「むかない安藤」は高校教師2年目 研究者→氣志團ダンサー→カフェ経営→DPZ編集部員…異色のキャリアを支える信念
「デイリーポータルZ」ライターの安藤昌教さんは今年、高校教師2年目になる。
あらゆるモノをむかずに食べ、おもしろ記事を量産してきたあの安藤さんが昨年、高校教師になった。そのダイナミックな転身に、読者は驚いた。
むかずに食べるむかない安藤です。パイナップルは皮がえぐいですが頑張ればむかなくても大丈夫です。 pic.twitter.com/6ZExX4wzJp
— むかない安藤 (@mukanai_ando) December 10, 2017
彼の人生を振り返ると、キャリアチェンジは何度もあった。そのたびに「面白い方」を選び続け、ここまでやってきたという。
愛知県生まれ。石川県の大学で流体工学を学び、国の研究機関に就職。公務員として、茨城県の研究所で核燃料サイクルを研究しながら、ロックバンド・氣志團のバックダンサーになった。
研究者を辞め、沖縄に移住してカフェを経営しながら「デイリーポータルZ」に寄稿。その後、首都圏に移ってデイリーの編集部員になり、おもしろ記事と「むかない安藤」で人気を博した。
デイリー編集部員を辞め、1年のフリーライター期間を経て神奈川県の中高一貫校に就職。49歳で初めて教壇に立った。
「今、本当に楽しいんですよ。学校が楽しくて」安藤さんは満足そうだ。
(聞き手:林雄司/岡田有花 構成:岡田有花 撮影:石川大樹/安藤昌教)
未経験から高校教師に 49歳でいきなり物理を教える
安藤 僕、今の職場がすごく気に入ってて。面白いんです。
教壇に立つのは本当に初めて。昨年4月に学校に行って、高2、高3の物理の授業をいきなり始めたんです。力学からやったんじゃなかったかな。僕はもう50だし、生徒にはすごくベテランだと思われてますが。
教員ってみんな真面目だけれど、僕は先生っぽくない感じなので「変な先生が来たぞ」って生徒がみんな面白がってくれて。学校にも「こいつは面白いぞ」って思われているみたいです。
いま、中学の理科と高校の物理をやってるんですけど、僕の授業、相当面白いと思いますよ。生徒たちを笑わせてるし。
生徒たちも「むかない安藤」を見ていますね。みんな、新任の先生の名前で検索してるから。僕本名でやってるんで。全部バレますよ、入った瞬間。教えていない子も「お! むかない安藤が来た!」みたいなことは言いますね。むかない安藤やっていて本当に良かった。完全にプラスです。
岡田 ラグビー部の顧問もやってるんですよね。
安藤 はい。顧問も面白いですよ。ラグビーはルールも知らなかったですが、学校の寮で部員と一緒に泊まって、練習してご飯食べたりしてます。
生徒達が「練習がキツイ」って言うので、この間一緒に練習をやってみたら、筋肉痛が3日続きました。みんなガタイが良くて、寮では3食のご飯の後に鍋をやるんですよ。6時にごはん食べた後、8時にもう1回鍋を食べる。
生徒を家に呼んで「裸フリスビー」
安藤 中高一貫で男子校ってのもあって、すごい生徒と関わりが深い気がします。僕とノリが合ってるんじゃないかな。
林 この前、安藤さんの家に子ども達が来てたよね。
安藤 そうそう。卒業生。「裸フリスビー」をやりに。
林 裸フリスビー?
安藤 フリスビーやりながら、失敗すると脱いでいくんです。
林 野球拳みたいな。
安藤 そうそう。それを学校で生徒がやってたので、僕も入って。「卒業してからもやりたい」って生徒が言うから「じゃあうち来いよ」って言って、うちでやってましたね。 物理を教えてた生徒たちです。
林 物理を教えた結果、裸フリスビー。
安藤 です。
岡田 マジで裸になるんですか。
安藤 いや、パンツははいてますよ。
岡田 よかった。
「異性を追っていた」学生時代、ロケットの研究者を目指して
林 安藤さんは1975年生まれ。昭和50年ですね。
安藤 今が昭和100年だから。50歳です。分かりやすい。愛知県の大府市で生まれ育ちました。名古屋市の南で、何もない田舎です。高校は半田高校という進学校です。
林 勉強できたタイプでしょ。
安藤 できました。あと、めちゃめちゃ健康だったんです。たしか小中学校で1回も休まず、卒業式に表彰されたんです。健康優良児みたいな。それで高校にも推薦されたんです。
林 健康で推薦?
安藤 健康で……いや、弓道のスポーツ推薦だったんです。中学でも弓道やっていて。
岡田 デイリーのライターさんは、屈折した青春を送った人も多いようなんですが、安藤さんは屈折なく楽しく過ごしていそうですね。
安藤 屈折してないですね。異性をずっと追っていました。そんなことをして成績が下がり……みたいな。大学でも異性を追ってたんで、成績はあまり良くなかったですね。
林 大学受験は失敗したと聞いています。
安藤 そうです。宇宙が好きで、航空力学……ロケットとか飛行機の勉強がしたくて。愛知からは出たかったから、北大か東工大に行きたかった。でもセンター試験でひどい点を取って足切りに引っかかって。二次試験で金沢大学工学部に受かって、石川県に行きました。
就職氷河期……50社受け、原子炉の研究員に
岡田 金沢大学大学院を卒業後、核燃料サイクル開発機構(現・日本原子力研究開発機構)に入社したんですね。ロケットや飛行機の研究がしたかったのに、原子力?
安藤 大学では、飛行機の翼の周りの空気の流れ、「流体」を扱う流体工学を研究していました。原子炉は、プラントの中をナトリウムが流れる。気体じゃなくて液体の流れですが、同じ流体工学です。
成績が優秀だと研究室から教授推薦をもらえるんですが、僕はあまり成績が良くなかったんです。だから自分で就職先を探しました。氷河期なので、本当に就職先がなくて。
学部の時も院の時も就活して、50社ぐらい受けました。JAXAも受けたし、新聞社も受けました。朝日新聞金沢支局で、原稿を紙面に流し込むシステムのオペレーションのバイトをやっていたから。
その中で、当時の科学技術庁が、いろいろな研究機関の研究職を一括で募集してたので、それに応募したら受かり。配属先が核燃料サイクル開発機構だったんです。
林 核燃料サイクルって、「もんじゅ」とか?
安藤 そうそう。当時は軽水炉をどんどん作っていたから、ゴミであるプルトニウムばっかり溜まっちゃうんですよ。再利用して核燃料サイクルにしないと、日本は原子力発電できなくなるって言われていて。
プルトニウムをリサイクルして「もんじゅ」で燃やす計画だったんですけど、もんじゅで1995年にナトリウム漏洩事故があったので停滞していました。僕が就職したのは2000年ごろ。研究員だったので、個室で1人でずっと研究して。仕事は楽しかったですよ。
研究員、氣志團のダンサーになる
岡田 ……ここまでの話だと、優秀で異性好きな理系の学生の一般的なキャリアにも聞こえますが、この後の変遷がおかしいですよね。
安藤 いや、まともですよ。僕は全体的にまっとうですよ! 特に誰にも迷惑をかけてない。逮捕とかされてないし、癒着もない。異性も追いかけていたけれど、大学院の時の彼女が今の妻なので、それも普通ですね。
林研究所時代に、氣志團のバックダンサー「オクトパスルームメイツ」になった。
安藤 はい。そもそもはカメラマンの募集に応募したんです。旅先で写真を撮るのが好きで、大学の頃からずっと、写真を撮っていて。就職してからも写真をやりたいなと思ってた時、氣志團のライブのスタッフ募集でカメラマンを募っていて。
「ライブを撮らせて欲しい」って電話かメールして、「じゃあ1回おいで」って言われて。機材と作品ポートフォリオを持っていったんです。友達のライブを撮った写真とか。
でも行ったら、ダンサーのオーディションだったんですよ。部屋のドアを開けると、綾小路(翔)さんが座ってて、ラジカセがあるんですよ。「じゃあカバンを置いて、ちょっと踊ってみて」って言われて。ポートフォリオを見せるチャンスもなく。
だから「分かりました」って言って、ポートフォリオ入りのカバンを置いて踊りました。
(↑右のダンサーが安藤さん)
岡田 「僕カメラマンなんで、踊りはちょっと」とか言うこともなく……。
安藤 そういう状況じゃないですし、そんなこと言うのも無粋じゃないですか。
氣志團自体は好きだったけど、ダンスをやったことはないし、ダンサーになろうと思ったことは1回もない。でも他の人は、プロ志望のダンサーとかディズニーの元キャストみたいな子でガンガン踊ってましたね。
その翌週ぐらいに電話がかかってきて、「お前、来月から千葉で合宿だ」って言われて。20人ぐらい集められて、工場の地下みたいなところで、ダンスの練習をさせられました。
2004年の夏ごろから、年末のカウントダウンTVと正月のライブまで、半年ぐらいやりました。
岡田 氣志團のダンサーになるために、パンチパーマにしたんですよね。
安藤 「リーゼントかパンチパーマにしてこい。ヅラは許さないぞ」って言われ、そり込み入りのパンチパーマにしました。
氣志團のメンバーにはかわいがってもらいました。「お前ちょっと面白いな」みたいな感じで、仲間に入れてもらってました。他のダンサーはみんな10代ぐらいだったのが、僕は24、5だったから、メンバーと同年代っぽくてすごい話が合って。学校が荒れてヤンキーもいた、同じ時期を生きてるんですよね。
(綾小路)翔さんは天才です。エンターテイナーだから、「やるなら本気でやれ!」って言われていました。「舞台に立ったらプロだ、全員お前を見てるんだと思ってやれ」と。僕は年上で気に入られてたんで、踊りでも、先頭で神輿を担がせてもらったりしてました。いい位置でしたよ。運が良かった。
岡田 カメラマン志望だったのに、結局、氣志團で写真は撮ってないですよね。
安藤1回も撮ってないです。一緒に踊ってただけです。
パンチパーマで学会、「おかしい」と思っていた
岡田 研究者という本業の傍ら、副業でダンサーをしていたということは、パンチパーマで出社していたんですか?
安藤 学会にパンチパーマで行ったことはあります。研究所だから、会社みたいな規律があるわけでもなく、どんな髪型でもいいんですけど、学会ではパンチパーマだから目立つんです。パンチパーマにスーツで。剃り込みは隠していくんですけど、やっぱ目立つから、自分で「ちょっとおかしいな」と思ったんです。
もしかしたら、誰も気にしてなかったかもしれないんですけど、僕は気にしてて。パンチパーマって言っても天然パーマぐらいの強さでしたから。今思えば、周りはそんなに気にしてなかったかも。
岡田 デイリーでいろいろ経験した今の安藤さんなら、どんな髪型でも遠慮なく学会に行きそうなイメージですが。
安藤 どうだろう……。
林 安藤さんって、むかないで食べるとか、ワイルドなイメージなんだけど、実は気遣いがすごくて、慎重なんですよ。むかずに食べる時も「これは毒なんじゃないか」「死ぬんじゃないか」とかずっと言ってる。
安藤 それは本心でもあるし、「むかない安藤」のキャラクター的なものもあるんだけど……でも基本的には気を使います。人の目を気にしますね。
林 だから学会でパンチパーマは、気にすんだろうなって。
安藤 はい。多分みんなよりも自分が気になってましたね。
デイリー編集部で一番の常識人?
岡田 安藤さんにお会いして、「むかない安藤」や記事のイメージとはだいぶ違う印象を持ちました。話しぶりは穏やかで謙虚で、学校の先生や営業マンと聞いてしっくりきます。もっと破天荒な方かと……。
安藤 いやいや……僕はデイリーポータルZのスタッフで一番常識人だと思うんですよ。完全にそう思う。僕だと思いますよ。一番ちゃんとしてる。無鉄砲でもない。一番気遣いもするし、ちゃんとしてますよ。全員を見てて「俺が一番だな」と思ってましたね。
そういうところにコンプレックスがあったかもしれないです。「僕、普通だな」と思って。
岡田 「破天荒なことをして目立ってやろう」みたいな感じも、意外とないんですね。
安藤 はい。ウケ狙いとかはないです。むかないで食べるとか、氣志團のダンサーになったとかは、ただ運がいいと思います。上手いところに運を使ってるなって。
運がいいから、大きく困ったことがないんです。この間占いに行ったら「あんた、困ったことがないでしょ。これからもないわよって」言われて。「あ、そうっすね」って言ったんですけど。
林 「困る」の閾値が低いんじゃないですか。傍から見たら困ってることなんだけど、本人は困ってない。体力があるからかな。
安藤 困ったって感じ、ないかもしれないですね。
「形になるのが50年後」の仕事に見切り
林 氣志團のダンサーだった頃、結婚してたんですか?
安藤 社宅(官舎)にいたから、していましたね。(綾小路)團長から社宅の家電に電話がかってきましたもん。「お前今何してんの?」って。
岡田 その後、研究職を辞めますよね。
安藤 研究職は4年か5年やったんですけど、業界自体が下火というか逆風で。もんじゅの事故で高速炉に予算がつかなかったりとか、国の方針としても逆風だった。
僕が関わってたプロジェクトは、発電前の研究炉段階。次に実験炉を作り、商用炉になるんですけど、「実験炉が50年後ぐらいに形になればいいね」って話で、50年後って2050年じゃないですか。「50年後まで見えないのは嫌だな」って。そういう流れの中で、「どうしようかな」と考えてた時期ではありましたね。
岡田 専門性があり、実務経験もあったけれど、普通の転職活動はしなかったんですね。
安藤 しなかったです。就活すればよかったのかもしれないですけど、そういう気はなかった。カメラマンとかやりたいなとは漠然と思ってたんですけど。
結婚直後に公務員退職 義父に「すげえ叱られた」
岡田 研究所を辞めた後、沖縄に引っ越したきっかけは。
安藤 忘れちゃったんですけど……なんで引っ越したんだろうな。当時29か30歳ぐらいでしたね。結婚して1年、2年ぐらい。茨城に住んでたんですが、次にどこに行こうかって、妻と相談したと思います。妻は看護師をやってたんですけど。
北海道とか山梨とかの田舎で暮らそう、みたいな話はしていた記憶があります。たまたまいろんなところに旅行して、沖縄に行って、あ、ここいいねってなったのかなあ。
岡田 茨城では官舎に住んでいたから、退職で家がなくなっちゃった。
安藤 そうそう。結婚した直後だったんで、彼女のお父さんにすげえ叱られましたよ。大人になって一番怖い体験だったかもしれない。
林 まともな反応だよね、大学院を出て国の研究所に入って、堅い仕事の公務員に嫁に行かせたと思ったら、パンチパーマになって退職して。
安藤 だから、ちゃんと反省したんじゃないかなと思います。
研究所でデイリーポータルZを見ていた
岡田 「デイリーポータルZ」のライターになったのは?
安藤 研究者の頃から「デイリーポータルZ」を見てました。沖縄に行く前に、林さんに会ったような気がする。
林 あ! デイリーポータルZになる前のニフティの企画で、俺がCD交換会をやったんだ。住所に「原子力」と入ってる人が横浜銀蝿のCDを送ってきたもん。「原子力関係の人だなー」って思って見てた。
安藤 その企画も研究所で見てました。その後「デイリーポータルZ」が(2002年に)始まって、「わ!面白い!」ってなって、文章を書きたいってその時思ったんじゃないかな。
僕、研究所のころに個人サイトやってたんですよ、自分で。近所の野良犬の写真を撮ってマッピングしてたんです。「野良犬のすべて」ってサイト。その頃にデイリーポータルZに接触してライターにさせてもらったと思います。
林 「短い記事のためにライターを大量に募集するぞ!」ってライターを集めた時、沖縄にいた安藤さんがライターになってくれて。
カメラ輸入販売でもうけ、沖縄でカフェを始める
林 その時は沖縄でカフェをやってましたよね。いきなりカフェを始めたんでしたっけ?
安藤 沖縄行って1年目ぐらいは、ライターやったり、結婚式の写真を撮ったり、沖縄の雑誌で写真を撮ったりしていました。雑誌では、写真を撮るだけのこともあれば、自分でお店の紹介を書くこともあり、ライターもやっていました。
岡田 そこで「カフェもやりたい」と?
安藤 カフェは……そんなに大きな意図があったわけじゃない気がするんですよね。
あ! 店を始める前にやっていた、カメラの輸入販売がわりとうまくいってたんですよ。それで家がカメラだらけになっちゃって。カメラの独特の匂いでカメラ臭いのが嫌だなと思って。お店を借りて、お店に置きました。
ウクライナやブルガリア、中国あたりからカメラを輸入して、ホームページ経由で日本人に販売していたんです。ちょうどカメラブームでめちゃめちゃ売れたんです。当時は円高だったので、数百円のカメラを仕入れて数万円で売るみたいな世界でしたね。
カフェは、カメラの展示とギャラリーを併設して、4年半ぐらいやったと思います。写真好きの溜まり場になっていました。沖縄って写真好きの人が多い場所で、でもコミュニティがなかったんで、うちが中心になっていました。楽しかったですよ。
ちょうど子供が生まれて、妻は仕事をしてたんで、おもに僕が店で子供を育ててましたね。抱っこしながら。
岡田 人生の楽園だ。
林 そうですよね。そのままでも良かったのでは。
安藤 そのままでもいいと思ってたんですが、子供が小学校に入る時に、沖縄の小学校に行くかで悩んだんですよ。
教員になるつもりが、デイリーポータル編集部員に
安藤 沖縄の小学校に行っちゃうと多分、そのままずっと沖縄になる。僕らは選んで沖縄に来たけれど、子供は選択権がなかったから、小学校で一度、都会に戻るかってことで、仕事を探しました。
僕は教職を持ってたんで、地元の愛知で教員をしようと思ったんです。技術もないし、就活に活かせそうな資格もなかったから、塾講師でもしながら教員採用試験を愛知で受けようかって思ってました。
そんな時に林さんから「ニフティで募集あるよ」って話をもらって。「そっちの方が楽しそう」と思ってニフティに行った気がします。
林 2007年かな。安藤さんが愛知で塾の先生をやるって聞いて、「そんな普通のことするんだったら、ニフティに入って一緒にデイリーやった方がいいんじゃない」って声をかけました。人をいっぱい採用していい時期だったから、「何をやってもらう」とか何も考えないで、入れちゃってた。
岡田 安藤さんも「何をするんだろうな?」って思いながらニフティに来た。
安藤 分かんなかったですね。
林 当時よく分かんない時期でしたね。「ページビューを10倍にするんだ!」って社長が言いだして、人もどんどん入れていいみたいな時期で。デイリーにも3人ぐらい入ったのかな。しかもリファラル(紹介)で採用すると、紹介した俺に謝礼がもらえた。
安藤 そんなんあったんすか!?
林 え、半分あげなかったっけ、それ。
安藤 もらってないすよ。
林 あげた気するな。
安藤 もらってないす。初耳ですよ、それ。今からくださいよ!
……いや、全然、全然いいすけど(笑)。救われましたよ。ニフティに入ってすごい楽しかったんで。
DPZで編集と広告営業……「運が良かった」
岡田 それで沖縄から神奈川に引っ越して、東京で会社員になった。
安藤 そうですね。普通の会社員でしたよ。タイムカード押したりして。
岡田 記事の執筆と編集と……デイリーの媒体営業もやっていましたよね。
安藤 営業は後になってからです。デイリーが広告企画を始めたのって2013年ぐらいじゃないかな。
林 「稼げ」って言われ始めたのっていつだっけな。「ハトが選んだ生命保険に入る」(ライフネット生命の広告企画)が2009年だから……2010年ぐらいから安藤さんも広告を一緒にやってたんじゃないかな。
岡田 デイリーはそれまで、収益をあげろと言われていなかったのに、急に「稼げ」って言われて、世知辛くなってきた。
林 まあ、「目標未達でしたえへへ」でもなんとかなりましたけどね。
安藤 ちょうどコンテンツマーケティングが流行った時期で、すごく調子が良かったですよ。そこも運が良かった。
(↑安藤さんが執筆した広告企画記事の例)
トートバッグ一つで海外旅行する
林 安藤さんが編集部にいたころ、今でも思い出すのは、「アルスエレクトロニカ」出展のためにオーストリアのリンツに行った時のこと。トートバッグだけで来たよね。「ビッグフェイスボックス(顔が大きくなる箱)のレンズが入らないから」とか言って。スーツケースも持たずに。
安藤 僕、スーツケースを持ってないんですよ。みんなカラカラやってるけど、「それは本当に必要なのか? みんなが持ってるから持ってるだけでしょ?」って思って。
林 でもトートバッグだから、口があきっぱなしだった。
安藤 セキュリティでも、ガバって開けて見せたらそれで済むじゃないですか。チャックもないから、楽なんですよ。「爆弾ないよ」ってすぐ言えるから。
岡田 普通の人は、バッグだと重いからスーツケースに入れるんだと思います。安藤さん、すべてを体力でカバーしてますね。
安藤 そうですね、体力はあった方がいいなと思います。
フロリダで金欠、タクシーに乗れずドブ川を渡る
林 そういえば、「間違えてNASAに行く」の広告企画でフロリダに行った時は、帰りのタクシー代がなくて、10kmぐらい歩いたって。
安藤 いや、5、6kmぐらいを、2時間ぐらいかけて。行きの飛行機に乗り遅れて、その後の飛行機代を自腹で払ったり、遅れたからって勝手にキャンセルされてたホテルを自腹で取り直したりしてたら、カードの利用額の上限が来ちゃって、帰りにお金がなくなり、タクシーに乗れなくて歩いたんです。
でも空港って、電車か車で行くもので、歩いて入れないんですよね。手前にドブ川があったから、ザバザバって膝ぐらいまでの川を渡って行って。空港の床に足跡がつくぐらいびしょびしょだったので、「なんで濡れてるんだ?」ってスタッフにとがめられて。「川を渡ってきたって」言ったら、別室に連れていかれてびしょ濡れ成分を検査されて「川だね」って。
人生であんまり困ったことはないですが、その時は困りましたよ。カードも使えないし、現金もなくなっちゃって、でも帰らなきゃダメだから。……懐かしいですね。
断らない安藤、「むかない安藤」になる
岡田 「むかない安藤」は動画企画として始まったんですよね。
林 大北くんの動画企画で、「おにぎりを変わった食べ方で食べる」っていうので撮ってたら、安藤さんが袋をむかないで、吸って食べたんですよ確か。それを大北くん気に入って、「これだけでシリーズにする」って言って「むかない安藤」が生まれた。
安藤 いや、いろんな安藤を撮った気がしますね。動画をいっぱい撮るシリーズで、「むかない安藤」をやった記憶があります。
(↑むかない安藤の前身、「かっこいい食べ方」シリーズ)
(↑むかない安藤の初作品「ゆでたまご」。ここからシリーズ化していく)
林 安藤さんって、頼んだら何でもやってくれる。「嫌です」「ちょっとおかしいじゃないですか」とか言わないんで、頼ませちゃう力があるんじゃないかな。大北くんも、氣志團の翔さんもきっと、頼んじゃったんだと思います。
安藤 それはあるかもしれないですね。でも、運良く面白いことを頼んでくれる人に巡り合っているから。大北くんにしろ林さんにしろ。
林 “引き寄せ”じゃないですか。
安藤 僕も見極めてますよ。林さんも氣志團も、「面白いぞこの人は」っていうのは見てる気がするんです。だいぶ選んでますよ。
「これ、いつまでやるんだろう」
安藤 僕は林さんファンから始まってるので、「デイリーポータルZ」のファンである以前に、林さんファンだった気がするんですよね。
そんな中で、「むかない安藤」が一人立ちしたり、自分のキャラがどんどん大きくなっていくと、「そうじゃなくて、僕は林さんが作ってるサイトに書いてるライターで……」とは思っていました。
デイリーは面白かったし、年を取って自分のキャラができていったけれど、デイリーには林さんがいたらそれでいいんじゃないか。最後の方は「僕は編集部から離れた方がいいんじゃないかな?」って。
デイリーが東急メディアに入った頃(2017年)かな。ちょっと悩んだ時期でした。古賀(及子)さん(作家・元デイリーポータルZ編集部員)ともそういう話をしていましたね。「これ、いつまでやるんだろう」って。
俺は林さんが好きで入ってるから、林さんが編集長を辞めることを望んでないんですよ。林さん、死なないし。死ぬなら「俺、編集長やります!」って立候補するんですけど……。
悩んでいたころ、デイリーが独立することになったから(2023年)、じゃあ他のことをやろうって思った気がします。記事はずっと書こうと思ってたんで、会社を離れてもまたライターをやればいいじゃん、と。
林 安藤さんと古賀さんが「(デイリーポータルが独立した新会社に)行かない」って言ったのが結構ショックでした。当てにしてたんで。
「むかない安藤」を捨てることに抵抗はなかった
岡田 そこで「むかない安藤」を捨てることに、抵抗なかった。10年育てたキャラでしたが。
安藤 はい。特に未練もなく。
林 むかない安藤で一本立ちしていくぞ! みたいなのは……。
安藤 それはないな。
林 むかない安藤は、演者だったからね。
岡田 演者? 「むかない安藤をやって」って言われる方だったんですね。
林 あれは大北さんディレクションでの企画。安藤さんが見つけてきたことをやるというような主体性ではなかったのではないかと
岡田 そうなんですね! そのように見えてなかったです。安藤さん発なのかと……。
安藤 あ、そうなんだ⁉
林 むかないで食べるものは安藤さんが選んでたから、完全に演者ってわけでもないか。
安藤 そうですね。むかない安藤は楽しかったけれど、それで人気が出るのもあんまり本意ではないかなって気はしていました。
ライター1年→物理の教員に 物理の免許はなかったが……
安藤 会社を辞めた後は、フリーランスで1年ぐらい、ライターとかカメラマンとか、広告の制作なんかをやっていました。こんなかんじでずっとやっていけるんじゃないかという気もしていましたね。家のことするのも好きだし、それでもいいなと思って。
(↑弁当作りも得意だ。これは子供の運動会用に作ったもの)
教員にも興味はあったけれど、教員採用試験は都道府県によって年齢制限があって、年を取ると受けられないところが多いので、もう無理だろうなと思ってたんです。
でも、神奈川県の私立の学校をまとめてる私学協会に登録しとくと、非常勤の枠が空いた時に連絡をくれるシステムがあったので、とりあえず登録したんですよ。そうしたら、今の学校から連絡もらって。「非常勤だろうな」と思って行ったら、「正規採用でやる気はありませんか?」って言われて。
しかも、高校の物理だったんです。僕、当時高校の物理の免許は持ってなかったんですよ。
岡田 あら。
安藤 持っていたのは、高校の情報と、中学の理科・技術の免許。でも、大学や研究員時代に熱力学とか航空力学をやって、研究論文を5本ぐらい書いてたんで、それを持っていってプレゼンしました。そうしたら「物理の特別免許が出せます」と言われて。しかも正規採用だったので、やろうと。高校物理の免許はこのまえ正式に取りました。
岡田 教員をやりたい気持ちはずっとあったんですね。
安藤 いつかやろうかなと思ってましたが、正直、そこまでモチベーションはなかったんです。ただ物理は好きだったんで、物理を教えるのならいいなと思ってました。面白そうだから。
でも、高校物理からは20年ぐらい離れていたので、すごく勉強しました。教科書と問題集を送ってもらって2周ぐらいして、大学入試レベルの勉強もすごいやって。
今は、学校が超面白いですね。面白い。いつまでやろうかなって思ってたんですけど、しばらくやりそうだな。
岡田 就職で「10年も20年もずっとここにいるぞ」っていう感じの安定感を求めたりはしないんですね。
安藤 すぐ辞める気はないですけど、これまでにポンポン職を変わってますからね。ずっと勤め上げてる人もすごいなと思いますが、僕はそういう感じじゃなかったですね。
岡田 「面白そう」って思ったところにスッと入ってく。
安藤 そうですね。面白そうかどうかは、だいぶ選んでる気がします。人とか環境を選んでるんじゃないですかね。今の学校は、校長も面白い人で環境も面白いですね。
「それっぽくない人」をずっと目指してて。「会社員っぽくない」とか「営業っぽくない」とか。今は「先生っぽくない」先生でいたいなとは思ってます。だって「それっぽくない」って、価値としては最高じゃないですか。だからそうありたいですね。うん。
岡田 聞く限り、人生で悪かった時期はなさそうですね。
安藤 ないですね。今が一番楽。若い頃は体力があったから「あれもやらなきゃこれもやらなきゃ」って思っていましたが、今はそれもないので一番いいですよ。本当に楽しいなと思ってやってます。
なりたい職業を決めないほうがいい
岡田 教員としては異色すぎるキャリアですよね。学生に「進路を考えて」って言ったら、だいたい「医者」とか「教師」とか、一つの職業しか出ないけど、安藤さんを見て「こういう人生もあるんだな」って柔軟に考えてくれそう。
安藤 それはあるかもしれないです。生徒には「なりたい職業を決めないほうがいいよ」とは言ってますね。
例えば「医者なりたい」だと、医者になれなければ失敗ってことになってしまう。それよりは、どういう感じで生きたいかを考えたほうがいい。「人の役に立つ」でも「面白い」でもいいし、「手堅く生きる」でもいい。どういう感じで生きたいかが大事。
僕は人と話して笑わせるのが好きなんで、「人を面白がらせる」を基準にしているんだと思うんです。それだったら、氣志團もカメラ屋もデイリーポータルも、先生も正解なんですよね。
記事は悩みながら書いている
岡田 教員になってからも、デイリーの記事は書いていますよね。
安藤 学校の休み中に4、5本まとめて書いて、隔週で載せてもらっています。教員になる前は毎週書かせてもらってたんで、抜けるのが申し訳なくて。今年はもうちょっと書きたいなと思ってるんですが。
(↑教員になってから掲載された記事の一部)
岡田 書くのが早いと聞きました。
安藤 バーって書いて、ずっと推敲してる感じです。書いて消して書いて消してって……。
岡田 さらっと書いてるように見えるけど、実は時間をかけて削っているんですね。
安藤 随分、削ったり書き直したりしますね。
岡田 イメージと違いました。
林 書くのが早くて、明るくて、むかないで食べてるイメージ。
安藤 書くのは早いんですけど、「これでいいのかな」ってすごく悩みますよ。
ずっと面白いことをやっていたい
岡田 デイリーで今後、どんなことをやりたいですか?
安藤 面白いことはずっとやりたいですね。いつまでやるかは林さん次第かな。
林 ずっとやんじゃないですか。だって、デイリーを25年やると思ってなかったしね。やらなくなる日が来るのは想像がつかないですよ。
安藤 やめた後に何をしたらいいか分かんない。
林 「じゃあ何すんの?」ってなるよね。
岡田 のんびり過ごすとか?
林 のんびりしたら時間があるから、ちょっと面白いものを探そう、ってなって。
安藤 そうなんですよ。結局、面白いものの写真は撮っているから、記事として書くか書かないかの違いだけなんですよね。
岡田 面白いもの見つけた時に、別にデイリーがあってもなくても、安藤さんは写真を撮ってるし、林さんはメモとか文章を書いたりしている。
林 書いた以上は人に見せたいですからね。
安藤 そうですよね。
林 じゃあサイトやるか、ってなりますよね。

