天井からぶら下がる幾つものシャンデリア。
テーブルの上を埋め尽くす選りすぐりの料理。
会場のあちこちを行き交う人々は皆、豪華なドレスやタキシードに身を包んでいる。
まるで非日常を思わせるその絢爛な光景にたまらずくらりとした。
さすが、業界人が主催したパーティーである。舞台をアメリカのロサンゼルスに決める辺りで規模の大きさが伝わるのではないだろうか。おかげで途中、何度か海外のお偉いさんから話しかけられた。普段話し慣れていない言語を使うのは精神的に疲れるもので、今はただただシャンパンを片手に周囲を静観することしかできない。たった一人でよくここまで頑張れたものだと、自分で自分を褒めてやりたい気分だった。
「……………ふぅ」
シャンパンを一口飲んでから、軽く息を吐く。
一体何故、俺がこんな所に来ているのか。
その理由は単純だ。
ぎっこり腰になった社長の代理である。
突然のトラブルに事務所中が騒然としたものの、283プロダクションを売りこむのに適した絶好のこの機会をむげにすることはできない、とのことで俺が急遽パーティーの出席に抜てきされたわけだ。
人生、いつ何が起きるか分からない。
久しぶりの海外がまさかこんな形になるとは予想もできなかった。でも、どうせなら誰かと来たかったとも思う。
例えばーーそうだな、最近売り出し中のストレイライトはどうだろう。
自由奔放なあさひならアメリカで『面白いもの』を見つけるのが上手だろうし、旅行がより一層楽しくなったかもしれない。愛依は持ち前のコミュニケーション能力で早々に現地人の友だちなんか作ったりして。冬優子は、はしゃぐ皆んなを慌ただしそうに追いかけながらも口元を緩めていたりーーとか。割と容易に想像できる。
あぁ、なんか、ちょっぴりホームシックな気分だ。
スケジュール表は事前に渡しておいたし、俺がいない間のことははづきさんに任せておいたからきっと大丈夫だろうけれど。
ストレイライトの皆んなは今頃どうしているだろうか。いつも通りの生活を送れているかな。特に、リーダーの冬優子は無理していないといいんだけど。
「ーーんっ?」
頭の中で見慣れたはずの顔を思い浮かべていると、不意にポケットの中から着信音が鳴った。すかさずスマホを取り出すと、液晶には『冬優子』の3文字が。突然のことに俺は数秒ほどポカンとしていたが、やがて我に返り、一旦パーティー会場から抜け出して外の広場へと出た。
冬優子から電話がかかってきたのはこれが正真正銘の初めてである。今まではメッセージでのやり取りだけだったから少し驚いた。
俺は夜風が頬を撫でるのを感じながら、先ほどから鳴る着信に応える。
「ーーもしもし、冬優子?」
無難な出方をすると、返答がくる前に一瞬だけひゅっと息を呑む音が聞こえた。
『も…もしもし。ふゆ、だけど』
冬優子の声は、どこか緊張しているかのように硬かった。
大方、初めての電話だからだろう。
俺はその緊張を解く為、意図的に明るく話すことにした。
「おぉ、冬優子から電話が来るだなんて珍しくてちょっとビックリしたよ。確か、そっちは今朝だよな。おはよう」
『お、おはよう…ございます』
「ははっ、時差があるって不思議だ。これまでは同じ時間を過ごすのが当たり前だったのに。それで、何か俺に用か?はづきさんからはそっちの状況は一通り聞いているけど」
『用って言うか…その…』
冬優子の声が途端に小さくなる。
俺は、スマホへ耳をすましながら夜空に浮かぶ満月を見上げた。心なしか、いつもより綺麗な気がする。冬優子たちにも見せてやりたいくらいに。
『…あんたはさ』
「うん?」
『ふゆが素直に打ち明けても、笑わない?』
「もちろん。冬優子が話すことを馬鹿にするような俺じゃないよ」
『っ…!そう、よね。あんたはそういう奴だったわ』
スマホの向こうから、また息を呑む音がした。今日の冬優子はいつもより大人しめだな。
そう言ったら反感を買うかもしれないから、黙っておくけど。
『声』
ポツリと、冬優子は言った。
『学校、行く前に…あんたの声が聞きたくなっちゃったの。迷惑だった?』
まるで夜風にさらわれてしまいそうなほどにかすれた言葉。
でも、俺は決してそれを聞き逃さなかった。
「迷惑じゃないよ。俺もちょうど今、冬優子のことを考えていたから」
『えっ…』
「偶然にしてはタイミングが良すぎたな。まるでエスパーみたいだぞ」
『あ、あんたって…唐変木のくせになんでそういうことを平然と言えるのよ!』
「…?そういうことって?」
『…うっさい。ふゆを朝からムカつかせないで』
いつも通りの辛辣な態度。
けれど、今はそれがたまらなく懐かしくて俺はついふざけてしまう。
「そんな、冬優子から電話してきたのに…俺、泣くぞ?」
『勝手に泣いてればいいじゃない。どうせ涙を拭いてくれる優しい女でも側にいるんでしょ』
「おっ、よく分かったな」
『ーーはっ?あ、あんた、それ本気で言ってるの!?』
「いや、冗談だけど」
『……………ざっけんな』
「すいませんでした。でも、きっかけを作ったのは冬優子だぞ」
『だってあんた、ムカつくほどモテるし』
「え?俺が?」
『マジで分かってなさそうなのが心底ムカつくわね…』
「ははっ」
『ははっ、じゃない』
アメリカに来てからというもの、緊張してばかりだった俺にとって、冬優子との電話は事務所にいる時のような安心感を与えてくれた。
やっぱり、一人きりの海外旅行ってちょっと寂しいな。今度、ストレイライトが大手柄を挙げた時に思いきって旅行に連れて行ってしまおうかーーなんてことを考えた所で。冬優子がくすりと笑う声が聞こえた。
『…元気そうで良かったわ』
「冬優子のおかげだよ。さっきまで割とホームシックだったから」
『……そ。じゃあ、ふゆを今すぐ褒めたたえなさいよ。ありったけの気持ちを込めて』
「おう。冬優子の声が聞けて嬉しいぞ。俺の緊張もいい感じにほぐれてきた。ありがとな」
『……うん。どういたしまして』
なんだか、まるで恋人のやり取りみたいだ。
ちょっと照れくさくなってきた。
「冬優子、」
『なんだかーーまるで恋人のやり取りみたいね。そう思わない?』
「うぐっ」
『ふふっ。その反応は図星、かしら?プロデューサーのくせにアイドルとの電話でそんなこと考えちゃうなんてどうかしてるわ』
「…冬優子もな」
『ふゆはいいのよ。あんたの前では、悪い子でいたって』
「…信頼、してくれているからか?」
『まぁ、一応ね。だって、こんな私でもあんたは受け入れてくれるんでしょ』
緊張が解れてきたのか、冬優子はいつもの調子で吐露する。
『プロデューサーのくせに』という言葉を否定できないのが心苦しいが、図星なので俺は「そうだな」としか答えられなかった。
「俺はどんな冬優子でも大切に思っているよ」
『…朝から胸焼けしそうなこと言わないでよ』
「まずかったか?」
『ううん。我ながらどうかと思うくらいニヤけて気持ち悪いわ』
「なんだそれ、見てみたいな」
『絶対に嫌。特にあんたにはこんな顔…見せるわけにはいかないんだから』
「冬優子はどんな時でも可愛いんだけどな」
『……バーカ』
言葉の割に弾んだ声に、思わず俺も笑ってしまう。最初の堅苦しさはどこかへ消えてしまったようだった。
それにしても、冬優子は学校に行く前だと言っていたが。時間は大丈夫なのだろうか。
「なぁ、冬優子。時間、そろそろなんじゃないか」
『あっーーやっば!もうこんな時間じゃない!』
「慌てて行って怪我とかするなよ」
『うっさい!そんな心配いらないわよ!』
ふと視線を夜空から腕時計へと移す。
わざわざアメリカに合わせたものだ。
時刻は午後の7時。アメリカと日本は13時間時差があるから…今頃は午前の8時といったところかな。冬優子の学校の授業がいつ始まるのかは分からないけど、学生たちが登校するのにはおかしくない時間帯だ。
『じゃあ、ふゆ、行ってくるわね』
「おう、気をつけてな」
『あんたとこういう会話するの、なんだか新鮮ね。悪くないかも』
「いつも学校が終わった後に会うもんな。お気に召したのなら何よりだ」
『うん。あと、それからーー』
「なんだ?」
一拍置いてから、冬優子は言葉を紡いだ。
思わずこぼれてしまったのであろう笑い声をもらしながら。
『ーー私、あんたの帰りをちゃんと待ってるから。寄り道せずにさっさと帰ってきなさいよ』
「冬優子…」
「んっ。またね、プロデューサー」
そう言われて、電話が切られる。
ろくに返事をする間もなかった。
俺の勘違いでなければ、冬優子も照れくさかったのかもしれない。
火照った顔に吹く夜風が、どこまでも心地良かった。
/
ーー待っている、とは聞いた。確かに聞いた。でも、それはおそらくレッスン前の時なのだとばかり思っていたのだが。
「わー!プロデューサーさん、おかえりなさい♡」
「な、なんでここに!?」
まさか、空港まで来てくれるとは思わないじゃないか。
しかも何故かふゆモードだし。周りには知人らしきものは見当たらないのに。
「はづきさんから、プロデューサーさんの乗る飛行機の着陸時間を聞いたんです。間に合って良かったぁ」
「い、いや、そういうことじゃなくてーー学校は!?」
「仮病…ううん、ちょっと演技をして早退してきました。えへへ」
「えへへ、じゃないんだが……」
どっと溢れてきた冷や汗に寒気がする。
だが、そんな俺をよそに冬優子はニコニコしながら隣へと寄って来た。
「大丈夫ですよぉ、ふゆは演技派ですから♡」
だから仮病はバレない、と?
そういうことなのか、冬優子。
いまいち今の状態からは真意が読み取れなかった。
「泣きたくなってきたよ俺」
「まぁ、それは大変です!ふゆが慰めてあげますね!」
途端によしよし、と19歳の女の子に頭を撫でられる20代成人男性。
周囲からチラチラと視線を向けられるのを感じた。
「目立ってる、目立ってるから!ほら、行くぞ!」
「あっーー」
自分の頭の上に乗せられた冬優子の手を握り、空港の隅へと連れて行く。
冬優子はその間、頬を赤らめて俯くだけだった。
「よし、ここなら大丈夫だな」
「もう、プロデューサーさんってば意外と強引なんですね。ふゆ、ビックリしちゃいました」
「強引なのは冬優子の方だろう。学校、ちゃんと行かなくちゃダメじゃないか」
「それは…そうですけれど。でも、ふゆ……」
キュッと手が握り返される。
羽毛を握るかのようなその力加減に、俺の心臓はどういうわけか高鳴った。それが、決して褒められたことではないのはもちろん分かっている。
「ーー仕方ない、じゃないですか。誰よりも一番早く、プロデューサーさんを出迎えてあげたかったんですから」
潤む茶色い瞳から目をそらせない。
俺は冬優子の手を離すことができないまま、目を見開いていた。
「その気持ちは…嬉しいよ。ありがとう。でも、次は気をつけてくれ」
「…はい。すみません。でも、次って…またどこかに行っちゃうんですか?ふゆを、置いて」
「仮の話だよ。今のところその予定はない」
「なんだ…良かったぁ」
「ところで、冬優子。どうしていつまでも『ふゆ』でいるんだ?俺、何かまずったか?」
至極当然の疑問をぶつけると、冬優子は一度だけ俺から視線を外した。その間、数秒。
少し離れた所で行き交う人たちの笑い声を聞きながら、俺は次の言葉を待った。
そして、
「………こうでも、しないと」
「うん?」
「私…自分の気持ちを抑えられなかったのよ。あんたの顔を見た瞬間、思わず飛びつきそうになったくらいだもの。でも、それじゃあんたは困るでしょ?
だから……『ふゆ』として冷静であろうと思ったのよ」
ポツリ、ポツリ。
言葉を紡ぐたびに冬優子の顔が赤くなっていく。潤んだ瞳が、俺を上目遣いに見上げてくる。
「…あんたがいない間、物足りなくて仕方がなかった。寂し、かった。変よね、あんたと出会う前はそれが当たり前の日々だったのに。
でも、誰もいない事務所のデスクを見るたびに、胸が締め付けられるかのようでたまらなかったわ。
ねぇ、こういうの、なんて言うか分かる?」
「冬優子、それはーー」
名前をつけるのが怖かった。
名前をつけてしまったら、後に戻れなくなってしまいそうだったから。
でも、冬優子は言葉を紡いでしまう。
「ーー依存、よ。いつ間にか、ふゆ、あんたに夢中になってたみたい」
浮かべられるのは、どこか寂しげな微笑。
日頃はなかなか見られない顔だった。
しかし、だからと言って好奇心はそそらない。
むしろ、他でもない俺がその顔を冬優子にさせてしまったことに罪悪感を感じた。
背筋をヒヤリと冷たい汗がこぼれた。
何か、言わなければ。俺は、目の前のこの女の子に、何か伝えなければ。
「ねぇ」
けれど、冬優子の額が俺の胸元へトンと預けられた瞬間に。喉は砂漠のように干上がってしまって、声を上手く発せられなかった。
「ふゆ、あんたがいない間、たくさん頑張ったから。だから、」
空港の隅。そこはよく見るとあちこちで、カップルたちが逢瀬をしていた。
「ーーもう少しだけ。こうしていようよ」
冬優子がおもむろにマスクを外す。
照明に反射した唇はグロスが塗られているのか、艶やかに煌めいた。
「もう少しって、」
ようやっと出した声は、ひどく擦れていた。
「どれくらいの、間だよ」
「さぁね。ふゆが満足するくらい、かしら」
「それは、難しいオーダーじゃないか」
「そうでもないわよ」
冬優子の空いた左手が、俺の胸元をキュッと掴んでくる。
そうして、うつむかれていた顔が上げられて。またあの潤んだ瞳と目が合った。
「いつも以上に側にいられたら、それでいいから。そしたら、ふゆ、良い子に戻るから。
ねぇ、許してよ、私のプロデューサー」
「っ……」
すがるような呼びかけに、俺は息を呑み込む。言葉を失う。
そうして結局、俺は冬優子のことを自分の胸元から引き離せなかった。
その間、およそ10分。
3日ぶりに帰ってきた日本で俺はアメリカにいた時以上の緊張感に包まれたのであった。
最高