「自分の弁護で死刑にしてしまった」十字架背負う弁護士 死刑囚との伴走が生んだ「奇跡」
青年の死刑、なんとか回避したかった
黒原弁護士は1973年に生まれ、30歳にして7回目の司法試験に合格した。そんな彼の原動力となっているのは、女手一つで育ててくれた母からの「弱い立場の人や困っている人を率先して助けてあげなさい」という言葉だった。 とりわけ恵まれない境遇から罪を犯してしまった被疑者には裁判までに徹底的に向き合って反省させ、再犯を防ぐために家族にも受け止めてもらう。被疑者を弁護するだけでなく、罪を償い、更生し、社会で生きていけるようサポートすることに、刑事弁護のやりがいを感じるようになった。 このような信条の黒原さんだからこそ、奥本章寛という1人の青年の死刑をなんとか回避し、更生や償いの機会を残してあげたかったのだ。「目の前で自分の依頼人が立たされて、死刑を言い渡されるんです。これ以上のショックはありませんでした」
拘置所通い控訴を説得、応じた死刑囚
一審で死刑判決が出たその日の夕方、黒原さんは奥本死刑囚が収容されている宮崎拘置所に向かった。面会室に入ってきた彼の姿を見て、思わず涙がこぼれた。「力が及ばず、申し訳ない」。 「先生は悪くないですよ。死刑でしか償う道はありません。自分は消えてなくなるべき存在なんです」。奥本死刑囚は、控訴せずに裁判を終結するつもりでいた。その頑なな態度に黒原さんは挫けそうになりながら、拘置所を後にした。 「自分の拙い弁護活動のために、目の前の青年の死刑が確定することだけは耐えられない」。黒原さんは奥本死刑囚を説得するため、毎日、拘置所に通い続けた。そして、控訴期限が迫るなか、最後は奥本死刑囚が折れるかたちで控訴に応じたのである。 「奥本は未熟な私に最後のチャンスをくれたのです。控訴は彼の意思ではありませんでしたが、このままでは私が哀れだと思ってくれたのでしょう」
心理鑑定書でようやくみえた3人殺害の動機
控訴審で事態を打開しようと、わらにもすがる思いで上京した黒原さんは、高名な弁護士から心理鑑定の有用性を聞かされ、すぐに臨床心理士に依頼した。4か月に及ぶ心理鑑定が行われた結果、奥本死刑囚がなぜ妻と息子まで殺害したかの理由について「義母を含めた3人が一体で、自分一人だけが別世界にいるという孤独感を抱き、視野狭窄に閉ざされたものと考えられる」と分析された。 心理鑑定書を手に取った奥本死刑囚は「ずっと言葉にできなかったことが書かれている」と感じていた。福岡高裁宮崎支部もその内容に信用性があるとして証拠採用している。結局、二審でも死刑判決が見直されることはなかったが、奥本死刑囚は必死に上告を説得する黒原さんの気持ちを慮り、上告に同意した。