「3歳児神話に縛られていた」ことに気づいた5歳児の母が保育園で見た「すごい息子」の姿
X(旧Twitter)で子育ての思わずクスっとしてしまう出来事を日々ポストし、話題を集めている 「ひみつのうつ子ちゃん」 ( @utuko_chan )。3.1万人のフォロワーを持ち、「いいね」1万超えも多数! 人気の秘密は、「子育てあるある」の共感力です。現在、うつ子ちゃんは5歳の息子さんと夫との3人暮らし。そんなうつ子ちゃんの子育てに関するエピソードを紹介します。
仕事再開し、ワーママとして育児・家事との両立に悩むうつ子ちゃん。「私の子育て大丈夫なのかな……」と落ち込むこともあるといいます。そんなとき、息子さんの意外な姿をみて、子育てへの自信を復活することができたエピソードについてお伝えします。
三歳児神話に縛られていた自分
子育てしていると「どうしていつもこうなってしまうんだろう……」「私のやり方がダメなのかな……」と落ち込んだり、モヤッとしたり、イラッとすることがありませんか。そのたびに、「私、ちゃんと母親やれているのかな……」と自分自身を責めるモードに陥ってしまう……。そんなことはありませんか?
私は、よく、いえ、頻繁にあります(きっぱり!)
あげれば切りがありませんが、就寝の時間が遅すぎること。寝かしつけに手を尽くしても22時ごろまで寝てくれません……。食事では、野菜はキュウリ以外食べないというカッパ化が進んでいます。公共の場でどう過ごすか、いろいろ伝えてはいるものの、きちんと出来ているかというと……な部分があり、そのたび「自分の伝え方がダメなんやろうか……」とどんよりします。子育てってその子のペースもあるし、マニュアルとおりにはいかないことばかりで、きちんとできなくても大丈夫とわかっていても、日々の些細なモヤッと、イラッとの積み重ねが知らぬ間に大きくなってしまうんですよね……。
特に、2025年から仕事を再開して、ワーママになってから「いっしょにいる時間が少ないのが問題なの!?」と自己嫌悪に感じることも増えていました。そんな悩みをママ友に話したら、「うつ子ちゃん、三歳児神話に洗脳されていない!?」と指摘されてハッとしました。
「三歳児神話」とは「子どもは3歳まで母親のもとで育てなければ、さまざまな部分に悪影響が出る」というものです。調べると戦後に日本で浸透したようですが、科学的根拠はなく、今では都市伝説的な俗説とされ、意味がないもの、という考え方が定着しています。でも、出産後、さまざまなところで耳にし、ママ友同士の会話にもよく出てきました。そのたびに「三歳児神話ってなんかイヤだな……」と思いながらも、脳内に少しずつ蓄積して、私自身、無自覚に三歳児神話の呪縛にハマっていたようです。
ママ友は「うちは、下の子が来年保育園入ってから仕事復帰と思っているけど、ずっとうちにいても、夜は寝ないし、キュウリしか食べないカッパ化も同じように起きているよ。下の娘はどこでも大きな声で歌い出すからバスとか電車の中でドキドキしているよ(笑)」と話してくれ、安心しました。ありがたき助言、感謝です。『子育て』って、正しくあらねば、きちんとやらねばと思いがちですが、そういう思いに縛られていないか客観的に見ることも必要なんですよね……。
そして、想像していなかった事柄が子どもに伝わっていることもあります。今回は、子育てで自信をなくしていた私が息子の意外な一面を見て、元気が出たエピソードをお伝えします。
息子の年少さんへの接し方に、ウルッと……
仕事を再開して、一番難しいと感じるのは「時間の確保」です。1日24時間は変わらないわけで、その中で仕事や家事、育児を振り分けてやらなくてはなりません。夫と役割分担を分けていますが、それでも息子には、そんな親の都合は通用しません。
仕事から帰宅すれば、夕食を作らねばと思っても「ママ、ママ! みて、みて!」「きいて、きいて!」と取り憑いて言い続けます。できるだけ向き合って息子の声にこたえてあげたいと思っても、どうしても「ちょっと待ってね」とステイを口にしてしまうことが増えていました。その分、仕事が休みの日や時間があるときには、たっぷり、じっくり話を聞くようにしていますが、これが正解なのかわからないなぁ、と思っていました。
ある日、息子を保育園に迎えにいったときのこと。息子が通う保育園は、年少・年中・年長の子たちが入り混ざっているクラス、いわゆる「縦割り」保育です。その日、お迎えに行くと息子は砂場遊びに夢中でした。何やら大作をつくっていたようで、手元に集中している様子。その横で、ひとつ下の女の子が、息子に一生懸命なにか話しかけていました。
すると息子は、砂を触る手を止めて、顔を上げて、その子の話を聞きはじめたのです。しかも、「うん、うん」と相づちを打ちながら……。適当に聞き流すのではなく、ちゃんと向き合って聞いている姿にハッとしました。これって、私がいつも大事にしてきたことなのかも……!? いつもできているわけじゃないけど、息子の「みてみて」にできるだけ応えよう、「きいてきいて」にできるだけ耳を傾けよう……。それを息子は実践しているんだ! と思ったら、なんだか胸がいっぱいになりました。
ちょっとウルッとしながら息子と女の子の様子を見ていると、保育園の先生が耳元で、「息子さん、お兄ちゃんになってきましたよね。年少さんのお話もきちんと聞いてあげたり、いっしょに遊ぶことも多いですよ」と話してくれたのです。家に帰れば、お兄ちゃんにはほど遠く、ごっこ遊びに夢中で、キュウリしか食べないカッパですが、少しずつでも私や夫の背中を見て、他の人の話に耳を傾ける、いっしょに何かをする、ってことができるようになっているのだなと思ったら、なんだかメチャクチャうれしかったのです。
口酸っぱく言うより、やってみせること
子育ては、「もっとこうすべきでは」「他のお母さんはもっとちゃんとしてるのでは」とそんなことばかり考えてしまいがちです。でも、あの日見た息子の姿は、そんな不安に対して、小さな答えをくれた気がしました。子どもって、親が「教えたこと」以上に、親が「やって見せていること」を感じ取るのかもしれない。「人の話はちゃんと聞きなさい」と100回言うより、親自身が子どもの話を聞いている姿のほうが、伝わることもあるのかもしれない……、息子の姿から学んだ出来事でした。
もちろん、これで「私の子育ては正解だった」なんて思っているわけではありません。これからも悩むし、迷うし、また自己嫌悪にもなる。もっと大きくなったら、あれこれ拘ることも疎ましがられるのかもしれません。でも、それでもいいのかもしれない、と少し思えました。完璧じゃなくても、余裕があるときに向かうこと。できる範囲で、大切にしてきたことを伝えて行く……。こうやってシンプルに考えればいいのかもと思いました。
考えてみればそうですよね。「しつけ」は、一方的に教え諭すという印象がありますが、それだけでは身につかないことはたくさんありますよね。例えば、仕事でも上司から一方的に「そうじゃない」「違う」とばかり言われていたら、仕事のやる気が失せてしまいます。「どうしてこうやろうと思ったの?」というディスカッションのプロセスがあるだけで、一方的は考えの押しつけではなくなります。仕事も子育ても常に時間をかけて接することはできないけれど、時間を作れるときには「相手に向き合う」、これはどんな場面でも大事なことだと私自身、息子の出来事から考えるようになりました。
子育てって、できなかった一瞬だけが強く記憶に残ってしまうけれど、本当はその何倍も、何十倍も、向き合ってきた時間がある。笑って返した「みてみて」がある。手を止めて聞いた「きいてきいて」がある。いっしょに笑った日も、抱きしめた日も、イヤイヤ期、ナゼナゼ期にずっと寄り添った日もある。その積み重ねが、本当はずっと大きいのに、私たちはつい、できなかった部分ばかり見て悩んでしまう。
でもあの日、保育園で息子の姿は、子育てマニュアルや世間の物差しじゃなくて、人として向き合うことを教えてくれたのです。きっとこれからも失敗ばかりですが、ちょっぴり力が涌いた出来事を覚えていこうと思ったのです。ワッショイ!