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【怪】生霊を飛ばした話

 私がまだ20代半ばの小娘で社会に出たての頃の話。
 当時勤めていた会社は社長が一代で築き上げた小さな会社だった。この会社の社長はとてもケチで、日ごろから社員が残業をすることを許さず物理的に無理な仕事量だとしても「残業する人間は仕事が遅いだけ。残業代なんてもったいないから払わない。仕事が残ったら持って帰れ」と定時になるとフロアの電気を消してしまう。先輩方も皆、当たり前のように自宅に仕事を持ち帰っていた。
 私はそこで事務のような雑用のような仕事をしていて、その日は数か月分溜め込んだ不要な書類をひたすらシュレッダーにかけていた。社内の設備に関しても社長のケチが発動し、シュレッダーに関しては家庭用サイズのもの1台しか設置されていなかった。そのため何回か連続して作業するとオーバーヒートを起こしてしばらくの間止まってしまう。段ボールいっぱいの書類の束を〈今日中に〉破棄しろと指示を受けていた私は、このままでは終わらないと思い一度に裁断する枚数を少しずつ増やしていった。
 機械の側面に「限度枚数10枚」と書いてあったが11枚でもいける、それなら次は12枚……と増やしていき、ある枚数まで達したところで遂に刃が噛んでしまった。
(さっきまでのが限界だったか)
 と思って刃を逆回転させて紙を取り除こうとしていた時、タイミング悪く社長がやって来た。
「何をやっとるんだ!」
 開口一番怒鳴られた。私が「すみません、少し入れすぎてしまって」と答えると「限度枚数が決まっているだろうが」と尤もなことを言ってくる。たしかに入れすぎた私が悪いので素直に謝ったが、社長の怒りは収まらず
「これだからろくに社会人経験のないやつを雇うのは嫌なんだ」
「シュレッダーもまともに使えないのか」
 と顔を真っ赤にして唾を飛ばしながら怒鳴り散らしている。さらに「物を壊すな」「弁償できるのか」とまくし立ててくるので私は「壊れていません。反転させて紙を除けばいいだけです。本当に壊れていたら弁償します」と反論してしまった。自宅にも会社と同サイズのシュレッダーがあったし、以前勤めた会社で業務用のものを使った経験もあった。その時に私と同じように紙詰まりを起こした先輩がいて一緒に直したことがあったので今回の紙詰まりもすぐに直せる自信があったのだが、どうやらこれがまずかった。
「うるさい!」
 社長は増々ヒートアップしてしまい
「親は一体どんな教育をしているんだ」
「親の顔が見てみたい」
「どうせ親もろくな人間じゃないんだろう」
「親に弁償させるぞ」
 と言い出した。
「ですから、ただの紙詰まりです。すぐ直します」
 そう答えてシュレッダーに手を伸ばした瞬間「触るな!」と制止された。そして私の上司を呼び出し、私がいかに世間知らずで使えない人間なのかを大声で説明し始めた。
 神妙な面持ちで聞く上司の態度に満足したのか社長は次第に落ち着きを取り戻し
「シュレッダーはお前(上司)が直せよ。こいつ(私)に触らせてこれ以上壊されたらたまらんからな」
 と言い残して去っていった。上司は苦笑いで「とりあえず他の仕事しよっか」と軽く言ってくれたが、私は余計な仕事を増やしてしまった申し訳なさでいっぱいだった。

 休憩時間になりトイレの個室で一人になると、悔しさと情けなさで涙がこぼれた。たかが紙詰まりでどうしてあそこまで怒鳴られなくてはならなかったのか。親のことまで馬鹿にされるほどのことを、私はしたのだろうか。上司にも迷惑をかけてしまって情けない。
 ただ、修理に出すというのならまだしも上司が直すのなら私が直しても同じじゃないか。それを全く聞く耳を持たずに怒鳴り散らすだけの、あの社長はなんだ。綺麗なスタッフや若い女性社員にセクハラまがいのことをして嫌われている気持ち悪いおやじのくせに。ケチで社員から慕われてないくせに……。
 次第に私の中で社長に対する憎悪が膨れ上がった。もう社長の顔なんて見たくない。
(あぁ、早く帰りたいなぁ)
 そう思った瞬間、急に力が抜けて「全部どうでもいいや」という気持ちになった。とりあえず涙を拭いて化粧を直し、トイレを出た。
 午後の業務に取り掛かろうとすると、泣いたからかプールで泳いだ後のように体が重くなっていた。今までに感じたことのない疲労感で頭がぼんやりとしており、心ここにあらずといった状態だった。なんとか仕事に集中しようと耐え、無事に定時を迎えて帰路に着いた。
 家に着くと安心したのか体が軽くなった。それから母と夕飯を食べていると、母から「今日何かあった?」と聞かれた。驚きつつも帰ってきた時に元気なかったかな、と思い「どうして?」と聞き返してみた。すると母が奇妙なことを言うのである。

 その日の午後、母は家でお昼を食べてゆっくりしていたら急に耐え難いほどの睡魔に襲われたらしい。少しだけ、とリビングで横になっていたら突然ドアを開けて私が入ってきたので(どうしよう起きなきゃ)と思って起き上がろうとしたが、眠くてだるくてどうにも体が動かせない。朦朧としながら「まだ仕事の時間なのにどうしたの」と私にたずねると、私は「なんか、もういいかなって思って」と言ったそうだ。そして静かに出て行ったのだという。
 そこで母ははっと目が覚め、体が動かせるようになった。やはり寝ていたのかと思いつつもあまりにリアルな夢だったため、いや現実かもしれない、とも考えたそうだ。そこで私の部屋を見に行ったが私の姿はなく特に変わった様子もないため(やっぱり夢だったんだ)と納得したらしい。

 この話を聞いて私は母に昼間の出来事を話した。その結果、母娘のなかで私が生霊を飛ばしていたという見解が一致した。帰りたい、と強く思いすぎてしまったようだ。
 私が体を重いと感じたのは魂を切り取って自宅へ帰っていたからであり、帰宅して魂を回収したから元に戻ったのではないか、ということだ。
 そして母は私の生霊が家にいた間に霊障にあっていたのではなかろうか。怖い感じはなかったと言っていたが、軽い金縛りにあっていたと思われる。

 まさか自分が……と不気味に思った出来事だった。

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【怪】生霊を飛ばした話|矢口実
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