藤井聡太名人「愚直なストレートを」 114分で発見した第五の手

編集委員・北野新太

 藤井聡太名人(23)=竜王・王位・棋聖・棋王・王将と合わせ六冠=に糸谷(いとだに)哲郎九段(37)が挑戦している第84期将棋名人戦七番勝負第2局(朝日新聞社、毎日新聞社主催、大和証券グループ特別協賛、青森市など地元共催)が25、26日に青森市のホテル青森で指され、先手の藤井名人が89手で勝って開幕2連勝とした。長考の果てに「第五の手」を放っての完封勝利だった。第3局は5月7、8日に石川県七尾市で指される。

 名人の証言によると、図1の局面で5通りの手を考えたらしい。

 第一感は玉頭に迫る▲6五桂、次に早逃げの▲7九玉、続いて自陣整備の▲2八飛、さらに端攻めの▲1三歩成。以上の順序で思考を深めていた。

 2日目、昼食休憩を含む1時間54分(棋譜上は54分)に及ぶ長考の果て。最後に辿(たど)り着いたのが異筋の▲1五銀だった。

 駒台の銀を中段の端に放って藤井は席を立つ。控室の検討陣からは「おおっ!」と声が上がった。対局室に残った糸谷は眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せ「いやあ」とため息交じりの声を発し、頭を抱えた。

 藤井が当初考えた4番目までの手を想定していた糸谷は予期せぬ「第五の手」に幻惑された。苦しみながら勝負手△1七歩を捻出したが、形勢を悪化させた。以下、本譜の▲同香△1五角▲同香△1六角▲2三飛成△3四銀に、名人が手配していた▲2七角は完封勝利への一着になった。糸谷は局後に明かした。「▲1五銀は読めてなくて意表を突かれて……淡々と粘るべきだったかもしれません」

 後手陣に先手の駒はなく、持ち駒は「銀桂歩」。戦力として、盤上の風景として、敵玉から遠く離れた中段の端に攻めのエースを投入するのはセオリーに反する。

 事実、各種AIは推奨せず、いずれも評価値を落とした手だった。終局直後の藤井は言った。「筋が悪い手ですが、攻め合いで指せているなら、と。ストレートにいったつもりでした」

 ストレート。聞き慣れない表現の真意を感想戦後に問うた。「例えるなら165キロの豪速球か、コーナーに制球した直球か」。少考した後、名人は「ボール球かもしれません」と笑った。「プロっぽくない手なので抵抗はありつつも、攻める方針を明快にすることを愚直に目指しました」。名人の語る「愚直」という言葉は、クレバーなイメージとは正反対の体温を持っていた。

 思い出したのは対局前日のインタビューだった。最近よく口にする「揺らぎ」とはどんな意味か、と尋ねた。将棋ほど揺らぐことの許されない勝負事はない、と。

 「有限の持ち時間で決断すると不確実性は介在します。迷ってミスをするのは良いことではないですが、不確実性は対局の面白さでもある。排除するより前提として取り組んでいけたらと」

 今期名人戦は、まさしく「揺らぎ」の中で解を導く戦いでもある。「新手一局」を掲げる糸谷は開幕局で初手から連続端歩の奇想を披露。本局の序盤で見せた△4二銀~△3三銀も現代将棋の王道に別離を告げる構想だった。

 対する藤井は、何度か考慮中に微笑したように見えた。不確実な世界で未知と戦う幸福を見つめるように。「既知の知識や認識をベースに考えていくことも多かったですが、(今期名人戦は)より感覚や構想を問われます」

 仮に藤井が▲1五銀ではなくAIの推奨手を指していたとする。糸谷を迷宮に連れていくことはできなかった。挑戦者は好機を待ち、規律に縛られない腕力で局面を打開したかもしれない。

 異筋の端銀こそ名人の手だった。「愚直なストレート」は棋理における最善の手ではなかったが、勝負における最高の手だった。藤井聡太はAIではないのだ。人間、さらには棋士であり、そして名人だった。

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この記事を書いた人
北野新太
文化部|囲碁将棋担当
専門・関心分野
囲碁将棋

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