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「生成AIを使うべきではない」「規制すべきだ」と主張する人に、一度ちゃんと考えてほしい。 X (Twitter) を使っている時点で、それはほぼ「生成AIを使っている」のと同義ではないのか? 今のXは、単なる投稿アプリではない。 他言語のポストは自動翻訳され、タイムラインはアルゴリズムによって最適化され、さらに Grok のようなLLMまで統合されている。 そしてその裏側の開発・運用においても、現代のソフトウェア開発がAI支援なしで成り立っていると考える方が不自然な時代になっている。 つまり、「生成AIの恩恵を一切受けずにXを使う」という前提自体が、すでに現実とズレている。 ここで問題になるのは一貫性だ。 もし「無断学習だからダメ」「AIは信用できないから使うべきではない」という立場を取るなら、そのロジックは画像生成AIだけでなく、テキスト、翻訳、推薦アルゴリズム、さらにはそれらを内包したプラットフォーム全体にも適用されるはずだ。 それでもXは使い続ける、でも画像生成AIだけは許さない。 この状態をどう説明するのか。 別に「AIを使うな」と言うのも、「規制すべきだ」と言うのも自由だと思う。 ただ、その主張をするなら、「どこまでをAI利用とみなすのか」「どこからが許容でどこからが不許容なのか」は、はっきりさせないと議論として成立しない。 少なくとも、Xの利用がすでに広い意味での「生成AI利用」に含まれている可能性については、無視せず向き合うべきではないか。