なんか魔法の言葉「なんか」
使い方で異なる印象を受ける言葉がある。プラスの印象を与えることもあれば、マイナスの印象を与えることもある言葉だ。それは言い方だったり、使った時の状況によって変わる。
その代表格が「なんか」だ。
「なんか」はプラスに聞こえることもあれば、マイナスに取られることもある力を持つ。明確な理由を言語化できない時などに使うと思う。そのために印象が異なる言葉になっている。
たとえば怒られたとする。
それはなんでもいい。遅刻でもいいし、書類のミスでもいい。とりあえず怒られるのだ。相手がいろいろと言葉を並べ怒っている。全ての怒りを吐き出した後に、こちらが言うのだ。「なんか、すみません」。これ、マイナスの印象だ。
怒られていることが腑に落ちていないように聞こえる。全く反省していないように聞こえる。おそらくそうなのだ。謝りたくないという気持ちが、脳内で巡りに巡り、出てくる言葉が「なんか、すみません」なのだ。相手の怒り方によるけれど、おそらく言語化されているのに、謝る側は責任の言語化から逃げ、「なんか」と発する。
その後で、同僚にでも言うのだろう。
「なんか大丈夫だったわ」と。何が大丈夫かはわからないけれど、「なんか」でなんかなる。なんかさえつければ、言語化から逃げることができるのだ。もちろんただ謝りたくなくて「なんか」と言っている可能性もある。これが相手にマイナスの印象を与える原因だ。
言語化しないには当然プラスもある。
すごすぎて言葉にできない、ということがあると思う。その際の表現の一つに「なんか」があるのではないだろうか。たとえば転びそうになったけれど、はずみでムーンサルトを決めて転ばずに済んだとする。
「なんかすごくない?」だ。
言語化すればムーンサルトをして転ばなかった、となるのだけれど、体操経験なんて当然なく、人生で一度もムーンサルトを決めたことも、練習したこともないのに、偶然ムーンサルトができたとすれば、「なんかすごくない?」となる。
すごすぎて言葉にできない時の、「なんか」はプラスの印象を与える。「なんかすごく美味しい、なんでだ、なんかもう美味しすぎる」と感動を含んだ感じで言えば、やはり印象としてはプラスだ。その人の人生の中で出会ったことのないもの出会えて、言語化ができない結果だからだ。
つまりなんかはなんかすごいのだ、なんかそう思うということだ。なんかは汎用性がなんかあるのだ。なんかわからないくらいの使いやすさがなんかあるのだ。使い所によってなんかプラスの印象や、なんかマイナスの印象をなんか与えるのだけれど、なんかはなんかすごいということだ。
なんか困った時はなんかと言っておけばなんかなる時もなんかあるようになんか思える。もちろんなんか言語化した方が、なんか今後のためになんかなる気がなんかするけれど、なんかそういうことをしない方がなんか感動を伝えることがなんかできる気がなんかする、ということだ、なんか。



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