一体古文漢文というクソ科目はなぜ必修科目なのでしょうか? 興味のある変人にだけやらせておけばいいものを文系理系関係なく強制させ、助動詞だとか活用形だとか句法だの日常生活を送る上で全くと言っていいほど役にたたない知識を刷り込ませてなんの意味があるのでしょうか。ちなみに私は大学受験において現代文の勉強はしましたが古文漢文は必要性を感じない・時間の無駄だという理由から一切勉強しませんでしたが、合格することができました。 みなさんの意見をぜひ聞かせてください。

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昔の物語や随筆を読むのは楽しいですよ そのためだけでも充分価値はあると思います ↑ これを変人だからと言われるかもですけど 少なくともこの楽しみを知らないのは可哀想だと思いますね

あっごめんなさい 数学やる必要がわからなかった人間なので 回答する資格はないかもです 算数で大丈夫な生活してるので

個人の要不要で判断すると、学校の教科で省けるものはいっぱいあるんですよ。 古文、漢文、日本史、世界史、美術、音楽などなど……。 文系の人の理系科目や理系の人の文系科目も、出題されなきゃいらないやと言えばそういうことは可能です。 でも、そういういろんなこと学ぶのが高等学校ということになってます。いろいろやったほうが知識と人間の幅が広がるということもあるでしょうし。 それが嫌なら、高認取って要ることだけやって大学に進学するのが良いと思います。それでの高認の科目に自分にとってのいらない科目はあるかもしれないけれど、最小化は出来ます。

「日常生活を送る上で全くと言っていいほど役にたたない知識」と言えば大学受験におけるどの科目も大して変わらないのでは? まだ古文なんかは現代の国語や日常生活にに通ずるものもあり知識として知っておくと役に立つこともあります。 人は興味のないことは生活する上で気にもとめないので役にも立たないけど、興味のあることは日常生活でも気が付いて役に立っているように感じるものです。 古文漢文はあなたにとっては前者だというだけで、みんながそうだとは限らないです。

日本人が国際社会でバカにされないためじゃないかな。 例として、源氏物語は、世界中のインテリ層が認める最高峰レベルの文学作品。 日本人が源氏物語を知らんと聞くとビックリされる。信じられないと言われる。 国民が自国の古来からの名作文学を知らんということは国際社会では「恥」。 日本以外の国では、賢い人間ほど、自国の文化や、自国の先人たちの遺した偉業を大切にし、後世に伝えようとする。 だから日本も負けるもんかということで、源氏物語が高校の古文の教科書に載っていて、物語の解説やハイライトの学習がある。 しかし、これをモノにしようと思ったら、まず古文が分からないと無理。 加えて、源氏物語の作者は漢文で書かれた文学にも詳しかったことから、源氏物語は漢文の作品をネタにした内容も出てくるので、漢文を知らないとチンプンカンプン。長恨歌くらい暗唱しろよってことになる。 古文漢文を知らなくても入学できる大学はいくらでもあるけれど、大学は入試に受かればゴールではなくて入学後が大切。卒業後に世界中に「日本人の大学生はただの点取り虫の吹き溜まりで教養がない」と言われないためにも、高校までに古文漢文を学習することになる。一流大学だと理系学部でも入試で古文漢文が出題される。 将来、世界レベルの恐慌や紛争が起こっても日本が潰されないためにも、古文漢文の学習は国家の責任において学校で行われる、ということです。高校までに習う範囲は本当に限られています、大人になっても自分で読むのが理想です。現実にはそんな暇がない人が多いですが。

150年前に、それを日本中に向けて大々的に言ってた人が居ました。 福沢諭吉さんというのですが。

学問とは、ただむずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を悦ばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴むべきものにあらず。