バトミントンにかける想い | プロバドミントンプレーヤー・古賀穂選手 | Minoru Koga Official Website 読み込まれました

PASSION

バドミントンにかける想い

バドミントンとの出会いと幼少期の苦難

私がバドミントンを始めたのは小学一年生のとき。兄(古賀輝)がバドミントンをしていたことがきっかけでした。当時の私は小柄な体格で、呼吸器が弱く、喘息で吸入器が手放せなかったり、肺炎で入院したりすることもありました。また、卵や牛乳への食物アレルギーも抱えていました。

それでも「もっと強くなりたい」という想いは人一倍あり、両親も食事療法で体質改善をサポートしてくれました。そのおかげで給食も食べられるようになり、今では何でも食べられる身体になりました。こうしたサポートを受けながら、小柄でも勝つために戦術を工夫し、小学5年・6年で全国大会優勝を果たしました。

中学時代と東日本大震災

中学進学を機に、親元の福岡を離れ、福島の名門・富岡第一中学校へ。ところが中学2年のとき、東日本大震災が発生。練習中、天井から電灯が落ちてきました。東京電力福島第一原発事故で富岡町は帰還困難区域となり、一度実家の福岡に避難しました。

それでも震災から2か月後、先生方や町の方々が猪苗代町に練習環境を整えてくれたおかげで、再びラケットを握ることができました。そして、猪苗代中として出場した全国中学校大会では、団体戦男女アベック優勝、女子個人シングルス・ダブルス優勝、男子シングルス優勝の5冠達成。「震災で大変な中、希望をもらえた」と喜んでくれた方々の声が一番嬉しかったです。この経験を通じて、自分の挑戦は自分だけのものではなく、支えてくれる人々に希望を届ける意味があると知りました。

コロナ禍と挫折、そして再挑戦

その後進学した富岡高校では3年生のときのインターハイで優勝、早稲田大学では3年生と4年生のときに全日本学生選手権大会で優勝しました。大学3年生の1月からは日本代表に選抜され、世界各地の大会に出場。大学卒業後入社したNTT東日本のバドミントン部所属時代は全日本社会人選手権大会や日本ランキングサーキットで優勝することができ、小中高大社すべてにおいて全国制覇を果たすことができました。

次はオリンピック優勝を目指していた矢先、コロナ禍とウクライナ戦争により海外遠征が約2年間ストップ。ようやくコロナ禍が明けて開催された2022年の全日本総合選手権大会ではベスト8にとどまり、日本代表選考で落選。代表選考において重要な意味を持つ同大会ではその後も好成績を残すことができず、3年連続で代表入りを逃しました。これにより海外遠征の機会は減り、世界ランキングはピーク時の56位から265位まで低下しました。

一時は引退も考えましたが、監督との対話を通じて「挑戦を続ける意味」を再確認。再びオリンピック優勝を目指す決意を固めました。

NTT退社、プロ選手としての挑戦

オリンピック出場権を得るためには、国際大会への出場を重ね、そこで好成績を残してポイントを積み上げることにより世界ランキングを上げる必要があります。

日本代表として海外遠征ができないなら、自力で道を切り開くしかない。そう考えた私は、6年間所属したNTT東日本を退社し、プロバドミントン選手として新たな一歩を踏み出しました。企業所属という安定を捨て、スポンサーを自ら獲得し、大会エントリー費や遠征費を賄いながら世界ランキングを上げていくという挑戦です。不安もありましたが、日本のバドミントン選手としての新しい道を作りながら世界一を目指す強い想いが勝りました。

退社後は、長野を拠点に、AC長野パルセイロ・バドミントンクラブの監督や仲間に支えられながら、練習環境を整え、スポンサー獲得にも動いています。

オリンピック優勝という夢の実現へ

私の挑戦は始まったばかり。
この挑戦が、私を支えてくれる方々や未来のバドミントン選手たちに希望を届けるものとなるように。
そして、2028年ロサンゼルスオリンピックで世界一になるその日まで、精進してまいります。

2025年7月
古賀 穂

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