『オブジェクト指向存在論』 - 要約と解説
はじめに
この記事では、グレアム・ハーマンの『Object-Oriented Ontology』通称OOOを要約・解説します。本書は、「オブジェクト指向存在論」という学術的な名称で知られていますが、そのニュアンスを考慮すると「もの指向の形而上学」とも呼べる内容です。入門では、より身近な「もの」という言葉を用い、解説は学術的な「オブジェクト」という用語を用いて進めます。
オブジェクト指向存在論 - 入門
ハーマンはまず、西洋的な「もの」に対する扱いの批評から入ります。まず、前提として、「もの」は「もの」だと主張しています。一見当たり前のようですが、言語化をした時点で、「そのもの」から「ものの表現」になりますね。そして、西洋の世界観では「もの」が分解されたり、分析される傾向があるのです。これは現代の科学の限界点の提示でもあります。
そして、「実在」は間接的にしか感じられないとしています。「リンゴ」で考えてみましょう。「リンゴ」とは何なのか?案外難しい問いですね。しかし、「リンゴ」はまず「リンゴ(そのもの)」なのです。我々にとっては、リンゴが感知できる状態が必要で、五感を通して感じ、概念として認知し、現実であるとされるように、直接的な関係ではないのです。ハーマンは「現実」と「感覚」の間にあるものが「美学」で、言語の枠組みだと「比喩」だとしています。
オブジェクト指向存在論とは?
オブジェクト指向存在論(OOO)は、すべての「もの(オブジェクト)」を独立した存在として捉えます。「机」や「猫」、「音楽」など、あらゆる対象がそれ自体で価値を持ち、それ以上でも以下でもないという視点が中心にあります。
ハーマンの主要な提言
哲学の根源は「美学」である。
「もの」の内面を伝えるのは、論理ではなく詩や比喩のような美学的アプローチです。「もの」は「もの」であり、それ以上でも、それ以下でもない。
あらゆる対象は分解や機能への還元を超えた独立性を持っています。すべての「もの」は隠れた深みを持つ。
対象のすべてを知覚することは不可能であり、その深層は隠されています。
還元主義の問題
ハーマンは、哲学における「還元主義」を批判し、それを次の2種類に分類しました。
下方解体(Undermining)
「もの」を構成要素に分解する考え方。
例: 音楽は空気の振動である。
上方解体(Overmining)
「もの」を機能や役割で計測する考え方。
例: 音楽は感情の抑揚である。
「美学」としての哲学
哲学の語源「philosophia(知恵を愛する)」に立ち返り、ハーマンは「愛」と同カテゴリーにある「美学」こそが哲学の根本だと主張します。「美学」は、「もの」と「もの」をつなぐ基盤であり、芸術、音楽、比喩や詩を通じて隠された深みを伝える役割を果たします。
解説 - 四方対象(Quadruple Object)
『オブジェクト指向存在論』はライプニッツ、フッサール、ハイデガーなどの西洋哲学の延長にある現代哲学です。ハーマンは西洋哲学の傾向の問題点として「還元」(科学主義)、「人間中心主義」と「相関主義」(デカルト心身二元論、ポスト・カントの観念論、ハイデガーのダーザインなど)があるとし、それらを乗り越えることが出発点となっています。存在する全ての離散的な「もの」を主体に、物理的時空間(感覚や物質の世界)と実存的領域(心理や意識などの内面)を結ぶ「構造」(フレームワーク)を導き出している理論です。その構造が「四方対象」と名付けられています。
四方対象の基本構造
四方対象は、オブジェクトの4つの要素を軸に、それらの間に生じる緊張関係を示しています。それぞれの関係性や特性によって時間や空間が生じるとしています。
実在的オブジェクト(Real Object, RO)
他者や関係から独立して存在する対象そのもの。
例: ハンマーそのもの。
実在的性質(Real Quality, RQ)
対象に内在する隠れた特性。
例: ハンマーの分子構造。
感覚的オブジェクト(Sensual Object, SO)
観察者に現れる対象の姿や表象。
例: ハンマーが「釘を打つ道具」として見えること。
感覚的性質(Sensual Quality, SQ)
感覚を通じて知覚される対象の属性。
例: ハンマーの重さや硬さ。
四方対象間の緊張関係
オブジェクトの4つの側面は、以下のような緊張関係を持っています。
実在的オブジェクト ↔ 実在的性質
退隠(接合) x 縮限(放射) =「本質(essence)」
オブジェクトはその特性を完全には開示しないが、それによって他のオブジェクトと区別される。
実在的オブジェクト ↔ 感覚的性質
退隠(接合) x 発出(放射) =「空間(space)」
退隠する実在的オブジェクトが、感覚的性質を通じて私たちの知覚に現れる。
感覚的オブジェクト ↔ 実在的性質
隣接(接合) x 縮限(放射) =「形相(eidos)」
知覚に現れる感覚的オブジェクトは、その基盤として実在的性質を持っています。
感覚的オブジェクト ↔ 感覚的性質
隣接(接合) x 発出(放射) =「時間(time)」
感覚的オブジェクトは、感覚的性質の変化を通じて知覚されます。
代替因果(Vicarious Causation)
時空間における現象には因果(連続性)があり、独立したオブジェクトが緊張関係を持ってマトリックスを形成するにしても矛盾が残ります。ハーマンは、退隠するオブジェクト同士がどのように接触し、関係を築くかを説明するために「代替因果」の理論を提示します。この理論では、2つのオブジェクトが代替オブジェクトの「意図(Intention)」でのみ相互作用を及ぼし、直接的な接触なしに影響が生じるとしています。
特徴:
代替性: 他のオブジェクトと直接接触せず、第三のオブジェクトを介して関係を持つ。
非対称性: 実在的オブジェクトと感覚的オブジェクトの間で展開する。
緩衝性: オブジェクトは互いの本質に完全には到達しない。
比喩における四方対象の作用
「比喩(Metaphor)」の概念は、オブジェクト指向存在論における「美学」の中心的な役割を象徴しています。以下の図「Figure 2 - Metaphor」の仕組みを解説します。
比喩の作用の仕組み
感覚的オブジェクトとその限界
感覚的オブジェクト「海」は通常、「暗い青い海」のような直接的な性質(SQ)を持つものとして理解されます。
しかし、「ワインのように暗い海」という比喩的な性質を割り当てられると、感覚的オブジェクト「海」はその性質を支えることができなくなります。
実在的オブジェクトの必要性
感覚的オブジェクトが支えられない場合、その背後に隠れた「実在的オブジェクト」(RO)が必要になります。
ただし、実在的オブジェクト「海」は本質的に退隠しているため(図中で「!」で示されている)、直接アクセスすることはできません。
比喩の受容者としての「私」
比喩的な性質を支える唯一の実在的オブジェクト(RO)は「私自身」です。私という実在的存在が、比喩の感覚的性質を受け止め、経験として成立させます。
知識における四方対象の作用
オブジェクト指向存在論における知識の生成プロセスは、感覚的知覚や知性による理解だけでは説明できない、クオリアのような独特の特徴を持っています。図「Figure 3 - Knowledge」を用いて解説します。
知識の生成プロセス
感覚的性質(SQ)の限界
図の中で、感覚的性質(SQ)が打ち消されています。これは、フッサールの現象学のように、感覚的に知覚される対象の特性だけでは深い知識を得るには不十分であることを示しています。
感覚的性質は、物事の表面的な特徴に過ぎず、本質的な理解には到達しません。
実在的性質(RQ)の退隠
フッサールは、「感覚が不十分でも、知性を通じて対象の実在的性質を知ることができる」と考えましたが、OOOは異なります。
OOOでは、実在的性質(RQ)は感覚だけでなく知性からも退隠しており、直接的なアクセスは不可能です。この退隠を図中の「!」で示しています。
知識という「私」の性質
実在的性質(RQ)が退隠しているため、感覚的オブジェクト(SO)は、私自身が知識の主体として持ち込む「代替的な実在的性質」と結びつくことでのみ知識を形成します。
知識は、感覚的オブジェクトと「私」が持ち込む知的な枠組みとの相互作用によって生成されるのです。
結論:オブジェクト指向存在論の意義
『オブジェクト指向存在論』は、あらゆる対象をそのまま受け入れ、哲学的探究の対象とする独自の形而上学です。その重要性は、人間中心的な思考を超え、「もの」そのものの価値や深みを再発見する点にあります。
ハーマンの理論は、哲学だけでなく、デザイン、美学、環境倫理など多くの分野に応用可能な視点を提供します。この理論を通じて、日常の中に隠れた「もの」の価値を再発見してみてはいかがでしょうか?
筆者の個人的な意見
筆者は日本人で、日本語は普通に話せます。しかし、幼少期をアメリカで過ごして、帰国後も教育は全て英語で受けてきました。そのため、専門用語を要する学問になると、日常会話の日本語から、途端に小難しい言語に生まれ変わります。日本語に翻訳された哲学書を読む時は、脳内で英語版と照らし合わせながら咀嚼している感覚です。それらを踏まえた上で感じるのは、やはり言語を要する哲学、つまり、言語に還元して言語論的転回という構造を持つ「学問としての哲学」自体が西洋哲学的であるということです。結局はアリストテレスのモデルが引き継がれているのです。つまり、西洋の文脈(言語含め)においては、学問的な哲学は自然に発生しますが、東洋の文脈においては少々無理をきかせてると言えます。
『オブジェクト指向存在論』は英語だと至ってシンプルです。英語圏では日常的に使われる「Object(オブジェクト)」という、誰にでもなじみのある言葉ですが、日本語版は哲学的な専門用語として「オブジェクト」を使用しているので、この時点ですでにニュアンスの違いがあります。「オブジェクト」は本来「もの」に近く、柔軟な言葉です。「もの」は物理的な物だけでなく、存在するありとあらゆる概念を含みます。「食べもの」も「もの」であり、「黄色」も「もの」であり、「コナン」も「もの」として捉えられます。
言論的な哲学の中で東洋的な非言語性を論理的に出力しているところに新鮮味と面白さを感じる一冊です。東洋的に見れば、言語は現実以前、現実以降のマトリックスに過ぎませんが、『オブジェクト指向存在論』は現実とマトリックス、主観と客観のフレームワークを提示している、考え深い理論です。
あえて2点弱点を挙げるとすれば、以下です。
思考が実在よりも強度な場合は「還元」から逃れられない。
カオスを汎神的な神としての離散的な美学で正当化を図るリスクがある。
「アート」は「アート」でしか表現できないので、筆者はもっとアートをやっていこうと思いました。
参考文献
Graham Harman, Object-Oriented Ontology: A New Theory of Everything, Pelican Books, 2018.
(邦題:『オブジェクト指向存在論』)飯盛元章, 「オブジェクトへの道」, 『現代思想』2017年1月号, 青土社.


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