好きを仕事にしたら苦しくなった。だから私は“好きで戦う”のをやめた。——否定に弱い漫画家が生き残るために選んだ働き方
「好きを仕事にしている人ですね」と言われるけれど
私は、人から見たら「好きを仕事にしている人」だと思う。
漫画が好きで、子供の頃から漫画を描いていて、オタクで陰キャな人生。
だからよく、こんなふうに聞かれる。
「好きを仕事にすると、辛いことも多いんじゃないですか?」
お答えしよう。
その通りである。
私のようなメンタル弱々人間にとって、
「好き」で勝負する世界は、正直かなり厳しい場所だった。
だからはっきり言えば、私はそこから離脱した。
20歳の頃、「私の世界観を否定された」と思って逃げた話
前にも書いたが、20歳の頃に4回だけ投稿したことがある。
持ち込みも一回した。
その頃はもちろん、「描きたい」と心から思う作品を描いていた。
お暇であれば是非当時の作品をお読み頂きたい。
だが結果は撃沈。
「言いたいことが分からない」
の一刀両断。
今思えば、明らかに技術不足だった。
自分の言いたいことを「エンタメに昇華する」技術が、明らかに無かった。
これはただの技術の話だ。
「何を描きたいか」という芯を否定されたわけではないと、今なら分かる。
しかし当時の中二病まっさかりの私は、こう解釈した。
「私の価値観を否定された!!!」
そして盛大に絶望し、
ここですっかり逃げた。尻尾を巻いて逃げた。
「二度と私の世界観を否定されてたまるか」
そう心に決めた。
「自分の世界観は封印しよう」と決めた瞬間
しばらく同人活動に明け暮れたあと、
私は商業でお金を稼ぐ必要に迫られた。
ここで考えた。
「自分の世界観は封印しよう」
メンタルがおからより弱い自分には、
あの「否定」はもう耐えられないと分かっていたからだ。
幸いなことに、
私には「本当に描きたいジャンル」とは別に、得意分野があった。
それが コメディ だ。
私は完全にオタク側の人間だ
これは完全に個人的な感想だが、漫画家には二種類いると思っている。
一方は、クラスの隅でしっとりと本を読んでいるタイプ。
大人しく、自分の世界観を持っている。たぶん美術部。もう一方は、オタク。
アニメ大好き、キャラ萌え上等、エロも大好物。「尊い」が合言葉。漫研所属。
私は完全に後者だ。
生粋のオタクである。
オタクはキャラ萌えこそが正義なので、
キャラを押し出した作品が描ける。
そういう意味で、私はキャラ物が結構得意だった。
これは当時選んだ「TL漫画」というジャンルに、非常にマッチした。
オリジナルで戦うのは、想像以上にしんどい
とはいえ、オリジナルで活動するのはやはりストレスも多い。
キャラクター造形へのダメ出し
シナリオへのNO
ネームの描き直し
「魂を込めた」と言うほどではない作品だとしても、
自ら考えたものにNGが出るのはやっぱり堪える。
自分の価値観や考え方を、
まとめて否定された気分になってしまう。
実際のところは、
私個人への否定ではなく
「エンタメとして成立しているか」
という技術的な視点からのフィードバックに過ぎない。
だが、創作者にとっては
作品=自分そのもの
であることが多い。
「これはただの素材」と思うのは、なかなか難しい。
そこで私は「原作付きに全振りする」と決めた
ということで、私はここでも一度投げた。
「自分のストーリーでは勝負しない」
そう決めて、
「シナリオを貰って描く」方向へ舵を切った。
この「原作付き漫画を描く」が、私には向いていた。
オリジナルと違って、
キャラクターやストーリーにはすでにお墨付きがある。
私はただ、
「どうすれば漫画として一番おもしろく仕上がるか」
だけに集中すれば良い。
これまでの経験も相まって、
技術力だけはそこそこ上がっていたので、
ダメ出しの頻度も極端に少なかった。
おかげで、安心して「漫画家」活動を続けられるようになった。
「魂を置く場所」を変えたら、楽になった
漫画にはいくつかの工程がある。
ストーリーやキャラクターを考える
プロットを作る
ネームを作る
作画をする
私にとって、もっとも「魂がこもってしまう」のは
ストーリーを考える
の部分だ。
それだけに、ストーリーの否定=自分自身の否定に直結してしまう。
プロとして10年活動している今でも、
ここを否定されるとかなり堪える。
だから、ここでは勝負しないと決めた。
傷ついて倒れたら、そもそも描けなくなるからだ。
では、どこで勝負するか?
答えは明白で、「技術」の部分だ。
プロット
ネーム
作画
これらは、技術を磨けば誰でもある程度プロレベルに到達できる。
だから私は、
パルミーお絵描き講座
オンライン絵画塾
日々のドローイング
を通して、ひたすら技術を磨く方向に舵を切った。
「好きを仕事に」が辛い本当の理由
私が思うに、「好きを仕事に」が辛いのは
「魂を込めた部分を否定されるから」
だと思う。
想いを込めれば込めるほど、対象を客観視できなくなる。
作品=自分自身になってしまうから、
作品への否定はそのまま自分への否定につながる。
でももし、
「作品=素材」
と切り離して考えられるなら、
否定の言葉にそこまで深く傷つかずに済むと思う。
私の場合は、それがどうしてもできなかったので、
「人様の作品を素材として扱わせて頂く」
という方向へ舵を切った。
「本気のオリジナル」で戦いたい人へ
それでもどうしてもオリジナルで行きたい。
でも否定されるのは苦しい。
——そんな人もいると思う。
その場合は、一度こう考えてみてほしい。
作品を「自分」から切り離し、素材として客観視する訓練をする
もしそれが難しいなら、「本当に描きたいもの」から一度距離を置く
そこまで魂を込めずに描ける作品で、まずは技術を磨く
「本気で描いた作品が評価されず、息抜きで描いた作品が受けた」
これはよく聞く話だが、
多分この**「客観的な視点の有無」**が大きいと思っている。
私の結論:「好きを仕事にする」ときに必要なのは、切り分けだ
私はどうしても「否定される」のが苦手なので、
「本当に描きたい世界観は、商業では出さない」
と決めた。
これからは、同人や別の形で
少しずつオリジナルを発表していきたいと思う。
なので、「好きを仕事にすると辛いですか?」という質問への、
今の私の結論はこうだ。
どこに自分の魂を置くかを決める
自分の得意と不得意を見極める
可能な限り、得意な方で勝負する
魂で勝負したいなら、己を客観視する力を鍛える
技術面は可能な限り上げておく
つまり、
「好きを仕事にする」=全部を魂で抱え込む、ではない。
どの段階に魂を置き、どこから先は“技術”として扱うかを、冷静に切り分けること。
それが、メンタル弱々な私なりの、生存戦略だと思っている。
才能も努力もいらない。必要なのは、倒れない仕組み。
#青梨の製作ノート



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