パリに咲くエトワール を観て
「朝ドラのダイジェストを観てるようで物語がトントン拍子に行き過ぎて説得力が無い」
という批評動画を観たのですが、そもそも朝ドラのような「1つ1つのエピソードを掘り下げて少しずつ放映する」ものを作ろうとしてる作品ではないので、的外れな批判だと感じます。
だからそういう人の感想は「2クールほど使ってテレビアニメにしたら良かったのに」となるのですが、これは監督自身が「それをするなら全く別の作品になる」と言っているほどなので、見当違いもいいところなんですね。
もちろん、監督の意図通りに作品を観なければ絶対ダメとは思いませんが、少なくとも作品を批判するのであれば、その作品が作られた意図まで遡って思いを巡らせるべきで、そうしないと的外れな批判と言われてしまいかねないと思います。
千鶴が「トントン拍子に」上手く行ってるように見えるのは理由があります。決してご都合主義ではありません。
千鶴は「天性の才能」があると明確に描かれています。オルガは最初、コーチを嫌がりますが、千鶴を一目見て才能を見抜き、コーチを引き受けます。
また、矢島は最初、フジコを日本へ返そうとしますが、千鶴を見て才能に驚き、「彼女をサポートするという事なら」と、フランスへの滞在を許します。
天才なのですから、序盤トントン拍子に行くのは当然なのです。(後半は別の壁にぶつかります)
これは主人公であるフジコが周囲から千鶴のように扱われていない事への対比となっています。フジコは若林からも「絵で食べていくのは無理」と言われ、返す言葉を失っています。
フジコはパリの画家達の才能を前にして停滞してしまうのですが、それに対して千鶴は、オペラ座の舞台を観ても怖気付かず、失敗を恐れずに挑戦します。どちらも分かりやすく明確に作中で描かれています。
この作品は「大きな成功」を描いたものではありません。
「夢」を叶える為にどんな壁を乗り越えるかが、2人の対照的な少女を通して描かれます。
千鶴は引っ込み思案で母親の言いなりだった自分からの脱却がテーマで、フジコの存在が脱却の鍵となっています。
フジコは天才達と自分を比べ、失敗を恐れるあまり何を描けばよいか分からなくなっている状態からの脱却がテーマで、千鶴の失敗を恐れず挑戦する姿勢、そして千鶴自身が魅せてくれた舞台が脱却の鍵となっています。(フジコの場合、ルスランの存在も大きいですが)
2人それぞれが影響し合い、壁を乗り越える姿が過不足なく描かれていると私は思います。
これを「朝ドラのダイジェスト」と捉えた人は恐らく、序盤の子供時代の2人を見て「これは朝ドラ的な話に違いない」と思い込んでしまったのかもしれません。
その思い込みが、トントン拍子に成功する千鶴を見て「そうじゃないだろ!もっと苦労しないと朝ドラじゃない!」という違和感になり、「なんだかダイジェストを観ているようだ」という感想になったのだろうと思いました。
千鶴は後半しっかり壁にぶつかっているし、フジコに至ってはずっと停滞しているので、全然トントン拍子というわけでも無いんですけどね。
批評家として動画レビューで作品を批判するなら(しかも「業界のためにも厳しいことを言わないと」等と大きなことを言うのであれば)、もう少し作品をしっかり観て欲しいなと思いました。