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先週、部下(女性)から「実は二人目を授かりまして…」と報告を受けた時、真っ先に思ったことが「この経営難の状態で仕事を抜けられたら困る!」だったよ。周りの人が「おめでとう!」とお祝いしてたから、すぐ我に返って(?)「おめでとう!」と返せたけど、自分でも自分の反応が結構ショックだった
小学生の頃、友達がいない俺を見かねた担任が、自宅に俺を招待したことがあった。俺は担任や彼の息子と遊んだ。帰りに「今日はどうだった?」と聞かれたから、「ゲームは面白かった…飯も良かった…」と答えてたら、「そういう時は「楽しかった」と言うんだよ」と教えられたよ。あの先生には感謝してる
前も書いたけど、認知症の講習を受けた時。講師の人が「歳を取ると体力は衰えます。気力も衰えます。でもプライドだけは衰えないんですよ。どんな状態になっても、プライドだけは絶対に!」と言っていたのがスゲー印象に残っててさ。この言葉が正しかったことを最近、日に日に実感してますわ。実生活で
小中学の同期に超真面目な人がいてさ。掃除も部活も、絶対手を抜かない。で、まわりの人が「もっとテキトーでいいんだよ」とか言うと、悲しそうな顔をする。だから「「いい子」ぶってる」とか、「要領が悪いんだ」と言われる。でも今思えば、彼は単に「真面目に何かをするのが好き」な人だったんだな。
先日「会社に就職希望者が面接に来たけど、履歴書読むと、ソイツ。40歳になる今まで働いたことないのよ(笑)」みたいな話題が出てさ。俺は普通に「偉い。40でついに新たな一歩を踏みだすなんて…実に勇気がある」と思ったから、そう言ったんだけど、周りから袋叩きにされちった。みんな、冷たいぜ
世の中には「言ってることが理解できない」と「よく理解できる」の間に、「言ってることは理解できるが、なぜそんな口調で(嫌味な口調…激しく責める口調…この世の終りかのような口調…)で言われなくちゃダメなのかが理解できない」というのがあるんですよ。というか、なぜその嫌さが理解できんのだ
先日介護職の人に「僕も実は障がい者です。なにか分かりますか?」と聞かれたから、「わかった、眼鏡でしょ。眼が悪い人は眼鏡が出来る以前は障がい者だったけど、眼鏡が出来てからは障がい者じゃなくなった…って話ですね」と返したら、「よく知っていますね」と褒められたよ。ありがとう、ツイッター
TSUTAYA。最近「潰れるかも」みたいな話題が多いけど、TSUTAYAには幾多の「俺の街の個性的にダメなレンタルビデオ屋」を潰した責任があるからな。TSUTAYAという存在の中には、TSUTAYAによって潰れた幾多のレンタルビデオ屋の「怨念」が含まれてるのだ。ちゃんとその責任に応えるためにもサバイブしろよ
前、米津玄師がKICK BACKの歌詞を「人はどん底にいる時ほど、具体性を欠いて抽象的になる。幸せになりたいが、具体的な道筋はわからない。その状態を歌った」と話したのが話題になったでしょ。こういう話聞くと、俺は真面目に「米津、もうやめてくれ…俺の最後のプライドまで持ってくな…」と辛くなる
父が〝付き合い〟で地元のクラシックの演奏会へ行って「よかった。クラシックはさっぱり分からんが、生で聴くチェロはいい音してる。その音をだけで満足した」と言ってて。コレは結構大事だ、と思った。こういう音の物質的な厚み?に触れる機会を人々に提供するために、演奏会は定期的に開かれて欲しい
「映画館は映画を観る以外のことはしなくていいから好きだ。二時間もスマホ断ち出来る」という人は結構いるんだけど、小説家の王谷晶氏なんかは「映画館は二時間自分をやめることができるからいい」と書いててさ。でも案外こういう人も多いかもねぇ。二時間「自分(私)」をやめるために映画館へ行く人
ショッピングモールで読書している爺さん…に限らず、ショッピングモールで読書する人って、本の中の感動的な一文を読んだ後に、一度周囲を見渡すのが好きなんだよ。そういう時、その一文に影響されて、世界が一瞬だけ美しく見えるでしょ。あの一瞬の感じが好きで、ああいう人が多い場所で本を読むのよ
誰か忘れたけど、昔「蛆虫が嫌いだ。あの収縮運動の動作が気持ち悪い。でも、人間の心臓も単純な収縮運動を繰り返してる。蛆虫の不気味さは「生命自体が持つ不気味さ」だ。我々は「人間も蛆虫と同じような生命の根っコの動作を持つ生物」というのに気づくことを恐れてるのだ云々」と書いてた人がいてさ
Twitterは同じ話が何度もできるからいいよ、ホント。実生活でしたら「おじいちゃん、その話は前も聞きましたよ」で終わりだ。でも当人は「今度こそ、もっと的確な言葉で表現できるはず…」の精神でやってるからね。
ゲーム作りの講義をzoomで受けてる生徒が、ある日「ネットの世界にいるのがキツくなった。デジタルは一見複雑に見えても、所詮複雑さに限界があり、暫くすると構造が見えて飽きる。それで外に出て草木を眺めたら、草木の方が複雑で見飽きないことに気づいた」と野原から受講してきた話を誰か書いてたな
三島由紀夫は「小説は”読者をどこかへ連れていくこと”が一番重要なんだ。”どこかへ連れていく”に比べたら”読者を感動させること”は全く重要じゃない」みたいなことを言ってて。俺も映画(館)に求めるのはコレなんだよね。ツマンなくてもいいから、俺を完璧な異世界へ連れてってくれよ…みたいな。
↓誰か忘れたけど、昔「友達が出来ない」という悩み相談に「君は頭が良すぎるんだ。良すぎるから飲み会とかでも〝あ、コレ以上ここにいても良いことないな〟ということが分かって、すぐ帰っちゃう。でもそんな時こそ、あと30分我慢してみろ」と言ってる人がいて。これは凄く大事なことだと思うんだよね
snsと同じノリでゆずといきものがかりの悪口を職場で言ってたら、幸が薄そうな後輩が、本当に悲しそうな顔しながら「いきものがかり。そんなに悪くないですよ…」と溢されたので、やっぱり悪口は良くないと思った。悪口=誰かの好きを否定する。コレ、ホントウニヨクナイ。
認知症の講習。講師の人がなんとも言えない表情をしながら、「体力は衰えるでしょ?気力も衰える。でもプライドだけは絶対衰えないんですよ、人間は。どんな状態でも」と言っていたのが印象的だったな。その辺に人間の栄光も悲惨さもあるんですわ、と言わんばかりの表情をしてた。苦労したんだろうな…
「映画は90分がベスト説」に関して三一十先生が「長い夢を見ると夢の途中なのに「あっ!これは夢だ」とわかる時があるように、映画を見てて「コレは映画だ!」とあらためて気付かされる瞬間が90分あたりにある」と指摘しておられた。コレは本当にすごい指摘だと思うよ。これは100億RTされないとダメだ
Replying to
自分は周りのおじさん達より価値観が「現代的」と思ってたのに、ちょっと余裕がなくなるとコレか。そのおじさん達の反応(おめでとう!)の方が余程マトモじゃないか。俺のアップデートされた「価値観」なんぞ、仕事や金に余裕がなくなると、すぐ化けの皮が剥がれる程度のものだったんだな…となった。
痴呆症の男が何度も家族に明日の予定を聞いて怒られた結果、Siriに頼るようになった。Siriは何度同じ質問をしても怒らないからだ。でら男はスマホがあれば一人旅もできるくらいになった。視力が悪い人も眼鏡があれば健常者になるように、スマホが彼の自立を助けたのだ。なお家族とは今も殆ど会話がない
前も書いたけど、私が行く美容院のお姉さん。「本を読むために旅行する」のが趣味で(だから海外行っても観光スポットとか見ない)、ハワイで読む太宰と、日本で読む太宰は味わいが違う!と力説してましたわ。陰気な本はカラッとした環境で読むといい。ハワイでこそ太宰の真の文章の上手さがわかるとさ
↓宇多田ヒカルの人生相談(?)の回答読むたびに、宇多田の頭の良さにビビる。そして怖くなる。宇多田はその頭の良さをもって、自分の人生に降りかかった数々の難題をクリアしてきのだと思うが、逆に言えばそれらの難題をクリアするためには、ここまで頭を良くしないとダメだったんだ…と恐ろしくなる
私は最近労働が不快すぎて、労働からの現実逃避のために見る映画やアニメも、結局は誰かの労働で生まれたもの、という事実に耐えられなくなる。その映画を作るために、何百何千のポンコツ社員が上司や取引先に怒鳴られ、涙した。この事実だけで、その映画を嫌いになれる。やっぱ山とか川見てる方がいい
多分、一般的には「美人」と呼ばれないであろう俳優が、その作品内で一瞬超美人に見える瞬間があると「あー、俺は今 映画を見ているなぁ」と幸福な気持ちになる。男でも女でも同じ。
坂本龍一が「いつ死ぬか分からない」という状態になった時、過去の作曲家が死ぬ前にどんな曲を作っていたかを調べた、という話が好きなんだよな。バッハは普通に「明日死ぬかも」と思いながら普通に曲を書いてた。ドビュッシーの遺作は、家に石炭を持ってきてくれた店のオヤジに感謝を表した小曲だった
押井守監督は「ジブリ映画は見終わった後、観客が”自分がいい人になった”と錯覚できるからウケる」と言ってたけど、コレだけ「俺はダメ…バカだ…」と自己嫌悪してる人達が多い昨今。一瞬でも客を「俺はいい人になれた…賢くなれた…」と錯覚させることが出来るなら、それはそれで映画の徳かもしれない
もう10回くらい書いてるがね。沢山の本を読めるのも、沢山の映画が見れるのも才能なのだ。とても得難い、それを羨む人も多い才能なのだ。だから本や映画に触れたら出来るだけ感想をTLに投げてくれ。そんな映画がこの世にあると知るだけで俺のような凡人は嬉しいのだ。だから歌うように感想を書いてくれ
『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』冒頭に「大好きな”おそ松さん”三期が制作決定。期待と不安に襲われた彼女達は”カロリーをとらないと、この事実を飲み込めない”と、肉を食い始めた」という記述があって、凄く正しいと思うんだよな。美しいものを味わうためには、それに耐えるだけの力がいるよ
前も書いたけど、伊丹十三の自殺に関して、大江健三郎が「当人もあと三日我慢すれば、自殺願望が去ることくらい分かっていただろう。でも今の「死にたい」思いを大切にしたい、ということもあるのではないか」と言った話が好きでさ。多分生きるというか、前に進むってのはその「三日」を我慢することで
「今の若い人は尾崎豊の「15の夜」を聴いてもバイクを盗まれた方が可哀想と思う」みたいな話。それ自体は「当然だろ」と思うのだが、もしそれが「盗まれた側の気持ちしか分からないし、分かりたくない」であれば、結構問題なのではないか…と、今ふと思ったり。
sns はテキトーに「ああ、愛されてぇなぁ」とかボヤいて、それきりだからいいね。実生活でこんなの呟いて見ろ。すぐ「なら、そのためにはどうすればいいと思う?」と、常日頃から他人にアドバイスを飛ばしたくてウズウズしてる奴がやって来て、ソイツとカウンセリングごっこをさせられるハメになるんだ
「人間、40歳になると急にガタが来るよ。メーカーの保証期限が切れた感じ」という呟きを以前見たが、本当だな。急に性能が悪くなる。そのくせ修理に出しても「もうこの機種は作ってないから、部品がない。今あるやつを騙し騙し使ってください」とか言われるんだ。たまらんよ。
この歳になって、やっと「テスト勉強の目的は「いい点を取る、合格する」ことではなく、「不快を避けて、快楽を求める衝動を延期すること」にある。その延期がちゃんと出来る奴が「大人」なのだ。」的なことに気付いた。勉強が苦じゃなかった分、逆に?気付くのが遅れたよ。だから俺は駄目だったのか…