ぐだ子のカルデアにぐだ男が落ちてきた話 4
【あらすじ】FGO「if」の物語。第1部途中ぐだ子のカルデアに第2部まで進んだぐだ男が落ちてきた話です。
これは4話なので、もしよかったら最初からどうぞ。⇒ novel/10794580
【ご挨拶など】
少し間があいてしまいました。待ってくださった方、ありがとうございます。
読んでくださる方がいるというのは、書くうえでほんとうに励みになります。
そして、いつもブックマーク、いいね、フォロー、タグ追加などの反応ありがとうございます。
感想とても嬉しいです。嬉しい。
どれだけ嬉しいかお伝えできれば…とずっと考えていたのですが、気に入ってくださった作品の続きを書いてお返しするしかない!と思うに至りました。遅筆なタチではありますが、頑張って更新していきたいと思います。
【attention】
・ぐだ男♂藤丸立香がメインですが、ぐだ子♀藤丸リツカも出てきます。
・ネタバレにはまったく配慮しておりません。
・捏造満載です。捏造しかありません。
・口調、呼び方、人称等、いろいろ曖昧ですがご容赦ください。
・公式設定や史実と違っていても「この話ではそういう設定なんだな」と思ってください。
・腐向けではありません。エロもCPもございません。健全なる全年齢向け。
「すべて問題ないよ気にしない」と言ってくださる心の広い方に。
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いつの間に寝てしまったのか。
誰かが背中にブランケットを掛けてくれたようで、ほんのりと暖かい。
夢をみていた気がする。
懐かしくて嬉しいような、まったく懐かしくも嬉しくもないような、不思議な夢だった。
目が覚めたとたん、夢はすぐにほろほろと崩れ跡形もなくなる。
まるで花が散るように。
――そう、花が。……あれは……
「あまり眠れていなかったんだろう、かわいそうに」
すぐ近くから、ロマニ・アーキマンの声がした。
懐かしい、なんてまだ思えない。
癒えることなく血を流し続ける傷。
彼の声を聞いた途端、藤丸立香は自分がどこにいるのかを思い出した。
――そうだ、そうだった。
ここは、自分たちとは違う旅をしてきたカルデア。
思ったよりもずっとずっと、途方もなく隔絶した世界線のカルデア。
自分と同じ名前で女の子のマスターがいて、違うところを見つけられないくらい同じマシュがいて、フォウくんがいなくて、ダ・ヴィンチちゃんがまだ美少女ではなく美女で、そして――まだドクターがいる、カルデア。
このカルデアに落ちてきてから、この頃に戻りたいのかと幾度も幾度も自問した。
いつでも答えは同じ「否」だった。
ずっとこのままでいられるのものならば、戻りたくないと言えば嘘になるけれど。
カルデアのマスターは前に進まなければならないのだ。
大切な約束を果たすために。
前に進まなければならないとしたら。
同じ旅を、同じ戦いを、もう一度自分は進んでいけるのか。
そんなのどう考えても無理だった。
知らないから、がむしゃらに進めることがある。
知っていたら、できないことがある。
人理修復を終えてから何度も考えた。
何度も何度も考えた。
考えずにはいられなかった。
どうすれば『彼』を失わずにいられたのか。
しかし答えはでなかった。
答えなんて出るはずがなかった。
立香にできることなど最初から何もなかったのだ。
世界を救ったマスターだなんて褒められても、結局、自分は何もしていない。
助けられてばかりだった。
今だってそうだ。
他でもない立香がいちばんよくわかっていた。
寝ているふりを続けるのもつらくなってきた。
立香は俯いたまま表情筋を総動員し、緩んだ笑顔のかたちを作る。そして、さも今起きたふうにゆったりと顔を上げた。
「……ごめんなさい、オレ、ここで寝ちゃってたんですね」
「騒がしくて起こしてしまったかな、すまなかった」
ダ・ヴィンチの気遣わしげな視線に、立香はいいえと首を振った。
むしろずっと声を聞いていたかったんです、とこれは口には出さない。
「おふたりを呼んで来て欲しいと、オレがマシュに頼んだんです。なのに寝てしまったなんて。失礼しました」
藤丸さんとマシュは? と周囲を見回す立香に、ロマニが少し困った顔になる。記憶に焼きついて消えないその表情に、立香の心臓はぎりぎりと絞めつけられた。
「ごめんよ。リツカちゃんはちょっと身体を動かしたいってシミュレーションルームに行ってしまったんだ」
「バスター娘だからねえ、うちのマスター君は」
笑うふたりに合わせるようにして、ははは、と立香も笑う。少し乾いた声になってしまったが、寝起きのせいにしてもらおう。
ロマニはそんな立香の正面に回り込み、椅子をひいて座った。
「ねえ、藤丸くん」
「――はい」
固く身構える立香を安心させるように、テーブルの上に両手を乗せ、微笑みかける。
「だいたいのことはマシュから聞いている。――ボクたちは藤丸くんに謝らなければいけない」
「ごめんよ。我々は昨夜、気づいていたんだ。君が、さっき気づいた事実にね。あの場ですぐに言うべきだった。そうしたら、君が自分で気づくよりもショックが少なかったかもしれない」
言われて初めて、そのことに思い至った。
立香は昨晩、自分たちのカルデアが旅した第七特異点およびその後の出来事について、ダ・ヴィンチとロマニに話したのだ。考えてみれば、それを聞いた彼らが気づかないはずもないのだ。立香とリツカの旅が、大きく隔たっていることに。
立香の肩からふっと力が抜けた。
「言い訳になってしまうが。君が、その……まだ少し調子が悪そうだったので、元気になった頃を見計らってまた話をしよう、とロマニと話していたところだったんだ」
「かえってショックを与えることになってしまい、申し訳なかった」
ふたり揃ってぺこりと頭を下げられ、立香は慌てる。
「そんな、やめてくださいよ」
「必要なときに下げるべき頭を持っているつもりなのだよ、私は」
ダ・ヴィンチが得意気に鼻を鳴らしたところにリツカが戻ってきた。戦闘による高揚の残り火か、頬がまだ紅潮している、しかしその表情は、やや硬い。
「もう話し始めちゃった?」
「いや、リツカちゃんを待っていた」
ごめんごめん、と言いながらリツカはロマニの隣に座った。ダ・ヴィンチはロマニの反対側の隣にいるため、目の前に三人が並んだ状態だ。これではまるで面接だな、と内心で立香が苦笑したとき、少しだけ躊躇った後、マシュが立香の隣に座った。
その位置はリツカの正面でもある。それが理由だったのかもしれないが、マシュが隣に来てくれたことが立香にはとても嬉しく心強かった。
話し出すきっかけをつかめず、リツカが何度も瞳を揺らす。
「あのね。ドクター、ダヴィンチちゃん。藤丸くんが――彼とわたしの人理修復はぜんぜん違ってるみたいだ、って言うんだけど――」
「どうやらそうみたいだね」
「我々も、そうかなって思っていたところだった」
そっかわかってたのか、とリツカが呟く。その声に不快の色がないことに、立香はほっとしていた。
リツカが真っ直ぐに立香を見る。
「そんなに違うなら、お互い、役にも立たないし参考にもならないのかもしれないけど。それでもわたしは知りたい。――藤丸くんは? 知りたくない?」
もちろん知りたい。話すつもりだったし、聞きたかった。でも、ここで話すことは躊躇われた。サーヴァントもいる。そもそも立香にすべて話してよいものか、自分では判断がつかない。
「ええと、オレは、みんなが……」
口ごもる立香に、リツカが強い声をぶつけた。
「そうやってあっちもこっちも気にするの、もうやめようよ! 藤丸くんがどうしたいか、それを訊いてるの!」
夕焼け色に燃え立つ瞳が立香を真っ直ぐに捉えている。この少女の橙色は感情によって色合いを変えるのだと立香は気づいた。
皆から少し離れた壁にもたれ、モードレッドは成り行きを見守っていた。他所のマスターがリツカに押され気味に見えることが、興味深くもあり愉快でもあった。
「おい――」
いきなり足元から声をかけられ一瞬ぎくりとする。が、何食わぬ顔でその場にそっとしゃがみ込んだ。
「モードレッド、おまえさん、シミュレーションで一緒だったんだろ? なあ、うちの嬢ちゃんなんだって半ギレしてんだ?」
ヤンキー座りをした英霊がふたり。
ケルトの英雄がひそひそと尋ねる。
叛逆の騎士もひそひそと言い返す。
「言っとくがオレのせいじゃねえぞ。ご機嫌でシミュレーション戦闘してたんだが、おかしいと思ったときには笑顔でブチ切れてた。――ラミアが気の毒になる程度には」
「おいおい、それって嬢ちゃんがいちばんキレたときのパターンじゃねえか」
「だよなあ」
せいぜい目立たぬようにしていたつもりだったが、それがかえってリツカの癇に障ったようだ。
「そこっ!」
鋭い声が飛んできた。
「こそこそしない! 言いたいことがあったら正面からちゃんと言う! そういうルールでしょう?」
腰に手を当て、仁王立ちである。モードレッドも負けずに睨み返す。クー・フーリンも堂々と反論を開始した。
「人聞き悪りぃな。こそこそなんてしてねぇぞ。こいつがよ、マスターなんでキレてんだ? って訊くから、訓練のときからブチギレてたからオレのせいじゃねぇぞ、て言ってただけだ」
「おうよ。でけえ声を出してそっちの邪魔しちゃワリィから、静かに喋ってたたけじゃねえか」
「だ、だけどねっ」
「なあ嬢ちゃん、何をそんなにイラついてんだ? その坊主に怒ってるわけじゃなさそうだよな」
喧嘩かとハラハラ見守っていた立香だったが、そうではないのだとわかってきた。おそらくリツカと彼らは、常日頃からこのようにコミュニケーションしているのだ。
立香の戸惑いを察したロマニがふわりと笑う。
「サーヴァントは自分のマスターに似てしまうものなのかもしれないね。うちの皆は、どことなくリツカちゃんに似ているんだ」
そうかもしれない、と立香は思う。堂々と自分の意見を述べ、しなやかに強く、そして優しい。
「君のサーヴァントたちも、きっと藤丸くんに似ているのではないかな。いや、君自身にはわからないだろう。帰ったら、誰かに――レオナルドにでも訊いてみたらいい」
ごくあたりまえのように「帰ったら」とあっさり言うロマニ。「似ていた」ではなく「似ている」と言ってくれるロマニ。
彼が彼であることが、どうしようもなく嬉しかった。
立香は固く閉じた記憶を少しだけこじ開け、自分のカルデアで過ごした時間を思い出そうとした。それは抗いがたい誘惑だった。
しかし、注意深く、そして細く細く開けたはずの隙間からは、奔流のように記憶が流れ出して、あっという間に立香を吞み込む。
個性豊かなサーヴァントたち。小競り合いや口喧嘩は日常茶飯事だった。ここと同じように。そういえばあんなことがあったっけそうだこんなこともあったソレイジョウ思い出すな思い出すな思い出すなモウ思い出すな思い出すな思い出すな思い出すなドコニモナイ思い出すな思い出すな思い出すなモウ思い出すな思い出すな思い出すな思い出すな思い出すな思い出すな考えるな考えるな考えるなダレモイナイ考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるなモウ考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるな考えるなカエレナイ考えるな考えるな
記憶に押し流され呼吸もできずにいた立香は、リツカの大声にハッと我に返った。知らずに閉じていた目蓋を慌てて持ち上げると、今にも泣き出しそうなリツカが顔を真っ赤に染めていた。
「そうだよ! わたしが怒ってるのは、わたしにだよ! 八つ当たりしてごめんね!」
ごめんねと言いつつ謝っている口調ではなく、リツカはむしろふんぞり返っている。
「謝ってくれなんて言ってねえだろ、嬢ちゃん」
「謝れなんて言われたら、絶対に謝らないよ!」
「まあ、あんたはそうだよなあ」
怒っているのは自分自身に対して。リツカが口にしたのは紛れもなく本心だった。
自分はどうすればいいのか。どうするべきなのか。何がカルデアのためになるのか。何が立香の助けになるのか。リツカなりに考えていたのだ。
「でも、わからなくなっちゃった。考え過ぎてわからなくなった。考えるの向いてないし。だから、もうやめた」
「向いてねえって自覚はあんのか。ははは、たしかに向いてねえよなあ」
「そこ! うるさいっ!」
すかさず野次を飛ばしたモードレッドに突っ込みを入れつつも、リツカの口元は感謝に緩んでいた。張り詰めた雰囲気は苦手だ。いつものようにわいわい賑やかにやりたかった。
リツカの瞳は揺らめく感情を映し、蝋燭の炎のようにゆらゆらと燃えている。その瞳を真っ直ぐに立香へと向けた。
「藤丸くんがいてもわたしはいつも通りにやりたいことをやって、言いたいことを言う。だから藤丸くんも、やりたいようにして、言いたいこと言って。自分ちにいるみたいに、もっと楽にして。それから――」
追い立てられているような早口で一息にまくしたてると、
「あんまり気を遣わないで」
そこだけはゆっくりと、強い声で、言った。そしてまた早口で続ける。
「藤丸くんのカルデアのことも、聞いたらあれこれ気にする人がいるかもしれないけど、内緒話されるほうが気になる人だっている。どっちがいいかなんて、本人にしかわからない、そんなに青い顔になるほど気を遣ったってそれがベストかどうかわからないんだから、気を遣うだけ損だと思うんだ!」
モードレッドがくつくつと笑い、肩を揺らす。
「言いたいことはわかるけどよ、損とかそういう問題か?」
「モーさんうるさいよっ!」
リツカは大きく手を広げ、皆を指し示す。
「だからね、もう内緒話みたいにしたくないの。みんながいる前で話す。サーヴァントも全員。もしも聞きたくない人がいたら自分で出て行ったらいい。途中退場も途中入室も自由! もう決めた! 藤丸くん、それでいいね!」
ロマニとダヴィンチは苦笑いで諦め顔だ。このカルデアは、ずっとこうしてきたのだろう。そうなのだとしたら、その流儀に従うのは立香としても吝かではない。
「――うん。わかった」
「へ……? いいの?」
立香があっさりと同意したことに、リツカは拍子抜けしたようだ。ぽかーんとした顔を晒してしまう。遠くからサーヴァントが「人前でそんな間が抜けた顔をするな」と小言を飛ばしてきた。
しかし立香にとっては意地を張る場面ではないのだ。何が最善かなんて立香にはわからない。誰かが強い意志で方向を示してくれるのならば、むしろ助かるくらいだった。
「じゃあ、どこから話したらいいかな」
「え? あ。うーん……」
そこまでは考えていなかったらしい。天井を仰いだままリツカが動かなくなった。そんなところがマスターらしいとサーヴァントたちがまた笑い合う。
ややあって、リツカは端末を操作しメインモニタに管制室を映し出した。そのまま特異点を表示したパネルにズームする。
「――これ、藤丸くんのカルデアと、同じ?」
何が? なんて訊くまでもない。立香はモニタを食い入るように見つめた。
第一特異点 オルレアン
第二特異点 セプテム
第三特異点 オケアノス
第四特異点 ロンドン
第五特異点 イ・プルーリバス・ウナム
第六特異点 キャメロット
第七特異点 バビロニア
赤く点灯する座標は、立香の脳裏にくっきりと刻み付けられたものと違わなかった。
リツカの目を見て、しっかりと頷く。
「位置も、時代も、同じだよ」
「そうか」
「そうだろうねえ」
ロマニとダ・ヴィンチの声が被った。
しかしふたりの口調はかなり異なっており、それをリツカは不思議に思う。
「ドクターは普通の相づちって感じだったけど。ダヴィンチちゃんは、そりゃそうだろうねえって、わかってたような感じだった。どうして?」
ダ・ヴィンチは笑って手を振る。
「そりゃあ、毎日毎日、考えていたからだよ」
モニタに歩み寄り、中指の関節でコツンと叩いた。
「敵はどうしてこの場所この時代を選んだのだろう? ってね。毎日毎日、これを眺めながら考えていたから――」
「――どう考えてもここしかない、と思ったわけだね?」
「そういうことさ。敵ながら、実に効率良く考え抜かれている」
効率がいい。その表現が妙に引っ掛かった。
「それじゃあレオナルド、君が特異点を選定するとしたら、やはり同じ場所で同じ時代を選ぶのかい?」
「いいや、わたしだったら違う選択をするよ」
「――即答とは、怖いな」
「だから毎日そればっかり考えてたからだってば」
笑顔のダ・ヴィンチだが目が笑っていない。
「この特異点は、支配者の発想なんだよ」
王。皇帝。帝王。君主。呼称は違っても同じ。支配する者の視点だという。
「では『万能の天才』視点だと、どうなるっていうんだい?」
「わたしだったら、まず羅針盤と火薬を作らせないね。それに活版印刷術、ワクチン、麻酔、それからX線……と、これじゃあ近代に寄り過ぎてるな。そしたらもうちょっと古い時代に戻って紙と――」
「待って待って! 目が怖い!」
「早口でこわい!」
立香とリツカの苦情が被った。ふたりで目を合わせて苦笑を交わす。
「目がマジだったよね」
「うん。めちゃくちゃ早口なのが、ずっと考えてたんだなって実感できてこわかった」
そんなふたりを見守るマシュが嬉しそうだ。そんなマシュを眩しそうにロマニが見守っている。
「ダヴィンチちゃんの妄想はおいといて――」
「リツカ君? 訊いておいてそれはないだろう!」
「じゃあ、最初の特異点から話をしようか」
そうだね、とリツカの提案に頷きながら、立香は躊躇っていた。
確かに第一から第七までの特異点は同じである。しかし、あるべきものがなかったのだ。ただ、イレギュラーとして非表示にしている可能性もある。確かめてみなければ。
「あの、あそこには『特異点F』がないみたいんだけど――」
「特異点、何だって?」
「F、です」
しん、とむずがゆいような沈黙。
この反応は、もう覚えた。
「ご存知ない、ということは――」
「そうだね。我々の知る特異点は、ここにあるのがすべてだ」
「Fっていうのは何かの略かい?」
「冬木の、Fです」
「冬木だって⁈ ……あの冬木なのか?」
彼らにゆっくりと大きく頷いてみせ、立香は続けた。
「そうです。聖杯戦争に縁の地――日本の、冬木市です」
「冬木が特異点に……」
「それは何年ごろの地点だったか覚えているかい?」
「2004年、だったと思います」
「聖杯戦争があった年じゃないか」
ロマニの指示で、スタッフが慌ただしく再計測と再計算を行う。
「やはりこの時代この場所には、いかなる特異点も発現していません」
「特異点Fが、なかった……?」
それならば、あの事故の後、藤丸さんとマシュはどこに飛ばされたというのか。そうだ、オルガマリー所長はどうなったのだろう。そしてレフ教授は――と考え、はっと気づく。
もしもほんとうに、この世界には魔神柱がいないのであれば、レフ教授も存在しなかったのだろうか。それとも違うかたちで存在しているのだろうか。
そもそも、このカルデアにはあの事故はあったのか? Aチームのメンバーは同じ顔ぶれだったのか? いや、それよりも――
確認したいことはたくさんある。どのように確認をすすめていけばよいのかわからない。立香は足元が崩れていくのを感じた。目の前にチカチカと星が瞬く。寒い、いや冷たい。
「誰か、紙袋を! ああ、紙じゃなくてもいい、なにか袋を!」
ロマニの声を遠くに感じながら、立香は耳鳴りの渦に巻かれ、沈んだ。
「落ち着け、馬鹿者」
ゆっくりと浮上した意識に、低く響く声が落ちてきた。反射的に身を竦めてしまったが、自分に言われたわけではなさそうだ。
「最初に、間違いなく合致であろう点を定めろ。そこから照合を始めるのが常道だろう。さもないと時間を無駄にする羽目になるぞ」
腕組みをしたアンデルセンが、その外観にまったく釣り合わぬ表情で、足先を苛々と打ち付けている。
「アンデルちゃんの言うこともわかるけどさ、それって難しいよね。長くなるし」
「妙な名で呼ぶなと何度も言っているだろう。――人類史を神代から照合しろと言っているわけではないぞ」
「だってさ、『アンデルセンちゃん』って長いじゃないの」
「ならば『ちゃん』をつけなければ良かろう!」
眉間に青筋をたて始めたアンデルセン。その意図を、マシュがいち早く察した。
言われてみれば確かにその通りだったのだ。曖昧なところから答え合わせをしていては、行って戻ってを繰り返すことになってしまうだろう。
「それでは、わたしたちが知っている――知識としてではなく実際に知っているカルデアの最初から、答え合わせしてはいかがでしょうか」
「マシュ天才。可愛いだけで天才なのに」
「せ、先輩?」
リツカがマシュを抱き寄せ頬ずりする。
そんなふたりをぼんやりと見ていて、立香は或ることに思い至った。
「そうか、マシュ……」
「ああ、落ち着いたかい? 藤丸くん。無理はしないようにね」
「ごめんなさい、ドクター。オレ、また……」
気遣うロマニに感謝を込めて頷き返す。
そんな立香を、ふたりの少女が怪訝そうに見ていた。
「藤丸くんだいじょうぶ? てか、マシュがどうかしたの?」
「うん。――考えてみたら、ここにいる中ではマシュがいちばん先輩なんだなあ、って」
「わたしが『先輩』ですか⁉ ……あの、それは」
「ああ、マシュ、違うんだ。藤丸くんが言いたいのはね、ここにいる中では君がいちばん早くからこのカルデアに存在しているということだよ」
「ありがとうございます、ドクター。理解しました。それなら肯定できます」
立香は身体を捻り、隣に座るマシュに向き合う。
「マシュ、君はカルデアで生まれたの?」
「はい、そうです。わたしはデザインベビーとして2000年にカルデアで生まれました」
「そうか。うちのマシュも同じだ」
「なるほどね!」
リツカが両手をぱちんと打ち合わせた。
「アンデルちゃんの言ってた『一致する点』はマシュが生まれた日ってことでいいよね」
「だから妙な名で呼ぶなと。――まあ、とりあえずそれでいいだろう」
スタッフのひとりが立ち上がり、端末を操作する。食堂のモニタに「2000年 マシュ誕生」とテキストが浮かび上がった。
立香は目を瞑って懸命に記憶を辿る。
「ドクター、あなたがマシュの主治医になったのは、マシュが何歳のときですか?」
「十二歳だ」
「ダ・ヴィンチちゃんが召喚されたのも同じ頃ですよね」
「そうだよ。2012年だった」
カタカタとキーワードを叩く音が響く。「マシュ誕生」から伸びた矢印の先に、2012年の出来事が追記された。
「そのときのカルデア所長は?」
「マリスビリー・アニムスフィアだ」
「そこまでは同じ?」
リツカの問いに、立香が大きく頷く。
「この頃、他に何があっただろう」
「『カルデアス』と『シバ』の改良やアップデートがたくさんあった頃だよ」
「たぶんそれはボクらしか覚えていないから立香くんが照合できない」
「むう」
立香の知りたい事が近づいてくる。ここにも『シバ』があったのだ。
「マシュ、君は誰に魔術を習ったの?」
「私に決まっているじゃないか」
マシュが答えるよりも早く、ダヴィンチが胸を張る。
「レフ教授、ではなかったんですね」
「――その名には聞き覚えがないな。ロマン、君はどうだい?」
「……」
「おい、知っているのかい?」
「いいや、ボクも知らない」
ダ・ヴィンチはロマニの反応を訝しんだが、今は話の進行を優先した。
モニタに浮かび上がるテキストに分岐の記号が追加される。分岐した上には『ダ・ヴィンチ マシュに魔術を教える』と記され、下には『レフ教授 マシュに魔術を教える』と記された。ロマニが話の続きを促す。
「藤丸くん。その『レフ』という人のフルネームはわかるかい?」
「レフ・ライノール、です。そして彼は、シバの開発者でした」
「こちらでシバを開発したのはフラウロスという男だ。彼は……2014年に自殺してしまったが」
――フラウロス。
その名には厭というほど聞き覚えがあった。立香が初めて対峙した魔神柱がフラウロスだった。しかもそれは、レフ自身が姿を変えたものだった。
この世界で、レフはフラウロスと名乗っていたのか。しかし、フラウロスは自殺したという。だから第二特異点に魔神柱が現れなかったのか。
目を瞠って息を吞んだ立香を、皆がじっと見る。
「藤丸君、なにか気づいたのかい?」
「気になることが幾つかあります。でも、その話をすると時間が少し飛んでしまう。だからダヴィンチちゃん、ここはアンデルセンの助言通り、順を追って話をしたいです」
「わかった、そうしよう」
シバの開発者名が記されていくのを、皆が黙って見守った。
いよいよだ。立香は大きく深呼吸する。
「それじゃあ、藤丸さんに質問を」
テーブルの上でマシュとしっかり手を握り合ったリツカは、ひどくこわばった顔をしていた。
「藤丸さん、君がカルデアに来たときの所長は?」
「……マリスビリー・アニムスフィアだけど」
「じゃあ、オルガマリー・アニムスフィアと面識は?」
「オルガマリー副所長? あるに決まってるじゃん。――わたしはあんまり好かれてないみたいだけど……って、ねえ、カルデアじゃなくて特異点の話をしようよ」
リツカが苛立った声を出す。
無視して立香は質問を続けた。
「藤丸さん。オレに同じ質問をしてくれるかな」
「いやだ、こんなの」
「必要な確認なんだ」
「いや、聞きたくない」
「藤丸さん」
頑迷に拒否するリツカだが、立香は一歩も引かない。
(へえ)
それと見て、青の槍兵がにやりと笑った。
(あの坊ちゃん、気弱な優男かと思ってたが。どうしてどうして、芯は強いな。――ま、でなきゃ一癖も二癖もあるサーヴァントを率いて人理修復なんざ、できっこねえか)
リツカはふてくされた態度を隠そうともせず、それでも立香の指示に従う。
「はいはい、それでは質問でーす。――藤丸くんがカルデアに来たときの所長は誰でしょう、か!」
立香はゆっくりと、しかしきっぱりと、盤に碁石を置くようにして、言った。
「オルガマリー・アニムスフィア」
吸い込まれたように音が、消えた。
「え。え⁈」
「オレにとってのカルデア所長はオルガマリー所長だ。一緒にいられた時間は、ほんとうに――短かったんだけど」
「そんな……。じゃ、じゃあ! マリスビリー所長は⁈」
「既に亡くなっていた。オレは一度も会ったことがない」
「そんな――」
静まり返った食堂に電子音が響く。分岐した時間軸の先に『マリスビリー死亡 オルガマリーがカルデア所長に』と記された。
リツカの瞳に恐怖が浮かんですぐに消え、強い意思が宿った。同時に光が灯る。
知りもしない『レフ』という人間がいてもいなくても実際どうでもよかったが、よく知る人物の生死に話が及び、ようやく実感がともなったのだ。
「リツカちゃんも話を聞く態度になったようだね」
溜め息とともにロマニが沈黙を破る。
「……ドクター、ごめんなさい」
「謝るのはボクにじゃないだろう?」
こくん、と頷いたリツカが立香に向き直る。
「藤丸くん、ごめんね」
立香は気にしてないよと頭を振った。項垂れるリツカにロマニが優しく声をかける。
「いったいどうしたんだい? いつもの君らしくなかった」
「うん……。なんだか、こわくなって」
立香にはリツカの気持ちがわかるような気がした。自分の足元が揺らぐような、不安で不安でどうにもならない感覚に陥ったのだろう。昨日の自分がそうだった。たった昨日のことだ。もう何日も前のことのように思えるが。
「藤丸くん。君はさっき『一緒にいられた時間は短かった』と言ったね。オルガマリーは所長を辞めたのかい? それとも」
「……亡くなりました。最初の、特異点で――」
「信じられない! オルガマリーが特異点にレイシフトしたのかい⁈ ああ、すまない。こちらの世界のオルガマリーは」
「同じです」
「え?」
「こちらのオルガマリー所長にも、レイシフト適性はありませんでした」
「じゃあどうして――いや、すまない。ついつい先を急いでしまうな。落ち着いて、時系列で話をしよう」
――目の前で殺されました。助けられませんでした。
言えなかった。何度も悔いたあの場面が、目の前で再生される。
目の前で殺されてしまった女性。たとえ誰だって、あんなにも無残に命を奪われていいはずがない。
生まれて初めて触れた、純粋な悪意。そして闇のように膨れ上がった殺意。
もしもあれがもっと後の出来事であれば、そしてサーヴァントが一緒にいれば、助けられたのかもしれない。
しかしあのときの自分には、何をすれば良いのか、それすらまだわからなかった。何もできず呆然と見ているしかなかった。
いつまでも消えることのない後悔を心の深いところに再び押し込め、立香は目の前の会話に戻る。
「この世界のマリスビリーとオルガマリーは今どうしているんですか?」
「マリスビリーはあの日、たまたま時計塔にいたんだ。だから今は、全人類と運命を共にしているよ」
「そうですか。オルガマリーは?」
「Aチームと一緒に事故に遭った。危なかったけど一命は取りとめて、冷凍保存で眠ってるよ」
「そう、か」
――助かって欲しい。
胸の内で、そっと祈る。
せめてこの世界のオルガマリーだけでも助かって欲しい。心の底からそう願った。
いつもの微笑みに沈鬱さを滲ませ、ロマニが立香にそっと訊ねる。
「立香くんのほうのマリスビリーが亡くなったのは、いつかわかるかい?」
「はっきり覚えていないのですが、たぶん2011年から2013年ぐらいだったと思います」
「そうか」
目を閉じたロマニの胸に去来したものが何であったか、立香にはわからない。
立香は再び大きく息を吸い込むと、リツカに向き直った。
「それじゃあ、『あの日』の話をしようか」
「あの、日」
リツカがわずかに怯んだような目になった。
しかしすぐに自分で自分の両頬を叩き、背筋を伸ばす。
「わたしたちの話、だね」
「そう。世界が焼かれた、あの日の話だ」
*--*--*--*--*--*
一般人として普通に暮らしていたにもかかわらず、偶々カルデアに来てしまった立香。訊いてみれば、リツカも同じような境遇だった。なんとなく、お互いにほっとして笑い合う。
「――それでオレは居眠りしちゃって所長に叱られて、説明会を追い出されて自分の部屋にいた。あの事故のとき、動けるのが本当にオレしかいなかったんだ」
炎の匂いとともに現場の惨状を思い出す。マシュとふたりで死を覚悟したことも。
「わたしも偶々、副所長と喧嘩して、ふてくされてマイルームにいたの」
マイルームにいた理由の違い。そのささやかな相違点がふたりの性格の違いを表しているようで、立香は可笑しかった。
「よっぽどオルガマリー所長、じゃない、副所長とは相性が悪いんだね。そっか喧嘩しちゃったのか」
「ちょっとぉ? 居眠りもかなりのもんだと思うけど?」
「いや、そうだけど。初対面で喧嘩なんて」
リツカは笑いを止め、真っ直ぐな強い視線を返してきた。
(ああ、この感じは――)
立香は察した。
「初対面ではなかったんだね?」
「うん、そうだよ。だって、わたしがカルデアに来たのは、あの事故の半年くらい前だったもん」
「半年前⁉」
「っていうか、あの日が初対面だったってことは藤丸くんは――あの事故があった当日に、カルデアに来たの?」
「うん」
「当日か……。大変だったね」
大変だったのはお互いさまだよ、そんな意味を込めて首を左右に振りながら、立香はリツカを羨んでしまった。
せめて半年でも訓練できていたら、学んでいたら、オレだって少しは違っていたかもしれない。そんなことを考え、リツカを羨み、そして、そんな自分を恥じた。
(あの事故のとき、怪我をしたのはオレにとっては知らない人たちだった)
ほんの数分、顔を合わせただけのスタッフや候補生たち。名前さえ知らなかった。意識の中では、同じ電車に乗り合わせただけの他人と変わらない。
(だけと藤丸さんにとっては、半年もの間、一緒に過ごした仲間だったんだ)
半年といえば、学校なら四月から二学期の途中まで。けして短い時間ではない。当然、親しくなった人もいただろう。事故のショックは立香の比ではなかったはずだ。
カルデアに着いたタイミングの半年差。それがどのような意味を持つのかまだわからないが、どちらが有利だったわけでも不利だったわけでもないのだと、自分に言い聞かせる。
「さて、と」
場の空気を変えようとしたものか、ダ・ヴィンチが少し大きめに声を張る。
「ふたりともさっきから当たり前のように『あの日』『あの事故』って言ってるけど、はたして同じ日の同じ事故だったんだろうかね?」
指摘され、思わず顔を見合わせる。そんなふたりのマスターに、マシュがあえて事務的に日付を伝えた。
「このカルデアで事故があったのは、2015年の七月三十日です」
「同じ日でした。そしてそれは、オレがカルデアに来た日でもあります」
「先輩がいらっしゃったのは2015年の一月三十一日でした」
「ちょうど半年前だね。マシュ、ありがとう」
事故の日付は同じだった。では、内容はどうだったのか。
「藤丸君にもリツカ君にも酷な要求だとは思うが……。事故のことを、話してくれるかい? そうだな、藤丸君からお願いしようかな」
ダ・ヴィンチに頷き返し、立香はオルガマリーに追い出された後のことを語った。
或る意味とても衝撃的だったロマニとの初対面。しかし直後、真に衝撃的な出来事で上書きされたのだった。
「――そして駆けつけてみたらレイシフトルームが爆破された後で火の海だったんです。四十七人のマスター候補生も、オレ以外の全員が巻き込まれていて」
「ちょっと待て、レイシフトルームが爆破だって?」
「なんてことだ……。ラプラスやカルデアスは無事だったのかい? いや、無事だったから藤丸君はグランド・オーダーを遂行できたわけだが、それにしても」
ロマニとダ・ヴィンチが強いショックを受けている。
「どうしてそんなことに? 原因はわかったのかい?」
「ちょっと後になってわかったんだけど、さっきも話したレフ教授が爆破を仕組んだんです。レフは黒幕側の手先だった」
「そんな人がどうしてシバの開発を? だってそれって言ってみれば人類の手助けじゃないか」
「途中までは人類の味方だったのか、多重人格だったのか」
多重人格、と聞いたロマニが、はっとしたように顔を上げた。
「……思い出したことがある」
そしてゆっくりと立香に向き直った。
「こちらのでのシバ開発者――自殺したフラウレスだけどね。彼は多重人格だったと聞いたことがある。その人格のひとつが『レフ』だったのかもしれない」
「そうか。ってことは、つまり」
「レオナルド、君も気づいたか」
「ああ。この世界ではフラウレスの人格が表に出ていた。そして自殺した。だからレイシフトルームの爆破はなかった。藤丸君の世界では、レフが表にでていた。だから自殺しなかった。そしてレイシフトルームは爆破された」
それを聞いた立香は複雑な表情で黙り込み、ややあって頷いた。
「二重人格説はとっても納得できます、というか、そうだったらいいなと思います」
「それは、どうして?」
ロマニの問いに、立香は言葉を探す。
「オルガマリー所長もマシュも、レフ教授をとても信頼して、慕っていたように見えました。慕っていたからこそ、とても傷ついていました。だからもしも――レフが彼女たちに見せていた、そのすべてが嘘ではなかったとしたら。そうだったらよかったなあって。たとえ、慕われていたのが別の人格だったとしても、なんだかとても救われる気持ちです」
他者を思いやる立香の気持ちが、その場にゆっくりと染み込んでいく。マシュがほんのり潤んだ目で立香を見た。
「藤丸先輩、ありがとうございます。そちらのカルデアのマシュに代わってお礼を言わせてください」
照れたように微笑んだ立香は、そんな気持ちを振り切るかのように少し硬い声を出す。
「こちらのカルデアでは。どんな事故があったんですか?」
「こっちも爆発事故だったんだけど、レイシフト・ルームじゃない。カルデアの外――って言っても敷地内だけどね、ともかく屋外で事故が起きた」
「どうして外なんかに?」
カルデアの屋外は極寒だ。立香の当然の疑問にリツカは苦笑いで答えた。
「副所長――オルガマリーが急に言い出したのよ。さあ、今から外で訓練するわよ、って」
「マイナス数十度なのに⁈」
「そうだよ。魔術礼装のチェックと身体強化魔術の訓練とか言って。で、わたし……。そんなのシミュレーション・ルームでいいじゃんって言ったんだけどぜんぜん聞いてもらえなくて。それで、つい、根性論かよ馬鹿みたい、って言っちゃって」
「ああ、それで喧嘩に」
無理もないと思ってしまったが、それは言葉には出さない。
「そしたら副所長がさ、そんなに訓練やりたくないならやらなくていい、って。そんな言われて頭にきて、だったらやらないよ、って売り言葉に買い言葉だよね。でも……わたしはちょっと言い過ぎた」
「先輩……」
「所長ならそんなこと言わない、代理のくせに、所長がいないからって張り切っちゃってさ。――って、わたし、副所長のこと挑発したんだ」
立香はそっと目を閉じて、オルガマリーの言葉を思い出す。彼女はとても認められたがっていた。褒められたがっていた。そんな彼女にその挑発はさぞ応えたことだろう。しかし、見るからに後悔しているリツカにそのようなことを言う必要はない。立香はただ黙って頷いた。
「……助かるといいな。謝りたい」
「オルガマリー副所長はきっとだいじょうぶです、先輩」
ぽつんと呟くリツカの手を、テーブル越しにマシュが握って慰める。
「こちらにはレフがいなかった。だからレイシフト・ルームは爆破されなかった。それならどうして……いや、誰が?」
立香は首を捻る。場所こそ違っていたが、同じ日に爆発事故は起きていたのだ。
「それがね、実はよくわかっていないんだ」
「わかっていない……?」
不本意ながら、とダ・ヴィンチは頷く。
「幾つか理由はあるんだけど。――まず、事故の瞬間を見ていた者が誰もいない」
「監視映像では、機器が誤作動して爆発したように見えたんだけど、実際どうだったのかわからないんだよ」
「事故に遭った者は例外なく全員、酷い負傷のため即時凍結されてね。証言できる目撃者がひとりもいなかった。さらに、凍結された者たちも含めて、所在不明になった者はひとりもいないんだ」
レフは爆発の後、特異点Fに現われて自分が黒幕であると告げ、そのまま姿を消した。しかしこちらの世界には、カルデアからいなくなった者がいないという。
「じゃあ、もしも万が一、爆発を仕組んだ犯人が誰かいたとしたら……」
「そう。自分が仕掛けた事故にうっかり巻き込まれてしまったか、今までずっと誰にも疑われることなく献身的に働いていたか。そのどちらかってことになる」
「立香君に言われた後にね、Aチームメンバーの様子を見に行ったんだけど。彼らも全員存在していたし、特に変わった様子はなかったよ。魔術的にも電子的にも、もちろん物理的にも、彼らに接触を試みた痕跡は見当たらなかった」
「確認してくださったんですね。――ありがとうございます」
彼らが行動してくれたことが、嬉しかった。
このカルデアは、立香のカルデアとは違う運命を辿るのだろう。それがどのようなものか、立香には知る由もない。しかし、おそらく自分が知る悲劇は訪れないのだ。そう思えるだけでも、少し心が安らかになった。
「立香君。確証がないながらも、我々はあの事故がソロモンの仕業ではないかと思っていたんだ。その可能性はないのかな」
「わかりません。ただ、少なくともオレの世界のゲ……ソロモンは、カルデアを脅威とは思ってなかったんです。歯牙にもかけていませんでした。だけどレフは、カルデアにいてカルデアのことを知っていた。だから脅威と感じ、壊そうとした。でも――」
「なるほど。カルデアを脅威と感じるには、カルデアを知る必要があるというわけか。道理だね」
「確かに、もしもソロモンがカルデアを脅威だと感じているなら、あの程度の事故では済まなかっただろうな」
しばらく考え込んでいたロマニとダ・ヴィンチが、ふと顔を見合わせ、どちらからともなく笑った。
「同じことを考えてるね、ロマン!」
「ああ、たぶんね」
「もしかしたらこちらの黒幕は、最後の最後に出てくるつもりかもしれないね」
「もしくは、こちら側に乗り換えたとか」
「または、ほんとうに事故だったか」
「いずれにせよ、考えても仕方のないことだから、考えないことにするよ」
「そうそう。我々には考えなくちゃいけないことがたくさんあって、それどころじゃないからね」
ダ・ヴィンチが茶目っ気たっぷりに片目をつぶってみせる。
リツカが大きく息をついて肩の力を抜く。
ロマニが端末を操作した。
「事故のことはいったん棚上げすることにして、っと。――そしたら次だ」
再び特異点の一覧を映し出す。
「事故の後、藤丸くんは特異点エフ――冬木にレイシフトしたと言っていたね」
「特異点Fに行ったのは間違いありませんが、レイシフトした、のではなく、なにがなんだかわからないうちに飛ばされていた、と言ったほうが正確です」
「待ってくれ。『飛ばされていた』だって?」
「はい。あれは――強制レイシフトとでもいえばいいのかな。マシュとふたり、燃えるレイシフト・ルームに閉じ込められ、気づいたら冬木の街にいたんです」
ここのマシュはその時どうしていたのか。立香の視線の意味をリツカが察した。
「マシュも外での訓練に参加していたんだけど――」
「わたしは先輩を呼びに行こうとしていて、その時ちょうど皆さんに背を向けていたんです」
その瞬間、爆発事故が起きた。マシュもやはり爆発の瞬間を見てはいないのだ。
「すごい音がしたので様子を見に行ったら、何かの下敷きになったマシュを見つけたの」
「先輩がわたしを助けてくださいました」
マシュがリツカを見つめる眼差しに、立香は自分の頬が熱くなるのを感じていた。
もしかしたら気づいていなかっただけでうちのマシュも自分をこんな目で見てくれていたのかもしれない、そう思うと、恥ずかしいような嬉しいようなムズムズするような、そして少し温かいような気持ちになった。
ふたりの少女は手を取り合い、邪魔をするのは申し訳ないようなほのぼのした雰囲気を醸している。ロマニが申し訳なさそうに促す。
「こほん。えー。そろそろ話を戻してもいいかな。――藤丸くん、事故現場から強制的にレイシフトさせられたと言っていたね。その『特異点F』に。そのときのこと、もう少し詳しく聞かせてくれるかな」
「はい。さっき言ったように事故現場のレイシフト・ルームにマシュとふたりで取り残されて。炎の中で気が遠くなって……ああ死ぬんだなと思いました。もうほとんど死を覚悟していたのに、でも目が覚めて。そしたらいきなり襲われて――」
何年も前のようでもあり、ほんの少し前のようでもあった。時間の感覚は曖昧だが、記憶は鮮明だ。まだ何の準備も心構えもできていないまま放り出された特異点Fでのことは、立香の心に深く刻まれている。
特異点Fでの出来事を話し終えると、ロマニとダ・ヴィンチは『レフ』について議論を始めてしまった。
一方、名前が出てきたサーヴァントたちは、皆の注目を集め、いささか居心地が悪そうだ。
アルトリアは瞑想しているように目蓋を閉じている。キャスターのクー・フーリンは困ったように鼻の頭を掻いた。エミヤはキッチンに入ったきり出てこない。
「藤丸さんは、キャスターのクー・フーリンとは、どこで?」
「キャスフーリンはね――」
「おい、その変な呼び方をやめろって」
「いちいちうるさいなあ。話が止まっちゃうじゃないの。――ええとキャスフーリンとは特異点で会ったわけじゃないよ。事故の後、第一特異点に行くまでの間に召喚をして、その時に来てくれたんだよ」
リツカが首を傾げる。
「藤丸くんのカルデアでは、特異点で会ったサーヴァントしか召喚に応じてくれないの?」
「ううん。そんなことはないよ」
会って縁を結んだわけでもないのに、大勢のサーヴァントが召喚に応じ、力を貸してくれていた。思えば不思議なことだ。
「事故の後、第一特異点に行くまでの間、どのくらい時間があったの?」
「ええと、フランスに行ったのっていつだっけ。あの事故から一ヵ月くらい後だったかな」
「はい。事故が七月三十日、第一特異点への出発が九月一日でした、先輩」
カルデアに着いてから約半年。事故から最初のレイシフトまで約一ヵ月。
それだけの準備期間がリツカには与えられていたことに、立香は羨望を禁じ得ない。気持ちが表情に出てしまわないよう、奥歯に力を入れた。
「じゃあ第一特異点に出発したのは同じ時期だったんだね」
「そうなんだ。なんかもう、ずっと昔みたいな気がするよ」
「出発前にダヴィンチちゃんと初めて会ったんだったっけ」
「そうでした! あの時はたいへん驚きました」
「レイシフトして、無事に着いて」
「初めて光帯を見て」
「現地のフランス兵と戦闘になって」
「マシュが『盾の峰打ち』を習得して」
「……お恥ずかしいです」
「白のジャンヌに出会って」
「黒のジャンヌに出会って」
こんな時であるのに、立香はリツカと話していて楽しかった。リツカも楽しかった。
同じ記憶を分け合える相手なんてそうそういない。
人類最後のマスターならばなおさらのこと。
「特異点での出来事って、だいたい同じなんだね!」
「うん、意外だったような、意外じゃなかったような」
ちょっと嬉しくなって笑い合う。
そして少し躊躇う素振りを見せた後、リツカは少しばかり上目遣いになった。
「それで――フランスではどこで魔神柱が出たの?」
「出なかった。最初に魔神柱に出くわしたのはその次、第二特異点だった。でも……」
「でも?」
どこからどう話せば伝わるだろうか。説明に困った立香が口ごもる。
「ええと、藤丸さんは、第二特異点――セプテムで最後に戦ったのはロムルスだった?」
「そうだよ。ロムルスを倒して聖杯を回収して作戦終了。藤丸くんも?」
「それが……。やっとの思いでロムルスを倒して、これで終わったのかなって思ったとき――レフが出てきたんだ」
「え? レフって、カルデアを爆破したっていう⁈」
ロマニとダ・ヴィンチが慌てて割り込んできた。
「ちょっと待ってくれ! 彼は、その、どうやって特異点に行くことができたんだ?」
「独自にレイシフト装置を組み立てたとでも? いや、そんなまさか……。仮にやってのけたとしても動力はどうするんだ、動力は?」
「自力で飛んできたんですよ、彼は」
「まさか! そんなこと人間にできるはず……あ」
興奮の後、理解が追い付き戦慄するふたりに、立香は小さく笑ってみせる。
「そうです。彼は人間ではなかった。第二特異点で、彼は魔神柱に変身してみせました。そのとき彼が名乗った名が『レフ・ライノール・フラウロス』、七十二いる魔神のうちのひとつ、魔神フラウロスと名乗ったんです」
「フラウロス……。そうか、それでさっき藤丸くんは」
立香は頷く。
ロマニがそっと訊ねる。
「まだ訊いていなかったね。魔神柱って、どういう姿をしていたんだい?」
「マシュは『地に突き立つ巨大な肉の柱』と表現しました。彼女は過剰に詩的な表現や誇張をしません」
「そう、だね。マシュがそう言ったのなら、その通りのモノだったのだろう。――藤丸くん、悪いんだけど、それを描けるかい?」
簡単にでいいからとタブレットを手渡される。絵には自信がなかったが、その禍々しさだけは伝わるよう、丁寧に描いた。立ち上がり、モニタに映す。
小さな呻き声が食堂を満たした。
「これを見たとき、正直もう勝てないと思いました。でも、みんなで力を合わせてやっと倒して……でも、それなのに、魔神柱を倒したのにレフは倒れてなくて、それどころか、レフは聖杯を使ってサーヴァントのアルテラを呼び出したんです」
「待ってくれ!」
「ロマン、キミさっきから『待ってくれ』しか言ってないぞ?」
「そ、そうかな。でも言いたくなる気持ちもわかるだろう!」
「わかるとも。キミが言っていなかったら私が言っていただろう」
「な……っ」
こんな場合であるにもかかわらず、このふたりがこのふたりらしく在ることが、立香にはとても嬉しかった。
「そうなんです、レフがアルテラを呼び出しました。そしてすぐ、レフはアルテラに斬り倒されました」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「いやいや待ってくれ」
今度はふたりとも「待ってくれ」と言っているがそれにすら気づかない。
「レフってのが黒幕なんじゃなかったのか? ラスボス的な」
「ええええ⁈ 呼び出したサーヴァントに斬られたって⁈ それじゃそのサーヴァントはカルデアの味方だったのかい?」
「ラスボスは第四特異点で姿を現しました。アルテラは残念ながらカルデアの味方ではなかったです」
「待ってくれ! 第四特異点では――」
「えええ⁈ 新たな勢力かい? しかしそれは――」
「おい! また先走ってるぞ、おまえたち」
じっと聞いていたアンデルセンが指摘する。脱線しがちな話し手たちを監督してくれるつもりのようだ。
「あああ、そうだね。ただもうボクは限界だ‼ 脳が糖分を必要としているよ! 大量のカフェインも!」
「まったく同感だ、ロマン。サーヴァントに経口栄養は不要のはずだが、わたしもそれを必要としている!」
立ち上がったふたりを目で追ったリツカが、大きな溜め息を落とした。
「藤丸くんの戦いは、ボス戦が二連戦だったんだね。ラスボスを倒したと思ったらその先に魔神柱か。ほんとに……大変だったね」
「うん」
労われ、しかし立香は曖昧に頷く。
魔神柱との戦いは、既に遠い記憶だった。もう二度と戦いたくはないとは思うが、振り返ってみれば、あの戦いは目的が明確で迷いがなかった。比べれば心理的な負担は軽かった、と、これは今だからそう思えるのだが。
「――たしかに魔神柱を倒すのは大変だったけど、辛くはなかった。これは倒すべき敵だ、ってとてもわかりやすかったから」
「……藤丸くん?」
これはリツカに言うべきではない、そうわかっているのに、言葉を止められなかった。
「辛いのは、選択を強いられることだよ」
「選……択?」
「人の命は平等だけど。相対的にはぜんぜん平等じゃないんだよね」
「何を、言って……?」
「誰だって、知らない誰かの命よりも、知っている人の命のほうが重い。嫌いな人よりも、好きな人の命のほうが価値がある」
「それはそう、かもしれないけど」
口にしてしまっていた。
「藤丸さん。もしも――もしもだよ。ぜんぜん知らないどこかの百万人を犠牲にすれば、カルデアの十数人が助かると言われたら? 君ならどうする」
真剣に問う立香の目を見て、リツカもなにかを察した。
「藤丸くんはそういう選択をしてきたの? そういう選択を強いられてきたんだね?」
「……」
俯いて答えようとしない立香の代わりに、ロマニとダ・ヴィンチを見上げ、目顔で訊ねる。彼らは昨夜、立香の話を聞いているのだ。
ロマニは困った顔で微笑み、ダ・ヴィンチは小さく頷いた。
「そっか……。わたしにも、そういう選択をしなくちゃいけないときがくるのかな」
溜め息のように吐かれたリツカの独り言を聞いて、弾かれたように立香が顔を上げた。
「わからない。このカルデアの未来は、たぶんオレの知っているものと同じではないから」
「そう、だよね」
「わからないけど……。藤丸さんがそんな選択をしなくてすむことを、心から願う」
大切な命と引き換えだからといって、大勢の命を平然と消せるはずもない。
大勢の人の死を見慣れてしまったからといって、ひとりの死が悲しくならないわけではない。
大切な人を犠牲にしなければ手に入らなかった未来なんて、知っていれば欲しなかったかもしれない。
しん、と静まり返った食堂に、よく響く声が穏やかに通った。
「いったん飯にしてはどうだ。空きっ腹を抱えていては、回る頭も回らんぞ」
腕組みをするエミヤの横では、ブーディカがカウンターに朝食を並べはじめている。
焼きたてパンとバターの芳香に抗うのは難しい。
青いドレスのサーヴァントは端から抗う気もない様子で、姿勢よくスッと立ち上がると実に自然な仕草でカウンターの向こうへ消えていった。
「そういや朝メシもまだだったな」
「朝っぱらから濃い話だった」
「朝飯前、って感じの話でもなかったね」
立香たちの話を見守っていたサーヴァントたちも、三々五々、食堂のあちこちに散っていく。
リツカに促され立ち上がった立香は、モニタの前で腕組みするアンデルセンに気づいた。
彼は、相違点が書き出されたモニタをじっと睨み据えている。
「設定だけ与えられて別々の人物が書いた脚本のようだ。共通点と相違点の在りようが、実に気持ち悪い」
呻くようなアンデルセンの独り言に、立香はハッとする。漠然と抱えていた違和感を言語化されたようだった。
そう、気持ち悪いのだ。
カルデアの建物や重要な設備を破壊しなかった爆発事故。
アニムスフィア親娘の生存。
主要スタッフの無事。
半年も早いマスターのカルデア入り。
特異点Fの欠落。
そしてレフが、魔神柱が存在しない。
あまりにも都合が良すぎはしないだろうか。
都合が良い? ……誰にとって?
と、そこまで考え。
或る可能性に思い至ってしまった立香の身体は瘧のように震えた。
ここが異聞帯である可能性はないのか。
いや待て。もしもここが異聞帯であるなら、王がいるはずだ。
誰だ? 王は誰だ?
リツカだろうか。既にこの世界でのグランドオーダーは失敗に終わっていて、やり直しをしているのか。いや、もしくはリツカは実はマスターにはなれなくてそれで。それともアニムスフィア家が名門を存続させる歴史を紡ごうというのか。
それとも。
それとも。
立香がこの世界へと飛ばされてきたのは、ロシア異聞帯を旅している最中だった。
ひとつの異聞帯もまだ切除できてはいない。
したがって、異聞帯のことをまだ何も知らないに等しいのだ。
その成り立ちも。その世界のルールも。
知らないがゆえに、まさかとは思いつつも可能性を否定できないでいた。
否定できるだけの材料を持ち合わせてはいないゆえに。
その可能性を思いついてしまった瞬間から立香は、或る事を考えたくなくて、なのに考えずにはいられなくて、震えが止まらなかった。
(ここが異聞帯だとしたら)
(オレはあの人たちを「なかったこと」にできるのか)
呆然と立ち尽くす立香を気遣い、マシュがこちらに向かって来ようとしている。リツカが手招きをしている。ロマニがマシュに何か伝えている。
いきなり落ちてきたオレに優しくしてくれた、温かい人たち。
やめてくれ!
できない。
できるわけがない。
立香は頭蓋の中で絶叫した。
できないできないできるわけがない
できないできないできるわけがない
いつの間にか傍にマシュが来ていた。
「あの、藤丸先輩。またご気分でも悪いのでは?」
いいやだいじょうぶと言いかけ、立香はハッと気づく。
そういえばここに来てからまだ外を見ていない。そうだ、外だ。外が見たい。外を見れば、すぐにこの不安から解放されるのだ。
「少し……。ちょっと通路に出てもいいですか? 空気を……」
「ではご一緒します」
「ううん。ひとりでだいじょうぶ、だから……」
言いながらふらふらと歩き出した。そのまま廊下へと出て行く。
心配そうに見送ったマシュが、縋るようにリツカを振り返る。
「誰かついて行ったほうがいいね」
「やっぱり私が」
「マシュはダメ」
駆け出そうとしたマシュをリツカが引き止めた。
「ケチだなあ、ちょっとくらい貸してやれよ」
「そんなんじゃないよ、彼はマシュの前だと弱音を吐けないと思うんだ。男の人のほうがいいと思う」
へえ、という顔でキャスターのクー・フーリンが動こうとする。
「なんだ、ちゃんと考えてんじゃねえか。じゃあオレが行ってきてやるよ」
それを制し、ランサーのクー・フーリンが立ち上がった。
「いや、オレのほうが近いからオレが行くわ」
しかしリツカはふたりに首を振ってみせた。
「クーフーリンズはだめ」
「だから変なまとめ方をするなって」
「なんでオレたちはダメなんだよ?」
不満を垂れるふたりに再び首を振り、リツカは腰に手を当てる。
「だってふたりとも、あいつ胡散臭いから殺しておいたぜ、とか平気で言いそうだもん。なんの悪気もなく。っていうか百パーセントわたしのために。良かれと思って」
図星を指されたのか、ふたりのクー・フーリンは揃って苦笑いだ。
リツカは、少し離れたところから見守っていた弓兵に声をかける。
「アーラシュ、悪いけどお願いできるかな。彼の様子をちょっと見てきて欲しいの」
大英雄は「いいよ」と気さくに応じ、通路に出て行った。
カルデアの通路は無駄に思えるほど広くて天井が高い。しかしそのおかげで身体の大きなサーヴァントたちも窮屈な思いをすることなく通行することができていたのだ。それを見越して設計されていたのだとすれば、恐れ入るしかない。
しん、と静まり返った通路に、賑やかな声があふれていた日を思い出す。
今はもうどこにも存在しない自分のカルデアを、懐かしく恋しく思い出してしまう。
あの角を曲がったら、小さな子どもの姿をしたサーヴァントたちがバスケットにお菓子を入れて遊んでいるんだ。そのお菓子を焼いたのはアーチャーのエミヤで、なんだかんだと文句を言いつつも子どもには甘い。キッチンには弓兵の他にブーディカやキャットのタマモがいて、内緒だよと言いながら夜食を作ってくれる。待っていると匂いにつられて青のアルトリアがやってくるかもしれない。少しだけ恥ずかしそうに、ご一緒していいですかって言うんだ。そして――
手の甲に水滴が落ちたことに立香は驚き、結露かと天井を見上げ、そのとき初めて頬を冷たいものが伝っていることに気づいた。
「あれ? なんで、これ」
少し距離をとって一部始終を見ていたアーラシュは、ごしごしと頬を擦る立香に近づくと、何も言わずに頭を抱き寄せた。
驚いて一瞬、身を固くした立香だったが、間近に感じたアーラシュの身体は温かく、立香は我慢しきれず声を押し殺して泣いた。
ひとしきり泣いたら少し落ち着いた。
アーラシュに礼を言い、ようやく決意して窓にとりついたが。
必死に目を凝らす立香を嘲笑うかのように、窓の外はただ白く、吹雪が渦巻くばかりだった。
がっくりと肩を落とした立香に、アーラシュが再び寄り添う。
「アーラシュ、あの……」
「なんだ?」
「変なことを訊くようだけど、この世界って、大きな樹があったりする?」
「いいや、ここらへんは雪と氷ばっかりだぜ」
「そういう意味じゃなくて……世界のどこからでも見えそうな、空に届きそうな、大きな大きな樹」
アーラシュは、からりと気持ちよく笑った。
「なんだ、さっきからアンタそれを気にしてたのか?」
「う……ん」
「そんなのないぞ」
「ほんと? ほんとうに?」
「確かだ。アンタが知ってるかどうか知らないが、俺の眼はちょっとばかり特別でね」
「あ……千里眼」
「知ってたか。じゃあ説明は要らないな。それがなんだか知らないが、俺が視てない以上、そんな樹はない」
「アーラシュ……。ありがとう……」
安堵のあまり再びぽろぽろと涙がこぼす立香の髪を、アーラシュは優しく撫でた。
「何をそんなに苦しんでる? 独りで抱え込んでもロクなことはないぞ。この俺が言うんだから間違いない」
自虐めいたアーラシュの言葉に泣き笑いしながら、立香は思い出していた。
そう、こうやっていつもサーヴァントに助けられてきたんだ。
――ひとりでいい、オレのサーヴァントが傍にいてくれたら。
叶わぬ願いとは知りつつも、立香は心から願わずにいられなかった。