中国語|喃喃(ぶつぶつ)
🇺🇸 英語マンガ|Mumble(ぶつぶつ言う)
「れまフレ」
🇯🇵 日本語|れまフレ
🇰🇷 韓国語|레마프렌드(レマフレンド・音写)
🇹🇼 中国語|玲真摯友(玲+真+心からの友)
🇺🇸 英語マンガ|RENAFITS(Rena+benefits)
🇺🇸 英語小説|friends with benefits
「真唯えもん」
🇯🇵 日本語|真唯えもん
🇰🇷 韓国語|마이에몽(マイエモン・音写)
🇹🇼 中国語|真唯A少(真唯+哆啦A夢の「A」)
🇺🇸 英語マンガ|PAGING PRIVATE MAI!(真唯二等兵、応答せよ)
「八方ふさがり」
🇯🇵 日本語|八方ふさがり
🇰🇷 韓国語|사면초가(四面楚歌)
🇹🇼 中国語|束手無策(手を縛られて策なし)
🇺🇸 英語マンガ|BACKED INTO A CORNER(隅に追い詰められた)
「ご納得いただけた模様!」
🇯🇵 日本語|ご納得いただけた模様!
🇰🇷 韓国語|납득한 모양!(納得した模様!)
🇹🇼 中国語|原、原来是接受!(な、なるほど、受け入れた!)
🇺🇸 英語マンガ|LOOKS LIKE WE'RE IN THE CLEAR!(どうやら切り抜けたみたい!)
「やりたくない」
🇯🇵 日本語|やりたくない
🇰🇷 韓국語|하고 싶지도 않고(したくもないし)
🇹🇼 中国語|我也不想對紫陽花同學說謊(紫陽花さんに嘘もつきたくない)
🇺🇸 英語マンガ|BUT I DON'T WANT TO LIE TO AJISAI-SAN!(でも紫陽花さんに嘘をつきたくない)
こうして並べてみると、同じ場面を読んでいるはずなのに、言語ごとに手触りが違うことがよくわかります。韓国語版のれな子、中国語版のれな子、英語版のれな子。誰もれな子なのに、少しずつ違うれな子がそこにいます。
翻訳者たちはそれぞれ、自分の言語で「れな子らしさ」を作ろうとした。その努力の跡が、この一覧表に詰まっています。
次の章では少し視点を変えて、わたなれというコンテンツの現在地を眺めてみます。2期はくるのか。翻訳が増えていく可能性はあるのか。ファンとして、全部調べてきました。
おまけ わたなれに2期よ来い(※来ておくれ)
ファンとして、全部調べてみた
6-1 現状の整理
翻訳比較の話を続けてきましたが、この章だけ少し趣が変わります。
わたなれに2期はくるのか。ファンとして気になりすぎて、調べてしまいました。翻訳が増える可能性を考えるためでもありますし、単純に応援しているコンテンツの行方が気になる、それだけの話でもあります。
まず現状を整理します。
アニメ1期は2025年7月から9月にかけて全12話が放送されました。原作小説3巻・漫画7巻までの内容が描かれています。1期の放送終了と同時に、続編の制作とTV放送が発表されました。
その続編が「わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)~ネクストシャイン!~」です。第13話から第17話までの全5話で、原作小説4巻の物語が描かれます。2025年11月21日より新宿バルト9ほか全国の劇場で先行上映され、その後TV放送という形で届けられました。
つまり現時点では、アニメは「ネクストシャイン」という形で4巻まで映像化されています。ここまでが確定している事実です。
問題は、その先——原作5巻以降がアニメ化されるかどうかです。
6-2 楽観4割の根拠
正直に言うと、私の感触は楽観4割・悲観6割です。まず楽観側の根拠から話します。
一番大きいのは、原作の売上です。わたなれの小説とコミカライズを合わせたシリーズ累計部数が、2025年11月に100万部を突破しました。ライトノベルの業界で「30万部超えが大ヒット」と言われていることを考えると、これは十分すぎる実績です。
コミカライズの反響も見逃せません。1巻の初動が3日で約27,000部、ニコニコ漫画の累計再生数が658万回を超えています。漫画版の読者層が厚いことは、集英社がアニメ続編でさらに部数を伸ばそうとする動機になります。
さらに、原作はまだ終わっていません。アニメがカバーしたのは4巻まで。5巻から8巻の未アニメ化分が4冊残っています。続きの物語がある、というのは続編制作の理由として十分です。
2026年4月の時点で、大阪ではわたなれ展が開かれ、アニメジャパン2026にはグッズ展示で出展していました。コンテンツとして現役で動き続けていることは、ファンとして素直に嬉しいです。
6-3 悲観6割の根拠
では悲観側の根拠です。こちらの方が少し重い話になります。
アニメの続編が作られるかどうかは、ざっくり言うと「製作委員会がお金を回収できたか」で決まります。その指標のひとつがBlu-rayの売上枚数です。
わたなれのBlu-ray売上は約1,800枚でした。業界では「2,000枚以下は赤字確定」と言われています。厳しい数字です。
比較のために他の作品を並べてみます。
🎬 フリーレン|6,300枚|原作漫画3,200万部|1期終了から約6ヶ月で2期発表
🎬 リコリコ|34,000枚|オリジナル|約5ヶ月で新作発表
🎬 よう実|低め|原作1,030万部|5年後に2期
🎬 チェンソーマン|1,900枚|漫画大ヒット|3年後に劇場版経由で続編
🎬 わたなれ|1,800枚|ラノベ100万部|現在進行形
チェンソーマンは円盤が約1,900枚でも、劇場版で興収100億円という大ヒットがあったから続きが来ました。よう実は円盤が少なくても原作が毎年売れ続けたから5年後に2期が来た。わたなれがどちらのルートを歩めるかが鍵です。
もうひとつ、百合アニメには**「2期が来ない」ジンクス**があります。citrusは円盤1,377枚で現在も2期なし。安達としまむらは2020年のアニメから2026年現在も2期未発表。百合ファンは円盤よりも配信で見る傾向があって、製作委員会への収益還元が弱いというのが業界の課題です。わたなれもその構造から無縁ではありません。
6-4 次の発表チャンスはいつか
では、2期発表があるとしたらいつか。現実的なタイミングを考えてみます。
ジャンプフェスタ2027(2026年12月)
ネクストシャインのTV放送終了から約11ヶ月後のタイミングです。チェンソーマンの続編「刺客篇」も同じジャンプフェスタで発表されたルートを歩んでいます。集英社系のコンテンツが発表される場として自然な選択肢です。
アニメジャパン2027(2027年3月)
14ヶ月後のタイミングです。集英社DeNAが毎年出展しているイベントで、アニメの新情報が発表されることも多い。アニメジャパン2026にわたなれがグッズ展示で出展していたことを考えると、2027年も何らかの形で関わってくる可能性があります。
この2つを過ぎても何もなければ、「ネクストシャインで実質の最終章だった」と考えていいかもしれません。それはそれで、ひとつの区切りとして受け取ろうと思っています。
応援するなら、原作を買うことが一番の後押しになります。電子書籍でも紙でも。わたなれを好きな人が原作を買い続けることが、続編への一番の道です。
6-5 2期が来たら翻訳の地図はどう広がるか
最後に、この文書のテーマに引き戻して考えてみます。
2期が来たとしたら、何が変わるか。
まず、すでに翻訳されている言語の続巻が出ます。韓国語版・中国語版・英語版の翻訳者たちが、また新しい表現と格闘することになります。5巻以降にどんな造語や固有表現が登場するか、それがどう訳されるか。続刊が楽しみな理由のひとつです。
そして、新しい言語版が増える可能性もあります。アニメが話題になれば、まだ翻訳されていない国でも出版されることがある。現時点でも、この文書で扱えていない言語版——タイ語版、アラビア語版など——がすでに存在しています。2期が来れば、その数はさらに増えるかもしれません。
みかみてれん先生は「世界中で紫陽花さんが祝われてる」と呟きました。2期が来れば、もっと多くの場所で、もっと多くの言語で、紫陽花さんが祝われることになります。それはとても嬉しいことだと思います。
翻訳の地図は、まだ広がり続けています。
おわりに どれが正解かなんて、わかるわけないじゃん(※わかった気がする)
何を諦めて、何を守ったか——翻訳者への、すこしの敬意
翻訳者は見えません。
本を開いても、クレジットに名前はあっても、どんな葛藤があったかは作品の中に残りません。「れまフレ」を「RENAFITS」にするとき、翻訳者が何を思ったか。「真唯えもん」を「PAGING PRIVATE MAI!」にするとき、何を諦めたか。その痕跡は、完成した台詞の中に静かに溶けています。
でも、比べてみると見えてくるものがあります。
「레마프렌드」と書いた人は、原語の響きを守ることを選んだ。「玲真摯友」と書いた人は、ふたりの名前を残すことを選んだ。「RENAFITS」と書いた人は、英語圏の読者に関係性の本質を届けることを選んだ。「PAGING PRIVATE MAI!」と書いた人は、可愛さではなく感情の機能を守ることを選んだ。
どれも正解です。そしてどれも、何かを諦めた結果です。
翻訳とは、選択の連続です。何を優先して、何を手放すか。音か、意味か、構造か、文化的文脈か。その判断を、台詞ひとつひとつで繰り返す。誰にも気づかれないかもしれない判断を、何百回も積み重ねる。それが翻訳という仕事です。
この文書を書きながら、れな子のことを何度も思い出しました。
れな子は「ムリムリ!」と言い続けます。恋人になんてなれない、そんなわけない、ムリムリ。でも少しずつ、ムリじゃなくなっていく。自分でも気づかないうちに、諦めていたものを諦めなくなっていく。
翻訳者も似ていると思います。「これは訳せない、ムリだ」と思いながら、でも何かを選んで、ページを完成させる。ムリかもしれないけど、ムリじゃなかった。その繰り返しが、各国版のわたなれを作っています。
みかみてれん先生が「どうやって訳してるんだろう」と呟いたとき、その問いの答えはきっとこういうことだと思います。翻訳者は、ムリかもしれないと思いながら、それでも諦めずに選び続けている。その選択のひとつひとつが、世界中のれな子と真唯と紫陽花さんを作っています。
世界中で紫陽花さんが祝われている、と先生は言いました。
韓国語の紫陽花さんは「끝났다」という静かな絶望の中にいます。中国語の紫陽花さんは「完蛋了」という少しコミカルな絶望の中にいます。英語の紫陽花さんは「GAME OVER, MAN.」というミームの絶望の中にいます。みんな紫陽花さんで、みんな少しずつ違う紫陽花さんです。
でも、どの紫陽花さんも、れな子と真唯のことを大切に思っています。どの言語版を読んでも、そこだけは変わりません。翻訳者が何を諦めても、何を守っても、キャラクターへの愛は伝わる。それが、この文書を書いて一番強く感じたことです。
先生が3年間気にし続けた「どうやって訳してるんだろう」という問いに、この文書が少しでも近づけていたら嬉しいです。完全な答えではないかもしれません。でも、翻訳者たちが何を選んで何を諦めたか、その跡を一緒に眺めることはできたと思っています。
どれが正解かなんて、わかりません。でも、どれも愛だということは、わかった気がします。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
この文書で取り上げられなかった言語版——タイ語版、アラビア語版、その他まだ私の知らない言語版——がまだあります。もし手元にお持ちの方がいれば、ぜひ教えてください。翻訳の地図は、まだ広がり続けています。
この文書の編集と構成には、AIを使っています。アイデアや素材は私のものですが、文章を整理したり構成を考えたりする過程でAIの力を借りました。私ひとりでここまで書けるとは、正直思えなかったので。それもまた、翻訳と似ているかもしれません。何かを作るとき、ひとりでは届かない場所に、誰かの力を借りて辿り着くことがある。
あとがき
もっと増やしたい——読者のみなさんへ
この文書を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
書き始めたきっかけは、英語版の「RENAFITS」を見て笑ったこと、それだけでした。でも笑いながら引っかかって、韓国語版を買って、中国語版を買って、気づいたら同じページを5カ国語で読み比べている人間になっていました。好きな作品のことを、こんなに細かく眺めることになるとは思っていませんでした。
書いてみてわかったことがあります。翻訳を比べることは、原作を深く読むことでもある、ということです。「れまフレ」がどう訳されたかを調べるうちに、「れまフレ」という言葉の意味をもう一度考えることになりました。「ムリ」がどう訳されたかを調べるうちに、「ムリ」という言葉の豊かさに改めて気づきました。翻訳者たちが悩んだ場所は、原作の中で特別に密度が高い場所でもありました。
わたなれという作品を、翻訳を通してもう一度発見した感覚があります。それはとても楽しい体験でした。
この文書で取り上げたのは5言語版ですが、わたなれは現在10カ国語以上に翻訳されています。
Wikipediaのページを眺めているだけでも、タイ語版・ポルトガル語版・インドネシア語版・フランス語版・ベトナム語版の存在が確認できます。タイ語版の表紙は実際に手元で見ることができましたが、本文の比較まではできていません。アラビア語版については情報が断片的で、詳細がわかっていません。
もし本文書で取り上げられなかった言語版をお持ちの方、または入手できそうな方がいれば、ぜひご連絡ください。特に以下の言語版を探しています。
🇹🇭 タイ語版
🇸🇦 アラビア語版
🇧🇷 ポルトガル語版
🇮🇩 インドネシア語版
🇫🇷 フランス語版
🇻🇳 ベトナム語版
増補版や続刊という形で、翻訳の地図を広げていきたいと思っています。
最後にもう一度、みかみてれん先生とわたなれに関わるすべての方々へ。こんなに楽しい作品を届けてくれて、ありがとうございます。そして各国の翻訳者の方々へ。あなたたちの選択の跡を、こんなにじっくり眺めさせてもらいました。どの選択にも、愛がありました。
巻末資料
各言語版書誌情報一覧
🇯🇵 日本語版(原作・漫画)
小説:みかみてれん著/集英社ダッシュエックス文庫刊
漫画:みかみてれん原作・竹嶋えく作画/集英社 水曜日はまったりダッシュエックスコミック連載
🇰🇷 韓国語版
출판사(出版社):학산문화사(ハクサン文化社)
🇹🇼 中国語版(繁体字)
出版社:東立出版社
🇺🇸 英語版(漫画)
出版社:Yen Press
🇺🇸 英語版(小説)
出版社:Yen Press
※漫画版と小説版で翻訳者が異なります
本文書で取り上げた全台詞の直訳対照表(完全版)
「終わった」
🇯🇵 日本語|終わった
🇰🇷 韓国語|끝났다(終わった)
🇹🇼 中国語|完蛋了(卵が割れた=終わりだ)
🇺🇸 英語マンガ|GAME OVER, MAN.(ゲームオーバーだ、男よ)
「もにょもにょ」
🇯🇵 日本語|もにょもにょ
🇰🇷 韓国語|우물우물 / 쭈물(もぐもぐ・もじもじ)
🇹🇼 中国語|喃喃(ぶつぶつ)
🇺🇸 英語マンガ|Mumble(ぶつぶつ言う)
「れまフレ」
🇯🇵 日本語|れまフレ
🇰🇷 韓국語|레마프렌드(レマフレンド・音写)
🇹🇼 中国語|玲真摯友(玲+真+心からの友)
🇺🇸 英語マンガ|RENAFITS(Rena+benefits)
🇺🇸 英語小説|friends with benefits
「真唯えもん」
🇯🇵 日本語|真唯えもん
🇰🇷 韓国語|마이에몽(マイエモン・音写)
🇹🇼 中国語|真唯A少(真唯+哆啦A夢の「A」)
🇺🇸 英語マンガ|PAGING PRIVATE MAI!(真唯二等兵、応答せよ)
「八方ふさがり」
🇯🇵 日本語|八方ふさがり
🇰🇷 韓国語|사면초가(四面楚歌)
🇹🇼 中国語|束手無策(手を縛られて策なし)
🇺🇸 英語マンガ|BACKED INTO A CORNER(隅に追い詰められた)
「ご納得いただけた模様!」
🇯🇵 日本語|ご納得いただけた模様!
🇰🇷 韓国語|납득한 모양!(納得した模様!)
🇹🇼 中国語|原、原来是接受!(な、なるほど、受け入れた!)
🇺🇸 英語マンガ|LOOKS LIKE WE'RE IN THE CLEAR!(どうやら切り抜けたみたい!)
「やりたくない」
🇯🇵 日本語|やりたくない
🇰🇷 韓국語|하고 싶지도 않고(したくもないし)
🇹🇼 中国語|我也不想對紫陽花同學說謊(紫陽花さんに嘘もつきたくない)
🇺🇸 英語マンガ|BUT I DON'T WANT TO LIE TO AJISAI-SAN!(でも紫陽花さんに嘘をつきたくない)
タイトル10カ国語対照表
🇯🇵 日本語|わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)
🇺🇸 英語|There's No Freaking Way I'll be Your Lover! Unless...
🇧🇷 ポルトガル語|Um Amor Impossível! Ou não...
🇮🇩 インドネシア語|There's No Way I Can Have a Lover! *Or Maybe There Is!?
🇫🇷 フランス語|There's No Freaking Way I'll be Your Lover! Unless...
🇻🇳 ベトナム語|Watashi ga Koibito ni Nareru Wake Naijan, Muri Muri! Muri Janakatta!?
🇹🇭 タイ語|ให้เป็นแฟนได้ไง ไม่เอาไม่ไหวหรอก(※หรือว่าจะไหวนะ!?)
🇹🇼 中国語|我們不可能成為戀人!絕對不行。(※似乎可行?)
参考文献・参考サイト
みかみてれん(@teren_mikami)Xポスト各種(2022年5月・2023年12月・2025年8月)
Wikipedia「わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)」各言語版
アニメイトタイムズ「TVアニメ『わたなれ』続編全5話の制作およびTV放送決定」(2025年9月)
各言語版単行本(日本語・韓国語・中国語・英語マンガ版・英語小説版)
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