神様にだってあんたはあげない
ロケ後。
昼ご飯を食べに行こうと先を歩く冬優子を慌てて追いかけるP。
2人の時間は穏やかに流れているはずだった。
しかし、その途中で歩道沿いにあった工事現場の看板がぐらついているのがPには見えて……
■冬優子がPを心配する話です。
ちょっぴりシリアス。
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ロケの収録を終えて「そろそろ昼飯にしようか」なんて喋りながら冬優子と街中を歩いている時だった。
「ほら、あそこの定食屋なんてどう?激辛麻婆豆腐が絶品って口コミに書いてあるわ!」
「冬優子って本当に辛いものが好きだよなぁ…あっ、待て、早いってば」
人混みの中をズンズンと進んでいく背中を追いかける。このままでははぐれそうだ。
いつぞやのアニメグッズを一緒に買いに行った日のことを思い出した。
「冬優子、食べたい気持ちは分かるけどもう少しゆっくり歩いてくれ」
「んっ…仕方ないわねぇ。はいはい、一旦止まっててあげるわよ」
離れていた背中がくるりと振り返って、こちらを向く。ジト目になっていたゆえに変装用のマスクをつけていても何となくどんな表情をしているのか察しがついた。
冬優子との空いた距離を縮めようと、必死に足を動かすこと数秒。気づけば歩道沿いにある工事現場の側まで来ていた。
それは別に、特別珍しい光景じゃない。だからはじめは工事の音が大きいな、くらいにしか思っていなかったのだが。問題はその直後に起きる。
不意に上の方から、人々が叫ぶ声が聞こえてきたのだ。冬優子から視線を動かし、何気なくそちらを見上げると。看板がグラグラと揺れているのに気がついた。
しかも、それがちょうど、冬優子のいる地点の真上だったのである。
「っ……!?冬優子!」
俺はとっさに叫んだ。
全てを穏便に済ませるにはおそらく間に合わない。間に合わせる為の、時間が無い。
刹那、俺は悩むより先に体を全力で動かして冬優子を後方へ思いきり突き飛ばす。反射的に冬優子は何か言いたげに顔をしかめたがーー次の瞬間、体に襲いかかってきた激しい衝撃へ俺はバランスを崩し、冬優子に事情を説明することもできない。
看板が落下してきたのだと理解した時には既に地面に倒れていた。
「プ、プロデューサー!?」
痛い、と思った時にはもう、体のあちこちから生温かい感覚がした。それは静かに流れ出て、歩道の上を汚していく。
段々と薄れゆく意識の中で、俺は冬優子の安全だけを確認する。視界の端、茫然としながらもこちらへ駆け寄ってくる姿が見えた。良かった、どうやら無事だったらしい。
「嫌、嫌よ、ねぇってば!」
肩が小さく揺すられる。
声は今にも泣き出しそうで、普段の強気な冬優子なんてどこにもいなかった。
そんな顔するなよ、なんて言ってやりたいけど口はモゴモゴと動くだけ。ろくに機能してくれない。
「そ、そうだ、救急車呼ばなくちゃ…!」
意識がぼうっとする。
加えてなんだか寒い。今日は暑いはずなのに、全身が小刻みに震え始めた。
痙攣だなんて、嫌だな。
まるで重症みたいじゃないか。
「ーーお願い」
やがて、どこからか救急車のサイレン音が聞こえた。いつの間にか冬優子が呼んでくれたらしい。感謝の言葉を言おうにも、声は上手く発せられない。ただただひゅーひゅーと口から息がもれるだけだった。
そうして辺りにできていく人だかりに、こんな形で有名人になんてなりたくなかった、と内心で苦笑をする。
「ふゆの目の前から、いなくならないで…」
夢か、現か。
冬優子が耳元で囁いてきた言葉を最後に、俺の意識は無くなった。
目を開けると、真っ白な天井が見えた。
横からは規則の良い電子音が聞こえる。
ここは……病室だろうか。
真っ先に辺りを見回そうとしたが、首が上手く動かない。どうやら、コルセットがつけられているらしい。
ならば、他の部分はどうだろう。
全身に力を入れたその時ーー。
「ん……?」
誰かに、手を握られていることに気付いた。
包帯越しに伝わる温もりはどこまでも穏やかである。おそらく、俺が眠っている間にずっと手を握ってくれていたのだろう。
何気なく手の先を目で追うと、そこにはパイプ椅子に座った冬優子がいた。驚愕の表情を作り出し、目元を潤ませながら。
「ふゆ、」
「っ……!」
とっさに名前を呼ぼうとした瞬間、そっと体に抱きつかれた。
ふわり、とたちまち甘い匂いが辺りに漂う。
電子音と冬優子のすすり泣く声が交互に聞こえた。
ーー病室には他にも人がいるだろうに、見られたらどうするんだ?
そう尋ねたい気持ちがあったが、冬優子の全身が小刻みに震えているのが見えて、俺は言葉を飲み込んでしまう。
「良かった」
「え?」
「やっと……目を覚ましてくれた。もう、二度とあんたのふぬけた笑顔が見れないかと思った」
キュっと、まるですがるかのように冬優子の手が俺の病衣を掴んでくる。
普段とはかけ離れた弱々しい姿に、俺の胸はずきりと痛くなった。
「…ほんっと、なんてことしてくれてんのよ」
胸元から聞こえてきた声は、ひどく震えていた。
「あんたが、ふゆのことを助けてくれたのは分かる。でも、その結果としてあんたがこんな……こんな、動けなくほどの大怪我を負ったらダメでしょうが」
「…あっ」
そういえば、そうだった。
段々と記憶が思い出されていく。
俺は確か、工事現場の看板が落下したのに気がついた瞬間に、冬優子のことをーー。
「ねぇ、どれだけ自分が眠ってたか分かる?」
俺の胸元に顔を埋めながら冬優子は尋ねてきた。その声は相変わらず震えている。
自分ではあんまり時間の感覚というものがなかった。目覚めとしてはそんなに悪くはないのだが。
「ええっと…1日くらいかな?」
「バカ、3日間よ。そのせいでテレビのニュースにもなったんだから」
「そ、そんなに?」
よほど体にダメージを負っていたらしい。
我ながら、信じられなかった。
「ふゆがその間…どんな気持ちでいたと思ってんの?おかげで仕事にも支障が出そうになったし。まぁ、ふゆはプロだからきちんとやり遂げたけどね」
「そう、だったのか。迷惑かけて悪かったな」
「別に…迷惑とは思ってないわ。ただ、心配しただけ」
冬優子の顔が上げられる。
久しぶりに合った目は大粒の涙を流していた。
「ふゆを助けてくれたことは感謝してるわ。
ありがと。でも、あんたに死なれたらふゆは…私はどうしろってのよ。
あんたの体はあんただけのものじゃないの。
そのことをよく噛み締めなさい」
「…すまん」
謝ることしかできなかった。
今の俺には、冬優子の涙を拭ってやることすら叶わないのだから。
とにかく全身がひどく痛い。
少し動くだけで体中のあちこちに包帯が巻かれていることに気がついた。この分だと、頭にも巻かれているんだろう。先ほどからずっと軽い圧迫感があるし。
「あぁ、もう。私がどれだけ怖かったのかあんたには計り知れないでしょ」
真っ直ぐと射るような視線が俺へと向けられる。
「あんたが二度と目覚めないかもしれないと考えただけで、足元から崩れ落ちていく感覚がしたわ。ふゆにそんな気持ちにさせるとか、どれだけ罪深いことかあんた分かってんの?
………また、1人ぼっちにされるかと思った」
「冬優子は…1人じゃないよ」
「あんたがいなくなれば1人よ。ふゆも冬優子も受け入れてくれる物好きなプロデューサーなんてあんただけだもの」
「大丈夫。俺は、冬優子を簡単に1人にはしない」
「はっ。言葉だけはご立派ね。それなら……ねぇ、お願いだからもう二度とこんな目に合わないで」
懇願するかのような瞳で見つめてくる冬優子。
こんな態度を見るのは初めてのことで。
俺は思わず驚きながらも「ああ」と返事をした。
すると、冬優子は涙まみれのぎこちない笑顔を俺に見せた。
「…約束だかんね。あんたはふゆのプロデューサー。神様にだってあんたはあげないんだから」
やがて社長やはづきさんが病室に来るまで、冬優子はしばらく俺に抱きついたままだった。
好きです……物凄く好きです……