「推し活」的思考が人間を愚かにするーーSNSリベラルと『パリに咲くエトワール』信者の過激化問題から考える
今日はなかなか大変な一日だった。「炎上」というほどのことでもないと思うのだが、昨日に引き続きアニメ映画『パリに咲くエトワール』の熱心なファンたちが僕の動画での発言に怒り狂い、そしてその一方では、先々日の直接は政治と関係ないポストをきっかけに、なぜか僕がSNSリベラルの一部から例によって「冷笑」的な態度を取っていると罵倒を受けたのだ。
僕に攻撃してきた『パリに咲くエトワール』信者の言い分はなかなか凄まじく、なんというか義務教育の敗北を感じた。
どうやらこの作品は「興行収入がそこまで伸びていないが良心的な企画」として愛されているらしく(そこまでは全く僕もそう思う)、こういった企画を応援したいと言う「推し活」的なバイアスが働き、映画そのものまで大傑作だと言う「設定」にコアなファンコミュニティーでなっているらしい。
僕はそう思わないが、まあ、そう思う人がいること自体は良いことだと思う。しかしここで困ったことに、この『パリエト』のファンの一部が、僕の脚本や演出の不備を指摘するコメントに怒り狂い始めたのだ。
いやまあ、それもう別にいいと思うのだけど、そこで彼らが持ってくる論理がメチャクチャでヤバかった。
僕に絡んできた人たちの言い分によると「興行収入に響く」ので、自分たちの考える「正しい」「客観的な」解釈以外は「デマ」なのだそうだ。ほとんど毛沢東やスターリンのような発想だ。(そしてその「客観」の根拠は、「自分たちの納得」と公式サイトのキャラ紹介文やスタッフのインタビューなのだという……)
要するにそもそも「鑑賞する」ということが何か、中学校の美術みたいなレベルで理解されていないのだ……。
ついでに言うとスタッフのインタビューなどの公式見解を解釈の「正解」にするというのはそれ以前に一般教養レベルで人間観が根本的におかしくて、その論理ではスタッフは絶対に嘘をつかないし、ポジショントークもしないし、記憶間違いもないし、「無意識」も存在しないことになる。この辺は本当に「義務教育の失敗」を感じる……。
加えて僕に絡んできた人の多くが、そもそも実は僕の動画を全編視聴していないらしく、宣伝的に無料公開している動画の一部だけを見て怒り狂っていたことが判明した(何かとんちんかんな質問が来るなとは思っていたのだが……)。
この人たちは、僕には「公式サイトも推奨している正解のキャラクター解釈をしていないのは許さん」的なことを散々述べていたくせに(まあ、この主張自体が頭悪すぎるのだが)、自分たちは、僕の動画をきちんと見ることなく攻撃していたのだ。もし仮に僕がこの映画の予告編だけを見て批判していたら、この人たちはどんな反応しただろうか?
そして一番僕が頭が痛くなったのは、その短い動画の内容ですらも、この人たちは理解せずに文句を言っていたことだ。
僕は動画の中で「このキャラは(ツンデレ的に)最初は悪い奴だと見せるミスリード演出があったほうがよかった」という指摘をしているのだけど、それに対して「宇野はこのキャラを悪い奴だと解釈している。それは間違いだ、許さん!」と延々とキレられていたのだ……。
作品解釈に「正解」を求めるのもヤバいし、他人の発言を確認せず思い込みでキレまくるのもヤバい。
最低限の知識、文を把握する理解力、「批判するならその対象(動画)を観ずしてはいけない」とか、「自分と解釈の違う意見は〈デマ〉であると中傷する」とか、そういったものがすべて根本的に欠けているのだが、僕はここで考えた。
ここから先は僕の推論だが、おそらくここまでこの人たちを愚かに(というか最低限のことを確認も勉強もせずに人を批判するように)、卑劣にしてしまっているのは彼ら彼女らの作品への「愛」なのではないか、ということだ。
ものすごく応援したい作品があり、その気持ちからあばたもえくぼに見え始める。そこからこのように思い込みが強くなり、誰かをインチキなやり方で陥れようとすることに疑問を持たなくなるまでの距離は、意外と短いのではないかと思うのだ。
なぜ僕がそのように思うかというと、それがもう一つの問題に絡んでいる。この『パリに咲くエトワール』信者たちの言動は、2月あたりからネチネチと僕を攻撃し続けているSNSの過激化したリベラル層とソックリだからだ。
事情を簡単に説明すると、僕は先の衆院選で中道改革連合が結成された瞬間に、これは選挙で壊滅するだろうと予測した。僕は批判的勢力が弱体化するのは良くないと考えて、中道改革連合の選挙戦略を批判しつつも、応援することを表明した。この辺は僕が『パリエト』を応援したいが、作品の演説や脚本には疑問があると指摘したのと全く同じだ。そしてこの指摘に『パリエト』の信者が怒り狂ったように、僕もリベラルたちから、集団リンチ的に攻撃されるようになったのだ。
当時は世論調査的に中改革連合が非常に優勢だと言われていたので、盛り上がってるムードに水を刺すなと思われたのだ。この辺も今回のパリエト信者の激怒と似ていると思う。あとこの件に関して言えば、発端となった動画の対談相手がSNSリベラルからは「裏切り者」として嫌われている山尾志桜里さんだったことも大きいと思う。僕は政治的な立場が違っても建設的な意見交換ができるなら石破茂とも本を出すし、福島瑞穂ともイベントをしてきた。しかし今日のSNSリベラルは、例えば僕が音喜多駿と友人関係にあることをことあるごとに攻撃してくる。僕は音喜多が維新に入るのを止めた友人の一人だったのだが、そういう事情は彼らにとっては、もうどうでもいいのだ。
要するに僕は「同じモードで御輿を担がない」「敵対勢力とも、よく対談している」という理由で、どれだけ高市早苗を批判していても、何故か「冷笑」系とか「高市早苗の手先」と言われて攻撃されるようになった。この辺の事実関係を確認せずに思い込みで、ひたすら罵倒をしてくるあたりもパリエト信者にソックリだ。
ここまで、彼ら彼女らが愚かになってしまうのも、やはり「活動」が生き甲斐になっているからだと思う。
自分たちジェダイが敵のシスを打ち倒す物語に夢中になっていて、それが生きがいになっているので、その盛り上がりに水を刺すような意見や、敵側とも柔軟に対話する人間が、物語の盛り上がり的に邪魔になってしまうのだ。しかし本当に大事なのは、彼ら彼女らがSNSで敵を罵って、正義の味方気分に浸って気持ちよくなることではなくて「社会が良くなること」なのだ。
今回の『パリエト』信者の暴走も、同じような背景だと思う。アニメを見ることよりも、少なくともそれと同じくらい、ある作品を推すことに夢中になってしまっているのだ。政治も推し活も、自分が当事者に主人公になれるところが共通している。
作品を見るという行為は、他人の物語を受け止めることだが、その作品を推すことは自分の物語を生きることだ。この自分の物語を生きていることの充実感が、人間を暴走させるのだ。あまりにもその充実感が、快楽が、世界に触れている手触りが強いせいで人間は愚かになるのだ。
僕の考えは、こうだ。今の僕は、少なくともかつてのように「推し活」を肯定できない。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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