女性加害の不可視化とBLの「お行儀の良さ」:司法の歪みは如何にして表現の自由を侵食したか
TVアニメーション「ガンバレ!中村くん!!」が英語圏で猛烈な炎上を引き起こした。同アニメの第五話において教師が生徒と親密になって個人的に連絡先を交換する等の描写が「グルーミング(大人が子供に対して性的な目的で懐柔すること)」だとして非難されたのだ。表現の自由の立場としては「フィクションはフィクション」で終了なわけだが、敢えて英語圏の方々の弁護をすると、現在英語圏の方々が教師と生徒の関係に敏感なのは、英語圏で女性教師による男子生徒への性的虐待(英国等、法的に女性は男性を強姦出来ない国がある為、この表現になるが、日本の強姦基準…不同意性交等罪…の観点では紛れもない強姦である)が社会問題化してるからだ。そして問題の核心は件数自体もさることながら、彼女達を法律で裁けない点である。
例えば直近のニュースでも、オーストラリアで12歳の男子生徒に性的虐待(強姦)を加え、その男子生徒の子供を出産した女性が、他の男子生徒にも長年に渡り性的虐待を繰り返していた事実が確認されてるにも関わらず保釈された。オーストラリアの法律において常習犯が保釈される事例は男性においては存在しない。
因みにコレは模倣犯だ。2025年に同じくオーストラリアで起きた特別支援学校の少年に性的虐待(強姦)をした女性教師が保釈され、刑務所行きを免れたのと同じ手法を使っている。この女性教師は犯行を隠蔽する為に被害者の少年に虚偽の証言をするよう強制した極めて悪質な計画犯であるが、妊娠中で不安定であることを理由に保釈され、刑務所行きを免れた。
また英国では2022年に起きたレベッカ事件以降、よほど悪質なケースでないと女性教師は刑事罰を受けないようになった。これは15歳の男子生徒にレベッカ・ウィリアムズが「年齢なんてただの数字」と言って性的虐待に及んだ事件だが、モルド刑事法院は「反省してるみたいだし不処分(刑事罰を課さない)」という判決を下した。この判決が前例となり、英国は少年の性的虐待被害がヤバイ事になっている。
尚、英国においては現在小児性愛者の性犯罪者に化学的去勢をすることを検討しているが、当然にこれは女性には適応されない。
というより英国は女性の刑事罰自体を廃止しようとしている。何を言ってるか分からないと思うが、現実の問題として既に英国政府は女性を刑務所に送ることを廃止する方針を発表した。
また米国のカルフォルニアにおいては性的虐待した女性が子供を出産した場合、その性的虐待された少年が養育費を払う義務を課せられる事になる。何を言ってるか分からないと思うが本当の話だ。
https://lawlink.com/research/cases/74059/county-of-san-luis-obispo-v-nathaniel-j
そういった背景もあり、米国では1か月に2人ぐらいのペースで女性教師による男子生徒への性的虐待(強姦)が報道されるようになっている。少年も男性の例に漏れず、その被害が女性/少女に比して発覚しにくいので、暗数がどれほどのものになるかは想像も出来ない。
因みに統計的にも男性は女性加害者の通報をしない傾向にあるが、通報しても女性は男性に比して逮捕される可能性が低いことが判明している。具体的には米国における19の州とコロンビア特別区で発生した誘拐、強制強姦、強制わいせつ、強盗、加重暴行、単純暴行、脅迫の555752件の事件について、犯罪者の性別が逮捕の可能性に与える影響を分析しところ、女性が逮捕される可能性は、男性よりも誘拐で28%、強制わいせつで48%、単純暴行で9%、脅迫で27% 低いことが示された。研究にはしっかり「女性の逮捕率が低いのは、法執行官が女性に対して寛大な対応を示していることが1因である(these findings suggest that the lower arrest rate for females is partly the result of leniency shown women by law enforcement personnel)」と記されてる。
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0047235204000637?via%3Dihub
また先進国における女性児童性犯罪者に文献概要をまとめたレビュー調査では、公式報告(警察等に通報され表沙汰になった)による女性の児童性的虐待は先進国全事例の僅か1.4%から3.7%を占めるに過ぎないのに対し、被害者調査ではその数値が12%から44%に跳ね上がることが判明した。
まとめれば先進国全般において女性は男性が少女にするのと同程度に少年を性的虐待(強姦)しているが、女性の加害は報告されにくく、報告されても逮捕されにくく、逮捕されても起訴されにくく、起訴されても重罪にはならないという4重のバリアーで守られた恐るべきプレデターなのだ。
紹介した女性教師の性犯罪者のニュースで彼女達が(男性に比して)軽い刑罰を受けているのはチェリーピッキングではない。2012年の法学者ソーンヤ・スターによる大規模調査で、米国における同種の犯罪において、男性は女性よりも平均して63%も長い実刑判決を受けることが判明したからだ。また併せて女性は男性に比べて逮捕後に起訴を免れる確率や、有罪判決を回避する確率が有意に高いこと等も証明されている。
(余談だがこうした構造があるにも関わらず小児性愛者の性犯罪者に女性が目立つのは、教師の男女比が日本以外の先進国は大体女性に偏っているからだ)
こういった背景もあり、英語圏の少年を人間と認めてる方々は社会システムに期待出来ない以上、未然に防ぐしかないという結論に至っている。こういった背景はあれど私的には以下の2点の観点から、こういった風潮には懐疑的だ。
・ポルノ他そういったジャンルが性犯罪を増やすというエビデンスはない
ポルノが性犯罪を増やす研究も減らす研究もあるが、こういった研究の答えは概して「研究対象自体に大した影響力はない」と決まっている。2020年の大規模メタアナシスにおいても「ポルノに性犯罪に対する影響力ないんじゃね?あっても極小」と結論されている。
https://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/1524838020942754
・犯罪を増やすことを理由に表現の自由を規制すべきではない
直接的な扇動や指示でない限り、表現の自由は守られて然るべきである。というか自由や人権は本来、社会的に良くなく排除が望まれる物事を保護する為に出来たものだ(社会が良い顔をする表現、社会から好かれやすい人間は、別に法律が守らずとも自然に守られる)。
しかしながら、作者の以下の声明文を読むに、BLは表現の自由の敵と言わざるを得ず、今の男性向けジャンルと同程度に規制しないとどうにもならないと思っている。
TVアニメーション『ガンバレ!中村くん!!』第5話にて、教師と生徒が個人的に連絡先を交換する演出がなされておりますが、あくまでBLとしての匂わせ表現以上の意味は持たず、作者やアニメ制作陣は、教師と生徒が個人的に連絡先を交換することを推奨しておりません。
『乙切と広瀬の距離を近づけすぎず、あくまで教師と生徒の関係であることを意識して描写してほしいこと、女子生徒や女性キャラを性的搾取するような描写を避けてほしいこと、原作にある下品な描写はアニメではなるべく描かず、誰でも見れる表現に修正してほしいこと』などをお願いしたのは作者です。
そして、その想いを守ってくださったのは制作チームの皆さんです。
また、作者は過去に、BLというジャンルにおいて、年齢差の開いたカップリングや教員と生徒といった大人と未成年のカップリング作品をいくつか作ってきましたが、昨今の大人の未成年に対する凄惨な犯罪の多さを鑑み、今後はそれを題材にすることはありません。
何とぞご了承賜れますようお願いいたします。
そして、既に原作をお読みになり、ご不快になられた方がいらっしゃいましたら、誠に申し訳ありませんでした
要は「男性キャラクターは性的搾取するが匂わせ程度に留めるし、女性キャラクターの性的搾取はしないようにするから許して欲しい。私自身は社会情勢に合わせて未成年と大人のBLからは手を引きます」ということだ。キャンセルされた事には同情するが、この声明は表現の自由に対する敵対宣言だと言わざるを得ないだろう。
この作者の声明がなぜ「表現の自由に対する敵対宣言」とまで言えてしまうのか。その理由は大きく分けて2つの致命的な妥協が含まれているからだ。
第1に「現実の犯罪(社会情勢)」を理由に「フィクションの表現(自主規制)」を正当化してしまった点である。前述の通り、ポルノやフィクションの表現が現実の性犯罪を増加させるという明確なエビデンスは存在しない。「フィクションはフィクションである」という大前提こそが、表現の自由を守るための最後の砦である。しかし、この声明において作者は「昨今の大人の未成年に対する凄惨な犯罪の多さを鑑み、今後はそれを題材にすることはありません」と明言してしまった。
これは表現規制派が常套句とする「フィクションの描写が現実の犯罪を助長する、あるいは現実の被害者を傷つけるから規制すべきだ」というロジックを、クリエイター側が自ら認めてしまったことを意味する。キャンセルカルチャーの標的にされた個人の恐怖や疲弊には大いに同情する余地があるものの、この「白旗の揚げ方」は最悪の悪手だ。「抗議すれば、彼らは自分たちが現実の犯罪に加担していると認めて表現を取り下げる」というクレーマーに対する強烈な成功体験と大義名分を与えてしまったからである。
第2にグロテスクな「ダブルスタンダード」を公式に是認してしまった点だ。
声明内の「女子生徒や女性キャラを性的搾取するような描写を避けてほしい」というくだりは、自己矛盾の極みと言える。BL(ボーイズラブ)というジャンル自体が、男性キャラクター間の関係性や性的魅力を消費(搾取)することによって成立しているにもかかわらず、「女性キャラクターの性的搾取だけは避けるよう配慮しました」とアピールすることは、「男性に対する性的搾取は許容されるが、女性に対するそれは許されない」という非対称性を肯定するものだ。
英語圏(および世界)における「女性教師による男子生徒への性的虐待が、男性加害者の場合と比べて法的に軽く扱われる、あるいは不可視化される」という現実の歪な構造。この声明は図らずもその現実のダブルスタンダードをフィクションの制作規範にそのまま持ち込んでしまっている。男性キャラクターの消費は「匂わせ」というエクスキューズで正当化しつつ、女性キャラクターにはポリティカル・コレクトネスの盾を被せる。これを表現の自由の観点から見れば、「守るべき表現の線引きを、特定のジェンダーや社会的圧力に阿って恣意的に歪めた」ということに他ならない。
本来BLや百合やケモナーやロリショタ…その他各種のフェティシズムを含む表現は、現実では許されないタブー、背徳感、権力勾配(教師と生徒、大人と未成年など)をフィクションという安全な箱庭のなかでエンターテインメントとして昇華してきたはずである。「誰でも見れる表現に修正してほしい」という作者の願いは、作品をメジャーな舞台(TVアニメーション)に押し上げるための商業的妥協だったのかもしれない。
しかし、その「お行儀の良さ」をアピールするために「現実に配慮して題材を捨てる」「女性キャラだけは守る」という声明を出してしまえば、それはもはや表現の自由を放棄し、表現規制派の軍門に降ったことと同義である。
私は「BLは表現の自由の敵と言わざるを得ない」と結論づけたのは、決して過言ではない。むしろマイルドな表現だろう。何故ならマイノリティな性癖やアングラな欲望を内包して発展してきたはずのジャンルが、社会的承認を得るために自ら検閲官を買って出て、他の表現者達の首をも絞める「危険な前例」を作り出してしまったからだ。表現の自由を真に守りたいのであれば、我々はこの種の「配慮という名の自主規制」に対して、強い警戒感を持つべきだ。



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